ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
クィディッチシーズンの初戦、スリザリンとの一戦を輝かしいデビュー戦として飾ったハティはさながら英雄としての道を邁進する勇者のごとき扱いを受けていた。グリフィンドールはこのところスリザリンに負け続きであり、他の寮もスリザリンに後塵を拝するような状況であったためグリフィンドールのみならずレイヴンクローやハッフルパフの生徒にまで尊敬のまなざしを注がれていた。
フィルはその幅広い人脈を駆使してハティがいかに素晴らしいプレーを行ったか一週間くらいは誇張を含めて吹聴して回っていたし、それ以上にウッドが「流石は俺が発掘した逸材だ! 百年に一人のシーカーの名に恥じない実力だ。あいつはチャーリーを超えるかもしれない!」と豪語していたので、ハティはすっかり天才シーカーとしてホグワーツ内で名を馳せていた。
当初は気恥ずかしさが勝っていたが、数日が経過すると「もっとわたしを称えなさいよ」と驕慢な考えが浮かぶようになっていたし、一週間経過した頃には誉め言葉にも飽きてしまい、それよりも深刻な問題と向き合うことになっていた。
その日の朝食の席は普段よりも騒然としていた。遅れて朝食の席に現れたハティは、複数人の生徒からの視線を感じて辺りを見渡した。見られることには慣れていたが、どこか思惟を含んだ視線だったのでその時はすぐに気付いたのだ。ハッフルパフ、レイヴンクロー、グリフィンドール、順番にテーブルを見渡していたハティはスリザリンのテーブルで生徒たちがハティを見て視線を交わしていることに気付いた。その視線が何を意味しているのか、当初はまったくわからず、ハティは困惑したままグリフィンドールのテーブルに向かった。
グリフィンドールのテーブルでは既にフィルやロニーやハーミス、ヒューまでも腰を下ろしており、何やら深刻の顔で額を突き合わせていた。そして周囲の生徒のざわめきでハティが現れたことに気付くと、ぱっと顔を上げて急いだ様子でハティに向かって手招いた。ハティは彼等が一様に青ざめた顔をしているのを見て、怪訝に眉宇を顰めた。
「どうしたの、みんなしてシリアスな顔をして」
「いいから座れ」
ヒューに強引に腕を引かれてハティは彼の隣に腰を下ろした。
するとフィルがちらりとスリザリンのテーブルを一瞥し、フィルと顔を見合わすと重い表情で口を開いた。
「あいつにバレないようにスリザリンのテーブルを見て、左の方よ――背の高い栗毛の男が見える? ヤックスリーが戻ってきたのよ」
「ヤックスリーって、あのスリザリンの首席の?」
「そうよ、ローガン・ヤックスリー! 聖マンゴ病院を退院したの。ジャスパーとディランに聞いたのだけど、ヤックスリーのやつ、スリザリンがグリフィンドールに負けたことも、今回入院になったことも全部ハティのせいだって言って、怒り狂ってるらしいの!」
フィルは恐れ戦いた様子でぶるぶると震えながら、口早に言った。フィルだけでない。プリシラやロニー、ハーミスまでも恐怖と怯えがない交ぜになった顔でハティを見ていた。唯一、ヒューだけはむっつりとした顔で腕を組み、曇天の空を睨みつけている。ヒュー以外がハティに何を言いたいのか大体はわかる。「あんた、やばいわよ!」である。
プリシラは拳を握りながら「言いがかりよ!」と唸った。
「自分が呪いを暴発させて無様に聖マンゴ送りになったから、ハティのせいにして失態を隠そうとしているのよ。あの男、プライドだけは高いんだから」
彼女の主張に続いてロニーまでも「そうだよ、スリザリンが負けたのだってスリザリンが弱いからだし!」と続き、ハーミスも「スリザリンが失点したのも自業自得だしね」とハティの潔白を主張し、ハティがいかに不当にヤックスリーのスケープゴートに仕立て上げられたのか熱弁してくれたが、ハティは乾いた笑い声をあげるしかなかった。
なぜなら、ヤックスリーが入院する羽目になったのはハティに仕掛けられた呪いをマリーンとセイディーが呪い返しをしたからである。一体、誰がマリーンたちに依頼したのか未だにわかっていないが、少なくともヤックスリーは呪いを返されたとハティよりは正確に理解しているようだ。ハティがフリントを箒から叩き落したことも。彼の主張はあながち間違ってはいないが、友人たちにしてみればハティの命の危機がそこに迫っているというわけである。
そんなわけなので、一人緊張感のないハティを見てヒューは眦を吊り上げた。
「なに笑ってんだよ。笑い事じゃねえっつーの。ヤックスリーは父親同様、手段を選ばない。ムカつく奴がいれば、どんな残虐な手を使ってでも排除するような奴だ。お前、下手したら殺されるぞ」
「そうよ。あいつはホグワーツの最後の年を輝かしい思い出にしたいの。だから、絶対にスリザリンが寮杯を手に入れないといけないのよ。なのに、私たちが初っ端からパンジーをやりあってスリザリンが大量失点したじゃない? 未だに恨んでいるに違いないわよ、ハティ」
フィルはハティの手を力強く握ると、悲しみに顔を曇らせて大きな瞳に涙を溜めながら言い募った。
「テールパウダーを使ってパパに今すぐお願いするわ。エルンペルトの皮で出来たマントを貸してくださいって。大抵の呪いは跳ね返せるのよ、許されざる呪い以外は」
テールパウダーは魔法の粉で、暖炉にふりかけて燃やすと遠くの魔法使いと会話ができる電話のようなものである。フルーパウダーと呼ばれる暖炉間の移動を可能とする粉同様高価なので大抵のホグワーツ生は持たされておらず、梟便で手紙のやり取りをしている。しかし、フィルの場合はフルーパウダーとともにテールパウダーを製造するフルーバウ社の令嬢であるため、大量に持参しているのである。彼女が入学当初ホームシックにかかり、暖炉越しに両親と会話しているのをハティはプリシラとともに何度か目撃したことがある。
「ヤックスリーの報復に関しては、きっと大丈夫だと思うの。だってスリザリンと試合した時だって誰かが呪い返しをしてくれたのよ」
「だけど、結局誰が呪いをかけて、誰が呪い返しをしたのかわからなかっただろ?」
「そうだよ! それに次は、箒から叩き落されるだけで済まないかもしれないじゃん!」
ハーミスに続いて、ロニーまでハティの楽観視を厳しく非難する。孤立無援になったハティは無意識にヒューを見た。ヒューはこれみよがしな表情を浮かべて、傲然と顎をあげて言い放った。「こいつらの言う通りだ」
「むしろ大丈夫だと思っているお前がおかしい。警戒しなきゃだめだ。暫くは一人で行動しないこと、それからやっぱりスリザリン戦の時の犯人を捜さないとな」
ヒューの言葉に、プリシラは「これで決まりね」と手を叩いた。
「いいこと? 今からは一人でどこにも行かないで。誰かと一緒にかたまって行動するの。そして何かがあればマクゴナガル教授に知らせること。こうなったら大人の手を借りるしかないわ」
「わかったわ……」
ハティが渋々うなずくと、みんなはすっかり安心した顔になり、常時杖は携帯しよう。防護魔法を習得すべき? と口々に言い合った。
正直なところ安心したのはハティも同じだった。口では「大丈夫だ」とみんなに請け合ったが、アラディアとマリーンの話を聞いてからというものいつ再び呪いが降りかかるか心の片隅で心配をしていたのだ。ハロウィーンの一件をみんなに話すにはアラディアの言っていた予言は荒唐無稽すぎたし、何より友人たちを恐怖させて彼等が自分から離れていくことが最も恐ろしかった。予想外にも今回の件で、彼等は恐怖を抱きながらもハティを守ろうと奮起してくれている。ハティ自身も彼等を守らなければ、という思いが込み上げてきた。
朝食の後、早速ロニーたちと変身術の教室へと向かった。友人たちと一緒にいるので何かがあれば自分が守らなければ、と肩をいからせて周囲を警戒していたが意外なことに何も起こらなかった。拍子抜けをしながら午前の授業を終えて、昼食後に大広間を出てすぐハティとロニーは階段の踊り場からゆっくりとスリザリンカラーの裏地をしたローブが翻るのを見た。
ことさら優雅に階段を降りてきたのは、護衛のようにグラップとゴイルを侍らせたドラコ・マルフォイであった。
「やあ、ポッター」
「マルフォイ、あんたが一体何の用なの」
鼻の頭に皺を寄せ、猫の様に警戒したロニーが一歩踏み出し刺々しい声で訊ねた。
マルフォイはロニーの鋭い視線を受け、鼻を鳴らし傲然と顎をあげると冷ややかに言い放った。「君に用はない。うせろ、ウィーズリー」
「誰が消えるもんですか。あんたたちの目的はわかってる。ハティを一人にして、呪いをかけるつもりなんでしょ」
「だとしたら何なんだい、君にそれが防げるとでも? 聞けば、君はこの前の呪文学の講義で爆発を起こしてたらしいじゃないか。今ここで僕相手にそれをやってみるかい?」
マルフォイは鼻で笑った。
ロニーはあからさまな挑発に、そうと気付かない様子で気色ばむと地団駄を踏んで叫んだ。「爆発を起こしたのは、あたしじゃなくてシェーマスだし!」
「それに、あたしはハティの友達なの! だから、ハティのそばを離れない。消えるのはあんただよ、マルフォイ」
ロニーが鋭くマルフォイを睥睨し、一方のマルフォイも背筋が凍るような冷ややかな目でロニーを睥睨した。ここであったが百年目! と言わんばかりの殺気滾る二人の視線が絡まり合い、火花を散らす。
ハティは二人を交互に眺めた後、マルフォイを見た。マルフォイと会話をするのは実に数か月ぶりである。ハティに完膚なきまでに叩きのめされて以降、マルフォイはハティに手を出すのは危険だと判断したのか遠巻きにじっとりとした目でハティを見てくるだけだった。代わりにスリザリンの女子たちがハティに「口の大きな蛙が調子に乗ってる」と陰口を叩いたが、スリザリンの子女は良家の出身が多いので杖をもってハティと決闘をしようという気概の女は現れなかった。
ある意味では退屈、そして平穏な日々でありそれが続くと思っていた。マルフォイと言葉を交わすこともないと思っていたので、ハティは今の状況で彼が声をかけてきたことにヤックスリーという虎の威でも借りて報復にきたのか。とロニー同様、表情を険しくした。
「わたしに何の用」
つっけんどんな物言いに、マルフォイは一瞬怖気づいたように一歩下がった。しかし、すぐにはじめてあった時のような得意げな笑みを浮かべて小首を傾げた。
「ポッター、知ってるかい? ミスター・ヤックスリーが戻ってきたんだ。あいつがどんな奴か君は知らないだろうから教えてあげるよ。蛇のように狡猾で、執念深い男だよ。一度受けた恨みは必ず忘れないことで有名で、ヤックスリーを振った女は監督生だったのに今アラディアの召使をしてる。そう、女といえども容赦しない奴だよ。その男が、スリザリンを陥れた君を必ず破滅させるって言ってる。流石の君もそろそろお手上げなんじゃないか?」
相変わらずの皮肉にハティはうんざりと天井を仰いで、溜息をついた。やはりヤックスリーの権威を借りてハティを攻撃しにきたらしい。恨みを忘れないのはこいつも一緒である。ハティに吹かされた泡を返しに来たのだろう。「ご心配なく。今のところヤックスリーの攻撃や呪いがわたしに効いたことはありませんから。わたしがスリザリンの有象無象から受けた呪いを全部返してたの知ってるでしょ?」
「馬鹿な奴。ヤックスリーは本気を出していなかっただけだ。今までだって他の生徒に君を攻撃させたから、君自体に害はなかった。だけど今回は違う。あいつが直々に君を排除するために動き出したんだ。ヤックスリーと入れ替わりで聖マンゴに送られるのは君かもね? ポッター」
「直々にってどういうこと?」
ハティが怪訝に眉宇を顰めると、関心を得られたからかマルフォイはにやっと得意げに笑った。
「知りたいのか? 教えてやってもいい。その代わりに君は僕の足元に跪いて、僕に謝罪し、許しを乞うんだ。そして今度は君が僕の下僕になるんだ」
「下僕? お友達の間違いじゃないの?」
「君と僕が対等な友達になれるわけがないだろ。君が、僕に従うんだ。そうしたら、慈悲を与えてやってもいい。僕がヤックスリーに口を利いてやるって言ってるんだよ」
「ハティはあんたに跪かないし、あたしたちも捨てない。頭おかしいこと言ってるんじゃないよ!」
ロニーが即座に嚙みついた。
ハティもあり得ない話だと思った。マルフォイは自分がヤックスリーと同じことをしようとしていることに気付いているのだろうか。自分を振った女子監督生を召使の地位にまで貶めたヤックスリーと同じように、ハティを自分の下に置いて隷属させようというのだ。屈辱にも程がある。目の前が怒りで真っ赤になった。拳を強く握りしめて歯を噛みしめていたハティは、ふとどこかで同じ話を聞いたと既視感を覚えた。
——あんたはわたしの下僕になるの。
それがかつてマルフォイに自分が言った言葉だと思い出した時、ハティは羞恥で眩暈がした。マルフォイは確かにヤックスリーの威を借りて報復にきたのだ。自分がされたことをの、仕返しに。
「……下僕にはならないし、あんたの助けもいらない。なくても、わたしには優秀で信頼できる友達が沢山いるもの」
マルフォイの蒼白な顔は、薄暗い石の階段の上にいてもわかるほどカッと真っ赤に染まっていた。
「馬鹿なやつ! 僕は忠告して手を差し伸べてやった、それを蹴ったのは君だ。君はいずれ僕の手をとらなかったことを後悔することになるよ、絶対に。その時ハリエット・ポッターは両親のように破滅するだろうね!」
「あんた、言っていいことと悪いことがわかんないの!?」
いきりたったロニーが拳を振り上げ、マルフォイに駆け寄ろうとしたがハティはすんでのところでロニーの腕を掴み制止した。ロニーはハティを非難するように振り返ったが、ハティが真剣な表情で「いいの」と短く告げると力なく拳を下ろした。
「いつか破滅するのは、あんたの方だと思うわ。あんたは言っちゃいけないことを言った……一線を超えたの。わたしはあんたのことを許さないし、軽蔑してる。だから今後一生、下僕どころか、対等な関係を築くことはないでしょうね」
「僕が君と対等な関係を築くことを望んでいると思っているのか? 僕はマルフォイ家の跡取りで、君は泥の血や血を裏切る者と恥ずかし気もなくつるむような女だ。最初から君と僕が対等でいられるわけないだろ? 勘違いするなよ。僕が君に相応しくないんじゃなくて、君が僕に相応しくない。思い上がりもいい加減にしろよ、ポッター」
マルフォイは引きつった笑みを浮かべて、笑い声をあげようとした。
しかし、狼狽えた彼から出てきたのは鼻をすすったような音だけだった。彼は話し続けた。だんだん早口になってきている。怒っているようにも、ハティを糾弾しているようにも聞こえる口調で。
「君と友達だなんて、あり得ない。僕だって、君のことを軽蔑してるんだ。だって、君は恥ずかし気もなくあのヒュー・フィールディングと仲良くしているじゃないか。君はあいつがどんな人間なのか、知っているのか? 知らないんだろうな、教えてやるよ! あいつは純血の魔女レア・ティルダ・グリーングラスがマグルの貴族に惚れ薬を使って生まれた、いわば血を裏切るものの残滓だ! ブリテンの社交界でレアが何て呼ばれているのか知ったら、君はきっと驚くよ。イカれた売女だ……」
「黙りなさいよ。それ以上、何か言ったらこの杖をあんたの鼻の孔に突っ込んでやるから」
ハティの鋭い声に、マルフォイは息を呑む気配があった。彼は我に返ったように硬直し、怒りの形相を浮かべたハティを呆然と見た。
「わたしを貶める為に、わたしの周りの人間を侮辱するのは許さない。わたしへの挑発がうまくいかないからって、わたしの周囲の人間を貶めて、それで成功すると思ってるの? どうせならもっと攻撃力の高い悪口でも準備してきなさいよ。ほら、今からでも聞いてやってもいいわよ。わたしをもっと侮辱してごらんなさいよ。そうしたら、今度こそあんたとわたしは一生絶交よ! あんたが何を言おうとわたしは答えないわ」
「一生絶交?」マルフォイは鸚鵡返しに言った。そして、マルフォイはしばらく茫洋と壁を眺めていた。思索にふけっているようにも見えたし、衝撃を受けて放心しているようでもあった。ロニーが「今のうちにあいつをぶん殴ってやろうよ」と囁く。
ハティを傷つけるための攻撃力の高い言葉を必死に考えていたのかもしれない。
けれども彼がもたらした沈黙に、ハティは怒りたいような泣きたいような気分になった。初めて会話をした同年代の魔法使いが彼だったら果たしてハティはマルフォイと仲良くなっただろうか? スリザリンに入っただろうか? 少しの間考えて、ありえないとハティは思った。ハティは自分の両親を死に追いやった純血主義を許せないし、それを掲げるスリザリンも蛇蝎の如く嫌っている。だから、マルフォイのことも許せなかっただろう。だが、それらの主義を抜きにした時、自分は彼をどう思うのだろうか。一瞬考えて、あり得ない仮定だなと頭を振る。
そして、ハティは踵を返した。「行こう、ロニー」
「いいの?」
「とにかく、あんたの助けは必要ないから。マルフォイ」ハティは掠れた声で吐き捨てた。
ハティは図書室で勉強をするのが好きだ。資料や調べものが必要になった時、すぐに用意できるし、意地の悪いスリザリン生たちも図書室ではマダム・ピンズの目を恐れて何もしてこない。ハティはその日の授業が終わった後、早速ロニーと図書室に向かった。ロニーは「うへえ」と顔を顰めていたが、各領域から課題が出ているし、参考程度にレポートを見せてもいい。と条件を提示すると、一に二もなく飛びついた。ある意味ではほとんど腹いせといってもよかった。本やレポートに集中していればどんな不安もたちまち消えていくし、ダーズリー家にいたころから本や勉強はハティを現実から切り離してくれる手段の一つだったからである。
ハティは階段を上り、いつもの定位置である二階にやってきた。二階にはふかふかのひじ掛け椅子がありマダム・ピンズの目も遠い。多少の羽目を外してもお叱りを受けることがないので、普段から二階席を利用していた。正直なところ一日の終わりで、気が緩んでいたに違いない。なんといっても、マルフォイの忠告が嘘かのようにヤックスリーが現れることはなかったし、スリザリン生が呪いをかけてくることはなかった。だからハティは普段の様に何も考えずに肘掛け椅子に座った。ここは安全な図書館で、杖をとりだせばマダム・ピンズがすぐに飛んでくるからだ。他の生徒の目もたくさんあり、余程の事がない限り安全だろうと信じ込んでいた。
脚にちくりとした痛みが走った時、ハティは何が起こったのか理解できなかった。次いで猛烈な激痛が右足に走り、ハティは反射的に右足をあげた。そこにいたのはイソギンチャクのような触手を生やした一匹の鼠であった。ハティの脹脛に力強く噛みついており、食い込んだ牙から生暖かく暗赤色の血が伝っていた。
「ひっ」
一気に血の気がひいた。思わず悲鳴をあげたハティの足元をロニーが「どうしたの」と覗き込み、ロニーはハティ以上に蒼白になりながら耳をつんざくような悲鳴をあげた。
「キャアアアア!!」
二階席にいた生徒の殆どがこちらを振り返った。何か大きな爆音を聞いた時の様に、驚いて反射的にこちらを射たのだ。だけど、何が起こっているのか一目で分からず他の生徒たちは「え、なに?」と口々に言い、迷惑そうに眉根を寄せた。しかし、近くにいたスリザリンの生徒たちは、それよりも少しだけ遅れてこちらを見た。そして、ハティが足元を見て恐怖と痛みに顔を引きつらせているのを見て、これみよがしに笑みを浮かべたのが見えた。
そして、視界が暗転した。
「知らない天井だ」
覚醒したハティは見慣れた天井にぽつりと呟いた。勿論、ジョークである。誰かのツッコミや返事を期待していたわけではなかったが、ややあって「あなたはこの一年で何度医務室に運ばれたら気が済むのかしら」と予想外の小言が飛んできた。
慌てて起き上がろうとしたが倦怠感が強く、また酷く体が重かったのですぐに上体を起こすことはできなかった。代わりに首だけを何とか動かすとタオルを手にしたマダム・ポンフリーが口ぶりとは裏腹に心配そうな顔をして駆け寄ってくるのが見えた。
「ここは医務室ですか……」
「そうですよ。貴方は図書室で品種改良されたマートラップに噛まれて三日間、寝込んでいたのです。今日で療養六日目ですよ。まったく、今の魔法薬学の教授がセブルスで貴方は命拾いしたわね。でなければ、聖マンゴ病院に搬送している間に貴方は命を落としていたわ」
「ええ!? 待ってください……どういうことですか」
「どうもこうも、貴方を噛んだマートラップーー魔法生物はデスイーターが改良し、好んで使役していた致死性の高い種だったのよ。そんな危険な生き物が校内の、それも図書室にいただなんて私も信じられないわ……今、ダンブルドアやミネルヴァたちがマートラップを放った犯人を捜していますから、安心なさい」
犯人が見つかっていないのに安心などできるものか。ハティはマダム・ポンフリーに言ってやりたかったが、喉がカラカラでそれ以上声が出なかった。唇も乾燥していたので、口を動かせばぴりりとした痛みが走る。ハティが苦痛表情を浮かべていることに気付いて、マダム・ポンフリーは杖を一振りしてハティの上半身を起こし、水を飲ませた。
「ゆっくりお飲みなさい。少しでも噎せれば、飲水は中止しますからね」
数日ぶりの水分はやはりスムーズに喉を通っていかなかった。宣言通り、マダム・ポンフリーはハティが噎せ込んだのを見ると飲水を中止させ、てきぱきとハティの背中にうず高く枕を積み上げて上半身を起こしたままにした。
ハティは未だにぼんやりとしている思考をどうにか研ぎ澄まそうと、マダム・ポンフリーとの会話を続けることにした。
「どうして、そんな危険なマートラップが図書室にいたんですか。噛まれたのは、わたしだけ?」
「あなただけです。ロニー・ウィーズリーがあなたの異変に気付いて、近くにいたセドリック・ディゴリーがあなたを医務室に運びました。その間にロルフ・スキャマンダーが安全にマートラップを捕獲したので、他の生徒は被害に遭いませんでした」
「わたしだけが狙われたんだ……」
「あなたが狙われたとは限りません。性質の悪い生徒がマートラップを逃がしてしまったのかもしれないし」
脱走したマートラップが図書室に潜んでいたのだとしたら、ハティだけが被害に遭っているのはおかしいい。これは、間違いなくハティを狙った生徒による犯行なのだ。
剣呑な表情を浮かべたハティを見て、マダム・ポンフリーは「病み上がりのあなたに話すような内容じゃなかったわね」と哀しみに顔を曇らせた。
「いいえ、お気になさらないでください」ハティは食いしばった歯の間から言った。「頭がぼうっとしていたから、今ので水を浴びせられたみたいにすっきりしました」枕を抱きかかえて、ハティは下唇を噛みしめた。
マダム・ポンフリーは小さく溜息をつくと「少し休んだ方がいいわね。今は興奮してはだめよ」とハティを再びベッドに寝かせた。マダムが杖が一振りしてカーテンが四方に降りる。再び孤独な一人部屋へと戻るなり、ハティの目には悔し涙が溢れ出した。スネイプがいなければ、医務室まで真っ先に運んでくれたハッフルパフ生がいなければ、マートラップを捕獲したレイヴンクロー生がいなければハティは死んでいた。ヤックスリーに違いない、ハティは天井を睨みつけながらそう考えた。今すぐ杖と本が欲しい、超ど級の呪いをヤックスリーにお見舞いしてやりたかった。
ヴァーノンみたいな養父がいるせいで、残念ながら、ハティは報復を是とする精神性の持ち主だ。怒りの鎮め方など知らないし、喧嘩を売られれば倍にして返す。今までもこれからもそうしてきた。だから、安静を強いられた上体で怒りをコントロールする方法をハティは知らない。悔しい、悔しい、怒りと憎しみに駆り立てられるがままハティは何度もシーツを殴りつけた。
今回の怒りは、いつもに輪をかけて始末が悪い。だって、ダーズリー一家以上に犯人はハティを命の危機に晒したのだから。生まれてこのかた、誰かに利己的な目的で利用されたり、召使扱いをされたりするのはしょっちゅうだったけれど、少なくともダーズリー一家には殺意がなかった。しかし、今回の犯人にはハティを殺害しようという純粋な殺意がある。デスイーターが使役していたというマートラップを使用したのがその証だ。
正直に言うと、油断していたと言わざるを得ない。あんなにも周囲からは警戒を促されていたのに。
ハティは暫く声を押し殺して泣いた。マダム・ポンフリーにすら何だは悟らせたくなかったが、嗚咽をこらえることはできなかった。マダムは承知の上で知らないフリをしてくれたのかもしれない。ハティの嗚咽がとまった頃、控え目なノックが部屋に響き渡り、慌ただしく複数の足音が入ってきた。ややあって、カーテンを開けたのはロニー、ハーミス、ヒューであった。
「ハティ! 一度に面会できる人数の数は三人って聞いたから、コイントスであたしたちがきたの。フィルとプリスは後で来る予定だよ。よかったよ! 目が覚めて! あたしはてっきり、ハティが駄目なのかと……」
「縁起でもないこと言うのはやめなよ」
ハーミスがすかさずロニーを小突いた。
「生死の境をさまよった病人相手に何言ってんだよ……」
ヒューも額に手をあてて頭を振る。
ハティはせいいっぱいの自制心を発揮して、なるべく平静を装いながら短く答えた。
「大体のことは聞いた。わたし、マートラップに襲われて死にかけたのね」
「そう、それ! あたしたち皆、ヤックスリーの仕業じゃないかって話してたの。だって、マルフォイの挑発の直後だったでしょ? あんたが噛まれたのは。それにデスイーターの息子だったら、流通されてないマートラップを入手するのもそう難しくないだろうって話してたの」
「流通されていない?」
ロニーの話にハティは眉宇を顰めた。
氷水を頭から浴びせかけられたような衝撃だった。視界がぼやけ、目の前が暗くなる。意識が遠のくような気配がして、何度も瞬きをするハティの手を握って、ヒューが続けた。
「あのマートラップは例のあの人の全盛期に闇の陣営が種を掛け合わせて邪魔な魔法使いを殺すために作った違法なキメラらしい。だから、一般の市場には流通されていないし、魔法省が今でも血眼で探していて回収してるんだ。本来のマートラップなら二日間、安静にしてたら問題ないしな。ヤックスリーの父親も魔法省の高官だろ? だから、俺たちはあいつが父親の伝手でマートラップを入手したんじゃないかって踏んでる」
「でも、そんなの普通に考えたらありえないでしょう。だって、入手するにも足がつくじゃない」
「裏のルートで手に入れたか、あるいは魔法省から隠し持っていたのどちらかだと僕たちは考えてる。それにヤックスリーの父親はマルフォイと親しいらしいんだ。マルフォイの父親は現場にいくら物的証拠が残っていても、捕まることがないって。それだけ魔法省と癒着しているってことだよ。だから、魔法省の魔法生物規制管理部からマートラップを入手した可能性もあるし……」
ハーミスが沈んだ顔で語った。
ダンブルドアやマクゴナガルがマートラップの入手経路の把握に難航するのも道理であった。ハティはいっそう憂鬱になり、口をきく気力がわかなくなった。三人の話を聞けば聞くほど自分がいかにスリザリンの有力者の子弟を侮っていたか思い知らされて、嫌になった。
ヒューがレモネードを無言で差し出してきたので、ハティは瓶を受け取り、無言でのどに流し込むとようやく口を開いた。
「証拠があってもなくてもどうでもいい。ヤックスリーをもう一度、聖マンゴ送りにしてやるわ」
最早、やけくそであった。
ロニーはハティを称賛するように口笛を吹き、ハーミスは悩まし気な顔で額を押さえて頭を振り、ヒューは溜息をひとつついた。
三人に豪語したのはいいものの、どのようにしてヤックスリーを叩きのめすか良い案は浮かばず悩んでいるうちに医務室での安静は終了となった。
ハティが無謀なヤックスリー半殺し計画を練り、殺傷力の高い魔法を入手すべく図書館通いをしている間に――スリザリンの人間はハティが襲撃を受けた図書館に平気な顔で通っているので、唖然を通り越して恐怖の面持ちだった――他の面々は建設的に事態の解決方法を模索していた。
そうしている間にもホグワーツは十二月も半ばを迎え、クリスマスシーズンが到来しつつあった。
漆黒の湖は分厚い氷で覆われ、生徒たちはスケート靴やそりを持ちだして湖の上でのレジャーを楽しんでいた。グラウンドにも雪が降り積もり、禁じられた森の木々は粉砂糖のような雪を纏わりつかせ、きらきらと輝いている様子はダリアが持っていたスノードームにも似ていた。
ハティは大広間で寮の利用書を睨みつけていた。
ホグワーツは全寮制だがマグルの学校と同様長期休暇はあり、クリスマスは自宅に帰省することが許されている。大抵の生徒はクリスマス休暇を家族と共に過ごすのが通例なのだが、ごくまれにクリスマス休暇に帰省せず寮で過ごす生徒も存在する。生徒が申請すれば、クリスマス休暇も寮に残ることができる。
先週、既にマクゴナガルがグリフィンドールの生徒に希望を募る名簿をまわしていたが、ハティはその時医務室で安静中だったので今になって名簿が手元に届いたのだ。勿論、ダーズリー家に戻るつもりはなかった。できれば、夏休みでさえダーズリー家には帰りたくない。別途料金が必要となっても、支払うつもりである。ハティが躊躇なくサインをした時、隣でフィルが大きな溜息をついた。
「今年は、スペンサー=ムーン家でクリスマスパーティなの。ああ、私今から憂鬱よ。だって、母はスペンサー=ムーン家のことが嫌いなんだもの」
「私はリリーのこと嫌いじゃないけどね。いつも張り付いてるエリザベス・フォーチュンにさえ目を瞑れば、不快なことはないわ。あの子、ぼうっとしているから話はつまらないけどね」
トーストにマーマレイドジャムを塗りながら、プリシラは言った。
「あら、プリス。貴方はほとんどの女の子のことを、つまらないか、不快だって言うじゃない。私はね、別にリリーに対する好き嫌いの話をしてるんじゃないのよ。スペンサー=ムーン家のパーティに参加することで、母の機嫌が悪くなるのが嫌なのよ。ああ、こんな時にあんたがいてくれたらって思うわよ。ハティ」
「私は別にリリーが嫌いって言ってるんじゃないの。スペンサー=ムーン家のパーティに参加することで、母の機嫌が悪くなるのが嫌
突然、フィルに話をふられてハティは「ええ?」と気のない返事をして顔をあげた。
「あんたがパーティにきて、私の隣にいてくれたらどんなにいいかって、私、思うの。そうしたら、パンジーの”今日のドレスはパリでオーダーメイドしたのよ”なんて自慢にイライラしないし、母の機嫌の悪さだって気にならないわ」
「それは無理な話よ、フィル。ハティ、クリスマス休暇は伯父さまと伯母さまの家に帰るのよね?」
プリシラは小さく笑って、ハティにそう訊ねた。
「わたし、クリスマス休暇は帰らないわよ。
ハティがそう宣言すると、フィルは仰天して悲鳴をあげた。「あんたが寮に残るって知っていたら、私、先週の申請書にサインをしたわ! どうして教えてくれなかったの、ハティ」
「そういえば、ロニーも寮に残るって言ってたわね。もしかして、知らなかったのは私たちだけ?」
プリシラが怪訝そうに眉宇を顰めた。
「まさか。ロニーが寮に残ることは、今知ったのよ。先週のマートラップのせいで、そんな話をするどころではなかったし。わたしはむしろ、刺激的なパーティに参加できるあんたたちが羨ましいんだけど」
「まあ。だったら、うちに来て。ハティ」
フィルは哀願するようにハティの手を握った。
ハティはやんわりとフィルの手を解き、微笑みながら言った。「まさか。クリスマスは家族と過ごすものなんだから、わたしが行ったら邪魔になるでしょう? 家族とゆっくり過ごして、フィル」
「ねえ、ハティ。私たち、マートラップの件で話し合ってたんだけど」
不意にプリシラが神妙な顔をして、話を切り出した。周囲を警戒するように額を突き合わせると、彼女は小声で話し始めた。「どこからマートラップを持ちだすにしたって、何か痕跡が残るんじゃないかって話をしていたの。だって、バッグやジュエリーを持ちだすのとはわけが違うのよ。マートラップは生きてる。餌だって食べるし、ジャスパーのお父さまが扱う美術品ですら、フィルの会社の業者が厳重に運送するのよ」
「それって、つまり?」
「マートラップをヤックスリーに届けた業者がいるはずよ。私とフィルで、クリスマス休暇の間に運送記録を探ろうと思うの」
プリシラからの思わぬ提案に、ハティは瞠目してフィルを見た。「そんなことができるの?」
「忘れた? 私の家はフルーパウダーだけじゃなくて、運送部門の”ふくろう便”もあるのよ」
フィルが悪戯っぽくウインクをし、ハティははっと我に返って小さく声をあげた。
入学時にシェーマスがフィルの実家であるフルーバウ社は運送業も兼ねていると話していたことを思いだした。フルーパウダーばかりが注目されるが、フルーバウ社はふくろう便も運営している。マグルでいう、郵便局のように英国全土に局を展開しており梟を所有しない魔法族や会社が一定の料金を支払い利用することによって、手紙や荷物の配送を請け負うのだ。
「ありがとう! 心強いわ!」
「お父さまに頼んでみるわね。それにプリスはの従兄弟は魔法生物規制管理部で働いてるから、パーティの中でそれとなく不審なやり取りがなかったか確認する予定なの」
「私たちは、私たちの得意分野であんたを助けるから。ハティ」
プリシラは真剣みを帯びた口調でそう請け負った。
日の光が届かない地下は冷え切っていた。吐く息は白く、同級生のケビン・エントホイッスルの眼鏡は常に曇っていたし、石畳の床から這いあがる冷気で体の芯までも凍えるようだ。ホグワーツの制服である天鵞絨のローブは冬仕様に衣替えしていたが、それでも冷暖房を完備していない城の廊下や地下は冷える。
特に魔法薬学の教室は厳密な温度管理が必要な魔法薬剤も存在するので、談話室や大広間ほど暖房を利かせていなかった。
ハティはできるだけ暖をとろうとぐつぐつと煮えたぎる巨釜に近づき、満月草を慎重にみじん切りにしていた。その時、スリザリンの席からどこからともなく嘲笑が聞こえてきた。
「可哀想ね、クリスマスなのに家に帰れない人もいるんですって。私だったら、パパとママに会えないのも、パーティに参加できないのも耐えられない」
ロニーがチッ、と舌打ちをした。
彼女は今年のクリスマス休暇は帰省せずにハティと学校に残る予定だ。両親と弟のジニーがルーマニアで働くチャーリーに会う為に旅行するからである。ロニーとは既にクリスマス休暇の間の予定を立てている。この城内と城の周囲を思うがまま探検するのだ。
ハティはやんわりとロニーの膝を小突いて、視線をスネイプにやった。スネイプは相変わらず、生徒たちの間をゆっくりと練り歩いてその手元に注目している。謂れのない減点をくだすことはあるが、魔法薬学において彼のアドバイスは的確なので無視はできない。そして作業中のよそ見や談笑をスネイプは異様に嫌う――同室のカーラは後ろを向いていただけで減点されていたので、作業台から目を離すことすらグリフィンドール生には減点対象になりえた――喧嘩などもってのほかである。
ロニーは咳払いをして小声で「大丈夫、我慢する」と呟いた。ところが。
「違うわよ、リズ。帰ってくるなって言われてるんじゃなくて、帰る場所がないのよ。ほら、親がいないから」
その痛烈な言葉には、ハティも怒りを抑えきれなかった。
スネイプが次の作業の手順を黒板に書き始めた隙を縫って、ハティは振り向いて声の主を睨みつけた。待っていたかのように、嘲笑をひらめかせたのはブルネットの巻き髪の少女であった。
長い巻き毛にカチューシャをつけ、眉と鼻筋は細く、猫の様な目をしている。彼女の顔をハティは知らなかったが、その隣に腰掛けてぼうっとしている少女には見覚えがあった。リリー・スペンサー=ムーンである。彼女はさほどハティに対して興味がないのか、こちらをちらりともせず棚に陳列されたホルマリン漬けをぼうっと眺めている。
対して後ろに座った二人の少女は「こっちを見たわよ!」ときゃらきゃらと癪に障る笑い声をあげて、巻き髪の少女に肩を小突いた。
「誰、あのブス」
ハティは憤りをあらわに低い声で訊ねた。
「エリザベス・フォーチュンだよ。パーキンソンがスリザリンのクイーンから転落したでしょ? その代わりにダフネ・グリーングラスとリリー・スペンサー=ムーンがその椅子を争っていて、エリザベスはリリーの子分らしいよ。あの子、性格が悪いことで有名なの。この前なんてパールバティが好きな男の子の前であの子に蝙蝠鼻くその呪いをかけられたの」
「なによ、それ。勿論、パールバティはやり返したのよね?」
「エリザベスが好きだっていうスリザリンの男に魅惑のチャームを使って、イチャイチャしてるところを見せつけてた」
「流石、グリフィンドールで一・二を争う美少女。どちらにしても、小物ってことね」
「なんで?」
「だって、パンジーはリスクを覚悟で真夜中の決闘に来たのよ――わたしたちにはめられたけど。あいつは、スネイプの前でしかわたしを侮辱できない。リスクを背負って行動できないやつは、腰抜けよ。それにこんな悪口、いちいち気にしないわ」
ハティにとって両親がいないことを揶揄されるのは、ダーズリー家で使用人のような扱いを受けていた時の惨めさに比べたら腹を立てるほどのことではない。
魔法薬学の講義が終了し、地下牢を出ると忙しなく階段を降りてくる少年とはちあわせしそうになった。
「ああ……いた! ハティ」
少年は南国の海を思わせる青い瞳を見開き、ハティに突進するように駆け寄ってきた。アクラム・シャフィクである。黄金色の髪を振り乱し、安堵と焦燥がない交ぜになった顔をしていた。ハティはがこれほど取り乱しているアクラムを見るのは初めてであり、アクラムがハティを訊ねてくるとは思わず、目をぱちくりとした。
「どうしたの、アクラム」
「あの馬鹿――ヒューがヤックスリーをぶん殴って医務室に運ばれたんだよ!」
「なんですって!?」
ハティは度肝を抜かれて、叫んだ。「あいつ、なんでそんなことを……ヒューは無事なの」
「取り巻きに呪いをかけられて重症。マダム・ポンフリーもかんかんに怒ってる。それでさ、ヒューの奴が君にどうしても言いたいことがあるって。俺と医務室に来てくれないか」
「すぐに行く」
ロニーに巨釜を押し付けると、彼女は心得たとばかりに大きく頷いて「荷物預かっとくよ」と快諾してくれた。鞄もロニーの肩にかけていると背後から「ヒューが怪我したんだって?」とハーミスが青ざめた顔で歩み寄ってきた。
そういえば、ハーミスはヒューと親しかった。とハティは思い出して「あんたも一緒に行く?」とハーミスに訊ねた。
ハーミスは何度も頷いた。
「僕も行くよ。上級生に呪いをかけられたなんて、心配だ……大丈夫なのかい? いや、そもそもヒューが上級生を殴らなかったらこんなことには……あいつってどうしてこうも喧嘩っ早いんだ? ハティ、君も心配だよね」
「勿論よ! ヒューには、一言言ってやらないと気が済まないんだから!」
ハティは憤慨して石畳の床をで地団駄を踏んだ。
医務室へと到着するなり、マダム・ポンフリーはハティの顔をみて「また貴方達ですか」と顔を顰めた。
「どうしてそう、貴方達はトラブル続きなの? 前々回はパーキンソン、前回は貴方、今度は貴方のお友達。今年の一年生はトラブルを起こしすぎよ」
「偶然です。ミス・パーキンソンとは何のかかわりもありませんから」
ハティは堂々と言い切って、先を急ごうとした。
マダム・ポンフリーはハティの乱れた髪と、息切れを見て溜息をつくと「医務室では騒がないように」と言い置いてハティたちをヒューのベッドへと案内した。
ヒューはベッドの頭部を上げ、ベッド上で起座位をとっていた。背中にはマダムが押し込んだであろうクッションがこれでもかと敷き詰められており、やや窮屈そうに頸部を前屈しながらヒューはゴブレットを啜っていた。頭部に包帯を巻いているものの、端整な顔は相変わらず傷ひとつなかった。ハティは安堵の溜息をついて、眦をつりあげた。
「元気そうじゃない! 馬鹿なことしたって聞いたわよ」
「見た目はな。実はそんなに元気じゃないんだぜ? 脚の骨全部、抜かれたわけだし」
ハティは目を丸くした。
「え? どういうこと」
「ヤックスリーの仲間が、ヒューの全身の骨を文字通り抜こうとして失敗したんだよ。結果的に腰から上は無事。だけど、足の骨を一から生やさなきゃならないから、重症」
アクラムが飄々と肩を竦めた。
ハティは重症の意味をようやく理解し、恐怖でひゅっと喉を鳴らした。ハーミスも顔を引きつらせ「そんなの、全身の骨を抜いたら死ぬじゃないか!」と叫んだ。
ところがヒューは被害を受けた当人とは思えぬほど、薄笑いを唇に浮かべて挑戦的に小首を傾げた。
「あいつら、魔法ばっか使って貧弱だから俺が腹を殴ってやったらヒイヒイ悲鳴をあげてたぜ。情けないよなあ」
「それで……脚の骨はどうなるの? 一生そのまま?」
全身から血の気がひくのを感じた。一生、足の骨が失われたままならばヒューは寝たきりか車椅子での生活を強いられることになる。アクラムは重症だとハティに言ったが、ハティにしてみれば重症どころではない。彼の健全な人生が失われるかもしれないのだ。
ヒューは血の気のない顔をしているハティの顔を見て、飄々と笑いながらゴブレットを持ち上げた。
「骨は生えてくるんだってさ。骨生え薬ってのがあって、この薬飲んだら一晩で骨が再生するらしい。凄いよな」
「……あんた、本当に馬鹿よ。本当に死ぬかもしれなかったのよ。命が助かったとしても、寝たきりになってたかもしれない。あんたはヤックスリーに手を出すべきじゃなかった」
骨が生えてくるからといって、安堵できる筈がない。ハーミスの言う通り、ヒューは呪いで死ぬかもしれなかったのだ。空恐ろしい思いでハティはそう考えた。顔を強張らせたハティを見て、ヒューは一瞬笑みを凍り付かせて、俯いた。
ヒューはハティ達を安心させようとわざと軽口を叩いたのかもしれない。しかし、ハティもハーミスも、そしてアクラムでさえとても笑って返事ができるような状況ではなかった。
途方にくれたように三人は黙り込んでいたがややってヒューが口を開いた。顔をあげた彼は真剣な面持ちで、ハティを射るように見た。
「けどさ、これで分かったぜ。マートラップを仕掛けた犯人はヤックスリーだ――あいつが勝ち誇ったように自白した」
「それを探る為にヤックスリーを殴ったの?」
ハティは喘ぐように、息を詰めて囁いた。
「アラディアか、ヤックスリー。どっちがお前の敵なのか、知りたかった。そうじゃないと、警戒のしようがないだろ?」
ハーミスは気色ばんでまくしたてた。
「それにしたって、どうしてそう危険なことをするんだよ。ハティの言う通り、命が助かっても寝たきりにされてたかもしれない。フィルもプリスもクリスマス休暇の間、探りをかけてくれるって言ってるんだ。なのに、君はどうしてそう勝手で危ないことをするんだよ!」
ヒューは肩を竦めた。
「危険でも、やらなきゃだろ。ホグワーツは俺たちが思っているほど平和じゃない。現に、ハティは二度も命を狙われたのに教授は知らんぷりだ。だから、俺たちでイオラを守るんだ」
動揺がおさまったわけではないが、ヒューの言わんとしていることはほんの少し呑み込めてきた。外部の魔法使いではなく、ホグワーツ内部の魔法使いがハティを狙っているからには敵を特定しなければこのホグワーツが最も危険な場所に違いないのだ。
ハティが俯くと、小首をかしげて話を聞いていたアクラムが皮肉げな笑みを浮かべた。
「威勢のいいこと言ってるけど、お前、ヤックスリーに負けんだよ? そこのところ、わかってる?」
「わかってるけど、収穫はあったさ。マートラップを仕掛けたのはヤックスリーだ。だけど、スリザリン戦の呪いについてはスリザリンは関与してない。あのフリントが勇んでイオラを箒から叩き落すって言ってたから、手下にも傍観させたのに、あいつは折角の大舞台で失敗したってヤックスリーが怒ってたからな」
「じゃあ、スリザリン戦の犯人は誰なんだ……」
ハーミスは唖然とした。
「案外、スネイプかもな」
そう言って、ヒューは一気にゴブレットの中身を飲み干し、枕に体を預けた。