ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
グリンゴッツ魔法銀行を出た二人はまず「マグルの服では目立ってしまう」というマクゴナガル教授の主張のもと、マダム・マルキンの魔法洋装店へと向かった。
マダム・マルキンの魔法洋装店はホグワーツ魔法魔術学校の制服指定店のようで、ショーウインドウには子ども用の簡素なローブととんがり帽子が並んでいた。男女に性差はないのか、ローブは角度によっては煌めく銀糸で精緻な刺繍が施されているのみで、どこかスーツのように古風でカチッとした印象を受ける。眠れる森の美女のように数分ごとに色が変わるドレスを飾っているわけでもなく、動くマネキンがあるわけでもない。外観は赤レンガに茶色い屋根をしており、ごく普通の退屈な店に思えた。
「トウィルフィット・アンド・タッティングの店よりはいいでしょう。マダム・マルキンは口が堅いことで有名ですから。あなたが店にいると騒がれては困りますが、ローブの採寸の時くらいは認識阻害の魔法を解かねばなりませんからね」
「あ……」
マクゴナガル教授は袖から杖を取り出し、軽くハティの頭にかざした。周囲の認識を阻害させていた目くらましが、まるでヴェールがはがれていくかのように消えていくのを感じてハティは不安になった。ハティはまだ握手地獄には慣れていない。
「それから外出用のローブも買うべきでしょうね」
そう言ってマクゴナガル教授はマダム・マルキンのローブ店へさっさと入っていってしまった。慌てて後を追いかけると「久しぶりね、マダム」とマクゴナガル教授は親し気に挨拶をかわしていた。
マダム・マルキンは快活な年配の女性であり、ハティの額の傷を見ても態度を変えなかった。むしろ、手をとめて嬌声をあげたアシスタントを鋭く睨みつけた。そして、きびきびと杖を取り出し宙に浮かんだメジャーをたくみに操り、ハティの採寸を始めた。
ハティが台座で借りてきた猫のように腕を上げたり下ろしたりしている間、マクゴナガル教授は店内に陳列された色とりどりの子ども用のローブを手にとり、検分していた。
ハティの隣で、同じように台座でお人形とかしている女の子は採寸も終盤にさしかかっているようだった。マダム・マルキンのアシスタントのうち一人が、女の子が纏ったローブの端を時々杖で叩き、そのたびにローブが縮んだり伸びたりしていた。
「ハイ」
女の子が口を開いた。
「あんたも新入生?」
困惑顔で首を傾げたハティに、少女は「ホグワーツの」と少し笑って付け足した。少し蓮っ葉な物言いは、距離の近さを感じさせる。黒いローブを纏った小さな顔はよく見るとそばかすだらけだ。燃えるような赤毛に、鮮やかなブルーの瞳のその少女は中流階級のアクセントも相まって、どこかあか抜けない純朴な印象をハティに抱かせた。
お陰でハティはこの街で初めて見る同年代の少女を前に、物怖じしなかった。
「うん、そうなの。まさか自分が魔法使いの学校に入ると思ってなかったから、入学許可証をもらってからずっとドキドキしてる。どんな勉強するのかな、すごく楽しみ」
「勉強なんて! パーシーみたいなこと言ってる!」
彼女は大仰に驚いて見せた。
「パーシーって?」
「三番目の兄なの。うちは男所帯で七人兄妹——女の子はあたししかいないんだ。だから、みんなが兄のおさがりを着せられてる中、あたしだけは新しいローブを買ってもらえることになったの」
「そうなんだ」
「しかも、今年はあのハリエット・ポッターが入学する年なんだって。あたし、普段は兄妹の中で一番不運だなって思うんだけど、今回はみんなあたしのこと運が良いって言ってる――」
弾んだ声で少女は言って、弾ける様に笑った。彼女の笑い声をマダム・マルキンの咳払いがかきけし、マダムはさりげない手つきでハティの額にふんわりと前髪を覆って傷跡を隠した。
視界の隅でいくつかのローブを腕にかけながら、マクゴナガル教授がこちらに視線を注いでいるのが見える。同年代を相手にどのようにふるまうのか、観察されてるんだろうな。とハティは感じた。
周囲の意図なぞ知らぬままに少女は軽やかに続けた。
「だって、ハリエット・ポッターと友達になったらどこに就職するにしたって有利になるって、パーシーは言うの。ビルはそんなわけないだろって言ってたけど、パーシーはそういうことにかけては兄弟の中で一番詳しいんだ。それに、生き残った女の子が友達だったら、あたしも有名になれるでしょ。兄みたいに成績が良くなくても、フレッドやジョージほど面白くなくても、そうすればパパとママの期待に応えられると思うんだ」
「それはどうかしらね」
ハティは曖昧に笑った。
「そんな理由で友達になるのって、失礼じゃないかしら? それにあなたのパパとママが普通の人なら、有名人が娘の友達じゃなくても娘を大事にしてくれるはずだよ」
ハティの率直な返答に、少女は気分を害したようだった。鼻の頭に皴を寄せて彼女はハティをひとにらみすると「いい子ちゃんだね」と吐き捨てた。
「あんただって、きっとホグワーツに入学したら有名人の友達になりたくなるよ」
どうかしらね。とハティは口の中で呟いた。実際に彼女に「有名人の友達は、有名人じゃないから仲良くなっても意味ない」と否定しようとした時「終わりましたよ、お嬢さん」とマダム・マルキンがやんわりと口を挟んで二人の少女の衝突を回避した。そして、マクゴナガル教授が一着のローブと帽子を手に歩み寄って「これを試着させたいのですが」とマダム・マルキンに差し出した。
それは深みのあるワインレッドに黒いレースで装飾された裾の長いクラシカルなワンピースだ。マグルの服に比べて豪奢なので一見ドレスにも見えるが、普段着らしい。帽子も縁がなく、尖っていないもので黒色のリボンが装飾されている。ハティが想像していたとんがり帽子に黒いローブを纏った魔女コスチュームというよりかは、数世紀前の欧州のお姫さまが身にまとっているようなデザインだ。
「お目が高いですわね、ミネルヴァ。新作ですのよ。さあ、お嬢さん。どうぞ」
赤毛の少女の羨望の眼差しからハティを逃がすように、マダム・マルキンは試着室へとハティを案内した。
初めての魔法使いのローブだったので何とか四苦八苦しながら更衣を済ませて試着室を出た頃には、あの赤毛の少女はいなくなっていた。
「まあ、よく似合ってるわ! ねえ、ミネルヴァ」
「ええ。やはり、グリーンの瞳に深紅が映えますね。靴もいただけるかしら? このまま着て帰りたいのだけど」
「よろしいですよ、こちらの靴なんてどうかしら」
マダムは棚からビジューをあしらったビロウドの黒い靴を引っ張ってくると、ハティに履いてみるように促した。ハティは粛々と二人のマダムに従いながらも終始困惑顔で「かわいいけど、お出かけ用のローブを買うつもりなんてなかった」と言い出せずにマクゴナガル教授とマダム・マルキンを見ていた。
マクゴナガル教授は靴を履いたハティの全身にさっと視線を走らせ「いいわね」と満足そうにうなずいた。
「一式いただきます。請求はわたくしに」
「え」
と当惑の声をあげたハティを、マクゴナガル教授は「何か問題でも?」と涼しい顔で見た。「マグルの服は目立ちます。この街にはほぼ魔法族しかいませんからね。言ったでしょう、外出用のローブを購入すると。あなたのご両親はきっと、友人が娘に誕生日プレゼントを送っても目くじらはたてませんよ」そう言って、微笑んだ。
ハティは「わあ」と笑みを描く唇を拳で隠し、勢いよくマクゴナガル教授に抱き着いた。
「うれしい! わたし今までこんなことしてもらったことなくて……こんな素敵なプレゼントーーこの先、どうお返ししたらいいか……」
言い募る声は後半、涙で濡れていた。
マクゴナガル教授は少女の小さな頭を優しく撫ぜると、穏やかな声で語った。
「城に帰ってから、友人とあなたに何をしてやれるのだろうと話をしていたんですよ。あなたは今後、わたくしの生徒になるので個人的にプレゼントを贈ることはよろしくないと――そう思っていたのですが、友人は言うのです。それではあまりにもジェイムズとリリーの友人として不義理だと。彼はフクロウを贈ると言うので、わたくしはローブを。きっと、リリーは娘のあなたに可愛らしいローブを着せたかったでしょうからね」
マダム・マルキンの店を出た二人は次に鞄専門店へと向かった。
ホグワーツ魔法魔術学校は全寮制の学校であり、生家に帰省するのはイースター休暇とクリスマス休暇、そして学期終わりの夏休みのみである。約七年間ホグワーツという学び舎が学生たちの家になるため、毎年子どもたちは大量の荷物を持ってホグワーツ特急に乗り込むのだ。
「でもそれだと大荷物になりません?」
「検知不可能拡大魔法がかかったトランクを買えばいいでしょう。多少、値は張りますが上級生になれば教材も増えますから、大容量のトランクを購入して損はありません。特にあなたは沢山本を持ち歩きたいでしょうから」
検知不可能拡大魔法? ハティは怪訝に眉宇を顰めたが、マクゴナガル教授は百聞は一見に如かずとばかりにダイアゴン横丁から一本裏手に入った路地に隠れるようにしてひっそりとたたずむ小さな店へとハティを案内した。
店主はしわだらけの老女であり、漆黒のとんがり帽子とローブを纏っている。いかにもハティが想像する魔女そのものであったが、帽子の下の顔は清潔で優し気で、物腰も柔和であった。この小さな店が長年愛される理由が理解できる気がした。
「トランクを一ついただきたいのです」
「ホグワーツの新入生ですね?」
店主はきびきびとした動きで茶色をした革製の大きなトランクを引っ張ってきた。検知不可能拡大魔法に加え、口裂けの魔法、呼び寄せ魔法、トランク内で小部屋も作れるのが売りだと説明を始めた。これらの機能により、大容量の収納を誇り、トランクの重量自体に変化はないのだという。
ハティは真剣な表情でトランクを検分するマクゴナガル教授の隣で、ひたすら困惑顔で店主とマクゴナガル教授を見ていた。
「その検知不可能拡大魔法って?」
「見た目以上に物がたくさん入るということです」
「触ってみる? お嬢ちゃん」
そう言って店主は棚に飾ってあったテディベアをトランクの中に放り込んだ。トランク内はいくつかの部屋にわけられていた。まるでシルヴァニアファミリーの小さなおうちでも見ているようだ。大きく開いたトランクの中でテディベアが宙を舞い、いくつかのしきいで区切られた小部屋にまるでミニチュアのように小さくなって収まるのが見えた。「腕を入れて、テディベアと言えばいいのよ」と店主に促され、ハティは言われた通りに恐る恐るトランクに手を突っ込んだ。すると、手はどこまでも沈んでいきハティの腕をすっかり飲み込んでしまった。流石に恐怖心を覚え、ハティが「テディベア!」と叫ぶと勢いよくハティの手にテディベアが収まった。
「ドラえもんの四次元ポケットじゃん!」
ハティは大興奮であった。
本棚のように物ごとに部屋を作って整理できる。と店主の説明は続き、ハティはその場で「これにします」と店主とマクゴナガル教授に宣言した。
「これでやっと教材が買えます。ここに全て入れれば、荷物はずっとコンパクトになるでしょう」
「はい!」
マクゴナガル教授のいう通り、その後ハティはフローリッシュアンドブロッツ書店で大量の教科書と趣味の本を購入したが、その重さは並の成人女性でも抱えきれない重さであった。しかし、トランクにその全てを詰め込んでしまうとトランク以上の重さにはならずかなり快適に持ち運ぶことが出来た。マクゴナガル教授の買い物はかなり理にかなっていた。
ところが、その後ハティが購入したポーションの材料や巨釜はあまり現実的ではなかった。
ハティたちは大通りに面したスラグアンドジガーズ魔法薬剤店にいた。
店内は薄暗く愛想のない女性店員が肘をついて、ぼうっとしている。店頭には、木の棚に様々な商品が陳列されているが、まるでファンタジー小説に出てくるような材料ばかりであった。アクロマンチュラの毒液五百mlが百ガリオンーー約八万四千八百円、黄金虫の目玉一さじ五クヌート、ユニコーンの銀角二十一ガリオンと非現実的な魔法材料が高値で売られている。
これが魔法界の相場なのか、とマクゴナガル教授に尋ねると「この店は高級店ですから、質の良い物が売られています。妥当な値段です」と何ら値段に不満はないようであった。ポーションの材料って高いんだわ、と苦々しく思いながらハティは財布からシックル銀貨をいくつか取り出した。一年生は比較的安価な材料が多いのが救いであった。
ハティの買い物は順調にすすんだ。マダム・マルキンのローブ店の隣にあるアマニュエンサス・クイルス文具店で学校指定の羽ペンを三ダースに黒いインク、色違いのインクをいくつか。そして大量の羊皮紙。日本からの輸入品だという硝子ペン、便箋、クリスタルのシーリングスタンプ、蜜蝋——とマクゴナガル教授に確認し必要そうなものを購入した。
うすうす気づいてはいたが、魔法界はマグル社会に比べて文明レベルが後退しているようだ。パソコンやスマートフォンが全ての家庭や人間に普及するのはあと十数年は先のことであるが、電話やメールという便利な物があるにも関わらず、魔法使いの連絡手段はフクロウによる手紙なのだという。勿論、それ以外にも魔法による連絡手段はあるものの、学生が使用できるのはその程度であるらしかった。
「ホグワーツでは小動物をペットにすることが許されています。例えば、手紙を送ったり、荷物を運んだり、便利ですよ」
「フクロウが? そんなことできるんですか?」
「ええ、魔法界のフクロウは賢いのです。そして主に忠実であり、訓練せずとも必ず戻ってきます。それでですね、ハリエット……実のところ、わたくしの友人が誕生日プレゼントとして貴方にフクロウを贈りたいと言っているのですが」
「それは嬉しいです!」
ハティは喜色満面で飛び跳ねた。
マクゴナガル教授は安堵したように口元を緩ませて「既に購入しているのです。迎えにいきましょうか?」とまむかいにあるイーロップフクロウ専門店へとハティの手をひいた。ハティに誕生日プレゼントとしてフクロウを贈るなんて、一体どんな親切な人なのだろう。いずれにせよ、ハティの両親が良い友人に恵まれていたことは確かであった。
既に購入済であるとのマクゴナガル教授の言葉通り、店には既に鳥かごにおさめられたフクロウがリボンをかけられてハティの迎えを待っていた。鳥かごの中のフクロウは、処女雪のように白く、ふわふわとした羽毛を持った美しい雌梟であった。
「わああ……かわいい、きれい……」
鳥かごの中でフクロウはきゅるっと小首を傾げ、ハティの言葉に上機嫌に「ホー」と鳴き声をあげた。
ハティは眦を緩めているマクゴナガル教授に振り向いて、キラキラと目を輝かせながら訊ねた。
「どなたがこんな素敵な誕生日プレゼントをくださったんですか」
「ルビウス・ハグリッド、パブであったホグワーツの森番ですよ」
「ハグリッドが!」
ハティが喜色満面で飛び跳ねた。
「後で御礼が言えるでしょうか?」
「ええ、ロイヤル・ダイアゴン・ロンドンで待ち合わせをしていますから。貴方のその顔を見たら、ハグリッドも喜ぶでしょう?」
ハティは満面の笑顔で、鳥籠を抱きしめた。
鳥かごの中のフクロウはハティに身を寄せて、ハティの髪を優しく甘噛みするのであった。
二人はその後、ハティの杖を購入するためにギャリック・オリバンダーの店を訪れる予定であったがイーロップフクロウ専門店を出た頃、時刻は十二時を過ぎて腹の虫がぐうぐう鳴っていたので、昼食にすることとした。マクゴナガル教授お気に入りのイタリア料理店がグリンゴッツ銀行に近辺にあるというので、二人は雑踏をかきわけて大通りに面したホテルへとやってきた。ムーア様式のホテルへとやってきた。
ロイヤル・ダイアゴン・ロンドンーー外観はムーア様式の建築でこじんまりとした印象を受ける。しかし、正面玄関には魔法使いの守衛が佇んでおり、グリンゴッツ魔法銀行と同じような厳重な警備が敷かれているようだ。マクゴナガル教授に連れられ中へと足を踏み入れると、外観からは想像もできないような広大なロビーが広がっていた。
鏡のようにピカピカに磨き抜かれた白い大理石、柱や天井はゴールドの豪奢な装飾で彩られている。ドーム状の天井には巨大かつ華美なシャンデリアが吊り下げられており、至る所に瑞々しくも華やかな花で飾られている。海外からの宿泊客も多いのか、聞きなれない言語が飛び交い、ホテリエたちは格式の高いホテルに相応しく優雅な物腰で宿泊客を案内していた。
「こんなに広いとは思いませんでした。小さなホテルに見えたのに」
「見た目以上にでしょう? ロンドンの小さな土地にこれだけの魔法使いの街が作れたのも、数多くの魔法の中にこのホテル同様検知不可能拡大魔法が含まれているからです」
「なるほど」
便利ではあるが、一体どんな原理で空間を拡大しているのだろうか。ハティは不思議に思って、物珍し気に周囲を見渡した
マクゴナガル教授は慣れた様子で優雅にロビーを突き進みレストランの入り口で立ち止まった。入口には制服を着たホテリエが佇んでおり、マクゴナガル教授の姿を認めると「お久しぶりですね、マダム」と親し気に声をかけた。
「今日は小さなレディとご一緒ですか?」
「ええ、友人の子なの。あとから一人合流するから、三人でお願い」
「こちらへ」
ホテリエに案内され、ハティはマクゴナガル教授の後に続いた。
内装はロビー同様華やかである。天井には小さな星をカットした真鍮の豪奢なシャンデリアがいくつも吊り下げられ、その周囲を生花のように瑞々しいふんわりとした白い花のランプシェードが開いたり閉じたりを繰り返している。至る所に飾られた花のお陰でどこか温かみのある雰囲気がある。ゴシック調の調度品は真新しく高級そうで手入れが行き届いているように見えた。席は全てが背の高いソファとなっており、ふかふかとしたクッションが載せられている。大理石の床には毛足の長い上質な絨毯が敷かれ、足音すら響くことはない。給仕の魔法使いは皴一つないジャケット風のローブを身にまとっており、恭しく接客を行っていた。
ハティが見る限り、客の多くは裕福そうな魔法使いや魔女ばかりであった。びっくりするほど巨大なエメラルドの指輪をつけている魔女がいれば、ローブにダイヤモンドで刺繍を施した魔法使いもおり、富裕層の魔法族が多く利用しているようだった。
マクゴナガル教授は案内されたソファーに腰を下ろすとハティがおずおずと座るのを確認して、上機嫌でメニュー表を開いた。「ここの牛ほほ肉の赤ワイン煮込みは絶品なんですよ。子どものあなたの口にも合うと思います。尤も、この店で一番おいしいのはアフタヌーンティですけれど」
「アフタヌーンティ……」
「ここはオステリア・フィオレンティーナ、わたくしの行きつけなのです。そしてここの料理はロンドン一の名店です」
「そうなんですね」
ハティはこれほど格式高いレストランに来たのは初めてだったので、マクゴナガル教授と同じメニューを注文した。勿論、牛ほほ肉の赤ワイン煮込みである。
きっと、他の客からしてみればマクゴナガルとハティは祖母と孫に見えるのだろうなあ。とハティは思った。けれども、二人の関係性は先日出会ったばかりの教授と未来の生徒である。他人同然の関係性だというのに、マクゴナガル教授がこれほどまでに親切にしてくれる理由をハティはもう気付いていた。
虐待を受けた哀れな子どもへの施しである。
彼女の親切が嬉しいと同時に、ハティは悲しくなった。彼女は善良な人である。ハティの身の上を不憫に思って、誕生日プレゼントをしてくれたり、食事に連れてきてくれた。しかし、ホグワーツに入学して彼女と同じような善良な人に出会った時、何度もこうして施しを受けることになるかもしれないことを考えると、惨めになった。
「あの……ここは支払います」
「結構です」
やんわりとマクゴナガル教授が一蹴した。
通路を挟んだ隣のテーブルではハティと同年代の少女が複数人、ブランチを味わいながら楽しそうに会話を弾ませていた。
「あなたがわたくしの行為に過度な罪悪感を抱く必要はありませんよ、ハリエット。これは友人の娘に対する些細な親切です。老婆心とでもお思いになれば、よろしい。それでも気が咎めるというのならば、熱心に勉強をし、善い魔女となりいつかわたくしをここに連れてきてください」
「……はい」
ハティは噛みしめるように何度も頷いた。
マクゴナガル教授はハティの返答に大層満足そうに微笑んだ。
ホグワーツに入学したら、彼女を失望させないよう勉強を頑張ろう。ハティは心に決めた。
それから二人はただのミネルヴァ・マクゴナガルとハリエット・ポッターとして、お互いのプライベートに踏み込んだ他愛のない話をつづけた。
彼女もハティと同じ混血だった——母親が魔女で父親がマグルの牧師だったのだ。趣味は針仕事と、クィディッチ観戦、変身現代の記事校正(趣味についての話の延長で、ハティはマクゴナガル教授が変身魔法の教授だと知った)、好物はシュガープラム菓子店のフィナンシェとロザリー・ティーバックの紅茶。
クィディッチとは何か? と首を傾げるハティに、マクゴナガル教授は箒で行うスポーツでありハティの父のジェイムズも才能ありチェイサーーー選手だったと話した。どうやら、父は文武両道であったらしい。
マクゴナガルの言う通り、メインの牛ほほ肉の赤ワイン煮込みはとても美味しかった。コースも終わりに差し掛かり、デザートのアイスを頬張っているとマクゴナガルは食後の紅茶を飲みながら言った。
「ハリエット、少しだけここで待っていてくれますか――ハグリッドがどうやら遅れているようなので、迎えに行ってきます」
そういえばハグリッドも合流すると言っていた。と思いながら、ハティはさほど気にせずに頷いた。テーブルの上にはアイスしかなかったが、食後の紅茶が完食後に運ばれてくる予定だったし、フローリッシュアンドブロッツ書店で本を沢山購入していたので退屈せずに済むだろう。と思った。
マクゴナガルは安堵したように口元を緩ませながらも「知らない人には絶対についていかないこと。何かあれば、すぐにこのベルを鳴らすこと――わたくしと繋がっていますから、すぐに駆け付けます」とハティに小ぶりの金色のベルを残していった。
ベルを眺めすかしながら「不思議なベルだなあ……」と困惑しつつも、試しに鳴らすこともできないのですぐに興味は薄れて、ハティはトランクの中より魔法界版vog〇eを取り出した。とんがり帽子に真っ黒なローブが魔法使いの定番ファッションと思いきや、雑誌の中の魔女たちはロココ調のドレスと現代のファッションをいくつかミックスさせたような服を纏っている――要するにファンタジー風である。
こんな服装をしてロンドンにいれば絶対に浮いてしまうだろうな、とハティは顔を引き攣らせた。
マクゴナガルが退席し、手持無沙汰になったハティは辺りをぐるりと見渡した。裕福そうな魔法使いばかりである。隣の老夫婦はいかにも時間を持て余したと言った様子の老夫婦であるし、通路を挟んだ向かい側の席には数人の小さな魔女が顔を寄せてクスクスと笑っている。ピンク色にフリルをふんだんにあしらったミニドレスに、ボブカットの少女が獲物を狙う猫のように目を細めて言った。
「でもフィリパ、あんたにはジャスパーとディランがいるじゃないの。何がそんなに不満なの? ジャスパーのパパは裕福な古物商だし、ディランの家だってこのホテルよ? 煤の魔女のあんたにはすごくお似合いだわ」
「何が不満って――あの二人はただの幼馴染よ。あんたがドラコに思うような、特別な目で見たことないの。ずっと言ってるでしょ。それに私、ホグワーツに進学したらもっとたくさん私の信奉者を作るつもりよ」
「フィリパの主張にも一理あるわね」
ボブカットの少女の隣で苺のパフェをつついていたブロンドの少女が口を挟んだ。「さっき会った未来の同級生たちは、まだただの子どもだし」
「あら、ドラコは子どもじゃないわ!」
「へえ?」
フィリパと呼ばれた少女が、眉をくいっとあげて小首を傾げた。
ボブカットの少女は自分に注目が集まるを待って、もったいぶったようにしゃべり始めた。
「あたし、この前ドラコの家にいったの。ドラコのお母さまがあたしとママをお茶会に招いてくれたのよ。みんな知ってる通り、あたしの家も十分大きいけど、ドラコの家は比べられないくらい大きかったの。まるでお城だったわ、白亜の綺麗な……きっとホグワーツもあんな感じなんだろうなって思うわ。とにかく沢山の高級な美術品があって、ジャスパーのお父さまもきっとあんなに持ってないわよ。それに庭園も素晴らしかったの! 一年中、四季関係なくお花が咲いてるんですって。ドラコが案内してくれて、教えてもらったの。知ってた? 彼の家クィディッチ場があるのよ。ああ、本当に、彼って素敵よ。彼以上の男の子、新入生にはきっといないと思うわ」
はあ、と熱っぽいため息をついて微笑む少女に比べて、隣のブロンドの少女は苺を見つめて無関心をよそっているようであったが、フォークがとまっており熱心に話を聞いているのは明らかであった。
一方、フィリパは頬杖をついて「パンジー、あんた話を盛ってる。流石にジャスパーのパパの方が沢山美術品を持ってると思うわよ」と噛みつくように言った。
少女——パンジーは気分を害したように眉宇を顰めた。
「ドラコの家はノルマンディコンクエスト以前から続く名家よ。ジャスパーの家は最近、お金に困って商売に手を出したんだから、ドラコの家以上に物を持ってる訳ないじゃない!」
「ジャスパーの家だって、由緒正しいケルトの流れを汲むウェールズの名家よ。それに沢山の美術品を持ってるのは、父親の方なんだからそれはドラコ自身が魅力的って話にならないわ」
「あとは何年かすればあの白亜のお城はドラコの物になるわよ」
パンジーは凶悪に笑った。
「あたしたち、みんなそうじゃない。パパとママが持ってるものを、いつかあたしたちが全部手に入れることになる。だって、そう生まれついたんだもの」
「いいものも悪いものもね」
ブロンドの少女が物憂げに呟いた。「どちらにしても、私たちが親の威光や遺産で手に入らない名声と富を持った子が、今年のホグワーツの話題と注目を掻っ攫っていくでしょうね」
「それって誰よ、ダフネ」
パンジーが心外そうにブロンドの少女——ダフネを振り返った。
ダフネはフォークにさした丸々とした大きな苺を眺めながら、木のない声で答えた。
「ハリエット・ポッター……生き残った女の子」
「そういえば、今年入学だった!」
ハッとしたようにフィリパが頬杖から顔をあげて、瞠目した。
「それ、ドラコも言ってたわ」
パンジーは途端に身を小さくして、周囲の女の子に身を寄せた。そして周囲を警戒するように辺りに視線をさっと走らせた。ハティは盗み聞きしていたのが彼女に知られないように、出来るだけ雑誌に熱中している振りをしていたが、パンジーはこそこそとハティにすら聞こえない小声で何事かを少女たちに囁いた。
一拍置いて「えー!」と少女の一人が叫ぶ声がした。
「ハリエット・ポッターが闇の魔法使い!?」
「声が大きいわよ、ミリセント!」
パンジーに叱責され、ミリセントと呼ばれた少女は大柄な体を小さく縮こませた。
ハティは内心で少女たちの輪に飛び込みたくなる衝動に駆られた。闇の魔法使いですって!? 心外だという気持ちと、話の真偽を確かめたい好奇心からじりじりとソファの隅へと寄って、耳をすませた。
「……ごめん、びっくりして」
「そりゃあ、びっくりするわよ。私ももう少しで叫ぶところだったわ」
とフィリパ。
「どういうことなの?」
ダフネは好奇心をあらわにパンジーへと顔を寄せた。
パンジーは今日一番、少女たちの関心を集めている状況で気を良くしたのか、心なしか胸を張り優越感に満ちた顔で「それがね、ドラコに聞いたんだけど」と勿体ぶりながら口を開いた。
「例のあの人は、ハリエット・ポッターが自分以上に闇の力を持っていたから敗れたんじゃないかって」
「そんなことあるのかしら」
ダフネは怪訝に眉宇を顰めた。
「でも、ありえない話じゃないわ。おじいさまが言っていたんだけど、名前を言ってはいけない例のあの人はゲラード・グリンデルヴァルドが滅んですぐ現れたの。例のあの人はグリンデルヴァルド以上の闇の魔法使いだって言ってた。あの人がいなくなったのも、あの人以上の闇の魔法使いが生まれたからって理由なら、説明がつく」
ミリセントの言葉にハティは雑誌を閉じた。一旦、平静を保つためにからからになった喉に紅茶を流し込んだ。長い間、手を付けていなかった紅茶はすっかり冷え切って温度をなくしていた。
魔法界のお茶も冷めるんだな。と見当違いのことを考えながら、ハティは思考を巡らせた。
確かに、赤ん坊であった自分がヴォルデモート卿を破ったことには疑問を感じていた。何か自分に特別な力があるのではないか。と考えたこともあったが、まさかヴォルデモート卿を上回る闇の力を秘めていることが原因かもしれないとは。命を振り絞って守ったものが闇の魔法使いであったとは、両親の死も浮かばれない。
自分が闇の魔法使いだと考えれば、ダーズリー家に行った邪悪な所業にも説明がつくというものである。その後、少女たちが両親の迎えで席を立ってからもぐるぐるとマクゴナガル教授が帰ってくるまで思考の海へと沈むのであった。