ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
買い物を終え、プリベット通りの庭に到着した頃には、空は瑠璃色に染まり始めていた。ハティはどっさりと、両手では抱えきれないほどの買い物をしたはずだったが、マクゴナガル教授の機転で検知不可能拡大魔法が施された魔法のトランクを購入していたため、そのほとんどはすっきりとトランクの中に収められていた。
不思議なことに、トランクはハティが抱えても本来の重さしか感じさせず、ハティはにわかに「これはドラえもんの四次元ポケットじゃねーか」と興奮し始めていた。
実のところ、このトランクには興奮以上の安堵を感じていた。ハティが大量の学用品を購入して帰ることで、ダーズリー一家に金の出所である一族の金貨の山を盗まれやしないかと、冷や冷やしていたのだ。ダーズリー夫妻ならば、ハティに因縁をつけて財産を根こそぎ奪いかねない。ハティの不安を耳にしたマクゴナガル教授は、ダーズリー夫妻に財産を奪われないよう、一芝居打つことを請け負ってくれた。
ハティは正式にポッター家の財産を相続したが、ダーズリー一家に対しては、依然としてダンブルドアがポッター家の財産を管理しており、ハティには必要な分の金貨しか支給されない、と説明してくれることになったのである。この分では、ダーズリー一家から金をせびられる心配はなさそうだ。
「それでは、新学期までお別れです」
マクゴナガル教授は、心なしか心配そうにハティの小さな顔を覗き込んだ。
「いいですか、ポッター。くれぐれもその杖を振り回して、ダーズリー家に危害を加えないように。いいですね?」
「え、ちょっとした魔法の練習台にするのも駄目なんですか。わたしも魔法の練習で、教授みたいにヴァーノンを豚に変えて、養豚場まで散歩しようとしていたのに……」
「まあ、ハリエット・ポッター! あなた! ダーズリー相手とはいえ、マグルに魔法を使うなんて言語道断ですよ。そんなことをすれば、ホグワーツに入学する前にアズカバンに収監されることになりますからね」
あっ、アズカバン知ってる! 『闇の魔法使いの興亡』に載っていた、ブリテン唯一の監獄である。要するに犯罪者として捕まる、とマクゴナガル教授は警告しているのだ。
マクゴナガル教授は、飄々としているハティを見て眦を吊り上げた。その厳格な顔つきが強張っている。やはり、冗談の通じない御仁のようだ――と、ハティはミネルヴァ・マクゴナガルという魔女について理解し始めていた。
「わかりましたぁ」
「何がわかったというのです。いいですか――未成年の魔女であるあなたは、監督者なしでの魔法を禁じられています。魔法省にはそれを検知する能力がありますから、あなたが鼻歌を歌いながら杖を振り回そうものなら、即座にダーズリー家に警告が下りますよ。そして最悪の場合、あなたは杖を取り上げられて、ホグワーツに通う権利すら失うのですから」
「仮免許中みたいなもんですか? それは困ります。まあ、そうでもしないと分別のない子どもが事故を起こしかねませんもんね」
「先ほどまで意気揚々と杖を使おうとしていた者の発言とは思えませんが、まあいいでしょう……あなたには時々、驚くほど大人びたところがありますから、あなたを信じてもいいような気がしてきました。そうだわ、これを」
マクゴナガル教授はバッグから一枚の封筒を取り出し、身を乗り出してハティに差し出した。入学許可証と同じように、古めかしい羊皮紙の封筒である。封蝋で封印されており、中身が何なのかはわからなかった。
「これは?」
「入学日当日は、キングズ・クロス駅の九と四分の三番線に、ホグワーツ魔法魔術学校行きの特急列車がやってきます。そのホグワーツ特急の切符です」
「え? 魔法学校はロンドンの時計塔の中にあるんじゃなかったんですか!?」
「まあ、誰がそんなことを言ったのです?」
マクゴナガル教授が怪訝そうに眉宇を顰めた。
誰も言っていないが、魂に刻まれたオタク知識が、勝手に「魔法学校=時計塔」という図式を弾き出していた。悲しいオタクの性である。
「そうだった……ホグワーツって、どこにあるんでしたっけ? もし、伯父と伯母がキングズ・クロス駅まで送ってくれなかったら、どうしたらいいんですか?」
「ホグワーツの場所は秘密です。どの国の魔法学校も、魔法使いや魔女の卵たちを守るために、学校の所在地は秘密にしているのですよ。ですから、ホグワーツにあなたが辿り着く手立ては、ホグワーツ特急くらいです。ですが、ダーズリー一家があなたをキングズ・クロス駅に送り届けず、列車に乗れなかった場合は、ホグワーツに手紙を飛ばしてください。ハグリッドがあなたに素敵な梟を贈ったでしょう?」
「そうでした」
ハティの口元に笑みが広がった。
トランクを持った手の反対側には籠を抱えており、籠の中では純白の雌梟が「ホーッ」と愛らしい鳴き声を聞かせてくれる。
「わかりました、そうします」
「では、ハティ――」
マクゴナガル教授はシニヨンにした髪を軽く撫でつけ、ローブの袖からすらりとした一振りの杖を取り出した。少し首を傾げて、彼女は優雅に微笑んだ。
「ホグワーツで会いましょう。それまでお元気で」
杖が優雅にしなる。そして、パチン! という何かが弾ける音とともに、魔女の姿は瞬きしている間に幻のように消えてしまったのだった。
ダリアの暴力沙汰は近所の噂話にのぼり、しばらくの間、ダーズリー夫妻は息をひそめるように家に引きこもる生活を送っていた。一方のハティはダーズリー一家の一員ではあったが、以前の虐待事件が掘り起こされ、「可哀想なダーズリー家の居候」というポジションを確立していた。そのため、近所の冷たい目や囁き声がハティに向けられることはなかった。ダーズリー一家の愛娘は今や、少年犯罪者の収容場所である閉鎖訓練センターの一員となり、ダーズリー一家の子どもはハティ一人だけになってしまった。
そんなわけだから、ヴァーノン・ダーズリーは、普段であればハティに対して「気狂いどもの魔法の学校とやらにはまだ行かんのか? 空飛ぶ絨毯はどうした、それとも南瓜の馬車はパンク中か?」と嘲弄しただろう。しかし、ハティがキングズ・クロス駅への送迎を依頼すると、業務用アイスクリームの箱を抱えたまま「あー、うん」と気の抜けた返事をして了承した。この夏休みの大きなミッションの一つを完遂したハティは、それ以降、気の向くままに有意義な夏休みを過ごすこととなった。
ダーズリー夫妻がダリアに面会に行っている間は、隣人のミス・フィッグの猫屋敷――オールドミスのミス・フィッグは猫のブリーダーを生業にしており、たびたびハティの世話を押し付けられていた――で、猫たちと戯れながら読書にふけった。
幼い頃からダーズリー夫妻はハティに「質問すること」を固く禁じていたので、ハティの質問に答えてくれるのは、この世で本だけであった。今ならば、ペチュニアがハティの問いかけに険しい顔をして、唇をきゅっと引き結び、何も語らなかった理由が少しだけ理解できる気がした。ペチュニアは姉夫婦のことについて口にすることすら、忌まわしいと思っていたのだろう。
そんな彼らとの時間も、刻一刻と終わりに近づいていた。
九月一日。とうとうホグワーツに向かう日である。
意識しているつもりはなかったが、どこか緊張していたようで、ハティは朝五時に目が覚めた。いつものように足音を立てずに二階の一番小さな部屋を抜け出し、キッチンに向かう。マクゴナガル教授から受け取った、入学式当日についての書類には、ホグワーツ特急の出発時刻から到着時刻まで丁寧に記されていた。到着時刻はほとんど夜で、昼食の持参が必要だとわかっていたので、ハティは簡単なサンドイッチとフルーツの詰め合わせを用意した。
どうやら今日もダリアとの面会日だったようで、ハティが重たいトランクを引きずりながら家を出ると、ダーズリー夫妻はすでに車のエンジンをかけていた。用心深く車の影から近所住民の視線を探りながら、ヴァーノンは「早くしろ」とハティに一喝し、ひったくるようにハティのトランクを奪って車に載せた。
「連中に見られるのはまっぴらごめんだ!」
ヴァーノンが運転席に乗り込み、荒々しくドアを閉じる。ハティも大人しく後部座席に乗り込んだ。ミラー越しに物言いたげな顔をしたペチュニアの青い目と視線が絡み合ったが、ハティが溜息をついて「そんなに警戒しなくても、ダリアが閉鎖訓練センターに入ってることはみんな知ってるわよ」と冷ややかに言うと、ペチュニアは悲鳴をあげて助手席に縮こまった。
「余計なことを言うな!」
「余計なことなんて言ってないわよ。事実だもの。じゃあ、伯父さん、伯母さん、よろしく」
ヴァーノンは舌を鳴らしたが、素直に車を走らせた。
しばらくの間、車に揺られ、一行がキングズ・クロス駅に到着したのは十時半であった。
キングズ・クロス駅は英国の東の大動脈と呼ばれ、ロンドンとヨークシャー、イングランド東北部、スコットランドを結ぶ主要幹線鉄道である。言わば日本の東西を結ぶ花形路線のようなもので、「王の交差路」を意味する名前を冠している。キングズ・クロスという地名が定着する以前は、バトル・ブリッジと呼ばれる村があり、一世紀半ば頃にケルト人の女王ブーディカとローマ人征服者の最後の戦いが行われた場所である。そして、キングズ・クロス駅の地下には、今でも女王ブーディカの亡骸が眠っていると言われており、魔法使いと魔女の卵たちは、かつてドルイドやドルイダスとして仕えた女王の腕に抱かれて、魔法使いの学び舎へと出立するのだ。
「ここから出発するんだ」
ハティが興奮して辺りを見渡していると、ヴァーノンはさっさとカートを調達し、トランクを載せて歩き始めた。
ヴァーノンの奇行とも言ってよい様子に唖然としながらもついていくと、ヴァーノンはプラットホームの手前で足を止めた。
「さあ、着いたぞ、小娘。九番線だ。お前の言うホームは十番線との間なわけだが、まだ四分の三番線とやらはできとらんようだな」
ヴァーノンは意地悪く笑って、目の前のプラットホームを視線で示した。ハティも同じようにプラットホームを見るが、ヴァーノンの言ったとおりの光景が広がっており、「9」と書かれた大きな札が下がったホームの隣には、「10」の札が下がったホームしかない。プラットホームは人通りが多く、忙しげに人波を縫いながら歩くビジネスマンやオフィスレディ、旅行者でごった返していた。
ハティがプラットホームに降り立ったからといって、何か不思議なことが起こる様子もなく、相変わらず床のタイルは汚れている。出発までまだ時間はある――と時計を見て思うものの、列車が出発するまで三十分だと思うと、少しばかり不安になった。
「ああ、うん。送ってくれて、ありがとう」
あっさり頷いたハティに、一瞬ヴァーノンは面食らった。しかし、ハティが虚勢を張っているとでも思ったのか、嘲笑を浮かべると「せいぜい新学期を楽しめよ」とハティの肩を叩いた。背後に立つペチュニアの口元にも冷笑が広がるのを見て、ハティはむっとした。
「伯父さんと伯母さんも、ダリアとの面会時間を楽しんで。早くダリアも更生施設を出て、学校に入学できるといいね」
ハティの鋭い返しに、ぎくりと二人の肩が揺れ、ダーズリー夫妻の顔から笑みが消える。二人は怯えたように周囲に視線を走らせ、ハティがそれ以上ダリアの話題を口にしないよう、「じゃあな」とさっさとプラットホームを去っていった。
ハティは近くの店でミネラルウォーターを購入し、一度口を潤すと「さてと」と周囲を見渡した。同じようにトランクや梟を抱えた新入生がいないかと、雑踏を入念に観察する。視界の隅には大きなトランクを抱えた家族がちらほら見え、ハティは思わず「あっ」と声をあげて彼らに駆け寄ろうとした。ところが、魔法使いらしき家族は、ハティが瞬きしている間にふっと煙のように姿を消してしまうので、ハティは閉口してプラットホームの隅に立ち尽くした。
いっそのこと、キングズ・クロス駅までたどり着けず、特急列車に乗れなかったことにでもしようか? と嫌な考えが頭をもたげたとき、大量のトランクをカートに積んだ一団が九番線に向かって進んでくるのが見えた。ハティが彼らの存在に瞬時に気づくことができたのは、人混みの中にあって、一家が揃って燃えるような赤毛をしていたからだ。
一団の先頭でカートを押した赤毛のマダムが、「マグルで込み合っているわねえ、当然だけど」と、鬱陶しそうに言うのが聞こえた。その後ろでは、五人の男の子と一人の女の子が、ハティよりもはるかに大荷物をカートに載せて続いている。カートの上に梟の籠が収まっているのを見て、ハティはこれだ――と彼らに近づいた。
「すみません、九と四分の三番線の乗り場に行く方法をご存じありませんか?」
「あら、あなたはホグワーツの新入生?」
赤毛のマダムはくるりと振り向いて、にこやかにハティを見た。隣には赤毛の男女の子どもを連れているが、ハティは列車に乗る術