ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
買い物を終え、プリペット通りの庭に到着した頃には空は瑠璃色に染まり始めていた。ハティはどっさりと両手では抱えられないほどの買い物を終えた筈であったが、マクゴナガル教授の機転で検知不可能拡大魔法が施された魔法のトランクを購入していたため、そのほとんどはすっきりとトランクの中に収められていた。不思議なことにトランクはハティが抱えてもトランク本来の重さしか感じさせず、ハティはにわかに「これはドラえもんの四次元ポケットじゃねーか」と興奮しはじめていた。
実のところ、このトランクには興奮以上の安堵を感じていた。ハティが大量の学用品を購入して帰ることでダーズリー一家に金の出所である一族の金貨の山を盗まれやしないかと冷や冷やしていたのだ。ダーズリー夫妻ならばハティに因縁をつけて、財産を根こそぎ奪いかねない。ハティの不安を耳にしたマクゴナガル教授は、ダーズリー夫妻に財産を奪われぬよう一芝居を打つことを請け負ってくれた。
ハティは正式にポッター家の財産を相続したが、ダーズリー一家に対しては依然としてダンブルドアがポッター家の財産を管理しており、ハティには必要分の金貨しか支給されない。と説明をしてくれることになったのである。この分では、ダーズリー一家から金をせびられる心配はなさそうだ。
「それでは、新学期までお別れです」
マクゴナガル教授は心なしか心配そうにハティの小さな顔を覗き込んだ。
「いいですか、ポッターーーくれぐれもその杖を振りまわして、ダーズリー一家に危害を加えないように。いいですね?」
「え、ちょっとした魔法の練習台にするのも駄目なんですか。わたしも魔法の練習で、教授みたいにヴァーノンを豚に変えて養豚場まで散歩しようとしていたのに……」
「まあ、ハリエット・ポッター! あなた! ダーズリー相手とはいえ、マグルに魔法を使うなんて言語道断ですよ。そんなことをすれば、ホグワーツに入学する前にアズカバンに収監されることになりますからね」
あっ、アズカバン知ってる! 闇の魔法使いの興亡に載っていたブリテン唯一の監獄である。要するに犯罪者として捕まる、とマクゴナガル教授は警告しているのだ。
マクゴナガル教授は飄々としているハティを見て、眦を吊り上げた。その厳格な顔つきが強張っている。やはり、冗談の通じない御仁のようだ――とハティはミネルヴァ・マクゴナガルという魔女について理解をしはじめていた。
「わかりましたぁ」
「いいえ、わかっていませんよ。未成年の魔女である貴方は、監督者なしでの魔法を禁じられています。魔法省にはそれを検知する能力がありますから、貴方が鼻歌を歌って杖を振りまわそうというなら、即座にダーズリー家に警告が下りますよ。そして最悪、貴方は杖を取り上げられてホグワーツに通う権利すら失うのですから」
「仮免許中みたいなもんですか? それは困ります。まあ、そうでもしないと分別のない子どもが事故を起こしかねませんもんね」
「先ほどまで意気揚々と杖を使おうとしていた者の発言とは思えませんが、まあいいでしょう……貴方には時々驚くほど大人びたところがありますから、貴方を信じてもいいような気がしてきました。そうだわ、これを」
マクゴナガル教授はバッグから一枚の封筒を取り出し、身を乗り出してハティに差し出した。入学許可証と同じように古めかしい羊皮紙の封筒である。封蝋で封印されており、中身が何なのかはわからなかった。
「これは?」
「入学日当日はキングスクロス駅の九と四分の三番線にホグワーツ魔法魔術学校行きの特急列車がやってきます。そのホグワーツ特急の切符です」
「え? 魔法学校はロンドンの時計塔のにあるんじゃなかったんですか!?」
「まあ、誰がそんなことを言ったのです」
マクゴナガル教授が怪訝に眉宇を顰めた。
誰も言っていないが、魂に刻まれたオタク知識が勝手に魔法学校=時計塔という図式を弾き出していた。悲しいオタクの性である。
「そうだった……ここは型月世界線じゃなかった……ホグワーツってどこにあるんでしたっけ? もし、伯父と伯母がキングスクロス駅まで送ってくれなかったらどうしたら?」
「ホグワーツの場所は秘密です。どの国の魔法学校も、魔法使いや魔女の卵を守るために学校の所在地は秘密にしているのですよ。ですから、ホグワーツに貴方が辿り着く手立てはホグワーツ特急くらいです。ですが、ダーズリー一家が貴方をキングスクロス駅に送り届けず、列車に乗れなかった場合はホグワーツに手紙を飛ばしてください。ハグリッドが貴方に素敵な梟を贈ったでしょう?」
「そうでした」
ハティの口元に笑みが広がった。
トランクを持った手の反対側には籠を抱えており、籠の中では純白の雌梟が「ホーッ」と愛らしい鳴き声を聞かせてくれる。
「わかりました、そうします」
「では、ハティーー」
マクゴナガル教授はシニヨンにした髪を軽くなでつけ、ローブの袖からすらりとした一振りの杖を取り出した。少し首を傾げて、彼女は優雅に微笑んだ。「ホグワーツで会いましょう、それまでお元気で」杖が優雅にしなる。そして、パチン! という何かが弾ける音とともに、魔女の姿は瞬きしている間に幻のように消えてしまったのだった。
1
ダリアの暴力沙汰は近所の噂話にのぼり、暫くの間ダーズリー夫妻は息をひそめるように、家に引きこもる生活を送っていた。一方のハティはダーズリー一家の一員ではあったが、以前の虐待事件が掘り起こされ『可哀想なダーズリー家の居候』というポジションを確立していたので、近所の冷たい目や囁き声がハティに向けられることはなかった。ダーズリー一家の愛娘は今や、少年犯罪者の収容場所である閉鎖訓練センターの一員でダーズリー一家の子どもはハティ一人だけになってしまった。
そんなわけだから、ヴァーノン・ダーズリーは普段であればハティに対して「気狂いどもの魔法の学校とやらにはまだ行かんのか? 空飛ぶ絨毯はどうした、それとも南瓜の馬車はパンク中か?」と嘲弄しただろうが、ハティがキングスクロス駅への送迎を依頼すると業務用アイスクリームの箱を抱えたまあ「アー、うん」と気の抜けた返事をして了承をした。この夏休みの大きなミッションの一つを完遂したハティは、それ以降気の向くままに有意義な夏休みを過ごすこととなった。
ダーズリー夫妻がダリアに面会に行っている間は、隣人のミス・フィッグの猫屋敷——オールドミスのミス・フィッグは猫のブリーダーを生業にしており、たびたびハティの世話を押し付けられていた――で猫たちと戯れながら読書にふけった。幼い頃からダーズリー夫妻はハティに”質問すること”を固く禁じたので、ハティの質問に答えてくれるのはこの世で本だけであった。今ならばペチュニアがハティの問いかけに険しい顔をして、唇をきゅっと引き結び、何も語らなかった理由が少しだけ理解できる気がした。ペチュニアは姉夫婦のことついて口にすることすら、悍ましいと思っていたのだろう。
そんな彼らとの時間も刻一刻と終わりが近づいていた。
九月一日、とうとうホグワーツに向かう日である。
意識しているつもりはなかったが、どこか緊張していたようでハティは朝五時に目が覚めた。いつものように足音を立てずに二階の一番小さな部屋を抜け出してキッチンに向かう。マクゴナガル教授から受け取った入学式当日についての書類には、ホグワーツ特急の出発から到着時刻まで丁寧に記されていた。到着時刻はほとんど夜で昼食の持参が必要だと分かっていたので、ハティは簡単なサンドイッチとフルーツの詰め合わせを用意した。
どうやら今日もダリアとの面会日だったようで、ハティが重たいトランクを引きずりながら家を出るとダーズリー夫妻は既に車のエンジンをかけていた。用心深く車の影から近所住民の視線を探りながら、ヴァーノンは「早くしろ」とハティに一喝して、ひったくるようにハティのトランクを奪い車に載せた。
「連中に見られるのはまっぴらごめんだ!」
ヴァーノンが運転席に乗り込み、荒々しくドアを閉じる。ハティも大人しく後部座席に乗り込んだ。ミラー越しに物言いたげな顔をしたペチュニアの青い目と視線が絡み合ったが、ハティが溜息をついて「そんなに警戒しなくても、ダリアが閉鎖訓練センターに入ってることはみんな知ってるわよ」と冷ややかに言うと、ペチュニアは悲鳴をあげて助手席に縮こまった。
「余計なことを言うな!」
「余計なことなんて言ってないわよ。事実だもの。じゃあ、伯父さん伯母さん、よろしく」
ヴァーノンは舌を鳴らしたが、素直に車を走らせた。
しばらくの間車に揺られて、一行がキングズ・クロス駅に到着したのは十時半であった。
キングズ・クロス駅は英国の東の大動脈と呼ばれ、ロンドンとヨークシャー、イングランド東北部、スコットランドを結ぶ主要幹線鉄道である。言わば日本の東西を結ぶ花形路線のようなもので、「王の交差路」を意味する名前を冠している。キングズ・クロスという地名が定着する以前は、バトル・ブリッジと呼ばれる村があり一世紀半ば頃にケルト人の女王ブーディカとローマ人征服者の最後の戦いが行われた場所である。そして、キングズ・クロス駅の地下には今でも女王ブーディカの亡骸が眠っていると言われており、魔法使いと魔女の卵たちはかつてドルイドやドルイダスとして仕えた女王の腕に抱かれて、魔法使いの学び舎に出立するのだ。
「ここから出発するんだ」
ハティが興奮して辺りを見渡しているとさっさとヴァーノンがカートと調達しトランクを載せて歩き始めた。
ヴァーノンの奇行とも言ってもよい様子に唖然としながらもついていくと、ヴァーノンはプラットフォームの手前で足を止めた。
「さあ、着いたぞ小娘。九番線だ。お前の言うホームは十番線との間なわけだが、まだ四分の三番線とやらは出来とらんようだな」
ヴァーノンは意地悪く笑って、目の前のプラットホームを視線で示した。ハティも同じようにプラットホームを見るが、ヴァーノンの言ったとおりに光景が広がっており、「9」と書かれた大きな札が下がったホームの隣には「10」の札が下がったホームしかない。プラットホームは人通りが多く、忙し気に人波を縫いながら歩くビジネスマンやオフィスレディ、旅行者でごったがえしていた。
ハティがプラットホームに降り立ったからといって何か不思議なことが起こる様子もなく、相変わらず床のタイルは汚れている。出発までまだ時間はある――と時計を見て思うものの、列車が出発するまで三十分だと思うと少しばかり不安になった。
「ああ、うん。送ってくれて、ありがとう」
あっさり頷いたハティに、一瞬ヴァーノンは面食らった。しかし、ハティが虚勢を張っているとでも思ったのか、嘲笑を浮かべると「せいぜい新学期を楽しめよ」とハティの肩を叩いた。背後に立つペチュニアの口元にも冷笑が広がるのを見て、ハティはムッとした。
「伯父さんと伯母さんも、ダリアとの面会時間楽しんで。はやくダリアも入学できるといね」
ハティの鋭い返しにぎくりと二人の肩が揺れ、ダーズリー夫妻の顔から笑みが消える。二人は怯えたように周囲に視線を走らせ、ハティがそれ以上ダリアの話題を口にせぬよう「じゃあな」とさっさとプラットホームを去っていった。
ハティは近くの店からミネラルウォーターを購入し一度口を潤すと「さてと」と周囲を見渡した。同じようにトランクや梟を抱えた新入生がいないかと雑踏を入念に観察する。視界の隅に大きなトランクを抱えた家族がちらほらとあって、ハティは思わず「あっ」と声をあげて彼らに駆け寄ろうとした。ところが魔法使いらしき家族はハティが瞬きしている間にふっと煙のように姿を消してしまうので、ハティは閉口してプラットホームの隅に立ち尽くした。
いっそのことキングズ・クロス駅までたどり着けず、特急列車に乗れなかったことにでもしようか? と嫌な考えが頭をもたげたとき、大量のトランクをカートに積んだ一団が九番線に向かって進んでくるのが見えた。ハティが彼らの存在に瞬時に気付くことが出来たのは、人混みの中にあって一家が揃って燃えるような赤毛をしていたからだ。
一団の先頭でカートを押した赤毛のマダムは鬱陶しそうに「マグルで込み合っているわねえ、当然だけど」と言うのが聞こえた。その裏で五人の男の子と一人の女の子がハティよりもはるかに大荷物をカートに載せて続いている。カートの上に梟の籠が収まっているのを見て、ハティはこれだ――と彼らに近づいた。
「すみません、九と四分の三番線の乗り場に行く方法をご存知ありませんか?」
「あら、貴方はホグワーツの新入生?」
赤毛のマダムはくるりと振り向いて、にこやかにハティを見た。隣には赤毛の男女の子どもを連れているが、ハティは列車に乗る術を知るべくとにかく必死だったので、子どもに目もくれず何度も頷いた。
「そうなんです。家族のみんながマグル生まれマグル育ちなので、行き方がわからなくて困ってたんです」
「マグル出身の新入生なの? うちのロニーもそうなのよ」
そう言って、マダムは隣の少女の背を叩いた。
年のころは十一歳前後。綿の質素なワンピースを身に着けているが、丈がひどく短くてまあるい膝が出ている。背はひょろりと高いが痩身で、際立って濃い赤毛を二本のおさげにして背中にたらしている。小さな顔は白く、そばかすだらけで、大きな目は鮮やかなブルーだ。典型的なスコットランド人といった風貌であったが、不思議とハティには少女に対する見覚えがあった。
対して少女はハティの顔を見ると、舌打ちでもしたそうな顔をしてそっぽを向いた。嫌な感じ、と思いながらもハティはにっこりと微笑んだ。
「イオラ・エヴァンスよ、よろしくね」
どうどうと偽名を名乗ったのはパブのような二の舞は御免だからである。こんな魔法使いの人込みの中、ハリエット・ポッターです! と宣言せんばかりに傷跡を晒して歩こうものならば握手地獄になることは請け合いであったので、ハティはダイアゴン横丁にある「マダム・プリンペルネルのビューティポーション」で購入したコンシーラーで傷跡を隠していた。マグル界のコスメと異なり、シミや傷跡がうっすらと透けて見えることもなく元から傷跡がなかったかのような自然さで隠してくれている。おかげで額をあらわにベルベットのカチューシャをつけていたが、至近距離でも赤毛の一家はハティの傷跡に気付かなかった。マダム・プリンペルネル万歳である。
「よろしく」
ぽつりと彼女が呟き、にこりともしないので「ロニー、あなたそんなんじゃ友達ができないわよ」とマダムに背中を叩かれていた。一方、反対側に立つ赤毛の男の子は「いいなあ、僕もホグワーツに早く行きたいのに」と唇を尖らせた。
「あなたは来年でしょ、ジニー」
「そうそう、俺たちは今年もホグワーツに帰るけどね。じゃあな、ジニー! 勝手に俺らの箒使うなよ!」
「ちょっとジョージ!」
快活に笑って赤毛の子どもの一人がカートを猛烈に押しながら、九番乗り場と十番乗り場の間の壁に向かって走っていく。ぶつかるんじゃないの!? とハティが驚いて「あっ」と声をあげた時、ふっと少年の姿は溶け込むように壁の向こうへ吸い込まれて行った。
「うそ!」
「びっくりするでしょう、だけどあんな風にあの壁に向かって走っていけばいいのよ。あそこに、九と四分の三番線はあるの。フレッド、次はお前が行きなさい」
「あのさあ、母さん。俺はフレッドじゃなくて、ジョージだぜ?」
ジョージと呼ばれた少年とうりふたつの顔をした少年が、壁に向かってカートを押しながら駆け出し姿を消す。
マダムは「パーシー」と年嵩の男の子を壁へと促すと、次にハティをやんわりと壁に向かって押した。
「怖かったら、目を瞑ったらいいわ」
「怖がらずに、力まないのがコツだよ」
「ジニー、あんたはカートを押して入ったことがないくせに!」
ロニーがジニーを叱咤する声を聞きながら、ハティは意を決してカートを押し出した。
壁にぶつかるイメージをすればそれば真実になるような気がして、頭の中で必死に壁をすり抜けるイメージを作る。ハティは目を閉じて、今まで自分が信じてきた科学という固定概念を無視することにした。自分は壁をすり抜けることができる、なぜなら魂はNINJAだからである! そして――
周囲の空気が変わった。
ハティは目を開いて、つなずきながらも何とか立ち止まった。辺りを見た時、ハティが自分が必死に魔法のイメージを脳裏に描いていたことがいかに馬鹿らしいことか思い知った。
そこは日の光が差し込む天井のないプラットホームだった。線路に停車しているのは、巨大な列車のみ。まるでその列車の為に作られた駅かのように、十四台もの長い車両が線路に身を取ら寝ている。真紅にコーティングされた列車は、今では珍しい金属製の蒸気機関車で先頭の車両には長い煙突がついており煙をふかしている。乗り場には既に生徒とその家族でごった返しており、子どもたちとその親たちはベンチや売店にたむろしている。
ダイアゴン横丁と同じだ、とハティは思った。キングズ・クロス駅にない筈のスペースを魔法で作り、魔法使いのためだけの線路を構築しているのだ。
人々の喧騒に混じって、トランクを引きずる音や猫、梟の泣き声が聞こえる。ハティはあちこちで交わされる子どもたちの楽し気な会話や、別れを惜しむ家族の会話を耳にしながら、空いた席を探すのに覗いて周った。
「前の車両はおすすめしないわねえ。監督生や上級生、スリザリンのやつらが既に席をキープしてるの」
当の前の車両をキープしながらおっとりとそう言ったのは、ふわふわとしたハニーブロンドの髪を結い上げた上級生らしき魔女である。
花のようにふわりと薄く、淡いラヴェンダー色のドレスを身に纏っており困ったように頬に宛てられたしなやかな手は純白のレースの手袋に包まれている。話しているのは英語だが、どことなくアイルランドの訛りがある。
「ちなみに、わたしはハッフルパフの監督生なのよ」
「はあ。えーっと、スリザリンとかハッフルパフと言うのは……」
「寮のこと。ホグワーツには四つの寮があるのよ。貴方、マグル生まれね? 服装を見ていればわかってよ。そうね、スリザリンはマグル生まれに厳しい寮なの。純血主義の旧家の人間が多いんだもの、だけど懐に入れば縦と横の繋がりが強いから就職に有利よ――ハッフルパフほど学生同士の仲の良い寮はないけれどね」
「つまり?」
「つまり、新入生は最後尾から席を探した方が早いってことなの。ごめんなさいねえ」
「いいえ、ご親切にありがとうございました」
「いいえ~。マーリン・ダーハムよ、御縁があればいいわね」
「あ、はい」
ご縁があればいいわね、という言葉の意味はいまいち理解できなかったがハティは頷いてトランクを引きずりながら最後尾に向かうことにした。
最後尾から二番目の車両に来てようやくちらほらと空いているコンパートメントが目立ち始めた。息を切らしてドアをノックすると、中には既に三人の少女が腰掛けていた。一つ空席があり、入れてくれないだろうか。と一瞬期待しながら「ここ空いている?」と声をかけると、窓際に腰掛けていた少女が振り向いて値踏みするようにハティの頭上から爪先まで視線を走らせた。
あまりにも不躾な視線だったので、ハティも眉宇を顰めて少女たちを観察した。不躾にハティを見ていたのは、ボブカットの少女だ。ブルネットの髪をボブカットに短く切りそろえ、パグ犬のように低い鼻と顔立ちが特徴だ。生粋の魔法界の生まれなのか親切なハッフルパフの上級生と同じように、シフォンとサテンが薔薇の花のようにふんわりと波打つピンク色のドレスだ。足元は真っ赤なベロア生地の靴で、大粒のビジューが花の形にちりばめられている。どことなくちやほやされて育ったような高慢な雰囲気を漂わせており、ハティの視線を受けて少女は不快そうに鼻を鳴らした。
その真向かいで無関心を装って座っているのは線の細いブロンドの少女である。癖一つない滑らかなブロンドの髪をシニヨンにしてリボンと真珠のヘッドドレスで飾っている。光の加減によっては水色にも淡いラヴェンダー色にも見えるすとんとした偏光色のドレスを身に着け、腰を真珠と銀色のサッシュでしめあげている。その上から藍色の三角帽子のついたローブを重ねている。彼女は素直に美人だな、とハティは思った。表情に乏しいせいか、それとも淡いブルーの瞳のせいか、冷淡そうに見えるが顔の作り自体は整っており清楚だ。
最後の一人は興味深そうにアンバーの瞳を輝かせハティを見ていた。蜘蛛のようにふんわりと薄い黄色のドレスを身に纏っており、どこか落ち着きなく膝の上でレースの手袋に包まれた指を動かしている。顔の前には真珠をちりばめた漣のようなベールが覆い、更につばの広い白くとんがった帽子をかぶっていた。顔立ちは極めて端整であり三人の中で最も華やかで、表情も生き生きとしている。誰が一番美人か、と問われれば二番目の少女が挙げられるかもしれないが、ハティは最後の少女が一番魅力的だと思った。
「その恰好……あんたもしかして
「は? 泥の血ってなに?」
「その反応じゃ、あたり。マグル生まれね。いい? あんたたちマグルの宗教じゃ、マグルは土から生まれたんでしょ? だから
ボブカットの少女はチッ、としたを鳴らした。少女の顔にあからさまな嫌悪が広がる。
ハティは亡き母のリリーがマグル生まれの優秀な魔女だとマクゴナガル教授から聞いていたので、思わぬ衝撃を受けた。まさかマグル生まれの魔法使いや魔女が、生粋の魔法使いたちから公然と差別されているとは思わなかったのだ。しかも、蔑称が存在するなんて。
「これだから特急列車は嫌だったのよね。泥の血と同じ空気を吸う羽目になったじゃないの。純血、混血、泥の血と車両を分けて欲しいわ。そう思うでしょう?」
少女は向かいの少女二人に意見を求めた。水色のドレスの少女は「ふう」と溜息をついて、窓の縁に肘をつくと大儀そうに足を組んだ。
「パンジー、貴方の理論だと私たちは組み分けされる寮によってその二種類の魔女と同室になる可能性があるわ。それに授業では否応なしに同じ空気を吸う羽目になるわね。フィリパはどう思って?」
フィリパと呼ばれた黄色いドレスの少女はハティを一瞥し、笑顔を浮かべながらもどこかパンジーを気にするように時折視線をやりながら慎重に答えた。
「私は別にそんなこと気にしないわ。パパの会社にマグル生まれはたくさんいるし、そんなこと言っていたらきりがないでしょう? それにマグルが生み出すファッションや芸術って素敵よ。この前、パリのヴェルサイユ宮殿に行ったけれど本当に美しかったわ。少しだけ、やっぱりボーバトンに行けばよかったかしら? って後悔したくらい。あなた、そこに立っていないで座るといいわ」
「誘っていただけて光栄ですけど、やめておくわ。このコンパートメントにいると、胸糞悪くて吐きそう」
「はあ?」
パンジーが眉宇を顰め、鋭い眼光でハティを睥睨した。「それってどういうことよ」
「まず一つ目、私はマグル生まれじゃない。両親はとびっきり優秀な魔法使いと魔女よ。それから二つ目、マグル生まれの魔女をmad-bloodと呼ぶあんたたちの感性が嫌。マグルが特別好きなわけじゃないけど、人類の大半を敵に回す発言ができるあんたたちがイカレてると思ってる。それから三つ目、パンジーだっけ? 初対面の人間に対して無礼なあんた態度が気に入らない。理由はこの三つよ」
パンジーの顔が真っ赤に染まった。
「あんた、あたしが誰だか分かって言ってる!? あたしは、
「聖二十八一族がなに? パーキンソンってマグルにも多いありきたりな苗字ね。わたしは、イオラ。イオランテよ、どうぞよろしく」
「よろしくするわけないじゃない! どこの家の者よ! あたしに喧嘩を売ったこと、後悔させてやるわ!」
パンジー・パーキンソンは今にもハティに殴りかからんばかりに激昂していたが、意外なことに水色のドレスの少女はぷっと吹き出していて、フィリパにいたっては目をきらきらと輝かせてこちらに身を乗り出していた。三者の反応を見るにつけ、ハティはこの三人の少女たちはハティが考えているよりも親密な関係ではないように思えてきた。
その時「君たち、もしかして喧嘩しているのか」と少年の声が四人を威嚇した。
「今度は誰よ!」
パンジーが鋭く一喝してハティの背後を睥睨する。
ハティがつられて振り向くとごくありふれたシャツとジーンズをはいた少年が眉宇を顰めて佇んでいた。年の頃はハティたちと変わらぬ十一歳前後、癖の強い栗色の髪がふわふわとあちこちに跳ねていて、身なりに気を使わないタイプなのだろうと見て取られた。スキニーな体つきはやや猫背気味であり、前歯が少し長いところは栗鼠を思わせた。
少年はやや早口にまくし立てるように言った。
「僕は君たちと同じ新入生さ、君たちが僕と同じ立場ならね。入学前から喧嘩をするなんて恥ずかしいと思わないのか? 君も早くコンパートメントを見つけた方がいい、もうすぐ列車が発車するそうだよ」
「ご忠告どうもありがとう。では失礼、ミス・パーキンソン」
ぴしゃりと勢いよくコンパートメントを閉じると、扉の向こうから称賛するような口笛が聞こえた。少なくとも、パンジー・パーキンソンではないだろう。
少年を振り向くと、彼は「やれやれ」と言わんばかりに呆れたように頭を振っていた。「寮が決まる前から喧嘩なんて、先が思いやられるとは思わない?」
ハティは歩き出し、空いたコンパートメントを探しながら苛々と答えた。
「思わない。あいつらはマグル生まれの魔法使いを泥の血って侮辱したの。キリスト教徒の多い欧州のマグル生まれの魔法使いや魔女に対する蔑称でしょうね。わたしのママはマグル生まれだから、絶対に許せない。差別に対しては屈することなく立ち向かう、これがわたしのモットーよ」
「それは――確かに最低だ、うん……」
少年は面食らったように目を丸くして、激しく頷いた。そしてそっと告白するように言った。「僕の家族には魔法族は誰もいないんだ。だから手紙が届いた時にはすごく驚いたな。勿論、同じくらい嬉しかったから、今すごくびっくりしてる……僕みたいな存在をそんな風に思う魔法族もいるんだね」
「わたし、考えていたんだけど……マグル社会の人種差別と同じようなものなのかもしれない。差別する方と差別される方が魔法界にはいるの。だからって、わたしたちが委縮してびくびくしながら学校生活を送る必要はないと思うわ。だって。ホグワーツはマグル生まれの魔女や魔法使いに門戸が開かれてるんだもの」
「君の言う通りだね。夏休み中に、念のため参考書を何冊か読んだんだ。今年はハリエット・ポッターが入学するっていうから、〈近代魔法史〉と〈闇の魔術の栄枯盛衰〉、〈二十世紀の魔法大事件〉を見た。その中に例のあの人は純血主義を掲げていて、マグル生まれにとっては冬の時代だったって書いてあったよ。だけど、これからはあの時代よりもマグル生まれが生きやすいんだって信じてる。それに、歴史上偉大なマグル生まれの魔法使いもたくさんいるしね」
「そうよ、その意気よ」
少年を鼓舞しつつも、ハティは彼の自信と努力を見習わなければならないなと思いはじめた。少なくとも、あのパンジー・パーキンソンと取り巻きには負けたくないものである。