ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
ホグワーツのローブは漆黒のクラシカルで性別や流行に左右されないデザインで格好が良かった。艶のある天鵞絨の生地で裾や袖には金糸で精緻な刺繍が施されている。裏地はバックサテンが使用されており、猫の毛みたいに肌触りがいい。ただしローブの下に何を着用するかは自由で、何も着用しなければ変態マントになること請け合いなのでハティはマダム・マルキンの洋装店でプレタポルテのフリルブラウスを何着か、そしてスカートパンツやタイツや靴と一式購入している。
ハティは慌ただしくローブを被るロニーの後ろでブラウスとズボン、編み上げブーツを履いて重いローブをもたつきながら纏おうとしていた。
「そういえばさ」
くぐもった声でロニーが口火を切った。
「ビルが朝言ってたんだけ――あ、ビルはグリンゴッツ銀行で
「ロニー、わたし日刊予言者新聞とってない。そんな新聞があるの?」
「そうだった、イオラはマグル生まれだった。そう、魔法族の新聞なんだけどね、誰かが特別管理の金庫を荒そうとしたって書いてあった。ビルがいうには、中身は盗まれてないらしいけど」
ハティは銀行員のグリップフックが地下に行くほど金庫が古く、番人にはドラゴンを据えていると話していたことを思い出した。
ハティはローブを被り、カフスをとめながら言った。
「正気の沙汰じゃないわね。グリンゴッツにはドラゴンがいるんでしょ? その銀行破りって、相当強い魔法使いか魔女?」
「パパが言うには、強力な魔法族に違いないって。でも不思議なんだよね、だって何にも盗まれてないんだよ。こういう妙な事件が起きると、みんな影に例のあの人がいるんじゃないかって怖がるんだ」
「銀行にそんなに強い武器でもあるのかしら」
この十年間、ヴォルデモート卿は目撃されていないはずだが疑惑の人物として魔法使いたちが恐怖に駆られる程度には彼が魔法界に残した爪痕が深いようだ。思索にふけっていたせいか、ロニーがこちらを覗き込んでいることにも気付かなかった。はっと我に返って慌ててローブの紐を結ぶと、ロニーはにっこり笑った。
「ねえ、クィディッチって知ってる? 魔法族のスポーツなんだけど、あたし女子チームのホリペット・ハーピーズが好きなの! グウィノグ・ジョーンズが格好良くてね……」
彼女なりにハティの緊張をほぐそうとしているようだった。ロニーの話に相槌を打っているうちに次第にグリンゴッツの金庫破りについてはハティの頭の片隅に追いやられていた。そうしているうちに車内に「当列車はあと五分でホグズミード村駅に停車いたします。みなさま、お忘れ物のないよう――」と終着を告げるアナウンスが流れた。相変わらずスピーカーは発見できなかったが、ハティとロニーは慌てて荷物をまとめて生徒で溢れる通路に飛び込んだ。
生徒たちの群れに流されるようにして列車から降りると、ローブの裾から夜の冷たい風が入ってきて、ハティはぶるりと身震いをした。寒さは一瞬で、ローブの下にしっかり着込んでいたお陰で凍えるほどではなかった。白い息をもらしながら辺りを見渡していたハティは、生徒でごった返した小さなホームの奥にゆらゆらと揺れるランプを発見した。夜の闇に紛れて生徒たちににじり寄ったその人影はそびえるほど大きく、それが見知った人物だと知ってハティは嬉しくなって飛び跳ねた。
「ハグリッド!」
「ようハティ、元気にしてたか?」
「超げんきだよ!」
大きく頷くハティにハグリッドは「そりゃあよかった」と満足そうに頷いて、すぐに「イッチ年生はこっちだ!」と新入生を在校生とは別の方向へと誘導し始めた。
「ハティって?」
胡乱な目でロニーがこちらを見ていることに気付いたハティは「わたしのファーストネームよ。でも仲の良い友達はミドルネームのイオラって呼ぶの。そっちの方がお姫様みたいで可愛いって」と伝えて、新入生の列に加わった。ロニーもさほど気にならなかったのか、それ以上追及することはなかった。
新入生たちは舗装されていない狭く険しい小道を息を切らして歩かなければならなかった。山の頂上にでも学校が建っているのかしら? と呟いてみるが「さあ」「わかんない」と周囲からは口々に返ってくる。みんな、自分たちがどこに向かっているのか分からず不安げな顔をしていた。しかし、足を取られながらもつきすすみ、やがて森が開け漆黒の湖のほとりに出ると、新入生たちからは悲鳴にも似た感嘆の声が出た。
漆黒の湖面はまるで磨き抜かれた鏡のように美しい星空を映し出していた。その上に巨大な建築物が映し出されている。波がひいては寄せるたびにヴェールが風になびくようにその建築物の姿も揺らめく。ハティが顔を上げるとその建築物の正体は壮麗な古城だとわかった。湖を見下ろす高台の上に、ホグワーツ魔法魔術学校である城は佇んでいた。装飾的な建築群は、細部でそれぞれに宝石のカッティングのように繊細な造りをしていて多様だ。古城のように見えるが一階近くには硝子の温室があり、増築された部分もあるようだが総体の美しさは損ねていない。驚くほど数多くの窓があり、その全てに煌々とした明かりが灯っている。そのお陰で夜の闇の中でも、ホグワーツの全様はぼうっと浮かび上がっていた。城の足元には船着き場らしきものがあり、背後には森の緑で覆われている。
「ホグワーツはハイランドにあったんだ!」
新入生の誰かが興奮したように叫ぶ声が聞こえた。
ハティはその時ようやく自分がいる場所がスコットランド最大の地域にして、今もなお妖精や魔法の伝説が息吹くハイランド地方であることに気付いた。ハイランドの鬱蒼とした森と、鏡面のごとき漆黒の湖を抱いた古の城がこれからハティたち魔法使い・魔女たちの学び舎となるのだ。
なんて優雅で美しい学び舎だろう。こんな場所で七年間も勉強するなんて、なんて幸せなのかしら。ハティは感嘆の溜息をついて、呆然としていた。
四人ずつボートに乗るように。というハグリッドの何度目かの声にようやく気付いて動き出した頃には、既にロニーとは離れていた。申し訳がなさそうにこちらを振り向いて別のボートに乗り込むロニーに頷き、新入生たちは互いに顔を見合わせ、まごつきながらボートに同乗した。少人数制で乗り込むのでどうしても友人同士離れ離れになってしまうらしく、ハティが乗ったボートには女の子が一人、そして男の子が二人乗っていた。
「イオラ! 向こうでね!」
「うん!」
叫ぶロニーに手を振っていると、ハグリッドの合図のもと、全てのボートが一斉に動き出す。魔法がかけられているのか、ボートはこぎ手もいないのに滑るように湖面をゆっくりと進み始めた。ボートに乗ったほぼすべての生徒は、ホグワーツ城の全様に圧倒されて呆然とするばかりだったがふとハティと同じボートに乗った新入生が「イオラ?」と怪訝そうにつぶやいた。
「俺の友達と同じ名前かも。珍しいな」
やけに聞き覚えのある男の子の声だった。
「それは奇遇ね。でも、ファーストネームもそれなりに気に入ってるけどイオラって名前もお姫様みたいで好きなのよね。ところで、貴方のお友達の名前もイオランテ?」
そう言って城の明りで煌々と照らされた声の主を見たところでハティと少年は「あ~!!」と同時に叫んだ。そこにいたのは、長年のペンフレンドであるヒュー・フィールディングであった。
「ヒュー!」
「イオラ!」
どうしてここにいるのか。と問う二人の声が重なる。真新しいクラシカルなローブに身を包んだヒューは幽霊でも見るかのようにこちらを凝視していた。それはハティも同様で船が揺れないよう慎重に少年に近寄ると、彼の稀有なヴェニーシャンブロンドをかき上げて顔をじっくりと覗き込んだ。
「本物よね?」
「本物も何もそれはこっちの台詞! アー、ハリエット・ポッターってそういうことかよ! お前がハリエット・ポッターなのか!」
「ちょっと、何回も連呼しないでよ!」
ハティは憤慨して叫んだ。
周囲の小舟に乗る新入生たちが騒然とし「ハリエット・ポッターがいるの?」「どこ?」と暗がりの中、新入生たちは船を揺らして身を乗り出しているようだった。ハティはヒューの影に隠れると「生き残った女の子とはわたしのことよ。どう? 有名人と友達だった気分は」と震える声で囁いた。ハティとヒューがサマースクールで知り合った時、お互いまだ幼く家庭に居場所のない傷ついた子ども二人でしかなかった。勿論、そうと知らず自分たちを「小さな魔法使い」「小さな魔女」と名乗りあっていたが、本当に男の子が魔法使いで女の子が有名な魔女とは知らなかったのだ。
ハティは長年の親友であったヒュー・フィールディングとの関係性が壊れるのではないか。と恐怖した。強張った顔では笑顔一つ浮かべることができず、緊張に震えながら少年の顔を見上げる。ハティの視線を受けてヒューは一瞬笑いたいような泣きたいような顔をしたが、自棄になったように眩いブロンドをかき上げ「何の感慨もないな」と超然と言い放った。
「だって、俺の母親はハリウッドの大女優ティルダ・アーチボルトだぜ? お前はローカルな魔法界でちょっとは有名かもしれないけど、俺の母親はグローバルだ。大したことないね!」
ハティは自分の顔に笑みがのぼるのがわかった。心に何か温かな火がついて、ぽかぽかした。ハティは目の前の少年が心底、親友で良かったという思いをかみしめながらダーズリー家を出てから最も大きな安心感を抱いた。
「ヒュー、あんたも魔法使いでよかった」
勢いよく抱き着いたハティをヒューは「おっと」と焦ったような声をあげて、抱きとめた。「船が転覆するからやめろよな!」
「地上ならいいの?」
「まあ、いいけど……」
照れくさそうにヒューはコーンフラワーブルーの瞳を湖面に向けた。
ハティは一旦ヒューから離れて居住まいを正すと、夏休みのはじまりにヒューに貰った手紙のことを思い出して不思議になった。
「どうしてホグワーツに行くことになったの、アメリカに留学するって言ってなかった」と訊ねた。
「元々、その予定だったよ。母さんがイルヴァモーニーにしろってうるさくてアメリカに留学しようと思ってたけど、色々心残りがあってさ」
ちらっと上目遣いでヒューがハティを見た。
心残りでもなんでもハティはヒューと同じ学校に通えることが嬉しくて、満面の笑みを浮かべた。
「そう、とにかくあんたと一緒で嬉しい。グリフィンドールに入るでしょう? わたしはもうそう決めてるの」
喜色満面でハティがヒューにもう一度抱き着いたので、船は大きく揺れた。船頭近くに座っていた男女が悲鳴をあげて、慌てて左側に荷重をかけてバランスをとる。ハティも焦って船にしがみついていると、それまで沈黙を守っていた少年が口火を切った。
「あのさあ、さっきからずっと聞こえてたんだけど……君、ハリエット・ポッター?」
少年はルーモス、とベルベットのような声で魔法の呪文を唱えた。少年が握った杖先に煌々とした明かりが灯り、こちらに身を乗り出して覗き込んでいたその姿があらわになる。明かりに照らされた少年は、金の茶色の混じったヘイジーブロンドをしていた。薄い褐色の肌に、南国の海を思わせる鮮やかなブルーの瞳で、華やかで端整な面立ちをしていた。どこか軽薄さが払拭できない、明るい表情とパライバトルマリンを思わせる色石とゴールドのピアスのせいでかなり軟派にみえる。
「秘密にしてくれる? 組み分けが終わるまでは誰にも知られたくないの」
初めて気づかれてしまった。
ハティは半ば緊張して思わずヒューの袖を握りしめた。硬い口調で答えると、懇願するようにヒューも「頼むよ、アクラム」と親し気に少年の肩を抱いた。
アクラムは小首を傾げ、逡巡するように押し黙っていたがやがて口の端で悪戯っぽく笑って「いいよ」と快諾した。
「マルフォイとか他の上級生が必死に探してるの滑稽だったし、俺たちだけ知ってるってのも優越感を感じられて最高だな。俺はアクラム・シャフィク、よろしくなイオラ」
「ありがとう、よろしくね」
ハティは安堵に胸を撫でおろして、アクラムが差し出した手を握った。
肌が浅黒いのはアラブ系だからのようだ。大分、コーカソイドとの混血が進んでいるのか彼のルーツを感じさせる特徴はそう多くはない。発音は流暢なクイーンズイングリッシュであるし、手を差し出す姿もどこか優雅さを感じさせる。
「ありがとな!」
「君たちだけじゃなくて、私もいるんだけど」
船頭にいた女の子が振り向いた。
アクラムの光に照らされた少女は冷静を装っているようだったが頬が紅潮し、大きな瞳はグレーの瞳は隠し切れない好奇心で輝いていた。「それじゃあ、本当に? ホグワーツ急行の中にハリエット・ポッターがいたのね」
彼女の視線が何かを探すようにつるりとしたハティの額を見た。アクラムもつられるようにして少女の視線を辿り、瞠目する。
「傷跡がないわ!」
スーザンが叫んだ。
ハティは少し笑って、マダム・プリンペルネルのコンシーラーによってすっかり隠れた額を撫ぜた。
「稲妻の傷跡でしょ? マダム・プリンペルネルの店で買ったコンシーラーで隠してる」
「自分の完璧な美貌についた唯一の疵だって、お前言ってたもんな」
にやっとヒューが悪戯っぽく笑う。
「うっさいよ」
ハティはヒューの肩を叩いた。
「そうなのね……その、君のこと疑ったわけじゃないの。ただホグワーツ急行の中では、偽物のハリエット・ポッターが沢山いたから君もそうなんじゃないかって。それに、君のおでこの傷跡は有名でしょ? 私くらいの年の子どもはみんな親からしつこいくらいにハリエット・ポッターの話を聞くの。だから、こうして会えて光栄よ。私はスーザン・ボーンズ、君の秘密は忠実に守るわ」
「ありがとう」
クールな口調とは裏腹に、スーザンの手は汗ばんで震えていた。
そうしているうちにボートは城の船着き場へと到着した。吸い込まれるようにして新入生を乗せたボートは水門をくぐり、薄暗い石造りの船着き場へと停留した。
船着き場はホグワーツ城の地下にあるようだった。船着き場の奥には絡繰り仕掛けの大きな
城壁の石壁にはつる薔薇が絡み、ところどころ苔が生えている。間近で見る城は歴史の深さを感じさせた。少し歩くと巨大な高架橋が眼下にあり、ハグリッドはそれを後目に壁沿いに歩き出した。ハティは城の威容に目を奪われ、ぼんやりしていたが新入生たちがぞろぞろと歩き出したことに気付きハグリッドを慌てて追いかけた。目の前には石造りの広い階段が広がっており、ハティはローブを足に絡げながら苦労して登った。周囲を見渡すと魔法族出身らしき子どもたちは、長いローブを優雅にさばいており涼しい顔をしている。恥ずかしく思いながらなんとか登りきると、中庭らしき場所に出た。目の前には重厚な二枚扉があり、ハグリッドが前に立つとそれは重々しい音をたてて自動的に開いた。
城の中は鉄製の燭台に煌々と火がたかれているとはいえ、薄暗かった。正面玄関入ってすぐには左右に階段が分かれておりその中心の壁には見覚えのある鉄の紋章があった。盾の中には四方に獅子、蛇、鷲、穴熊が描かれている。そしてその中心にはHの文字、ホグワーツの校章である。
「あ、本当にホグワーツに来たんだ」
ハティは思わずつぶやいた。
感慨に耽る暇もなく新入生たちは左右の階段を登り、もう一つの二枚扉をくぐった。今までの人生で城の内部を見ることなど初めてだったのでハティは物珍しくなって周囲を落ち着きなく見渡した。左方には壁に四つの巨大な砂時計が鎮座しており、エメラルド・ルビー・サファイア・トパーズらしき宝石が上部にぎっしりと詰まっていた。まだ砂代わりの宝石は落ちていないようだった。
「あれは何? 本物の宝石なの?」
「あたしもわかんない! フレッドとジョージはサプライズは沢山あった方がいいって何にも教えてくれなかったの!」
ロニーに訊ねると彼女は激しく頭を振った。
右方には階下と階上に続く大きな階段が二手に分かれており、その中心には獅子を従えた勇ましい騎士の像が佇んでいる。ハティはてっきり階段に向かうのかと思ったがハグリッドは正面にあるもう一つの二枚扉をくぐった。そこに立っていたのはエメラルドグリーンのローブにとんがり帽子を被った魔女であり、彼女は相変わらず定規を背筋に入れているかのように美しい佇まいで新入生を出迎えた。
マクゴナガル教授だ! ハティは一瞬で気付いた。口元に笑みが広がり、手をあげて「お久しぶりです。無事にホグワーツ急行に乗れたんですよ!」と声をあげそうになった。しかし、新入生たちを見渡すマクゴナガル教授の顔つきは厳めしく、ハティは彼女に感じた事のない緊張感を覚えた。思わず息を呑んでマクゴナガル教授を見つめていると、一通り新入生の観察を終えたらしいマクゴナガル教授が口を開いた。静かだがよく通るきびきびとした言葉遣い、厳しい声音に隣に立つロニーはそわそわとし、ヒューとアクラムは顔を見合わせて苦笑いをしている。ハティは借りてきた猫のように口を噤み、じっとマクゴナガル教授の様子をうかがった。
「皆さん、新入生歓迎の宴がもう間もなく始まりますが、晩餐の席に着く前にあなた方が入る寮を決めねばなりません。ホグワーツにいる間は寮があなた方の家であり、寮生が家族となります。ですから、寮の組み分けは非常に重要な儀式です。講義でも寮生と学び、共同の寝室で七年間執心し、自由時間や勉強時間も寮の談話室で過ごすことになるでしょう」
マクゴナガル教授の言葉は比喩表現でしかないのだろうが、七年間も同じ寮で同世代の子どもと寝食を共にするとなると良好な人間関係を築いていたいものである。しかし、どんな寮でどんな人間がいたとしても少なくともダーズリー家よりははるかにマシだろうという確信がハティにはあった。いよいよホグワーツでの学校生活が始まるのだという予感に、ハティは無意識に頬を緩めた。
「寮は全部で四つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイヴンクロー、スリザリンーーいずれも開校以来の由緒ある寮であり、偉大な魔法使い・魔女を輩出してきました。ここに来るまでの四つの砂時計があるのを御覧になりましたね、あれは各寮の得点となります。ホグワーツ在学中は、皆さんの善行に対しては属する寮に得点を、反対に規則に違反した場合は寮の減点となります。学年末には最高得点の寮には大変名誉ある寮杯が授与されます。どの寮に入るとしても、皆さん一人一人が寮の誇りとなるような行動を心がけることを望みます。間もなく在校生、教授の前で組み分けの儀式が始まります。待っている間、しっかり身なりを整えておくように」
教授はそう言って鋭い眼差しでアクラムのピアスを見やり、ネヴィルのローブの結び目が解けていることに目を眇めた。
アクラムは「氷の女王みたいだな、怖い怖い」と軽薄に笑ってピアスを外し始めた。ハーミスに肘で突かれたネヴィルが「ぼ、僕も?」と狼狽しながら結び目を治し始める。他の新入生も焦ったように髪を整えたり、ローブのしわを伸ばし始めたのを見てマクゴナガル教授は満足そうに頷き「組み分け儀式の準備が終わり次第、戻ってきます。静かにお待ちなさい」と小広間を出て行った。
「アクラム、お前目をつけられたんじゃないの?」
「嘘でしょ? こんなことで?」
「いかにも厳しそうじゃん、あの教授。あの魔女が寮監してる寮だけは入りたくない」
ヒューが片眉を上げて肩を竦める。
ハティは二人の口ぶりを不服に思い、唇を尖らせた。「マクゴナガル教授は厳しいけど、良い人よ。入学するまでの間、すごくよくしてくれたの」
「イオラ、お前あんなお堅い魔女に憧れてんの? やめとけよ。そのうち、頭でっかちのオールドミスになるぞ」
「そんなことないもん」
「イオラーーでは、君がハリエット・ポッターなのか?」
新入生たちの布ずれのようにかすかな囁き声がある中、気取ったクイーンズイングリッシュの少年の声は水を打ったような静寂を小広間にもたらした。少しして「あのハリエット・ポッター?」「黒髪の子が?」と新入生たちが騒然とする。隣のロニーが驚きと疑心がない交ぜになった表情で弾かれたようにハティを見た。
「嫌な奴が来た」
小さくアクラムが呟く声が聞こえたと思うと、ヒューは剣呑か顔つきで庇う様にハティの前に出た。モーゼの十戒のごとく新入生たちが左右に体を寄せ合って出来た小路をその少年はまるで当然のことかのように二人の大柄な新入生を従え、超然と歩いて現れた。
丁寧に撫でつけられた髪はホワイトブロンドで、顔は日焼けを知らないかのように青白い。グレイの瞳はどこか酷薄そうな色をしており、薄い口元にはどこか傲慢さの滲む笑みが浮かんでいた。その背後に控える大柄の少年二人はさながらブロンドの少年の侍従か護衛かのごとく口を噤んで立っていた。
「僕はマルフォイだ、ドラコ・マルフォイ」
ドブカスの息子、登場である!!!
ハティはドラコ・マルフォイの気取ったクイーンズイングリッシュと、王様気取りな態度にさっそく「イキりマルフォイ」という渾名を内心でつけた。悪の親玉の息子にしては友好的では、ここはブリカスの国であり日本同様本音と建前があり二枚舌なことはよくよく理解していたのでハティも同様にヒューの背後からにっこりと微笑んだ。
マルフォイはハティのお友達スマイルに一瞬気圧されたように肩を震わせたが、気を良くしたように握手を求めて手を差し出した。ところが、その手はハティが握り返す間もなくヒューによって弾かれてしまった。乾いた音を立ててヒューの手がマルフォイの手を叩き落としたときマルフォイは一瞬、自分が何をされたのか理解できない様子で呆然としていた。しかし、暫くして我が身に降りかかった事態に気付いたのかじわじわと首筋から耳の先に至るまで真っ赤になりながら、ヒューを鋭く睨みつけた。
「何のつもりだ? 僕はお前に用はない。ハリエット・ポッターと話してるんだ」
「ハリエット・ポッターもお前なんかと用はない」
冷たくヒューが一蹴し、マルフォイは眉宇を顰めた。「なに? お前は誰だ。何の権利があって、僕の邪魔をしている」
「お前こそ、ハリエット・ポッターと交遊する権利があると思っているのか。デスイーターの息子の癖に」
滴るような憎悪と侮蔑に満ちたヒューのその声音に、ハティは背筋に怖気が走った。
新入生たちも凍り付いたようにじっと様子をうかがっていたが、ヒューの発言には恐怖にかられた様子で騒然とした。マルフォイは周囲の様子に分が悪いと感じたのか、憤りをあらわにヒューとアクラム、ロニーを順番に睥睨してややって何かに気付いたように冷笑した。
「ああ、そうかお前……グリーングラスの淫売の息子じゃないか。おい、ダフネ! お前の従兄弟殿がここにいるぞ!」
「従兄弟なんかじゃないわよ、ドラコ。血を裏切った女が生んだ泥の残滓よ」
ダフネは億劫そうに新入生の中から出てきた。その足取りは猫のように優雅で、彼女は白いしなやかな指で豊かなブロンドをかき上げると殺意を孕んだ氷の様なブルーの瞳でこちら――正確にはヒューを睥睨した。「二度とそいつを血縁扱いしないで。ドラコーーあなたと言えども、呪ってやるわ」
「君に呪われるのは流石のこの僕でも遠慮したいところだ。ところでダフネ、君の婚約者も落ちるとこまで落ちたようだな。アクラム、お前もそんな奴と絡むだなんてシャフィク家の未来は絶望的だな?」
「落ちるとこまで? 俺は高いところまで登った覚えはないよ。下から見上げて足元を掬ってやるのが好きなんだ。お前もせいぜい気をつけろよ、マルフォイ。それと、そんな女、婚約者じゃない」
アクラムは口の端で笑い、小首を傾げながら強調するようにはっきりと言った。悪辣で、嫣然としており、艶やかなその笑みはさながら毒の花のようであった。
華麗に反撃をされたマルフォイは奥歯を歯噛みし、射殺さんばかりにアクラムを睥睨した。関係を否定されたダフネは口元こそ優雅な笑みを浮かべていたが、その目は鋭く危険な輝きを宿していた。
「私だって、お前みたいな男が婚約者で毎日鬱々としているの。その軽薄な顔をそれ以上晒さないでちょうだい、アクラム・シャフィク」
「だ、そうだ。グリーングラスの淫売の息子に、そして果ては赤毛のウィーズリーの娘とまでつるんでいるのか。その調子でどうやって僕の足元を掬うんだ? アクラム。僕はこれからスリザリンに入るだろう。僕と仲良くしたいなら、今のうちに相応の礼儀とやらを尽くすがいい」
傲然と顎を上げてマルフォイは言い放った。そしてハティを見やると、冷たい笑みを浮かべてこちらに白い手を差し出した。
「ごらんミス・ポッター、これが家柄の良し悪しを見間違えて家ごと破滅しようとしている男の顔だよ。どうだろうか、僕が君に付き合うべき人間を教えてあげようじゃないか」
噂通りの傲慢で性質の悪い子どもである。ハティが黙って聞いていることを言い事に、ドラコ・マルフォイは散々ヒューを嘲笑し、アクラムを貶めた。この少年の最も悪辣なところは、新入生を観衆にしその前でロニー含む三人を悪しざまにいう事で同時に自分の優位を得ようとしたことだ。これは、スリザリンに入寮することが決まっているドラコ・マルフォイが同胞に向けたパフォーマンスでもある。「僕こそが王様だ、僕に逆らえばお前はこうなるだろう」という未来を見せているのだ。
ハティは呆れ果てて思わず笑ってしまった。親が親なら子も子というが、マルフォイの子どもでこれほど驕慢ならば父親は一体どれほどだろう。逆にルシウス・マルフォイという男の顔を見たくなった。ハティが拳を握りしめ、お友達パンチでもお見舞いしようとしたその時「何をしているのですか!」と鋭い声が小広間に響き渡った。
数人の半透明なゴーストを従えたマクゴナガル教授は眦を吊り上げて小広間の扉の前でハティたちを厳しい眼差しで見ていた。
マクゴナガル教授の存在に気付いたマルフォイはハティに向けた手をさっと下して何もなかったかのように鷹揚に構えた。一方のアクラムとヒューは目つきは鋭いものの、居住まいを正してマクゴナガル教授に対して傾聴の構えを見せた。両者の行動は幾分かマクゴナガル教授の溜飲を下げたのか、マクゴナガル教授は溜息をついて咎めるように両者を交互に見た。
「わたくしは身なりを整えて待っておくように言ったはずです。それが組み分けの儀式の前から喧嘩ですか……あなた方は神聖な儀式を何と心得ているのですか。旅の疲れもあり気が立っていたのでしょうが、あなた方の一時の感情に任せた軽率な行動で儀式を遅らせる可能性もあったのですよ。今回は杖を手にしていないので不問といたしますが、今後は単なる喧嘩で杖を持ちだせば寮の減点も覚悟することですね」
杖を使った喧嘩が減点だとぅ? 規則が厳しくね? ダリアみたいなクソムカつくやつがいても呪いをかけられないってこと? 毒でも盛ればいいのかな。でも毒はまどろっこしいしなあ~~!! ハティは「ふむう……」と思案を巡らせた。しかし、短時間で答えの出ない問題に対しては教授に聞けばよかろうと天高く手を伸ばした。
「教授、手短に質問をしてもよろしいですか」
「いいでしょう、言ってごらんなさいポッター」
マクゴナガル教授はハティの礼儀正しさに少しばかり眦を緩めた。子どもっぽいところもあるが、同年代の子どもに比べてハリエット・ポッターという少女は大人びていて聞き分けの良い子どもである。頭の悪い質問は来ないだろう、とマクゴナガル教授はある程度の信頼をハリエット・ポッターに置いていた。その時までは。
「杖で喧嘩をするのが駄目なら、拳での殴り合いは減点されませんか!」
「ハリエット・ポッター! あなたと言う子は、何て野蛮な発想をするのですか! 拳での殴り合いですって? 魔法を使った喧嘩よりもおぞましい行いです。勿論、減点に決まってるでしょう」
ハティは激しい剣幕で怒鳴られた。質問をしただけなのに……解せない、と思った。