「喧嘩じゃない殺し合いだろうよ」
――ガシン……パキィイ
「ぐふぅ!!」
橋台に叩きつけられる。衝撃で息が漏れる。
「銀さんんんん!!」
「ぐっ」
痛む体を無視して、立ち上がろうとする。
――ブシュ
なんだこれは。吹き出す赤い血を他人ごとの様に眺める。
「オイオイ、これヤベ……」
遅れて斬られたことに思い当たる。
追撃が来るのがみえて咄嗟に避けようと思った体は不味い方向に捻ってしまい。
終わったな。
そう思ったのに、終わりはこなくて、代わりに自分のものではない生暖かい雨が全身を濡らした。
目の前にはどてっぱらに刀を生やしたここにはいないはずの人物。
「キリイイイイイ!」
救えないものがあるなんざ嫌というほど分かっていて、そんな覚悟なんてとうの昔に出来ていて。
だけど、誰かに護られて、その護った奴が死ぬなんて事は、それがゆっくりと目の前で死んでいくなんて事は――斬られた痛みも、自身の死の恐怖も全て忘れてしまうぐらいの怖さだった。
似蔵の殺気にあてられたキリは、恐怖でカタカタ震えていて、震えるぐらいならくんじゃねーと怒鳴りつけたくなってしまう。
死の臭いが濃くなっていく。
「離せっ!」
必死でもがくも、夜兎なんじゃねェかと思うほどの力で押し付けられる。
押し返そうとした手は血でヌメル。
そのヌメリはどちらの血なのか。
「動かないで……死んじゃうよ銀さん。大丈夫だから……」
笑いながら遺言の様に囁かれたそれが耳障りで、必死で抜けだそうとする体は血を失い、力を失い。
「後悔しているか?」
そう似蔵の台詞に不覚にも頷いてしまいそうになった。
後悔なんざ嫌というほどしてきたが、他人に言われて自分の決断を後悔するなんて初めてだ。
それでも、押し込まれる刀をがっちり抱え、届かせないように踏ん張るキリに怒りすら湧いてくる。
そんなことしてんじゃねェ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
新八が奴の片腕を切り飛ばす。
刀から触手が伸び、キリを取り込もうとする。
迷わずにキリは刀を抜く。
一瞬だった。
――ビチャビチャ
人間の体にこれ程までの血があったのかと思うほどの血を流し、倒れこむ。
抜けた力に、咄嗟に体を抱き止める。
もう僅かしか残されていない血が、体温を薄く伝えてくる。
「キリ! 目を開けろ、寝るんじゃねェ」
僅かばかりに残された可能性。いや僅かも残されていない可能性を手繰り寄せようと必死で声を上げる。戦場で、依頼先で、数多くの死を送ってきた。こいつがそれに含まれてしまうことが恐ろしかった。
その声が届いたのかわからないが、ぴくりと体が動く。
ぐっと増す体重。遠のく死の臭い。
何をした?
死に体だったはずのキリがぐっと起き上がる。
「びっくりさせんじゃねェ、バカヤロー」
諦めていた自分を誤魔化すために叩いた憎まれ口。
確かに死ぬはずだった現実を覆される。いつの間にか身についた、受け入れる為の儀式的な心の流れを強制終了され、そこで思考が停止する。
そんな事はお構いなしに、増した体重に俺がふらついているのに気付いたこいつは、逆に体を支えるように岸に運ぼうとする。
何をやっているんだ? 死に掛けた癖にそんな事してんじゃねェ。そんな思いで必死に抵抗するが、まったく力が入らない。
失血の所為か、極度の緊張から脱した特有の倦怠感の所為か、五感全てが酷く鈍く、その所為で現実が遠く感じる。
「銀さんの止血を早く」
新八に預けられる自分の体は相変わらずいうことを聞いてくれなくて、悔し紛れに睨みつける。
「バイバイ、銀さん。これ返してもらうよ」
そんなものは無意味だという様に、すっと離れていった熱と、懐から盗まれたソレを目で追う。遅れて、ああ、あの時のアレはコレを庇ったからかと気づいた。そのまま行ってしまおうとするキリを引き留めるため、重い腕を上げると、スルリとそれを避け、距離を取られる。
「新八……キリを止めろ……」
「新八君止めた方がいいよ。そんなことしたら銀さん死んじゃう」
届かない体に必死で出した声も、にへらと笑われ無意味にされる。
「キリさん!」
「銀さんをお願いね?」
そう言って血の跡を地面に残しながら、手をピラピラ振りながら歩く足取りは不思議と死の不安が感じられなくて。
後ろ姿が消えていくのを見送るしか出来なかった。
高杉の船から連れて帰ってきたキリを見る。
似蔵に刺し貫かれた傷は既になかった。
人間に必要な臓器を幾つか巻き込んで、出血量は致死量に達していたソレは元から何もなかったとでも言うように綺麗さっぱり消えていた。
代わりに、別の怪我をこさえ、こうして寝ている。
俺はこいつに何をした? 何をしたからこいつはこんなに必死になって、死に物狂いで俺を護ろうとする?
その答えは俺の記憶の中にはなくて、こいつが知る未来とかに関係するのだろうか。
得体のしれない貸しがこいつに存在するのか。
大事だと、大切だとその言葉は、神楽や新八、万事屋を引っ括めた俺にしか伝えられない。
それはまるで俺個人に言った所で、俺が受け取らない事を知っているかのようで、そしてそれは当たっていて、何を知っているんだお前は、何度も出かけた言葉は音にはならない。
青白い顔を見ていると不安にかられる。このまま目を覚まさなかったら……。
また俺は護れないのだろうか。
目を覚ましたこいつに安心するが、新八や神楽の手前、何気ないふりをして様子を見守る。
いきなり泣きだしたのにはビックリしたが、孤独な生活を、手の震えを思い出す。
「もっと色気のあるかみ方できねェのか。おめーそれでも女だろ」
憎まれ口を叩いてみるも、神楽をけしかけるだけで自身は言い返しはしない。
「もう大丈夫なんですか?」
新八の言葉に一瞬。本当に一瞬だけ恐怖を滲ませる。
それなのにヘラリと笑うこいつが見てられなくて、頭を抑えて新八と神楽を追い出した。
「銀さん。あのね……怪我治せちゃうんだ私。しかも結構簡単に。似蔵に人間辞めたのかって言われちゃった」
「人間だよ」
こいつの秘密を一つ知った。
相変わらずへらへらとした顔で恐怖を隠し、おちゃらける姿が痛ましくて――。
どうして、どうやって、お前は何者なんだ。
だからどうした、関係ねーよ、お前はお前だ。
色々な、言葉が駆け巡るが、口に出せたのはそれだけだった。
「そーだよね。失礼しちゃうなーもう」
それしか言えなかったのに、笑ってそう言うこいつに腹が立った。
また行こうとするのか、そう感じた。
孤独な生活に思い馳せる。
こいつは何でこんなに必死になって、死に物狂いで俺等を護ろうとする?
「銀さん、私ね本当に怖いの分かったよ」
静寂に慣れた耳がぽつり漏らした言葉を拾う。
視線を落としたこいつの先にあった手は、血が足りないのかいつもより白く見えた。
紅桜に刺し貫かれたこいつを思い出す。
死が怖いか? そう思った俺の言葉は続く言葉で否定される。
「未来はもう諦めがついた。どう足掻いたって変わってしまうから。迷いはあるけど、護るためになら闘う事もきっとできる。でも……そのために、何もしない事を責められるのが怖い。見捨てなきゃいけないことが怖い」
その言葉にこいつの行動原理が見えた。
お前は自分の死や孤独よりも、他人の死や拒絶が怖いのか。
誰もお前を拒絶しねーよ、安心させるようにそう言おうとした。
「ねぇ、銀さん。『目前の安きをぬすむ』って知ってる? ここにいたら私は、目の前に安寧の為に、本当に大事なものを見捨てちゃいそうで怖いよ」
安っぽい台詞を吐こうとした口元に、ナイフを突きつけられるような気がした。
『目前の安きをぬすむ』
先生の言葉。
お前は何を知っているんだ?
攘夷戦争時代の記憶が巡る、こいつを俺は知らない。
自然と顔が無表情になる。
「私が今この未来の為に、『先生』を『助けれた』のに『見捨ててた』としたらどうする?」
想像だにしていなかった言葉に全てが停止した気がした。
反芻してようやく意味が飲み込めた。
怒鳴り散らしそうになる感情を静かに飲み込む。
まるで、腹の奥に冷たく硬い鋭い……ナイフを押し込んだようで、臓物を傷つけながら、ぬるりと染み出す血を纏わりつかせる。
「銀さん、私は行くよ」
傷ついた臓物からは血が流れ出るが、そんなものに構っている間にこいつは行ってしまう。
「待てよ」
咄嗟に肩を抑え、作った怒りでコーティングした表情を向けると、ビクリと分かりやすすぎる恐怖と拒絶を浮かべる。
その態度に、ナイフはすっと溶けて消える。幻影だ。
「それで俺が諦めるとでも思ったのか? そんな妄言で、愛想尽かすとでも思ったか? 残念だったな、京都の女並みにしつこいんだよ銀さんは」
そう笑ってやれば、こいつは笑うこともできずに言葉を探す様に口を開く。
「妄言かどうかは……分かんないじゃん……」
結局できたのは、最初と同じナイフを突きつける行為。
だが、もうそれは煌きを失い、おもちゃのゴムナイフとなっていた。
だから俺も余裕を取り戻す。
「どっちだっていいんだよ」
そうやって丁寧に、必死に、絡めとるように言葉を順に紡いでいけば最後の悪あがきをし始める。
「ここにいる必要がない。ここである必要がない。だから私は……」
「一度しか言わねェからよく聞け。……好きだ。だからここにいろ」
好きだ。そう伝えた言葉は嘘ではない。
今は恋愛のそれではないが、お前が恋愛のそれを欲して、それがここにいる理由になるなら、恋愛のそれにしてやるから、そう思いを込めて告げた。
「私は銀さんのこと好きだけどそーいう好きじゃない」
「それでもいい」
捻くれ者のこいつはそれを受け取らない事を分かっていた。
だから、準備していたそれを告げると、ようやく陥落した。
悔し紛れに叩かれた憎まれ口を掬ってやると悔しそうに、聞き慣れた悪口を返す。
そこで俺はようやく安堵することができた。