まただ……。夜中に目が覚める。
時々、本当に稀に襖の向こう側から、微かにうなされる様な声がする。
ぴっちりしまった襖を開けて何度起こそうかと思った事か……。
けれど、それは私が見てはいけないものの気がしてじっと蹲る。
銀さんも新八君も神楽ちゃんも、部外者である私を受け入れてくれた。
この世界の部外者たる私は、それを受け止めても良いのだろうか。
深い溜息をついてそっと家を抜け出す。
細い糸の様な月明かりの空の下を風の様に駆ける。
不可視の結界を纏っていればそうそう見つかることもないだろう。
時々、木や家々の壁を蹴って、パルクールの様に飛び回る。
纏わりついた思いが一枚一枚剥がれ落ちる様に、速度を上げる。
どのぐらい駆けただろうか、視界の端に見慣れたゴリラ……もとい人がゴミ袋に紛れて捨てられているのが目に入った。周りを見てみると店の看板は電気を落としており、人が通る気配はない。少なくともまともな人は通らないだろうと思われる。
思わず今しがた足場にしようとした屋根の上で止まり、覗き込む。
低いうめき声が聞えるということは死んではいないようだ。そう言えばスナックすまいるはこの近くだったなと思い至る。
きっとまた、お妙さんに手でも出してボコスカにやられたんだろう。
しょうがないか……。
壁を伝ってストンと降りる。
「近藤さん、そんな所で寝ていると風邪引きますよ」
「う゛う゛……」
ダメかなこりゃ。取り敢えず体を引っ張りだし、担ぎ上げる。
屯所まで連れて行くか? 遠いなぁ……。ゲンナリする。
土方さんかその辺を見まわりしている真選組の面子に迎えに来て貰ったほうがいい気がした。
よいしょと声を上げ、取り敢えず近くの公園までは運んであげる事にした。
街灯にパチパチと虫が当たる音がする。
人気の無い公園のベンチの上に近藤さんを横たわらせる。ゴミの臭いで分からなかったが、酒臭い。
もしかしたら、朝まで起きないのかもしれない。ダメ元でもう一度呼びかける。
「近藤さん、そろそろ起きて下さい」
途中で買ったペットボトルを首筋に当ててみる。
「うっ……あ? キリ……ちゃん?」
良かった。ようやく目を覚ましてくれた見たいだ。
ペットボトルのキャップを外して渡すとゴクリと飲む。
「目覚めました?」
「ああ、ここは?」
「すまいるの近くの公園です」
フルリと首を回して見渡す近藤さんに現在地を告げる。運んでくれたのか、ありがとうと言ったやりとりを行い、近藤さんの携帯電話を借りて真選組の人に迎えに来てもらう様伝える。
そこでもう私の役目は終わるはずだった。
「キリちゃん……もう少しここにいてよ」
真選組局長とは思えない少し弱気な発言。
うつむいて頭を掻く近藤さんがらしくなくて、空いたベンチの隣に座る。
「何かあったんですか……?」
「いや、特にはないんだけど」
「そーですか」
ポリポリ頭を掻く姿に、誤魔化されてあげる事にした。
街灯に突撃する虫達を見ながら黙って座る。
「キリちゃんはなんでこんな夜中に?」
「んー。目が覚めちゃったので夜の散歩に」
「なにか悩み事?」
優しそうな目になんだかなぁーと思う。本当にでっかい人だ。
この人の前では何も誤魔化せなくなる。
「近藤さん。私、万事屋にいても良いのかなって」
「なんでまた」
「なんでしょうね、不安? こんな私があそこにいてもいいのかなぁーって」
「君はどうしたいんだい?」
「一緒にいたいですよそりゃ。済みません、贅沢な悩みですよね」
へらりと笑って見せる。
「それなら、一緒にいれるうちは一緒にいたらいい。できなくなってからじゃ遅いんだよ」
「そうですね」
私の頭を諭すようにポンポンと叩きながら、遠い目をする近藤さん。銀さんが時々する目と同じ過去を振り返る目。
そうだね、届かなくなってからじゃ、後悔しても後悔しきれない。
公園の前に車が停まる音がする。
「近藤さん迎え来たみたいですよ」
「何かあったら相談においで」
「はい。その時はおねがいしますね」
送ろうかという言葉を丁重に断り、手を降って家に戻る。
襖の向こうからはもううめき声はしなかった。
もし今度同じ声が聞こえたら起こしてみようと思った。
雲ひとつない青空! そういう事はできないけれど、八対二ぐらいの割合で青空と雲が広がる空はとても奇麗だった。
「布団干しておいて貰っていいですかー?」
台所から新八君の声がした。「了解です。隊長!」と戯けながら神楽ちゃんと銀さんの布団を欄干に干す。私はソファーで薄いタオルケットだけ被って寝ている為、布団はない。
欄干から望む江戸は昔ながらの瓦葺きの屋根と、着物。色とりどりの天人達。未だに慣れないそれらに戸惑う事も多い。銀さんの布団の上に肘をつき、憧憬と感傷を混ぜこぜにした感情のままに目を細めてしばらくそれを眺める。
「きーやんどうしたアルか?」
「んー。天気がいいなーって後で定春のお散歩一緒行こうか」
ベランダの窓枠に手を置いて、青い瞳がこちらを見つめている事に気が付き、仮面を張り付ける。そうして気づく。結局私は完全に受け入れる事ができずに、微妙な距離で立ち止まったままだといいうことに。
「……いいアルヨ」
少し間が開いた返事に、それが敏いこの少女を傷つけてしまった事に気がついた。けれどその傷を癒やす方法を知らない私は――。
「神楽ちゃん。公園にさ、美味しいクレープ屋さんがあるんだって、一緒に食べよう?」
そう話を逸らして誤魔化すしかなかった。
「やっほい! 破産させてやるから覚悟するヨロシ!」
傷ついた事などなかったかのように、にやりと笑われ、びしっと指を刺される。それは私に対する優しさ。慌てたフリをしながら、真実乏しい財布の中身を算段する。受け入れる事ができぬまま、神楽ちゃんに甘えっぱなしの私。
「工場長! 三つまででお願いします」
「しょーがないアルネ。それで勘弁してやるネ」
両手をぺしんと合わせて頭を下げれば、ふわりと笑う神楽ちゃん。釣られて私も笑う。
「お前等なに悪巧みしてんの?」
神楽ちゃんの頭上から頭をのぞかせる銀さん。おおかたクレープという単語に釣られてやってきたんだろう。
「女の子同士の秘密デスヨ。エロい顔して近づかないでくれますぅ?」
「そうアル。銀ちゃんには関係ないネ」
一蓮托生。財布の中身を保守すべく神楽ちゃんと一緒に蔑んだ目で見てやる。
「お前等なぁ! 傷ついた! 銀さんは傷ついた! 慰謝料としてクレープ一年分を請求する!」
やっぱりクレープ狙いで来やがったかコンチクショー。
「銀さんのハートがそんなもんで傷つく訳ないじゃん」
「まっさらな少年ハートだから! ガラスのハートだから!」
「ガラスはガラスでも、防弾ガラスの癖して」
口ではそういう物の、果たしてそうだろうか、チラと紅桜に貫かれた私を見つめる銀さんの目を思い出す。これでいて何かと繊細なんだよな……。
「クソ! 鳥頭の鶴でももう少し恩返しすんだぞ!? お前一応それでも哺乳類だろ!? 冷血動物か!? ウーパールーパーの仲間だったか! 似てるのは顔だけにしろよ、コノヤロー」
「誰がウーパールーパーだ! はぁ……もーしょうがないなー。一個だけだかんね。それ以上は予備軍昇格しちゃうからダメだかんね」
不器用代表各のこの人を少し甘やかしたいという思いは贖罪になるだろうか。
私が折れる事など期待してなかった銀さんは、なんだか気まずそうな表情を浮かべる。それをニヤっと笑ってやると、試合に勝って勝負に負けた気がするとブツクサいいながら部屋に引っ込んでった。
神楽ちゃんと二人でケタケタ笑う。
「僕まで本当に良かったんですか?」
「ま、あの二人だけって訳にもねぇ?」
こうなったら新八君を置いていく訳にもいかず、三人揃えて面倒を見て上げようという事で、クレープを食べに三人と一匹を連れて公園までお散歩。
先頭を歩くは神楽ちゃんと定春。遅れて銀さん。その後ろを二人でついていく。あんまり余裕はないんだけど、心の贅沢だと思って諦める。
「あんまり遠慮とかしなくていいんですよ? あの二人見境ないんで……」
済まなさそうな顔をする新八君。自業自得なんだけど、それを上手く説明できる筈もなく、「ま、偶にはいいんじゃないの」と誤魔化す。
「キリさんって……時々人が良いですよね」
「時々って……キリさんはいつもいい人じゃないですか、新八君」
微妙に褒めているんだか貶してるんだか分からない言葉に、へらりと笑って返す。
「まったく……口が減らないですね。キリさんはね、微妙に食い意地張ってるところとか、そういうどうでもいいところでしかムキにならない所とか、本当に譲れないところは笑って誤魔化すところとか……それを悪いと思ってるのに改めないところとかが悪い人なんですよ」
私なんかよりよっぽど人が良いと思っていた新八君にチクリと刺される。どう返すべきか……しかたなしに、上手く回らない口で、「そうかなー」と視線を逸らし嘯く。まったくもって誤魔化せていないそれは新八君も傷つけるだろうか? そんな不安と共に返した言葉。それなのに――。
「でも、僕たちはそんなキリさんでもいいって決めたんですよ。それよりトッピングは幾つまでって指定なかったですよね」
とにこやかに笑われた。
「お財布ピンチなのでお手柔らかに」と、困った顔の理由をとぼける私に上手く誤魔化されてくれる新八君。
まったくもって甘えっぱなしの私は年上だとかそーいう威厳を取り戻せないまま、三人に財布をからっぽにさせられた。