病院で目が覚めてから、今日で二週間が経った。
俺は今、父の部屋にあるパソコンの前に座って、キーボードを操作している。
父は現在、仕事の関係で家にはいないため、数日前に母にパソコンを使っていいか聞いてみたところ、今は使用していないのがあるからそれなら使ってもいいとのことだった。
ただ、いきなり4歳児の俺がパソコンを使おうとしていることについて母も疑問に思ったようで、何をしたいのか聞かれた俺は、とりあえず「パソコンを使えるように練習をしたい」と言って、最初は簡単なタイピングの練習とネットマナーの講習を受けるところから始めた。
4歳の幼い自分の体でパソコンのタイピングをするのは、大学生の時とだいぶ勝手が違っていたので最初は不便ではあったが、そこは経験を活かしてなんとかカバーし、俺は母に自分がパソコンを扱えるのに十分な能力があることを証明した。
(……まあ、さすがにキーボードの読み方も聞かずに、普通に問題を解いちゃったのは、まずかったかな……)
一応大学生だったので、既に一般的なパソコンの知識が頭の中にあった俺は、今の自分が4歳なのを忘れて出された問題をさくっと解いてしまった。
横で見守ってくれた母が、「うちの息子、もしかして天才……?」と呟いていたのには苦笑するしかなかったが、とはいえ結果として、俺は変なサイトは開かないことを条件に、パソコンで調べものをすることを許されて今に至る。
パソコンという情報源を得た俺は、時間があればブラウザを開いて情報収集に努めた。
そして情報を集めていくうちに、俺はようやく自分に何が起きたのか、おおよその見当がついた。
俺はキーボードを打つ手を止めて、イスに深く座り込む。
(……やっぱり俺、あの時死んだのか)
結論から言うと、俺は恐らくあの時通り魔に刺されたのが致命傷となって一度死んだ。そしてどういう訳か、“別世界の4歳の自分”の肉体に、死んだはずの自分の意識が入り込み、“転生”することになった。それが俺の身に起きた出来事だ。
“別世界の自分に転生した”と推察したのは、調査をしていくうえで、俺が今いるこの世界は、俺の知る4歳の自分が生きた世界とは別の時代、別の歴史を歩んでいるということが分かったためだ。
現在から100年以上前、中国の軽慶市と呼ばれる場所で、とある夫婦の子供が、『発光する』という特異体質を持ってこの世に生を受けたのが確認された。その誕生を皮切りに、以降世界各国で超常的な能力や特異体質を持つ人間が続々と現れるようになり、原因について判然としないまま時は流れ、やがてその超常的な力を人々は“
“個性”の出現は、当時の人間社会に大きな混乱をもたらした。それまで常識とされた『人間』という画一的な種の規格が“個性”によって大きく崩れ、各国の政府及び公的機関の対応もままならない状況で、覚醒した能力を使って社会の秩序を乱す者たちが後を絶たなかった。のちにこの時代は『超常黎明期』と呼ばれているようで、その犯罪件数は人類史上最多を迎えたとされている。
そんな混沌渦巻く時代の中で、秩序を乱す者に立ち向かう同じく“個性”を持つ勇敢な人たちが現れ、自治活動を行うようになった。彼らの活動はやがて世論に押される形で国に追認され、ヒーロー公認制度という国家資格を生み出し、その資格を持った彼らは国家公認の“ヒーロー”となった。公務員としての役割を確立されたヒーローは、“
こうして時は流れ現在。この世界は総人口の約8割が、何かしらの“個性”を生まれ持つ超常社会となった。法整備が進んだ今は、“個性”は公の場でその乱用、あるいはそれによる危険行為を犯すことを禁止され、敵から人々を守るヒーローは、人気の職業となった。以上が、俺が知らなかったこの世界の大まかな歴史になる。
このことを知ったときは、正直驚いた。人類のほとんどが特殊能力を持ったこともそうだが、まさかコミックの世界に出てくるようなヒーローが、現実の職業として存在するとは思っていなかったからだ。
だがそれも、納得するしかない。現に俺が目覚めた病院で出会ったあの恐竜のような容姿の医者・吉田先生を始め、同じ幼稚園に通う子供も、道端で出会うお年寄りも、俺の周りにはそういった“個性”を持った人間が大勢いる。
そしてそれは、俺の家族も決して例外ではなかった。俺自身はまだ“個性”が発現していないようだが、聞いてみたところ、どうやら両親は“個性”を持っているらしく、特に母に関して言えば、さらに衝撃的な事実を聞かされた。
(……まさか母さんがプロヒーローやってたとは思わなかった)
なんと俺の母―――
俺が前にいた世界では、市役所の一事務員だった母がヒーロースーツを身に纏って戦う姿には、正直何と言っていいのか分からない複雑な気分になったが、ともあれこれで俺は、自分が単に幼かった頃の自分に“逆行”したのではないと悟った。同じ名前、同じ容姿、同じ家族構成の別な自分―――並行世界の同一人物というべき人間に“転生”してしまったことを理解したのだ。
現状としては、一般的な日常生活を送るうえで不便はない。この世界は俺の知る地球の時代から100年以上経っているが、超常黎明期の到来で長らく科学技術と文化の進歩が停滞していたのもあって、文明レベルでは前の世界とほぼ変わらない。
“個性”のことも最初こそ驚きはしたが、この1週間でいろんな“個性”持ちの人と出会っていく上で相手も普通の人間なのは大体分かったため、そのあたりの理解は問題なかった。
また、前の世界でもよく知っている文化やコンテンツもほぼそのまま存在している。千葉や大阪にある大きなテーマパークとか、その中で取り扱われている映画やアニメなんかの有名作品もちゃんとある。
普通の人間にしてみれば、この転生は十分すぎるくらい環境に恵まれているのだろう。世界観に変わった要素が一つ二つ追加されただけで、前とほぼ同じ世界で、同じ家庭環境で幼い頃の自分から人生をやり直せるのだから。
―――だが、俺はこの世界を好きになれそうになかった。
なぜなら、ここには俺にとって最も重要な存在が欠けていたからだ。
俺は、目の前のパソコンのキーボードで、検索窓に“ある単語”を打ち込んでエンターキーを押す。
すると、画面が切り替わり検索結果が表示されるが、そこには入力した単語とはまったく関係のない記事が並ぶだけだった。
「……やっぱり、出ないよな」
検索窓に入力された単語は、『仮面ライダー』。
俺が生まれ変わった世界は、
―――――
時は病院から帰ってきた日に遡る。まだ状況をほとんど飲み込めていなかった俺は、一旦自分の部屋の中を見て回ることにした。
部屋の様子は、まだ模様替えをする前のいかにも子供部屋という感じのレイアウトで、もうアルバムの写真でしか見られなかったはずのその光景は、俺に懐かしさを抱かせると共に、ここが生前と同じ環境であるという非常に強い安心感を与えてくれた。
辺りを見渡していると、ふとおもちゃの入ったケースが視界に入った。
俺は試しに、そのケースの中に入っているおもちゃを見てみることにした。中には昔遊んだことのあるフィギュアやミニカーなどのおもちゃがいくつもあり、俺はその一つ一つにノスタルジーを感じていた。
だがそうしていると、俺はそのケースの中に入っているおもちゃについて、あることに気づいた。
「……ん?」
どこを探しても、仮面ライダーのおもちゃが見つからない。記憶が正しければ、4歳の俺はとっくに仮面ライダーに興味を持っていて、変身ベルトやソフビ人形なんかを持っていたはずだ。
だがそのような類のものは、どこにも見当たらない。もしかしたら、病院で目が覚める前にどこかで遊んでいてそのままになっているのかと思い、俺は部屋を出てリビングにいる母に尋ねた。
「ねえお母さん。仮面ライダーのおもちゃ、どこにあるか知らない?」
しかし、そこで母から返ってきた言葉は、俺の望んだ回答ではなかった。
「かめん、らいだー……? なあにそれ?」
「え……?」
その瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
母の声はいつも通り柔らかく、穏やかで、俺を安心させる響きを持っているはずなのに、今だけはまるで別人の声のように聞こえた。俺は思わず固まってしまい、口を開くまでに数秒かかった。
「お母さん、仮面ライダー、知らないの……?」
「知らないわね。それってヒーローの名前なの? 私も一応プロヒーローやってたから、それなりに詳しいつもりだけど……。そんなヒーロー、聞いたことないわ」
「……特撮ヒーロー番組とかは? 漫画とかは?」
「うーん……ごめんなさい。お母さん知らないかも……」
そんなはずがない。前の世界では、仮面ライダーは誰もが知っている国民的ヒーローだった。子供も大人も、名前くらいは知っている。それほどの存在だった。
なのに、母は本当に知らないと言っている。その事実が、じわじわと胸の奥に広がっていく。母は申し訳なさそうに眉を下げたが、俺の胸のざわつきは収まらなかった。嫌な予感が、背筋を冷たく撫でていく。
(……そんなはず、ないだろ)
前の世界での俺の人生には、いつも仮面ライダーがいた。
幼い頃、父と一緒に変身ベルトで遊んだ日。母に連れて行ってもらったヒーローショー。日曜の朝、テレビの前でワクワクしながら待っていた時間。新しいシリーズが始まるたびに胸が高鳴ったあの感覚。
それらすべてが、俺にとっては“当たり前”だった。
だが、この世界では―――
「……ちょっと部屋に戻る」
「雄次郎? 本当にどうしたの?」
母の問いかけに返事をする余裕もなく、俺は自分の部屋へ向かった。足取りは自然と早くなる。胸の奥で、何かが崩れ落ちるような感覚があった。
自室に戻った俺は、部屋の中を隅から隅まで探し回った。きっとどこかに、仮面ライダーのグッズがある。そう信じて幼い体で片っ端から収納棚やベッドの下を見るも、それらしきものはどこにもない。
それが分かった瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。
「……仮面ライダーが、いない世界……?」
俺の口から零れたのは、架空の人物だから現実にいないとか、そういう意味の言葉ではない。もっと根本的な、もっと致命的な意味だった。
前の世界で何度も見てきた特撮テレビドラマシリーズ。漫画や小説。映画館で見た劇場版。子供の頃に買ってもらった変身ベルト。友達と真似して遊んだ必殺技。
それらすべてを含む“仮面ライダーシリーズ”という文化そのものが、この世界では一切作られることがなく、『仮面ライダー』という概念そのものが存在していない。
その事実が、ゆっくりと、しかし確実に胸に沈んでいった。
―――――
それから父のパソコンで情報収集できるようになると、俺は優先的に仮面ライダーについて調べた。
検索履歴には、その時入力した単語がずらりと並んでいる。
『仮面ライダー』、『変身ヒーロー』、『特撮』、『怪人』、『バイク ヒーロー』、『マフラー ヒーロー』、『ヒーロー番組』。
検索窓をクリックして関連するワードを片っ端から入れてみたが、出てくるのはどれも的外れな検索結果ばかり。仮面ライダーに関する情報は、一つも出てこなかった。
「……もし未来の世界なら、ゼロワンとかも見れたりするのかと思ったんだけどな」
前の世界で、俺は令和最初の仮面ライダーの放送を心待ちにしていた。あの時のワクワクは、今でも鮮明に覚えている。
例え自分が転生したとしても、もしこの世界が前世と同じなら、仮面ライダーがいるのならそれで充分だと思った。加えて時代的に未来の世界なら、あの時見れなかったゼロワンだけでなく、それ以降の仮面ライダーシリーズの作品も見られるかもしれない。そんな期待もどこかにあった。
だが、世界はあっさりとそれを否定した。
俺はそっとパソコンを閉じ、溜息を吐きながら椅子にもたれかかった。
「……なんでなんだよ」
呟きは震え、喉の奥が熱くなった。視界が滲む。胸の奥が空洞になったように、ぽっかりと穴が開く。
俺の人生には、いつも仮面ライダーがいた。辛い時も、苦しい時も、仮面ライダーがいたから乗り越えられた。あのヒーローたちの姿が、俺の心を支えてくれた。
その象徴が―――この世界には存在しない。
この世界に来てから転生したという事実にも、少しずつ慣れてきた。母との生活も、前の世界とは違うけれど温かかった。
―――だが、仮面ライダーがいないという事実だけは、どうしても受け入れられなかった。
俺の心の支えだったものが、丸ごと消えてしまったかのような感覚。自分の中の“原点”が失われたような虚無感。その喪失は、言葉にできないほど大きかった。
涙が頬を伝う。拳を握りしめる。悔しさと喪失感が胸を満たす。
もしこれが、全く違う世界で、全く違う人間として生きるとなれば、気持ちの折り合いが付けられたのかもしれないが、前の世界とほぼ同じ世界、同じ人間として生きなければならない俺には、どうにもできそうになかった。
この世界は、優しくも残酷だった。
―――――
父の部屋でしばらく傷心した後、俺は母に「散歩に行ってくる」と言って家を飛び出していた。
行き先は家の近所の公園。本当はもっと遠くまで行ってしまいたいところだが、まだ4歳の自分が一人で出歩ける範囲は限られているので、今はそこくらいしかない。
母もそれをわかっているのか「気をつけてね」、「門限まで帰ってくるのよ」と言って俺を見送った。
公園に着くと、広場で子供たちが遊んでいた。
「ヒーローごっこしようぜ! 俺オールマイトな!」
「あーずるい! 俺もオールマイトやる!」
子供たちが無邪気にはしゃぎ回る様子を、俺は木陰のベンチに座り遠くから見る。すると、俺の頭の中に友達と仮面ライダーごっこをした思い出が浮かんできた。
『お見せしよう、仮面ライダー! 変身っ!!』
脳裏に浮かぶのは、初代仮面ライダーに登場した2号こと一文字隼人の変身シーンを真似する俺だ。俳優さんが初登場時に手順を間違えた、チャックを開けてベルトを出すところまで、我ながら見事にエミュレートしている。
俺もあの子達のように、ヒーローになりきる遊びをよくしていたから分かる。
あの子達には今、
たまらず俺は、ベンチの上で仰向けに寝転がった。
「……俺、これからどうしよう」
額に手の甲を当てて、俺はこの先どう生きていくか考え始めた。
俺には前世の知識があるため、学校に入っても勉強に遅れを取ることはないだろうと自負している。順調にやれば、前と同じ大学生にもなれる。普通の人生を送る分には本当に何も問題ない。
しかし今の俺には、人生を楽しむことができるか疑問だった。仮面ライダーのいない世界なんて、俺にとってはまさに生き地獄もいいところだ。
もし神様がいるとすれば、問いたかった。
何故、俺を転生させたのかと。
どうして、あのまま死なせてくれなかったのかと―――
「……ねぇ、君」
「ん?」
するとその時、俺に誰かが声をかけてきた。
額に置いた腕を退けて目を開けると、そこにはヒーローの人形を持った俺と同い年くらいの男の子がいた。
髪は癖毛が目立つ僅かな緑がかった黒、頬にはそばかす、丸く大きな目が特徴的な顔立ち。
広場でヒーローごっこをしていた子供ではないが、どこかで見たようなと思考を巡らせていると、俺は該当する人物を思い出した。確か今通っている幼稚園で見た子だ。
彼は、俺を心配するような表情で見ている。
「大丈夫? 具合でも悪いの?」
「……平気だよ、ちょっと落ち込んでただけだから。心配させてごめんね」
どうやら彼は、俺が体調を崩したと思ったらしい。
あながち間違ってはいないが、俺はそれで先程一瞬でも良くない考えが頭に過ったことに気づき反省した。これ以上ここにいるべきじゃないと思った俺は、その子に謝罪するとベンチから立ち上がってその場を去ろうとする。
「……ねえ!」
しかし、その歩みは彼の一声ですぐに止まる。
俺は振り返って彼と目を合わせた。
「僕でいいなら、話聞かせてもらってもいいかな?」
彼は俺に向かってそう言ってきた。
俺は疑問に思った。彼と俺は同じ幼稚園に通ってはいるが、話したことはなかったはずだ。ほぼ見ず知らずの人間の俺に、なぜ彼はそんなことを言ってくれるのだろうかと。
その疑問は、思わず言葉として俺の口からこぼれた。
「……なんで?」
「なんでって、君が、助けを求めてる気がしたから……」
この時のことは忘れられない。
その言葉を口にした彼の姿は、あの時誰よりも輝いて見えたから。
【次回予告】
我らが風岡ライダー、次のお話は……。
失意の底にいた雄次郎に、やさしく話しかけてきた少年・緑谷出久。
ヒーローについて熱く語る彼の言葉は、雄次郎の心に熱い火を灯す。
次回
『
に、ご期待ください。
不定期投稿としていましたが、今後は週1回(19:30)の定期投稿に切り替えようと思います(話のストックがある際は随時更新します)。ベースとなる「更新曜日」について皆様の希望を伺わせてください。
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土
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日