私の息子―――雄次郎は、突然倒れたあの日を境に変わった。
言葉遣いは妙に丁寧になり、考え方もどこか達観していて、同い年の子どもたちとは違う空気をまとっている。端的に言えば、大人びている。
もちろん、子どもが成長してくれるのは親として嬉しい。けれど、それはあまりにも急すぎた。
特に驚いたのは、雄次郎が急にパソコンを扱い始めたことだ。
最初はただの興味かと思って触らせてみたけれど、あの子はキーボードの打ち方も、マウスの動かし方も、検索の仕方も、まだ教えていないのにちゃんとできていた。まるで“前から知っていた”みたいに。
4歳児が、あんなに自然にパソコンを使えるものだろうか。それに、どうも私の知らないヒーローについて真剣に調べているようで、その姿が異様に感じられた。
(……雄次郎、あんたどうしたのよ?)
雄次郎は何かを抱えている。そんな気がしてならなかった。
でも、それが何なのかは分からない。
本人に聞いても「大丈夫だよ」と笑ってごまかすばかりで、私にはその奥が見えなかった。無理にでも聞こうと思えばできるが、それはやってはいけない気がして、私は踏みとどまった。
元プロヒーローでありながら、実の息子を助けられない。親として何もしてやれないことを、私は非常に悔しく思った。
だが、そんな不安を抱えていた日々も、突如終わりを告げた。
ある日、一人で散歩に出かけた雄次郎が「友達ができた」と言って帰ってきたのだ。
あの時のあの子の顔は、まるで憑き物が取れたかのように、久しぶりに年相応の“子どもの顔”をしていた。それ以来、雄次郎は少しずつ柔らかい表情を見せるようになった。
私は嬉しかった。息子が何を払拭したのかは結局分からずじまいだったが、きっとその子が雄次郎を救ってくれたのだろう。そんな友を息子が持てたことを、私は喜ばずにはいられなかった。
それから月日は流れ、七月の下旬。今日も雄次郎はその友達と遊ぶ約束をしているらしい。噂をすれば、玄関からインターフォンの音がリビングに響いた。
「はーい」
私は返事をしながら玄関へ向かう。
扉を開けた瞬間、ふわりと緑色の癖毛が揺れた。
「こ、こ、こんにちは!」
「あら、出久くん。いらっしゃい」
そこに立っていたのは、雄次郎が“友達”と呼んでいた男の子―――緑谷出久くん。
何度か家に来てくれているが、彼はいつも少し緊張したように肩をすくめていて、その礼儀正しさと素直さがとても可愛らしい。
私が声をかけると、出久くんはほっとしたように表情を緩めて聞いてきた。
「えっと、ゆうちゃん、いますか?」
「ちょっと待っててね。雄次郎ー、出久くん来てるよー」
「今行く〜」
二階の奥から、雄次郎の返事が玄関に聞こえてくる。
少し待っていると、雄次郎が階段を降りてきて姿を見せる。
「ゆうちゃん!」
「いずっくん、お待たせ」
玄関に現れた雄次郎は、いつもの落ち着いた表情ではなく、年相応の子どもらしい笑顔を浮かべて出久くんと話し始める。
その顔を見るだけで、私は安心する。どれだけ大人びたとしても、私の息子もちゃんと“子ども”なんだと。
「じゃあお母さん。行ってきます」
雄次郎が靴を履きながら振り返る。
その声はどこか誇らしげで、頼もしくて、でもやっぱり幼くて、愛おしい。
「行ってらっしゃい」
私は自然と優しい声を返した。
二人が並んで外へ出ていく後ろ姿を見送りながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。
正直、まだほんの少しだけ、心配は残っている。でも雄次郎は一人じゃない。
私はそっと玄関を閉め、小さく息をついた。
―――――
「はぁ~……、き、緊張したぁ……」
「いい加減慣れなよ、いずっくん。そんなじゃいつまで経っても立派なヒーローになれないぞ? 初めて家に来たときも気絶してたしさ……」
家を出て公園へ向かう道中、いずっくんは胸に手を当てて大きく息を吐いた。
彼はうちに来るたび、玄関で母さんと会話したあとに魂が抜けたみたいな顔をする。初めて家に招待したときなんて、立ったまま失神したものだから、俺と母さんが相当焦ったのを今でも覚えている。
少しからかうように指摘すると、いずっくんは情けない声を漏らしながら反論してきた。
「だ、だって……、ゆうちゃんのお母さんが、まさかサイクロン・レディだなんて。僕聞いてなかったもん……」
「……前から思ってたけど、うちの母さんそんなにすごいヒーローなの?」
いずっくんがうちに来るたびに緊張している理由は、ほぼこれに尽きる。
俺にとって母さんは、優しくて料理が上手くて、ちょっと心配性なだけの“普通の母親”だが、どうやらそれは俺の中だけの話らしい。
いずっくんは目をまん丸にして、まるで信じられないものを見るような顔をした。
「すごいも何も! サイクロン・レディといえば、ヒーローチャートでNo.4になったこともある超実力派ヒーローだよ!? 全盛期はあのNo.2のエンデヴァーにも迫る事件解決数を誇ってたし、引退した今じゃ大手サポート会社の社長なんだから!」
「はぁ~」
思わず間の抜けた声が出た。
いずっくんはヒーローのことをよく調べていて、これまでオールマイトをはじめ、いろんなヒーローの情報を俺に語ってくれた。その知識量は、俺の仮面ライダーに関するそれにも引けを取らず、正直感心している。
もちろん、俺もこの世界の母さんの経歴についてはすでに調べているので、大体は把握している。
オールマイトやエンデヴァーといった超有力ヒーローたちの母校―――国立雄英高等学校(通称:雄英高校)のヒーロー科を卒業。20代前半で独立し、ヒーロービルボードチャートJPでNo.4に上り詰めるのと同時に、雄英在学中に取得したコスチューム開発のライセンスで自らサポートアイテムを多数開発。その後、父と結婚し、俺を妊娠したのを機にプロヒーローから引退。現在は父と共に立ち上げたサポート企業『サイクロン・エンタープライズ』の代表取締役社長となり、サポートアイテムの大手メーカーとしてヒーローの活動を支えている。
字面だけ見れば、この世界の母さんは、どうもかなりのハイスペック人間らしい。
(……でも正直、そんな実感ないんだけどなぁ)
あまりにも情報量が多いのと、自分が別世界から転生してきたこともあって、俺はそのすごさがいまいちピンと来ていなかった。強いて言えば、会社の社長をやっているのはなんとなくすごいとは思うが。
「……でもいいなぁゆうちゃん。サイクロン・レディがお母さんなら、きっと個性も風を使えるんじゃない? 前に話してくれた仮面ライダーも、風で変身するんでしょ? ぴったりじゃん」
「……そうだなぁ。早いとこ出てくれたら、母さんに“個性”訓練とかも頼めるんだけどなぁ……」
いずっくんの言葉で、俺は無意識に自分の手を見つめて、“個性”のことを考え出す。
母さんの“個性”『疾風』は、空気のある場所なら風を自在に発生させ、それを操ることができるそうだ。
もし俺がその“個性”を無事受け継げていれば、それは俺のイメージする仮面ライダーを体現するのに非常に好都合だろう。
―――ただ、まだ発現の兆候が見えない今は、本当にそんな力が自分にあるとは思えなかった。
「ま、なるようになるでしょ」
そうして俺は考えるのを止めて、いずっくんと公園を目指した。
―――――
「よしゆうちゃん! 今日も
公園に着くなり、いずっくんは弾む声で俺に提案してきた。いつものことだが、この瞬間のいずっくんは本当に嬉しそうだ。
俺たちはいつも通り、ヒーローごっこを始める準備に取りかかった。
「いいぞ、じゃあまずじゃんけんな?」
ヒーローごっこの役決めは、いつもじゃんけん。勝った方がヒーロー役、負けた方が敵役。公平でシンプルなルールだ。
「「じゃん、けん、ぽん!」」
手を出した瞬間、いずっくんの顔がぱっと輝いた。
「よっしゃあ! じゃあまずゆうちゃん敵役ね」
「あー、負けたー。いいよ」
最初はいずっくんがヒーロー役、俺が敵役に回ることになった。
同じ年頃の子なら普通は嫌がるかもしれないが、俺はそんなに嫌いじゃない。むしろこの機会は、ある意味俺にとって“楽しい時間”が始まるからだ。
俺は深呼吸し、頭の中で“とある敵”をイメージして喉を震わせた。
「……アビアビアビー!! 俺様はシオマネキング!! この公園を侵略し、ショッカーのアジトにする!!」
初代仮面ライダーに登場したショッカーの怪人、シオマネキング。
俺が前の世界で見ていた仮面ライダーの怪人の中でも、妙に印象に残っていた怪人だ。ハサミの腕を振り回しながら、「アビアビ」と独特な口調で喋るのが特徴。
そう、俺はいずっくんとのヒーローごっこで、前の世界で見てきた仮面ライダーの怪人たちの動きや声を再現しているのだ。
俺が怪人ムーブをしていると、突然背後から高笑いが響いた。
「ハァーハッハッハッ!!」
「ん!? 誰だ!!」
声の方向を見ると、すべり台のてっぺんに小さな影が立っていた。
風に揺れる緑の髪。胸を張り、拳を握りしめ、ヒーローらしいポーズを決めている。
「悪巧みもそこまで!! ……何故って?」
いずっくんは大きく息を吸い込み、尊敬するヒーローの決め台詞をオマージュして言った。
「僕が来た!!」
「出たな! オールマイトJr!!」
(……今更だけど、それってこの世界のヒーロー名としてどうなんだろう?)
いずっくんのヒーロー名は『オールマイトJr』。
尊敬しているのは分かるが、その対象が実在の人物なだけあって、あまりにも直球なそのヒーロー名に俺は心の中で苦笑してしまう。まあ、本人が楽しければそれで良しとしよう。
いずっくんはすべり台を滑って地面に降りると、俺に向かって攻撃を仕掛けてきた。
運動があまり得意でないのか、その動きはどこかぎこちないが、気持ちだけは本物のヒーローなのが伝わってくる。
俺はそれを受け流しつつも、適度に反撃を加える。傍から見ると、格闘技の手合わせをしているように見えるだろう。
「アビアビー……、なかなかやるなぁ!」
「そちらこそ!」
俺たちはお互いを讃えながら、さらに戦いを続ける。
これは、俺がいずっくんに提案した一種の“特訓”でもある。
ヒーローというのは基本的には肉体労働になるため、やはり体を鍛えなきゃいけない。でも、4歳児で本格的な筋トレをやるのはさすがに無理なので、まずは遊びの中に自然と体の使い方を覚える動きを混ぜてみようと思い、このごっこ遊びを始めてみた。
俺は前の世界で見てきたボクシングなんかの格闘技の動きをイメージする。完全に我流だが、それなりに様にはなっているだろう。いずっくんもそれを完璧に理解しているわけではなさそうだが、楽しそうに真似してくれる。
遊びを楽しみつつ、体も鍛える。これが、
(そろそろかな?)
しばらく取っ組み合いをした後、俺は仕上げに“あえて大げさに”腕を振り、隙を作った。
「今だ!」
それに気づいたいずっくんが、目を光らせて腕を大きく振りかぶる。
「テキサスゥーー!! スマーッシュ!!」
「アビー!?」
いずっくんの小さな拳が俺の胸に当たる。もちろん本気じゃない。でも、勢いだけは全力だ。
俺は大げさに吹っ飛んだふりをして、地面に転がった。
「……こ、これで終わったと思うなよ!!」
最後の悪あがき。怪人は簡単には倒れない。それが“お約束”だ。
「我らショッカーは、永久に不滅だーーー!!! ドカーーーン!!!」
俺は爆発音を口で言いながら、地面に倒れ込み、両手両足を投げ出す。砂の匂いと、春の風が頬を撫でる。
いずっくんは胸を張り、ヒーローらしく腕を突き上げて勝利を誇っていた。
「……お前ら、また二人でヒーローごっこしてんのか?」
するとその時、いずっくんとは違う、聞き慣れた声が耳に入った。
上体を起こすと、逆光の中に金色の爆発みたいな髪が揺れていた。
「おー、勝己」
勝己は俺たちを見ながら、口の端を吊り上げた。
「お前らはまず、“個性”出すのが先なんじゃねぇの?」
勝己が掌を見せつけると、パチッと火花が散る。彼は俺やいずっくんと違い“個性”が発現しているのだ。
掌の汗腺から分泌されるニトロのような液体を爆発させる『爆破』。
幼い身体には過剰なくらいの火力を持つ、ヒーロー向けと言っても過言ではない“個性”だ。本人もそれを誇りにしている。
「それはまあそうだけど、体を動かして運動能力を養うことも大事だと思うよ。どんな“個性”を持ってたって、最後の最後に信じられるのは自分の体だけだからね」
俺がそう言うと、勝己は鼻で笑った。
「へっ、だとしても俺には勝てねえけど、なっ!」
言い終わると同時に、勝己は地面を蹴った。
その動きは速い。俺がさっきいずっくんを相手にしたときの動き。重心移動、踏み込み、腰の回転。全部、完璧に再現している。
「すごいかっちゃん! ゆうちゃんの動きと同じ!」
「やるな才能マン」
俺が軽く言うと、勝己は得意げに顎を上げた。
「これくらいできて当然だろ? 雄次郎はともかく、デクはほんとどんくさいよな」
「うう……」
いずっくんが肩をすくめる。俺はそれを見て思わず勝己をたしなめた。
「こらこら勝己。いずっくんのことデクなんて言わないの」
「だってこいつ、なんも出来ねえんだからしかたねぇじゃん。雄次郎もいつまでデクに合わせるつもりだよ?」
勝己は俺の言葉に耳を傾けようとしなかった。だがその心理も、分からなくもない。
彼は天才だ。努力もするが、それ以上に“出来てしまう”タイプ。“個性”についてももうある程度使いこなせている。
だからこそ、出来ない人間の気持ちが分からないのだろう。運動があまり得意じゃないいずっくんを、彼の名前の読みから、『デク』というあだ名をつけて呼んでいるのもその表れだ。
俺はゆっくり立ち上がり、勝己の目を見て言った。
「……出来るからこそ、出来ない人と同じ視点に立ってみて、何処で躓いているのか見る必要があるんだよ」
勝己の眉がぴくりと動く。
「突き放して一人先に進むのは簡単だけど、それだと最後には自分一人しかいなくなるし、いつか壁にぶち当たって何もできなくなる。だからこそ、時に助けてあげて、時に助けてくれる仲間の存在は重要なんだ。ヒーローは助け合い、でしょ」
俺は助け合いの大切さを説くも、勝己はそっぽを向いて吐き捨てた。
「……けっ、勝手にしてろよ」
勝己は背を向け、歩き出しながら言った。
「いいか? お前らがどんな“個性”出ようが、俺には敵わねえぜ。俺はオールマイトみてえに、一人でも戦いに勝っちまう強いヒーローになるんだからな」
「……楽しみにしておくよ」
俺が言うと、勝己は振り返らずに手をひらひらと振った。
勝己が見えなくなるまで見送ってから、隣を見ると、いずっくんがしょんぼりとうつむいていた。
「……ごめんゆうちゃん。僕が出来ないからって」
「気にすんなよ、いずっくん。じゃ、今度は俺がヒーロー役な?」
顔を上げたいずっくんの目が、ぱっと輝く。
「……うん!」
その笑顔を見て、俺も自然と笑った。
俺たちはまた、二人でヒーローごっこを始めるのだった。
―――――
「ただいまー」
日が沈みかけた頃、俺はいずっくんと別れて帰宅した。
あの後、全力ヒーローごっこをしたのもあって、靴を脱ぐ足取りが少し重い。まずは手を洗おうと洗面台へ向かった。
「おかえり、雄次郎。食器出すの手伝ってくれる?」
「うん、わかった」
手を洗ってリビングに行くと、母さんが迎えてくれた。
キッチンの方から良い匂いが漂ってくる。
(このスパイスの香り……、今日の夕飯はカレーだな)
思わず涎が出そうになるのをこらえながら、俺は母さんの手伝いを始めた。
その時、食器を持つ自分の手を見て、俺はふと今日公園で見た勝己の“個性”のことを思い出した。
「……ねえお母さん。お母さんって“個性”っていつ頃出た?」
「え? うーん……、あんまり覚えてないかも。気づいた時にはもう使えてたし」
俺の質問に、母さんは首をかしげながら答えた。大方予想通りの答えだ。
調べたところ“個性”というものは4歳までには発現するものらしい。だから物心つく頃には使えるようになっている人が多い。
母さんも恐らくその部類で、発現に苦労はなかったのだろう。
「雄次郎は、まだ使える感じしない?」
「しないかなぁ……」
俺もいずっくんも今年で4歳になるが、まだ“個性”が出ていない。同い年の勝己はもう立派に『爆破』を使いこなしているので、焦りがないと言えば嘘になる。
ただ、転生した俺には、“個性”は完全に未知の力。期待も大きいが、本当にそんな力が自分に宿り、意のままに扱えるのか、正直疑問に思う。
そうやって自分の手を見つめていると、母さんは少しだけ考えるように視線を落とし、それから優しく言った。
「……もしあれだったら、今度お医者さんに相談に行ってみる?」
「……うん、考えとく」
そう答えを返して、俺は夕食の準備を続けた。
―――だが今思えば、この時の俺の直感は当たっていたのだろう。
後日、母さんが提案した通り病院で検査を受けた俺は、診察室で医者からあることを告げられた。
「諦めたほうがいいね」
あまりにも冷たく、あっけないその一言は、俺が目指す夢の旅路に“巨大な壁”が立ちはだかっていることを、容赦なく突きつけてきた。
【次回予告】
我らが風岡ライダー、次のお話は……。
病院での検査により、“無個性”という診断を下された雄次郎と出久。
果たして二人の『ヒーローになる』という夢は、ここで潰えてしまうのか。
次回
『“
に、ご期待ください。
不定期投稿としていましたが、今後は週1回(19:30)の定期投稿に切り替えようと思います(話のストックがある際は随時更新します)。ベースとなる「更新曜日」について皆様の希望を伺わせてください。
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