クルミ「無茶しやがって...」
「――ここは一度手を引こう」
ノイズ混じりの捨て台詞を残し、ゴーストの姿が陽炎のようにかき消えた。壊されたデバイスから漏れ出していた異様なプレッシャーが霧散し、店内にようやく「本物の時間」が流れ始める。
「帰った……か。二度と来ないでほしいものね……。はぁ……」
るーあは、膝をついたまま床に突っ伏した。アドレナリンが引くと同時に、全身を襲うのは凄まじい倦怠感だ。視界は戻ったものの、焦点がうまく合わない。
「るーあちゃん! 大丈夫!?」
「るーあさん、返事をしてください! 脈拍が……速すぎます!」
千束とたきなが駆け寄る。千束の温かい手が肩に触れた瞬間、るーあの意識は急速に遠のいていった。
「……というわけで、本日は臨時休業だ。常連さんたちには私から連絡を入れておく」
ミカの重々しい声が、静まり返った店内に響く。入り口のドアには『本日急用により休業』の札が掛けられた。
二階の自室。るーあはベッドに横たわり、額に冷たいタオルを乗せられていた。鼻血は止まったが、顔色は紙のように白い。
「クルミ、彼女の脳波のデータはどうだ?」
パソコンを叩くクルミの手が止まる。
「最悪、の一歩手前だね。さっきの『モノクロの世界』、あれは脳が現実の情報を処理しきれずに起こした強制的なセーフモードだよ。それを無理やりこじ開けて反撃したんだ。……今のるーあの脳は、オーバーヒートした高級PCみたいなもんさ」
「……私の特訓が、早すぎたのでしょうか」
たきなが、絞ったタオルを握りしめて俯く。
「……ん……。たきな、さん……? 反省会なら、もうちょっと……寝かせてからにして、ください……」
消え入るような声で、るーあが薄目を開けた。
「るーあちゃん! 気がついた? 良かったぁ……。もう、あんな変な顔して固まるんだから、心臓止まるかと思ったよ!」
千束が安堵の表情で顔を覗き込む。るーあは力なく笑った。
「……すみません。せっかくのモーニング、台無しにしちゃって。……でも、あの小倉トースト、一口も食べてないのに、味の『因果』だけは完璧に観測済みなんです。……絶対美味しいやつですよね」
「もう、そんな時に食べ物の心配!? どんだけ食い意地張ってるのさ!」
千束のツッコミに、部屋の空気が少しだけ和らぐ。だが、ミカの表情は晴れない。
「るーあ。お前の『躍進』は、もはや個人の限界を超えつつある。……第二章に入ってから、敵の質も変わった。……しばらくは、リコリスの任務もバイトも禁止だ。いいな」
「……。……。……はーい。……じゃあ、有給休暇ってことで、お願いします……」
るーあは再び深い眠りに落ちた。
リコリコが静かな眠りについている頃。
街のビルボードの裏側で、ゴーストが己の腕を修理していた。
「……『意志』による強制介入。想定以上のイレギュラーだ。……だが、観測すればするほど、彼女の命の灯火は削れていく」
背後のモニターに、ロボ太の顔が映し出される。
『ヒヒッ! 臨時休業だってさ。今のうちにトドメ刺しちゃう?』
「……。いや、まだだ。……彼女が自ら、その力を『呪い』だと感じるまで追い詰める。……それが、最も効率的な『調整』だ」
平和を願うリコリコの灯火が、今、かつてないほど細く揺れていた。
追記ログ:本日は臨時休業でした。