「暗号はわりと簡単で助かった(大嘘)」
るーあは、ホログラムディスプレイを閉じながら、強がって鼻を鳴らした。額にはうっすらと汗が浮かび、肩は心なしか小刻みに震えている。
「嘘つけ。解読に丸二時間かかっているだろ。本当にお前は未来を視ているのか?」
シンが呆れたように、冷めた缶コーヒーを差し出した。隣で見ていた彼からすれば、るーあが「あーでもないこーでもない」と頭を抱え、時には亜空間の数式をブツブツと呟きながらのたうち回る姿は、およそ「天才観測者」のそれには見えなかった。
「うるさいなー! かかるときはかかりますー! 未来は一本道じゃないんです、無数のスパゲッティの中から当たりを引くのがどれだけ大変か……数学Aが苦手な私を褒めてくださいよ!」
「……。まあ、解けたのならいい。で、場所はどこだ」
るーあが指し示したのは、再開発が止まり、地図上から半ば抹消された旧臨海地区の一角だった。
「ここです。アランのシステムが『観測の死角』として処理している場所。……物理的には存在するのに、DAの監視網からも、アランのデータベースからも、認識が弾かれるように設定されています」
「……『偽りの均衡』か。表向きは平和な街を維持するために、不都合なバグをすべてこのゴミ捨て場に押し込めているわけだな」
二人は地下道を抜け、潮風の香るその街へと足を踏み入れた。
そこは、時間が止まったような場所だった。錆びついた鉄骨、割れたショーウィンドウ、そして――街の至る所に配置された、無機質な監視ドローンの残骸。
「……シンさん、気をつけて。ここ、死角って言っても『安全』って意味じゃないです。アランにとっての『実験場』ですよ」
るーあが暗号のキーを空間に打ち込むと、モノクロだった景色に、ノイズ混じりの「色」がつき始めた。
「クルミさんの言った通りだ……。ここにあるデバイスをハッキングして、私の観測眼と同調させれば、この街全体を巨大な『隠れ家(クローク)』に書き換えられる」
「……。だが、それをお前がやれば、アランに居場所を教えるようなものではないのか?」
「いいえ。私がやるのは、居場所を教えることじゃなくて――」
るーあの瞳が、かつてないほど深い青に染まる。
「『この街そのものが、最初から存在しなかった』という因果を、全世界のネットワークに叩き込むんです。……10分だけ、時間を稼いでください。私の脳が焼き切れる前に!」
「……。……承知した。……お前の背後は、元調整者が受け持つ」
シンがボウガンを構え、周囲の物影に潜む「何か」に向けて視線を鋭くした。
偽りの均衡を壊し、真実の死角を手に入れるための、命懸けの「現実改変」が始まった。
追記ログ:改変作業はもはや人間がやっていいことだろうか?