リコリス新人アルバイト『るーあ』の観測日記   作:田上るーあ

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第四十話「10分間の境界線、迫る掃除屋」

「まだか!?」

 

シンの怒号が、錆びついた鉄骨の間を縫って響く。彼の構えるボウガンからは、特殊な電磁パルスを帯びた矢が立て続けに放たれていた。

前方からは、アランの「掃除屋」たちが投入した無機質な戦闘ドローンの群れ。それらは、るーあが書き換えようとしている「現実」の拒絶反応のように、次から次へと虚空から這い出してくる。

 

「あとちょっと!! 数字が、数字がスパゲッティ状態で絡まってるんです!!」

 

るーあは、空中に展開された膨大な演算ウィンドウの中に、文字通りダイブしていた。

彼女の周囲では、空間がバグったビデオテープのように激しく明滅している。書き換えの進捗は85%。だが、その代償として彼女の脳にかかる負荷は、鼻血どころか意識を白濁させるほどに膨れ上がっていた。

 

「早くしろ! もうこっちは限界だぞ!!!」

 

シンの背後、数メートル先までドローンの自爆特攻が迫る。

彼はボウガンを投げ捨て、予備のタクティカルナイフを逆手に持った。調整者としての意地だけで、迫り来る「システムの掃除屋」を物理的に叩き伏せる。

 

 

 

残り時間、1分。

 

「……あ、あはは。……見えた。最後のピース……これだぁぁぁ!!」

 

るーあが、演算の海の中にあった「虚無の数式」を掴み取り、それを現実の座標へと叩きつけた。

 

――パリンッ!!

 

世界が、ガラスが割れるような音を立てて静止した。

迫り来ていたドローンも、空を切り裂こうとしていた掃除屋の弾丸も、すべてが「無かったこと」として空間から消滅していく。

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……。……セーフ、ですかね……?」

 

るーあは力なく地面に膝をついた。

彼女の瞳から青い光が消え、代わりに街全体が「誰も認識できない透明なドーム」に覆われたような、奇妙な静寂が訪れる。

 

 

 

 

「……。……。……消えた、のか?」

 

シンは、目の前で霧散した敵の残骸を呆然と見つめた。

今、この旧臨海地区は、世界のあらゆるデータベースから「存在しない座標」として隔離された。アランのシステムは、ここを検索しようとした瞬間に「エラー404」を返し、思考を停止する。

 

「やりましたよ、シンさん。……これで、私たちは誰にも見つからない。……リコリコのみんなも、これで狙われる理由は……なくなるはず……」

 

るーあの声が次第に小さくなる。

そのまま彼女の体は、限界を超えた演算の反動で、ゆっくりと横に倒れ込んだ。

 

「……おい、るーあ! しっかりしろ!」

 

シンの焦燥に満ちた声が、静寂に包まれた「死角の街」に響く。

地面に倒れたるーあの体は、熱を出したかのように熱く、呼吸は浅い。書き換えられた世界(システム)の拒絶反応を、彼女の小さな脳がすべて引き受けた代償だ。

 

「……あ、れ。……シン、さん……。……空が、ピンク色……」

 

「……。……脳が焼けて幻覚を見ているのか。……いや、違うな」

 

シンが空を見上げると、そこには現実の夜空ではなく、オーロラのような光が渦巻く「異空」が広がっていた。るーあが因果を書き換えた結果、この街は完全に通常の物理法則から切り離され、彼女の深層心理が反映されたような特殊な空間へと変貌していたのだ。

 

 

 

 

数時間後。

廃ビルの屋上。シンが見つけてきたカセットコンロの上で、古びたヤカンがシュンシュンと音を立てていた。

 

「……ん。……いい匂い」

 

るーあがゆっくりと上体を起こす。視界はまだ少し歪んでいるが、最悪の頭痛は引いていた。

 

「気がついたか。……食料品店で見つけてきた茶葉だ。賞味期限は怪しいが、毒ではないらしい」

 

シンが差し出したのは、ひび割れたマグカップに注がれた紅茶。

一口啜ると、それは驚くほど「リコリコ」で飲んでいたハーブティーに近い味がした。

 

「……美味しい。……変ですね。ここ、現実じゃないはずなのに。味まで再現されてる……」

 

「お前の『観測』が、この街を形作っているからだ。お前が望んだ平穏が、この茶葉に宿ったんだろう」

 

シンは、るーあから少し距離を置いて座り、自身のボウガンの手入れを再開した。

 

 

 

 

「……シンさん。私、リコリコのみんなに会いたいな」

 

ぽつりと、るーあが本音を漏らす。

この「死角の街」は安全だ。アランもDAも、ここへは手を出せない。

だが、そこにあるのは再現された「味」だけで、千束の笑い声も、たきなの厳しい小言も、ミカの淹れる本物のコーヒーもない。

 

「……。……ならば、帰ればいい。……お前がこの街の『均衡』を維持し続けられるなら、追っ手はもう来ない」

 

「……。……それは無理です。……私がここに居続けることは、世界にずっと『穴』を開け続けること。……いつか、この歪みがリコリコを飲み込んじゃう」

 

るーあは、マグカップに残った最後の一滴を飲み干した。

その味は、温かいのに、どこか「孤独」の味がした。

 

「……決めました。……この街を、アランへの『罠』に作り替えます。……私たちが逃げる場所じゃなく、あいつらを閉じ込める場所に」

 

「……。……やはり、お前はただの観測者では終わらないな」

 

シンは立ち上がり、武器を背負った。

目覚めのティータイムは終わり。

異空の味を知った少女は、再び「戦う観測者」として、自分の居場所を取り戻すための次の一歩を踏み出そうとしていた。




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