カランカラン……。
「――どうも、戻りました」
力なく扉を開け、幽霊のような足取りで入ってきたるーあ。先ほどまでの「世界を救った観測者」の面影はどこにもない。声のトーンは地を這うほどに低く、その表情は絶望に染まっていた。
それもそのはずである。
店のカウンターには、巨大なガラスボウルに盛られた、山のような「特製・超巨大お詫びパフェ」が鎮座していたからだ。しかも、それが10個。
「おかえり、るーあちゃん! 無事でよかったぁ!」
千束が満面の笑みで駆け寄り、るーあの背中をバシバシと叩く。
「さあさあ、約束通り! 溶けないうちに全部食べちゃってね。たきなが温度管理もバッチリして待ってたんだから!」
「るーあさん。勝手な単独行動、そして無断欠勤。……糖分で脳を活性化させて、反省文100枚を書き上げる体力をつけてください」
たきなが、ストップウォッチを片手に冷徹な笑みを浮かべる。横ではミカが、静かに「お代わりの生クリーム」をボウルに追加していた。
「……。……。……シンさん、助けて……」
るーあが背後を振り返るが、そこにシンの姿はなかった。彼は店の入り口で「……私は関係ない」という顔をして、すーっと気配を消して街の雑踏へ消えていった。
「……いただき、ます……」
るーあは震える手でスプーンを持ち、一口、パフェを口に運んだ。
冷たくて、甘くて、そして少しだけしょっぱい。
「……おいしい。……やっぱり、ここの味が一番、観測しやすいです……」
「でしょ? 戻ってきたら、まずはリコリコの味に慣れないとね!」
千束が隣に座り、るーあの頭をくしゃくしゃに撫でる。
アランの追っ手も、因果の書き換えも、孤独な潜伏生活も。すべてはこの「騒がしくて温かい日常」に戻るためのプロセスに過ぎなかった。
「るーあさん。食べ終わったら、制服に着替えてください。予約が詰まっています」
「……え、今からシフトですか!? パフェ10杯食べた後に!?」
「当然です。有給休暇は昨日で消化済みですから」
たきなの容赦ない言葉に、るーあは「ひぇぇぇ」と悲鳴を上げる。
窓の外には、いつも通りの平和な街並みが広がっている。
るーあが命懸けで守り、書き換えた世界。
そこにはもう、彼女を縛る番号も、システムの呪いもない。
「はぁ……。よし、食べますよ! 食べればいいんでしょ!」
るーあは覚悟を決め、二口目のパフェを勢いよく頬張った。
喫茶リコリコ、本日も通常営業中。
最強の観測者は、今、最高に幸せで最悪な「日常」へと、確かに帰還したのだ。
「……ふぅ。……もう、甘いものは一年分見たくないです……」
「何言ってるの、るーあちゃん! 明日は新作の『マシュマロ・メガ盛りココア』の試飲があるんだからね!」
千束の無慈悲な追い打ちに、るーあはカウンターに突っ伏した。たきなは隣で、満足げに完食のチェックを付けている。
夕暮れ時。
客足が途絶え、店内に穏やかな西日が差し込む。
ミカが淹れるコーヒーの香りが、かつての殺伐とした「逃亡者」の記憶を優しく上書きしていく。
「……ミカさん。アランのデータ、本当に消えちゃったんですよね?」
「ああ。クルミが確認した。お前が仕掛けた逆流(バックドラフト)によって、お前とシンの記録は完全に修復不能なゴミデータになったよ。……今のお前は、ただの『るーあ』だ」
ミカの言葉に、るーあは自分の掌を見つめた。
躍進した力は、今もそこにある。
けれど、それはもう「システム」に縛られるためのツールではない。
「……。……。……良かった」
るーあは、店の窓際にあるいつもの席に座り、そっと瞳を閉じた。
観測眼を、少しだけ遠くへ飛ばす。
1時間後、たきなが夕食の献立で千束と揉める未来。
1週間後、シンが近所の公園で猫に餌をあげている、意外と平和な未来。
1ヶ月後、リコリコに新しい季節のメニューが登場し、行列ができる未来。
そして――。
ずっとずっと先。
髪が少し伸びた自分たちが、相変わらずこの店で笑い合っている、輝くような未来。
「……見えました。……最高にハッピーなエンドです」
「何一人でニヤニヤしてるの、るーあちゃん。ほら、看板の片付け手伝って!」
「あ、今行きます! 千束さん、ちょっと待ってくださいよー!」
看板をしまい、店の明かりを落とす。
るーあは最後にもう一度だけ、夜空を見上げた。
かつては「因果の糸」しか見えなかったその瞳に、今はただ、美しい星空が映っている。
「……さようなら、4050番。……よろしくね、リコリコのるーあ」
彼女は小さく呟くと、仲間たちの待つ温かい光の中へと飛び込んだ。
たとえ世界がどんなに歪んでも。
たとえ新たな敵が、明日を脅かそうとしても。
最強の観測者がいる限り、この「居場所」は決して揺るがない。
追記ログ:るーあの観測は、これからも続いていく...