新年度のスタートとして、色々な事が新しくなります。
そんな春に、自らの結婚生活に終止符を打ち、
新しい生活への一歩を踏み出そうとする女性が一人…
「長かった…」
市役所の前に立った私は思わず呟く。
実際、長かった。
ふと心配になってカバンの中にちゃんと茶封筒があるか確認する。
その動作も今日何度目だろう。
それほどまでにこの茶封筒の中に収められた書類は私にとって重要だった。
茶封筒の中は離婚届。
20年の結婚生活に終止符を打つその書類を、
私が手に入れるまで3年の月日が費やされた。
私は、その3年間を思い出しながら、
「本当に、長かった」
と震える声で呟いた。
はじめ、旦那は冗談だと思っていた。
何度説明しても
「はい、はい」
と流された。
それでも私は諦めなかった。
そのうち、旦那は離婚の話題をすると不機嫌になるようになった。
「もう良いだろう!良い加減にしろ!疲れているんだ」
それ以上その話題を口にするな。
彼の態度から言いたい事は分かった。
それでも引かなかった。
なおも離婚を迫り続ける私に、
「誰のおかげで生活出来てたと思ってやがる!ふざけんな!」
と怒鳴る事が増えてきた。
以前の私ならそれだけで萎縮していた。
でも、今回は違う。
子供達も独立して家を出た。
私も働き口をすでに確保してある。
先日、最近流行りのマッチングアプリとかいうのにも登録した。
まだ直接会ったりはしていないけど、
1日に何件も届くデートのお誘いに、
「私もまだまだ満更ではない」
と自信を持つ事が出来た。
怒鳴る旦那に怯まず、私は離婚を迫り続けた。
そんな旦那も根負けしたのか3月の半ばくらいから
「離婚届を書いても良い」
と言い出すようになった。
私は気が変わらないうちにと、
既に3年前からあらかじめ準備をしていた離婚届を取り出し、
旦那に記入するように言って渡す。
その書類がついに返ってきたのだ。
昨日、旦那が家に帰ると、
「ほら、書いてきたぞ」
と仏頂面で渡してきたのだ。
私は受け取るとその場で記入漏れがないかしっかり確認する。
そんな、私を旦那は鼻で笑いながら、
「そんなに離婚したいんだな」
と自嘲を交えて諦め顔で言った。
「当たり前でしょ」
私は冷たく言い放つ。
それを聞いてこれ以上話しても無駄とばかりに、
「とりあえず休ませてくれ、仕事でクタクタなんだ」
とリビングに向かって歩いていく。
その背中を見送るでもなく、必死に離婚届をチェックする私に、
「それにしても面倒な書類だ。もう二度と書かんからな!」
と捨て台詞の様な負け惜しみや言っていた。
そして、今日だ!
ついに私はあの男から自由になれるのだ!
思わず天を仰ぎ見る。
普段は無宗教だが、今の私は世界中の神に感謝出来る。
はやる気持ちを必死で抑えながら、受付に向かう。
高揚感で思わず笑顔すら溢れている私には、
市役所の職員の対応は、なんとも、まあ淡々と受け応えるので、寂しさを感じる。
まあ当たり前と言えば、当たり前だし、
結婚ならいざ知らず、離婚届の提出に対し、
笑顔で
「おめでとうございます!」
なんて言えないだろうなと頭では分かっている。
しかし、この私の喜びをぜひ分かち合って欲しい!などと
理不尽なことを考えていた。
そんな時、
「申し訳ございません。こちらは受理出来ません」
と職員から言われる。
はじめはなんの事か分からず一瞬キョトンとしたりしたが、
書き損じがあったのかと思い直す。
あれほど入念に確認したのに!
と後悔が頭に浮かぶ。
何はともあれ、修正せねば!訂正印は…ちゃんとあるな」
などと修正に必要なカバンから取り出そうとすると、
「こちらの書類は今年度より変更となっておりますので、
こちらの新しい書式に再度ご記入の上、ご提出下さい」
と、新しい離婚届の用紙を渡してきた。
その後、どうやって家に帰ってきたかは覚えていない。
それでも、気がつくと家の前に着いていた。
ガチャリとドアノブを捻ると開く、
どうやら旦那は既に仕事から帰ってきている様だ。
そのまま、
「ただいま…」
と力無く帰ってくる私を見て、
「おっ帰ってきたな!その様子だとやっぱり駄目だったみたいだな!
約束通り、俺は二度とあんなもん書かないからな。はっはっはぅ!」
としたり顔の旦那。
その時、気が付いた。
この男は知っていたのだ。
新年度から新しい書式の離婚届しか受理されない事を。
分かっていて、ぬか喜びさせる為にわざと離婚届に記入したのだ。
「だいたいお前は情弱過ぎるんだよ。
俺がいなきゃ何も出来ないんだから、もう二度とつまらない事考えるな!」
と、ニヤニヤする旦那に私の中で何かが切れた。
「おい!聞いているのか?」
となおも得意げに話す旦那をよそに、私はリビングを抜けて台所へ向かう。
流し台下の開きを開け包丁を取り出す。
「今日で終わらせるんだ」
言い聞かせる様に私は呟いた。