ファンタズム・ファンタジア   作:日差丸

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第33話 禊ぎ

「ふぅ……歌った歌った。久しぶりだったから盛り上がったな」

「喉が少し痛いわ……」

「夜美さんはカラオケ初めてだから仕方ないよ。はいこれのど飴。よかったらどうぞ」

 

 三人がカラオケボックスを出たころには、外はすでに真っ暗になっていた。

 時間を認識すると、途端に腹が減った気がした。王牙は今日の夕飯は何にするかと考える。

 

「外食か……出費がまたかさむな」

「今日の夕飯のこと?」

「ああ。ほら、俺たちって今倉庫に滞在してるからロクな調理器具がないだろ? だから最近はコンビニ飯か外食オンリーになっちまってるんだ。そこがネックでな……」

「でもあなた大して料理うまくないじゃない。レパートリーもカレーかチャーハンか餃子しかないし。一週間のうち六日もローテーションで同じもの食べてるとさすがに飽きてくるわよ」

「うっせえ! 家事全般できねえテメェよりはマシだろうが!」

 

 王牙は本当に簡単な料理しか作ることができない。不器用というより大雑把なのだ。だから下手に凝った料理を作ろうとすれば失敗するのは目に見えている。だから料理のレパートリーも少ない。

 一人暮らしだった時は自分だけなので文句はなかったが、最近はうるさい居候ができたせいで頭を抱えるようになった。かと言って今のように外食ばかりしていたら金がもたない。ジレンマである。

 そこまでの事情を一通り聞いて、ヒカリはおずおずと口を開く。

 

「じゃ、じゃあ私の家に来る……?」

「へ?」

「へ、変な意味じゃないよ! ただ私のせいで食事に困っているみたいだし、ならせめて一緒に食事をって思っただけで……!」

 

 自分でもとんでもないことを言った自覚が出てきたのか、すぐにあたふたとヒカリは自分の発言に補修を加えていく。

 ヒカリの親の料理。たしかに魅力的だと王牙は思った。誰かの手料理なんて食べるのはいつ以来だろうか。

 王牙のクズ親はもちろんそんなものを作ってくれた記憶はない。だから彼にとっての手料理のイメージは親友である桜のものになるのだが、それも四月に入ってからは食べていない。夜美がいるせいで迂闊に誰かを家に入れることができなくなったからだ。

 だが……。

 

「いやマズイだろ。こんな夜更けに娘が男を家に連れてきたのを想像してみろよ。絶対勘違いされるぞ?」

「た、たしかに……うちのお父さんだったら全力ダッシュで殴りかかってきそう。で、でも、そこは夜美さんがいたら友達として納得させられると思うから……!」

「私は別にいいわよ。コンビニの唐揚げ弁当も飽きてきたころだしね」

 

 まあ、たしかに王牙とヒカリの間にワンクッション別の女子を、それも同レベル以上の美少女を置けば納得はできるかもしれない。王牙は空腹に耐えきれなくなったということもあり、首を縦に振った。すると彼女はすぐにメールを送った。

 

「じゃあさっそく……といきたいところなんだけど。その前に一つ、寄っていきたい場所があるんだけど、いいかな?」

「別にいいけど……またどこかで遊ぶのか? これ以上は親御さんも心配すると思うけど……」

「違う違う。本当にちょっと寄るだけだよ。せっかく近くに来たんだから……」

 

 それ以上彼女は詳しくは話してくれなかった。王牙と夜美は首を傾げ、お互いに見つめ合う。

 彼女は特に異論ないようであった。これで決まったと、王牙は彼女に向き合う。

 

「俺たちは大丈夫だ。何か事情があるんだろ? なら、さっさと行こうぜ」

「……うん」

 

 そこから何十分経っただろうか。しばらくの間、王牙たちは歩き続けていた。

 銀座というのはよくテレビで名前を聞くだけあって、本当に都会らしい。人の多さも香霊町とは桁違いだ。夜にも関わらず、昼を超える数の人々が集まっており、無数の高層建築が放つ光が街を黄金色に照らしている。

 銀座というよりは金座だな、なんてくだらないことを考えながら、王牙はヒカリと逸れないように歩き続ける。

 しかししばらくすると、その明かりも少なくなってきた。人通りも減っており、活気というものも目に見えて小さくなっていく。

 

「銀座はたしかに東京の華の一つだけど、全ての場所が光り輝いているわけではないの。どんな場所にも、むしろ光が濃い場所にこそ、影も生まれる」

「影、ね……」

 

 王牙は周囲を見渡した。そこにある建物は先ほど見た建築物とは似ても似つかないもので、全体的に低く、安っぽく作られている。建築物を支える柱や壁はところどころが茶色に変色しており、錆びて腐食されていることがわかる。

 思わず本当にここが銀座なのかと、王牙はスマホの地図アプリを開いた。それによるとここは銀座の端っこ、高層ビルの壁によって囲われた小さな住宅街らしい。ヘリなどで見下ろしてもその壁が邪魔してこの場所は見えないようになっており、特定のビルとビルの間の裏路地を抜けなければ入れないようになっているようだった。

 ヒカリはそんな場所のあるボロボロなアパートの前で足を止める。

 

「はい、到着。お疲れ様」

「ここはどこかしら? あまり護衛に向いている場所ではないように思えるのだけれど?」

「うーん、なんというかな。お母さんが再婚するまで住んでいた場所、かな?」

「……それは、なんというか……」

 

 急な爆弾発言を投げ込まれて、王牙はなんと言えばいいかわからなくなってしまった。

 類は友を呼ぶということなのか、彼女も中々辛い家庭事情があったようである。しかし彼女はそれは終わったこととでも言うように非常にあっけらかんとしていた。

 

「あ、別に元の父親が恋しくてここに来たってわけじゃないよ。今のお父さん、血は繋がってないけれど本当に私を大切にしてくれてるのがわかるの。若干行き過ぎなところもあるけど……だからそんなに気を遣わなくて大丈夫」

「じゃあなんでここに来たんだ?」

 

 彼女はその問いにしばらくの間沈黙した。

 答えないのではない。その目はまるで答えを探しているかのようにキョロキョロとしている。

 

「……わからないの。まるで何かをここに置いてきちゃったような……そんな喪失感がここを離れてからずっと続いてて。何度も来てみたんだけど、いまだに何も見つからないの」

「なんか引っ越しの際に忘れ物をしたとかか?」

「失せ物を探すのは私も専門外よ。占いぐらいはできるけど、成功率はそんなに高くないわ」

「ううん、大丈夫。これだけ長いこと来ても見つからないんだもの。たぶんこの感覚は気のせいなんだよ。だからもうここには来ないつもり」

 

 言葉ではそう言っているが、いまだに諦めきれないのだろう。その顔は街灯が発生させた影に隠れているせいか、暗くなっているように見える。

 どう見ても大丈夫じゃない。王牙にはわからないが、それほど無くしたものは重要だったことが伺える。

 どうにかしてあげたいと考えていたその時、隣にいた夜美が突如声を発した。

 

「それにしても、けっこう歩いたわね。喉が渇いてきたから自販機に行ってくるわ」

「お前な……こんな雰囲気の時に……」

 

 あまりのマイペースっぷりに何も言えず呆れていると、すれ違い様に彼女が耳元でささやいてきた。

 

「こういうのはあなたのほうが得意でしょ?」

 

 彼女はそう言うと、すぐに道の向こうへ消えていった。

 ……彼女の意図は理解できた。たしかに彼女は誰かを慰めるなんてことは苦手だろう。しかしそれは別に王牙は得意という意味ではないのだ。

 「俺はカウンセラーでもなんでもないんだぞ!」と心の中で愚痴をこぼしながら、しかしやっぱり彼女を放っておくことはできず、彼女に声をかける。

 

「とりあえずなんか話そうぜ」

「何かって……たとえば?」

「そうだな……ちょうどこんな場所にいるんだし、アイドルになろうとした経緯とか?」

「ふふ、なにそれ。アイドルのプライベートを探るのは厳禁なんだよ?」

 

 彼女は片目を閉じ、人差し指を口に当てる。その笑みはどこか蟲惑魔的な魅力を感じる。

 

「でもいいよ。君にだけは話してあげる。だって私たちは『友達』だからね」

 

 ♦︎

 

「さっきも言った通り、私って元々片親だったの。本当の父親は私が物心つく前に交通事故で亡くなっちゃってね。貧乏だったけど、お母さんが必死に働いてくれてなんとか人並みの生活をしてたの」

 

 ヒカリは過去を懐かしみながら語り出す。

 貧乏とは言うが、不満があったわけではなかった。毎日三食食べれていたし、服もボロボロのものしか着れなかったわけではない。

 少し、周りと比べて貧乏。

 本当にそれくらいのものだ。

 

「でね。ある日、テレビでアイドルのライブを見たの。その人はとっても綺麗で、歌もダンスもすごくてね。私、一瞬で魅了されちゃったの。あんな風にキラキラした存在になりたいって!」

「それでアイドルになったってわけか。貧乏生活の中、歌もダンスもレッスンに通うことなんてできなかったんだろ? 努力したんだな」

「うん。全部独学で……っ!?」

 

 そこまで言った時、ヒカリの頭に激痛が走った。

 そして見覚えのないビジョンが脳裏に流れる。

 

(っ……この感じ、昼間のデパートの時と同じ……!)

 

 その映像の中では、幼いころのヒカリが声をあげて歌っていた。

 だがその音は今の自分からすれば到底聴けたものではなく、拙い。お遊戯会レベルのものである。気恥ずかしくも懐かしい気持ちが湧き上がってくる。

 しかし次に聞き覚えのない声が聞こえた時、そんな気持ちは一気に消え去った。

 

『どうでしたか先生!?』

『……拙いな。まるで雛鳥のさえずりを聞いているかのようだった』

『そうですか……』

『……だが、光るものは見えた。その声は天性のものだ。君はいずれ大成するだろう』

『ホントですか!?』

『ああ。だから、小さな雛鳥よ。私がお前に翼を与えてやろう。そしてお前は音楽の天使となるのだ!』

 

 そのシーンを見た途端、まるで映画のフィルムが切れたように、突如画面が真っ暗になった。

 

「……私は、誰かに歌を習っていた……?」

「ヒカリ?」

「っ!」

 

 王牙の声を聞いて、ようやくヒカリは現実に引き戻された。その時にはいつのまにか頭痛はおさまっていた。

 だが頭を金槌で殴られたかのようなショックが、彼女の心の中に残り続けている。

 ……よくよく考えてみれば、声の発声方法も踊りも中学時代にスカウトされ、養成スクールに入れられた時には完璧になっていた。そう、完璧だったのだ。

 自分にはたぶん才能があったのだろう。しかし果たして、本当に独学だけであそこまで完璧に歌とダンスを極めることができるのだろうか? 

 いや、できない。

 少なくともヒカリにはその自信はない。

 ――ならば本当に、私には先生が……?

 

「それにしてもすげえよな。努力して夢をきちんと叶えるなんてよ。俺なんて、自分の信念を曲げないように生きるだけで精一杯だ」

 

 その思考は途中で中断された。彼はどこかしみじみとした顔をしている。

 そういえば、ヒカリは王牙について何も知らない。知ってることと言えば彼が同年代の高校生であることくらいだ。ゆえに彼のことをもっと知りたいと思うようになった。

 

「王牙の信念ってなんなの?」

「……笑うなよ?」

 

 王牙はしばらく無言だった。どうやら語るかどうか迷っているらしい。しかし友人効果かは知らないが、最後には苦々しい顔をしながらも語る気になってくれた。

 

「……「嘘を絶対につかない」。それが俺の信念だ」

「……ぷふっ」

「笑うなぁ! けっこう真面目な話なんだぞ!」

 

 そのあまりに予想外かつ理想的な信念に、思わずヒカリは噴き出してしまった。これには王牙もたまらず、気恥ずかしげに顔を背けると、近くの空き缶を蹴り飛ばした。

 

「だ、だって……あまりに現実味がない信念なんだもん……!」

「わーってるって。馬鹿げた信念だってのはさ」

「……でも、本当にそんなふうに生きられたら、いいねっ……」

「お、おい? なんでそこで泣き出すんだよっ?」

「えっ? あれっ……? おかしいな。こんなはずじゃ……!」

 

 言われて気づいた。自分の瞳から涙が溢れてくることに。

 自覚したところでもう止まることはない。今までヒカリの奥底、暗く深い湖の中に沈めていたもの。器の限界まで溜められていたものが、些細なことがキッカケで決壊した。

 その結果、溜め込んだ負の感情が絶えず迫り上がってくる。そうして最初は雫の如く少量だった涙が、やがて滝のように溢れていく。

 

「違うの……こんなはずじゃなかったの……! 私が目指したアイドルは……こんな嘘まみれなものじゃ……!」

「しっかりしろヒカリ! おい!」

「本当に私の歌に価値はないの? 偽物なの? みんなには届いていないの? やだよ私、あんな男に体を売るなんて……!」

 

 ヒカリは既に限界だった。

 希望を持って入った芸能界で君臨していたのは、少女たちの夢を貪ることしか脳のない悪魔たち。そんな連中と契約を結ばなければ花開くことを許さない、地獄のような世界だった。

 あれだけ自信を持っていた歌とダンスも大田に否定されたことで、ヒカリは自分を信じられなくなっていた。

 本当に自分の歌はファンの心に響いていたのか。

 それとも大田の言うように、全部あの悪魔のおかげなのだろうか。

 ――私の歌に果たして価値なんてあるのだろうか?

 ――それだったら、もういっそのこと……。

 

「お前の歌は本物だ!」

 

 その時、闇に染まっていたヒカリの世界を、声の閃光が貫いた。

 

「へっ……?」

「俺は今日初めてお前の歌を聴いた! お前のダンスを見た! 感動したよ! 心が震えて泣きそうになった! あれだけ人の心を動かせるものが偽物のわけねえだろうがっ!」

 

 ヒカリは顔を上げて王牙の目を見た。

 まっすぐな瞳だった。

 嘘まみれな大人たちとはまるで違う。そこには汚れ一つなく、爛々とした輝きを放っている。

 ヒカリはそれを見ていると自分が汚れた存在のように思えてきて、思わず目を逸らしてしまう。

 しかし王牙はそれを許さず、ガッチリと彼女の肩を掴んで向きを固定してくる。

 

「で、でも……私は……」

「そんなに信じられないのなら、今までのライブのファンたちの顔をよく見てみろ! そこに答えがあるはずだ! 芸能界の闇に溺れない真実の答えが!」

 

 言われてヒカリはファンたちの顔を思い出していく。

 ――みんな、笑顔だった。

 顔を曇らせている者は一人もおらず、誰もがヒカリの歌に聴き惚れ、踊りに見惚れていた。熱狂と言っていい。

 ファンとアイドル。互いの流した汗が、熱気が互いに影響し合い、ボルテージを増していく。あの世界では全員がヒカリと一体になっていて、ステージを盛り上げていた。

 その熱気と笑顔が、ヒカリのひび割れた自信を再構成していく。

 

「ほんとに……? ほんとに私の歌を認めてくれるの……?」

「ああ。言っただろ? 俺は嘘はつかない。お前の歌は、人の心を動かす価値がある」

「……っ!」

 

 その言葉を聞いて、我慢ができなくなった。

 ヒカリは王牙に抱きついた。そしてその大きく分厚い胸に、涙に濡れた顔を押し付ける。

 

「お、おい……」

「……ごめん。でも、もう少しだけ、こうさせて……。少しだけだから……」

「……泣き虫なやつだ」

 

 暖かい。人というのは、こんなに暖かいものなのか。

 ヒカリの瞳からは再び涙が流れていた。しかし今度は悲しみゆえではない。

 それはまるで禊のようだった。溢れる涙が、彼女の中に溜まった負の感情を洗い流していく。

 

「うっ……うぅ……ぅぁ……! ありがとう……! ありがとう……っ!」

 

 街灯一つが照らす薄暗い路地。

 そこに彼女のすすり泣く声がこだました。

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