「今戻ったわ」
「おせーぞ。たった今……」
「P・Sの刺客に襲われたんでしょ? わかっているわ。こっちはその本人を追ってたんだから」
「マジか……」
すぐ近くに今回の首謀者がいた。
その事実に王牙は目を丸くする。ヒカリもそれを聞いて顔を真っ青にし、震えていた。
夜美はその後、P・Sの容姿や、あちらで何が起きたのかを語ってくれた。夜美と戦闘して逃げ切れる辺り、相手も相当な実力者らしい。少なくとも王牙よりは上だ。もし王牙がP・Sの立場だったら、逃げ切ることはできなかっただろう。
「敵の魔術はおそらく歌唱魔術よ。歌唱魔術っていうのは音響魔術の亜種ね。後者が音によって術を行使するのに対して、前者は歌によって術を行使する術式で、世界中に様々なバリエーションがあるわ」
当然の話だが、世界には陰陽術以外にも様々な魔術が存在する。有名な物で言えば、十字教のエクソシストたちが使う奇跡魔術や、北欧の術師たちが使うルーン文字。近場だと大陸の仙人たちが使う神仙術といったものまである。
こういった霊力と術式を用いて世界を書き換える技術の総称を魔術、魔法、あるいは霊術と呼ぶのだ。
「で、その歌唱魔術ってのは強いのか?」
「ざっくりと言えば産廃魔術ね。歌唱魔術は基本的に威力が本人の歌唱力に依存するのよ。一般人が使っても豆鉄砲と同程度、プロの歌手レベルでようやく実用レベルになるわ。そういうことだから実用性は皆無。真面目に研究してるのは聖歌が重要なバチカンとか芸術にこだわる西洋の一部の国ぐらいかしらね。ま、十中八九相手はフランス出身だろうけど」
「なんか根拠でもあんのか?」
王牙の問いかけに対して、夜美は袖から何かを取り出す。それは床にでも落としたのか、表面が削れた音楽プレイヤーだった。
「本来、歌唱魔術は歌わなければ発動しないわ。でもフランスのとある一族では昔から録音による隙を減らす研究が進んでいたのよ。もちろん所詮は歌唱魔術の研究だから、あまり見向きはされなかったけど。あとは……」
「あとは?」
「あいつ、フランス語を使ってたのよ」
「……バカだろそいつ」
マイナー言語ならともかく、なんでよりにもよって日本で英語の次くらいに有名な外国語使うんだよ。
ともかく、相手の正体についてようやく手がかりを得ることができた。大したことのない情報かもしれないが、それでも何もないよりはマシだ。
「さて、状況解説は終わりとして……今日はもうヒカリを帰したほうがいいな」
「そうね。すっかり夜も遅くなってしまったわ。御両親からの連絡はない?」
「へっ……うわぁぁ!? お父さんから着信が三十件以上も来てる!」
「……お前のオヤジさん、どんだけ親バカなんだよ」
どうやら彼女はここに来るに前にスマホの充電が足りなくなって、省エネモードにしていたらしい。それで自動で電話がミュートになってしまい、気づくのが遅れたと。
いろいろ返信しているヒカリを前に、王牙は今日の夕飯のことを考える。
「今さらだけどよ。本当にお前んちで食っていいのか? もし週刊誌とかにバレたらまずいだろ」
「大丈夫よ。私の隠形術とヒカリの十字架があればそんなヘマは起こらないわ」
「お前はもうちょっと遠慮ってものをだな……」
王牙は彼女に迷惑がかかることを恐れて言ったわけなのだが、当の本人はあまり気にしていないようだった。
「いいのいいの。だって私のせいで二人にはこんな生活させちゃってるんだもん。気にするよ」
「つっても依頼だしな……俺たちも報酬をもらうわけで……」
「じゃあ依頼主としての命令! 今日は私と一緒にご飯を食べること! それでいい?」
「……はぁ。わーったよ」
隣の専門家が隠形術を使ってくれるらしいし、たぶん大丈夫だろう。そう判断した王牙は仕方なく、彼女の命令に頷くのであった。
だがこの時王牙は舐めていた。ヒカリの父のバカ親っぷりを……。
♦︎
そうして王牙たちは電車を乗り継ぎ、ヒカリの家の最寄りの駅にまで戻ってきた。
もう夜はすっかり更けてしまっている。田舎町の香霊町と違って空に星は見えないが、それでもスマホ画面の電子数字は20時を表記していた。
「はぁ。二人ともすっごい心配してるだろうな。特にお父さんなんかさっきから五分おきにメールが来てるし」
「心配しすぎだろそれ。さっきからスマホ鳴ってるのはそれだったのか」
「うん。まあ最近は無視することも多くな……きゃっ!?」
前も見ずにスマホを操作していたからだろう。彼女はわずかに浮き上がっていたタイルにつまずき、バランスを崩してしまった。
王牙は慌てて手を伸ばし……彼女の体を支えることに成功する。しかしあまりに突然のことで、二人は抱き合うような格好になってしまった。
「へっ……? あ、あっ……!」
「あ、悪りぃ。無遠慮にベタベタ触っちまったな」
「えっ? あ、ううん! その……助けてくれたのはわかってるし……王牙なら大丈夫だよ……」
なんだかお互い気まずい雰囲気になってしまった。
王牙は彼女からなんとか目を逸らそうとする。すると今度はジト目をした夜美と目があった。
「へー。ずいぶん楽しそうだったじゃない。他の女の抱き心地は」
「……お前、なんで怒ってるんだ?」
「別に。気のせいじゃないの?」
「なんでこっちも気まずい雰囲気になるんだよ……!」
王牙には乙女心がわからぬ。王牙はただの高校生である。嘘を憎み、気に入らない者をしばいて暮らしてきた。そして恋愛に対しては、人一倍に鈍感であった。
その後、不機嫌な夜美をなだめ、恥ずかしさでフリーズしてしまったヒカリを元に戻したりしていると、いつのまにか目的の家に辿り着いていた。
いつもなら敷地内の隅に置いてある倉庫に忍び込むのだが、今回は客人として招かれているのでその必要はない。そのせいでなんだか初めて来たような気分に王牙はなる。
「なんか緊張するな。俺の格好に変なところとかねえか?」
「心配しなくても素肌白シャツと黒ジャケットは十分に変態的よ」
「それ、いつも変態だって言ってねえか?」
「あら? そのつもりだったのだけれど」
「うぐっ。地味に落ち込むなぁ」
「だ、大丈夫だよ! 王牙によく似合ってるし!」
白いシャツと黒ジャケットという配色は、白黒はっきりつけるという彼の意気込みが現れている。しかし配色はともかく、王牙がこんな服装をしている理由は、中学時代に不良ファッション雑誌で似たような服装を気に入り、今でもそれを真似ているからだ。だが今まで王牙を恐れて誰もつっこむことはなかったので、彼はこれがイけている格好であると勘違いしているのだった。
「だいたいよ。そういうお前も人のこと言えねえだろうが! 今まで黙ってたが、なんだよあの痴女みたいな巫女服は!? あれスーツと巫女服の二つが合わさってるからなんとか許されるだけで、どちらか単品だったら間違いなくただの変態になってるからな!」
「なっ……!?」
さて、ここで彼女の普段の服装についてももう一度おさらいしておこう。
網タイツとガーターベルトが組み合わさったような黒いパンストと、背中と脇が大きく露出した黒いインナースーツ。そして同素材でできた肘まで覆う黒いロンググローブ。その上に袖が分離したビスチェレオタード風の黒い巫女装束と、股が見えそうなほど大胆にスリットが入れられたミニスカート風の紫色の袴を着ている。
うん、まごうことなき変態だ。背中は腰が見えそうなほど露出しているし、かといってタイツ部分は透けている上にボディラインが浮き出ていてまったく色気を隠しきれていない。特に袴スカートなんてスリットが大き過ぎて常時タイツに覆われた股が見えている。正直言って目のやり場に困るのだ。
少なくとも人のファッションをあれこれ言う資格は彼女にはないと思う。
「ヒカリもそう思わねえか?」
「……ノーコメントで」
「ねえ? 嘘よね? なんで黙ってるのよ? ねえ!?」
ヒカリは目を逸らしながら固く口をつぐんだ。
彼女は初めて会った時に着ていたあの巫女装束はとても夜美に似合っていると思っている。思っているのだが……自分は絶対に着たくないなと内心呟いた。
「わ、私だって好きであんなデザインの服着ているわけじゃないのよ!」
「じゃあどうやったらお前の正装があんな魔改造されるようになるんだよ!」
「それは……」
彼女が語るには、こういうことだったらしい。
両儀の巫女の正装となる
だから夜美は最初、無難に伝統的なデザインの巫女装束にしようとした。しかしここで待ったの声をかけたのが、アイドル研究会の会長であり、彼女の友人の一人である神楽だった。
『あんた、新しい時代を象徴するような巫女になりたいんでしょ? だったら浮世でのデザインも取り入れなきゃダメよ!』
当時の夜美は一理あると思ってしまった。そして神楽はファッションセンスが抜群であり、浮世にも非常に詳しかったため、信用して彼女にデザインを任せてしまったのである。
そしてこれが悲劇の始まりだった。
神楽はなんと、アニメやマンガ、ゲームからアイデアを引っ張ってきたのだ。そしてその天才的なセンスでサブカルチャーでしか見たことがないような改造巫女装束のデザインを作り上げてしまった。
もちろん、デザインが出来上がっても、実際に制作する仕立て屋が拒否すれば話はそれで終わったはずである。そしてこの仕立て屋は千年以上、代々の両儀の巫女の神御衣を織ってきた一族の者であり、夜美とも親しい仲であったため、こちらも信用してしまっていた。
ゆえに想像もしていなかった。まさか彼女がこのデザインを絶賛し、承諾してしまうなど。
たしかに、そのデザインは巫女としての神聖さと女としての妖艶さを兼ね備えており、絶世の美貌とプロポーションを持つ夜美とは非常によく似合っていた。ベストマッチと言ってもいい。
しかし似合っているデザインが、夜美の要望と必ずしも一致するとは限らない。
夜美は光天京生まれの貴族である。豪華な着物を普段は着ており、そのようなボディラインが浮き出たセクシーな服装とは無縁だった。
ゆえに完成品を見て、絶句した。そして満足げな友人たちの顔を見て、絶望した。
『うんうん、さすがあたしね! こんな素敵なデザインを考えられるなんて、自分の才能が怖いわ』
『フフ……会心の出来でございます。これ以上の芸術はこの世に存在し得ないでしょう』
『お姉様! お姉様! お姉様! あぁ……鼻血が……!』
『よ、夜美ちゃんすごい綺麗だよ! いいなぁ、私も夜美ちゃんみたいに大人っぽい体だったら、そんなカッコいい服を着れたのに……』
それは、100%純粋な善意からくる贈り物だった。誰もが夜美に称賛や羨望の視線を向けている。この状況で文句が言えるはずがなく、泣く泣く夜美はそれを受け取るしかなかった。
そうしてあの前衛的すぎる巫女装束が完成したわけである。
「……うわぁ」
「……なんつーか、ドンマイ」
その経緯を聞いた時、王牙とヒカリはいたたまれない目で夜美を見つめてしまった。そして当の本人は恥辱に耐えるように顔を真っ赤にしたまま俯いて、震えている。かける言葉もなかった。
「……やめよう。これ以上お互いの服をけなしてもいいことは何もない」
「……ええ。休戦協定ね」
二人はこれ以上互いの服について言及することをやめた。無駄な口論に彼らの精神が追いつかなくなったのだ。二人は心に深い傷を負ったようで、非常に暗い顔をしながらその場に立ち尽くしていた。
「……ま、まあ今は服はこれしかないから仕方がないな。よし、じゃあ頼むわ」
「うん」
ヒカリは全員の準備が済んだことを確認して頷くと、インターホンを押した。
ピンポーン、というよくありがちな音が室内から聞こえてくる。
「ただいまー。連絡した通り友達を連れてきたよー」
「お邪魔するぜ。俺、今回招いてもらった我道王牙で――」
「ほわたぁぁぁぁあっ!!」
ドアを開けた先で、王牙が頭を下げようとしたその時。
彼の目に映ったのは、上半身裸の眼鏡男性がライダーキックをかましながら突っ込んでくる姿だった。
「ぼげぇっ!?」
理不尽なライダーキックが腹部に直撃。王牙はわけもわからず目を点にしながら、家から弾き返されるように吹き飛んだ。
……よく見ればオタク顔に反して上半身は細マッチョだ。道理でいい蹴りするわけ、だ……。
「おおお、お父さん!? 何やってるのー!?」
「貴様かぁぁぁぁ!! 娘をたぶらかすホスト野郎というのはぁぁ!! ふざけた格好しやがってぇぇぇ!!」
「服装についてはお父さんが言えたことじゃないよ!?」
上半身裸のお父さんがやってきたことで、玄関前はカオスに陥っていた。
ど う し て こ う な っ た。
ヒカリの父親は「ヒョォォォォォッ!!」という最近聞き覚えのある奇声をあげながら、やけに痛そうなネンチャクをブンブン振り回す。まるで中国拳法の達人である。
「駅前で迎えに行った時、私は見たんだ! そこの男が娘と抱き合っている瞬間をなぁぁぁ!! その瞬間、私の脳は破壊された!」
「あれは転びかけたのを支えてもらっただけだって!」
「問答無用! イエスアイドルノータッチ! ファンの掟を守れない者はこの『ヒカリんファンクラブ』会員ナンバー001番兼会長のこの私が粛清してくれるー!」
ヒカリの父親のボルテージが高まっていくにつれて、ビュンビュンとネンチャクもその速度を加速させていく。そのたびに風が発生し玄関を荒らした。このままいったらカマイタチとか発生しそうな勢いだ。
「いいキレね。四級妖怪だったら普通に倒せそうな勢いだわ」
「呑気に感心してる場合かよ! 助けろよ、俺を!」
「断るわ」
なんて薄情なやつだ! 見損なったぞ!
だが夜美は完全にこの件には関わるつもりがないらしく、無表情のまま距離をとって王牙を眺めていた。
「ほわたぁぁああああっ!!」
「あら……お父さん? 何をしているの か し ら?」
そしてネンチャクの速度が限界にまで達し、いざが飛びかかろうとしたその時……彼の肩にゆっくりと、冷たい手が置かれた。
ヒカリの父はその温度に顔を青ざめさせ、冷や汗を流す。
「かかか、母さん!?」
「はい。母ですよ? それで……ヒカリが数年ぶりにお友達を連れてきたっていうのに、何をしているんですか?」
王牙は改めて今の現状を確認してみた。
倒れている高校生。上半身裸でネンチャクを振り回す奇人。荒れ果てた玄関。どう見ても事案そのものである。
「他人の格好を指摘する前に……まず自分の姿でも見返してこいやぁぁぁぁああ!!」
「ほげー!?」
お母さん、絶叫。
そしてサッカー選手も唸るような、惚れ惚れとした蹴りが父の尻に叩き込まれ……夜の町に絶叫が鳴り響いた。
「いい蹴りね。こっちもプロを目指せそう。あなたの家は格闘家一族か何かなのかしら?」
「う、うぅ……穴があったら入りたい……!」