「……さっきも言ったが、俺は我道王牙だ。そこのヒカリとはなんも特別な関係じゃない、ただの友人だ」
「……夜美よ」
「……ヒカリの父です。先ほどはとんだご迷惑をおかけしました」
「母で〜す。以後よろしくお願いします〜」
『……』
……空気が重い。もはやお通夜状態であった。夜美とヒカリの母以外は全員が顔をうつ伏せて気まずい雰囲気を発している。
それもそうだ。むしろ先ほどあれだけやらかしたのに、平然としている二人がおかしいのだ。
そんな二人はテーブルに出された食事をマイペースに食べ始めていた。
「さ、さあ王牙もどんどん食べちゃって! お母さんのコロッケ、とっても美味しいんだから!」
「お、おう。……たしかに、美味いな」
「ええ。あなたの料理の何倍もね。あなたももう少し見習ったほうがいいんじゃないかしら?」
「ゴミしか生み出せないテメェが言うんじゃねえよ」
たしかに王牙の料理は下手くそな部類だが、それでも謎の神話生物を召喚する隣の巫女には言われたくない。売り言葉に買い言葉で二人は箸を止め、互いに睨み合う。
「あらあら、お二人は同棲しているんですか〜?」
「……ええ。家出みたいなものでね。今はこの男の家に泊まっているわ」
「そ、そうだったの!?」
「あらあら〜お熱いですね〜」
「……いや別に。そんな変な関係じゃないから」
「うん、そうそう。こいつの彼氏とか命がいくつあっても足りねえよ」
「……」
「あづぅ!? 無言で足踏むな足を!」
今の発言が地雷を踏んだのか、夜美は戦闘時のような凍てつく殺気を王牙限定で放っている。心なしか本当に寒くなってきて、王牙の体に鳥肌が立ち始めてきた。しかし周りはそれに気づいていないようで、普通に食事を楽しんでいた。
「アッハッハ! そうかそうか! そうだったのか! いやー隅に置けないなぁ王牙君も!」
「この人娘が狙われてないと知ると急に上機嫌になったぞ」
「私関連のこと以外だと普通にいい人なんだよ……」
逆に言えばヒカリのこととなるといつもあの暴走モードに入るのか。そう思うと王牙は少し彼女に同情の念を禁じ得ないのだった。
しかしヒカリのお父さんが元に戻ったおかげで、その後の食事は和やかに進んでくれた。夜美も料理を食べているうちに機嫌が戻ったのか、ヒカリと談笑を交えている。
しばらくして夜美は何かに気付いたのか、部屋を見渡しながら質問をする。
「……そう言えば、やけにこの家ってヒカリのグッズが多いわよね」
「よくぞ聞いてくれました! なんてったって私はヒカリのファン第一号ですから! ライブには全部現地に行きますし、公式が売るグッズは全てコンプしているんですよ!」
「ちなみに母がファン第二号ですよ〜」
「特に最近のお気に入りはこれ! 仕事ほっぽりだして大阪ライブで手に入れた限定巨大ポスター! 我が家の守り神ですよ!」
「お父さん恥ずかしいよ! そんでもってちゃんと仕事行ってよ!」
お父さんが指差した場所には等身大のヒカリがウィンクしているポスターがあった。家にこれ張られてるの拷問だろ。案の定ヒカリは恥ずかしくて顔を手で覆い隠してしまっている。
「私、お風呂入ってくるから!」
そしてとうとう羞恥心が限界に達して、彼女はリビングから逃げていってしまった。これにはお父さんもしょんぼりである。ショックを受けたような顔で無言になってしまった。
それでも母親の方は気にしていないらしく、微笑ましいものを見たようにニコニコとしている。
「それにしても、ヒカリが友達をまた連れてきてくれるなんてね〜。中学以来誰も親しい人の話を聞いたことがなかったから、お母さん安心しちゃったわ〜」
そういえば、ヒカリはアイドルになったせいで周りの人間との交流が途絶えていたのだったと王牙は今日聞いた話を思い出す。
親御さんもそれは心配するわけだ。
「近所では見かけたことないし、たぶん別の学校なのでしょ〜? お二人とも芸能人か何かなのかしら〜?」
「あー、俺たちはだな。その……」
「探偵業のようなものをやってるのよ。いわゆる何でも屋ってやつね。ヒカリとは仕事で出会ってからの付き合いよ」
素直に独立術師など言えない。かといって嘘をつくことも憚られたのでどう言おうか迷っていると、すぐさま夜美が助け舟を出してくれた。
「そうなのそうなの。ふふっ、最近のヒカリはアイドルになり立ての時くらい楽しげだったから、嬉しくなっちゃうわ」
「……その、あんたらは最近のヒカリのことを……」
「詳しいことはなにも。あの子、そういうのは話してくれないし。でも事務所で何かが起きていたのは知っていたわ」
そこまで言うと、ヒカリの母親は少し顔を俯かせた。
「私たちも何度もあの子にアイドルを辞めさせるか悩んだものさ。もちろん私もあの子のアイドル姿を見るのが人生の楽しみだが、一番望ましいのは彼女の幸せだからね。そのためだったら推しが消えることくらいどうってことないさ。でも母さんが特に反対してね」
「……あの子は、昔からアイドルに憧れていました。たぶんそれは今でも変わらないと思うのよ。だからここで辞めたら絶対未練が残るって思って、限界が来るまで手を出さないようにしていたんです。……結果的にそれが正しかったのかどうかは、今でもわかりません」
二人はそれっきり、黙り込んでしまった。
今までにどれだけの苦悩があったのかがありありとわかるほど、伏せたその顔には陰りが見える。
「……たしかに、特別になるってことは大変なことよ。周囲の人間関係はまるっきり変わってしまうし、それだけ敬われることもあれば妬まれたり、欲望を向けられたりすることが多くなる。今まで見えてこなかった人間の闇に触れることにもなるわ」
『……』
「それでも、その闇に踏み入ってでも見たい景色があるから、あの子はアイドルを続けているんじゃないかしら。深く、深く沈んで……でもその先に光が見えると信じて」
「夜美さん……」
「夜美、お前……」
夜美がここまで誰かを擁護することは珍しい。
夕方にも思ったが、二人はどこか似ているのかもしれない。彼女はその境遇をここにいる誰よりも理解できていて、だからこそ口を挟まずにはいられなかったのだろう。
ヒカリの両親たちは夜美の言葉に何か考えるものがあったのか、何も返事をしようとはしなかった。
しかし、しばらくすると二人は影を払拭して顔を上げた。その目には先ほどまでにはなかった、覚悟のような固い意志の光が宿っているように見える。
「君たちは最初、仕事の関係だったんだよね。ヒカリのどんなところが気に入ったのかな?」
「もちろん歌だ! ……まあ聞いたのは今日が初めてなんだけどさ。あれを聞いて絶対こいつには夢を諦めてほしくないって思った」
「私もよ。あれだけの歌、故郷でも聞いたことないわ。彼女の歌には人の心を変える力がある」
「そうか……目の付け所、もとい耳の付け所がいいね。私たちもあの声が一番好きなんだよ。君たちになら、あの子を任せられそうだ」
ヒカリの父親は安心したように笑った。
そうして夕飯は終わりを迎えた。
今は皿を全て片付け終えて、母親が洗っているところだ。王牙たちは食事の時と同じようにダイニングテーブルの前に座り、ヒカリの父親と一緒に呑気にテレビを見ている。
「君たち、今日は泊まるあてがあるのかい?」
「あー、ホテルとかは予約してないな。ただ大丈夫だ、寝床くらい……」
「それはいかん! こんな夜遅くに子ども二人が、特に夜美ちゃんのような狙われやすい子がホテルを探して街を出歩くなんて危険だ。よければうちに泊まっていきなさい」
「いや、こいつを襲うとかどんな命知らずだよ……ごふっ」
「何か言ったかしら?」
テレビ鑑賞で気が緩んでいたところに、夜美の拳が腹部に突き刺さった。いくら非力な兎といえど、彼女は紛れもないない幻魔だ。ヘビー級ボクサーのストレートを優に超えたその威力に王牙は悶絶し、のたうち回る。
「ありがたい申し出ね。正直言うとここんところまともな屋根の下で寝れてないから、本当に助かるわ」
「お風呂は……今はヒカリが使っているし、そのあとで使ってね。おじさんたち男組は最後に入るから」
「……本当に助かるわ」
夜美はこの依頼中の寝食のことを思い出したのか、やけに疲れたようなため息を吐いた。
いくら陰陽師とはいえ、お嬢様には一週間もの倉庫暮らしは相当辛かったのだろう。最初に会ったときも飢え死にしかけていたし、彼女がサバイバルに不慣れなことがよくわかる。
反対に王牙はこういったことには慣れっこだった。まだ両親が生きていたころは、夜二人の喧嘩に巻き込まれるのが嫌でよく外で野宿していたものだ。だから屋根や壁があるだけマシだと思っていた。
「そういえば、ヒカリって昔から歌がうまかったりしたのか? 独学って言ってたが……」
その質問に答えたのは、皿洗いをしている途中のヒカリの母親だった。
「それがですね〜。実はそうでもないんですよ〜。最初は本当に普通の小学生の歌って感じだったんです〜。それが気がついたらあんなに成長してて〜。母さんビックリしちゃったわ〜」
「……へぇ。興味深いわね。なにか他にわかることはないのかしら?」
「……ん〜? そういえば、誕生日にある小説をプレゼントした日から、レッスンを始めたようなきがしますね〜」
「その小説って?」
「……ごめんなさい。音楽に関する海外の小説だった気がするんだけど〜……なにせ学校の古物市イベントで買ったものだから〜」
誕生日に中古品を? と一瞬首を捻ったが、彼女たちが昔貧乏だったという話を思い出し、一人納得する。
貧乏は本当に辛いものだ。金がなくては何もできない。それは当時の彼女にとって、ヒカリをレッスンに通わせられなかったことへのせめてもの謝罪のつもりで渡したものなのだろう。
夜美は夜美で今の話に何か思うことがあったのか、「小説……まさかね」と一人ぶつぶつと独り言を呟いていた。
『お風呂空いたよー』
「あら。なら夜美ちゃん先に入っていいわよ。私はまだお皿を洗ってるから〜」
「……考えるのはここまでにしておくべきね」
夜美は椅子から立ち上がり、彼女に礼を述べる。
「ええ、じゃあお言葉に甘えて。先に入らせてもらうわ」
そこからの時間は特筆すべきところはなかった。
全員が風呂に入り終え、就寝の時間になると、王牙たちはリビングを使わせてもらうことになった。
ソファは一つしかなかったので、必然的に一人が床で寝ることになるが、王牙は誰に言われるまでもなく自分から床に寝転がった。寝具以外で寝ることに慣れていない夜美を気遣ったのだ。もちろん照れ臭いので言葉にはしていなかったが。
しかし夜美はそんな彼の行動を察し、彼が寝静まったころを見計らって「……ありがとう」とロウソクの火よりも小さく消えゆきそうな声で呟き、瞳を閉じるのであった。
♦︎
「本日はお越しいただき誠にありがとうございます」
「いやいや、いいんですよ。こちらにとっては待ちに待った話ですからねぇ」
スターライトプロダクション。
ヒカリが所属している事務所の名だ。その社長室にて、二人の男が密談を交わしていた。
一人はもちろん、社長である男。
もう一人は大田というテレビ業界では知らぬ人のいない有名プロデューサーだった。以前からヒカリに手を伸ばしていた例の男である。
二人の表情は悪逆が煮詰まったようなドス黒い笑みを浮かべている。見る人が見れば嫌悪感を催したであろう。
「いやいや、それにしても僕との密談のためにわざわざ人払までしてくれるなんてね。格別な待遇ですなぁ」
「今日のことは偶然でも他の者に知られるわけにはいきませんからね。タイミングも良かったですし、所属タレントから事務員を含む、大多数の人間には今日休日を与えておきました。ここに残っているのは私の直属の者のみですよ」
社長はなんでもないようにそう言うと、一枚の紙をローテーブルの上に置く。それを待ってましたとばかりに大田は食い入るようにそれを眺めた。
「内容に問題はないみたいですねぇ。では本当にこの通りでよろしいですか?」
「ええ。グラビア撮影後、あの娘……ヒカリはあなたのお好きなようにして構いません。設備も環境もある程度は整えさせてもらいますよ。あの娘も私の命令となれば従わざるを得ないでしょう。その代わり、それが終わった後には……」
「もちろん。僕の新番組のレギュラーに彼女を入れてあげるとも」
「ええ。ありがとうございます……!」
契約が成立したと見て、社長は頭を大きく下げた。
社長の心の中は愉悦で満ちていた。
桐絵ヒカリ。あれは鳴かず飛ばずだったこの事務所に今後二度と生まれることはないであろう人材だ。彼女さえいればアイドル業界を手中に収めることができ、事務所を素人でも名前を聞いたことがあるほどの有名なものにすることができる。
そう夢見た社長は彼女を雑巾でも絞るように、最大限利用することにした。
この大田との契約もそのためだ。彼女がレギュラー番組を持てばその名声はますます高まることだろう。その甘い花の名に惹きつけられて様々な新人タレントが入ってくるようになればもう成功は近い。有力な若者というものは有名人がいるところに集まる。彼女が広告塔になってくれれば、この事務所は安泰だ。
「あの娘にも困ったものです。この業界に入ってから数年、なのにまだワガママを言うなど……」
「酷いなぁ社長さん。仮にもこの事務所の宝なのに」
「宝は使ってこそ価値があるものなんですよ。少なくとも私はそう思っています」
一度枕をしてしまえば後はもうチェックメイトだ。同じように有名プロデューサーに次々と相手をさせていき、顔を売っていく。彼女がそれに不満を感じて他の事務所に移ろうとしたら、枕営業の写真を使って脅せばいいのだ。
それで彼女は永遠に籠の中の鳥でいてくれる。
「ふふふ……感謝するよヒカリ君。君は僕にとっての青い鳥だ……」
『いいや、あの娘は天使だ。穢れなき音楽の神の御遣いだ。その羽根を手折ることは何人たりとも許されない』
「っ、誰だ!?」
その時、突如部屋に謎の男の声が響いた。
その声を聞いただけで二人は背筋が凍った気がした。それが同じ人間のものとは思えなかったからだ。
それはまるで地獄の底から這い上がってきた悪魔のような、おどろおどろしく、人間を恐怖に陥れる声をしていた。
しばらく動けないでいると、社長のスマホから電話の着信がくる。
「ひっ!」
その着信音に一瞬悲鳴をあげたが、すぐに冷静さを取り戻す。そして社長は恐る恐る電話に出ることにした。
「な、なんだ……? 誰だ……? 今は重要な会議中で……」
その時だった。スマホから返事の代わりに、音楽が流れ出したのだ。
崇高さの滲み出るクラシック曲。それに合わせて聴いているだけで魂が溶け落ちそうになるほど美しいアリアが歌われる。
あまりに突然の出来事とその天井の音楽、社長はしばし我を忘れてその歌に聴き入っていた。
しかし隣から聞こえた豚が潰れたような醜い悲鳴を聞いて、現実に引き戻される。
「ぉ……ぁ……ぁあ……っ!?」
「ど、どうしたのですかっ!?」
「ぃ……ぃきがぁ……っ!」
大田は喉に何かが詰まってかのように、首を抑えてのたうち回っていた。
原因不明のその症状に右往左往していると、社長もまた呼吸ができなくなって床に倒れる。
いくらもがけども彼らの喉が動くことはない。彼らの意識が音楽によって停止させられたように、彼らの喉も
酸欠によって顔を青ざめさせる二人にさらなる恐怖が迫る。身動きが取れずに床を這いつくばっていると、その床全体が無数の蛇で満ち溢れた場所に変化したのだ。
「ひ、ひぃぃぃ!?」
あまりの生理的嫌悪に社長は肺に残っていた全ての空気を吐き出してしまった。
それで終わりだった。二人の足を、腕を、顔を、禍々しさに満ち溢れた蛇たちが這い回る。そしてゆっくり食いちぎられていく恐怖に彼らは耐えきれず、意識を手放し――。
――ほどなくして、彼らの息は途絶えた。