――その連絡がヒカリのもとに届いたのは、早朝のことだった。
「それじゃあ二人とも、行ってきます!」
「気をつけて行くんだぞ! 何かあったらすぐに連絡しなさい! いいね!?」
「安心してちょうだい。何があってもヒカリは守ってみせるわ」
「おう。これでも俺たちは荒事が得意なんだ」
「ええ。ヒカリをよろしくお願いします〜」
それだけ言い終えると、三人は急いで家から飛び出していった。その向かう先は学校ではなく、駅だ。
立ち止まっている暇はなく、王牙は走ったままヒカリに再度問いかけた。
「それで、本当なのか!?」
「うん。――昨日、社長が死んだって……」
♦︎
電車に乗って数十分後、王牙たちは池袋で降りると、駅から徒歩十分程度の場所にあるビルまで迷うことなく走っていった。
ビル自体は平常運転しているようだった。このビルにはヒカリの事務所以外にも別の会社が入っているためだろう。
しかしパトカーがビル前に複数停まっていたりと、やたらと警察が多い。
王牙たちはヒカリの先導のもとその中に入り、エレベーターで事務所のあるフロアまで上がった。
「……これは……」
エレベーターの扉が開いた先に広がる空間は、以前とは様変わりしていた。あちこちに『立ち入り禁止』の文字が書かれた黄色いテープが張られており、普段いる事務員の代わりに警察で溢れかえっている。
その状況はヒカリのスマホに届いたメールが真実を告げていたことを意味していた。
緊迫感で包まれている現場を見てヒカリが戸惑っていると、近くにいた警官の一人がこちらに近寄ってくる。
「こらこら君たち。このフロアは今日関係者以外立ち入り禁止だ。さ、帰った帰った」
「え、えっと、違うんです! 私たちは……!」
ヒカリは自身の身分を説明しようとするが、警察に詰め寄られた緊張で言葉が喉に詰まってしまったようだった。助けてやりたいが、王牙たちはこの事務所では完全な部外者なのでどうすることもできない。
そのせいで警官は彼らを追い返そうとエレベーターに押し込めようとしてくる。
「そいつらはうちのタレントたちだ。朝メールが届いて来たんだろうよ。通してやってくれ」
その時、別の女性の声が警官にかけられた。聞き覚えのある声だ。特にヒカリは一瞬で誰かわかったらしく、エレベーター内で嬉しそうに叫んだ。
「トレーナー!」
「……あなたはたしか、この事務所のトレーナーさんでしたかな?」
「ああ。さっき身分証明はやっただろ?」
「……いいだろう」
警察官はこれ以上揉めるのは面倒くさいと思ったのか、あっさりと王牙たちから離れた。
ヒカリのトレーナーは切り替えるように「やあ」と軽く手を振ってくる。
「ヒカリはともかく、俺たちまでタレントって言って大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。今日はほとんどの事務員が自宅で待機している。それにあんたら無駄に顔だけはいいし、疑うようなやつはいないだろうさ」
たしかに、廊下を見ても警察官はいるが事務員らしき人間はほとんど見えなかった。これなら不自然な動きをしなければ怪しまれる心配はないだろう。懸念点の一つが消えて王牙はホッとため息をつく。
「トレーナー! 無事でしたか!?」
「ああ。だが社長とその客はダメだ。社長室ではもう遺体は運ばれちゃって、今中の調査をやっているよ」
「……客?」
「ああ。それがな。そいつ、あの大田だったんだよ」
「えっ? 大田さんが……?」
ヒカリはその名前を聞いて一瞬嫌悪感を浮かべたあと、すぐに目を見開いた。
彼女の心中にあったのは驚愕と、わずかばかりの薄暗い喜びだった。
大田は自分がアイドルを辞めようと思ったきっかけを作った最低な人間だ。それが消えたとなれば喜んでしまうのが人間の性というもの。しかしすぐにその気持ちを自覚し、ヒカリは自己嫌悪に陥る。
それに対してトレーナーはあっけらかんとしており、その続きを語る。
「あの野郎が社長と二人で何を話してたのかは知らない。けど確かなことは、あいつはもうこの世にはいないってことさ。悲しいことにね」
「嘘こけ。お前今めっちゃ喜んでんじゃねえか」
王牙はその嘘を見抜いていた。一見すると無表情で冷淡を装っているが、その実口元や目は喜びを隠しきれずヒクヒクと震えている。
「お、鋭いね。その通りさ。私は妖怪だからね。人を食ったことこそないが、気に入らないやつが死んだとあっちゃ喜びもするさ。けどまあ、素直に顔に浮かべてると容疑者扱いされかねないからね。黙っててくれよ」
「トレーナーが……妖怪……?」
「……あっ」
しまった、というようにトレーナーは口を押さえた。どうやら本当に浮かれきっていたらしい。そのせいでヒカリが目の前にいるにも関わらず、口を滑らしてしまった。
ヒカリはすぐさまどういう意味なのかと問い詰めようとする。しかし夜美があとで話すと約束したことで、どうにかこの場は収まった。
「……あなたがこの事件の犯人、ってわけじゃないわよね?」
「それはもちろん。本当だったらあんなクズ野郎、この爪でズタボロにしてやりたかったけど、それやると確実に陰陽師に狙われることになるからな。ま、Fラン妖怪の悲しい事情ってやつだね」
「……そう。ならあなたが犯人かどうかは一旦保留にしておくわ」
「容疑者からは外してくれないんだな」
「もちろん。陰陽師が妖怪を信じるわけないじゃない」
王牙としては信じてもいいと思うが、夜美は元陰陽師だ。散々妖怪と戦ってきた彼女にとっては、無条件で妖怪を信じるなど論外なのだろう。それはあっちも理解しているようで、やれやれと軽く頭を掻いている。
「で、どうする? とりあえず監視カメラでも見てみるか?」
「あー、そりゃ無理だな。社長のやつ、なぜか今回の会談では社長室の監視カメラを切ってたみたいでな。映像が残ってないんだ」
「ということは、手がかりは社長室の中のみね」
「しゃ、社長室って……きっと今ごろ検察官でいっぱいだよ? そんなところに忍び込むなんて無理だよ……」
社長室の様子はまだ見ていないが、殺人現場に人が集まるのはドラマでも現実でも同じことだ。
ヒカリは手がかりが掴めそうにないと思って顔を暗くしたが、夜美はそれを鼻で笑った。
「ふん。私を誰だと思ってるのよ。霊力もろくに使えない人間程度、どうにでもなるわ」
「……一応聞いておくが、全員氷漬けとかはなしだぞ?」
「しないわよ!? あなた私をなんだと思ってるの!?」
「妖怪『雪兎女』」
「どうやら本気で氷漬けにされたいようね……!」
「あづっ!? 冷たっ!? 首ちょー冷たっ!」
夜美の手が即座に王牙の首を鷲掴みにする。その手は血が通っていないと思えるほど冷たかった。まるで彼女の性格のようだ。なんて思っていたら、その手に込められた握力がさらに強くなった。ついでに首元が凍りつき始めた。
さすがに生命の危機を感じて最終的に平謝りすることで、王牙はなんとか許されたのだった。
気を取り直して、首元をさすりながら王牙が質問を続ける。
「で、具体的にはどうするんだ?」
「まあ見ていなさい。それでわかるわ」
そう自信満々に言い切ると、夜美は廊下を歩き出した。その雰囲気に従い、何も言わず王牙たちも後に続く。
しかし彼女はどういうわけか、すぐに足を止めてしまった。
「……社長室、どっちかしら?」
「あ、逆方向だよ」
「……それを先に言いなさいよ」
全員無言になった。
夜美のツカツカと急ぐような足音だけがずいぶん耳に残った。
そして今度こそ夜美は社長室の前にたどり着いた。当然そこには護衛の警官が六人もいた。しかしそんなもの目に入っていないとでも言うように彼女は無視して足を進める。
「む、そこの君。止まりなさい」
「……無礼よ下郎。誰に向かって命令しているのかしら? 口を慎みなさい」
警官の一人が夜美の玉のような肌に触れようとしたその瞬間、廊下全域に心臓が凍りついたと錯覚するほどの冷気がほとばしった。
いや、違う。これも錯覚だ。これは純粋な殺気なのだ。ヒカリとトレーナーは気絶しそうになるのを青ざめてこらえている。王牙の体にも震えと鳥肌が発生していた。
当然そんなものを直接浴びせられた一般人たちはひとたまりもなく、彼らは一人の例外なく口から泡を噴いて気絶し、倒れ伏した。
「あら。術を使う必要もなかったわね」
「……お前、マジで目だけで人殺せそうだよな」
「魔眼系の能力でもないんだし、そんなことあるわけないじゃない。……って言いたいのだけれど、この貧弱さじゃ否定できないわね」
「マジでやんなよ? シャレになんないからな?」
夜美は長らく陰陽師院で過ごしていた。ゆえに浮世の普通の人間の脆弱さをいまいち理解していないように思える。
と、ここで部屋の中から物音が聞こえてきた。おそらく室外で人が倒れる音を聞いて、確認しにきたのだろう。
「どうした!? 何が起き……」
「隠形始式『霊落《れいらく》』」
「むぐっ? ……ぐぅ……」
だが扉が開いた瞬間、夜美の手から不思議な雰囲気の漂う雲のような煙が放たれた。それは廊下から室内まで全てを包み込んでいく。そしてその中にいた警官たちはそれに触れた途端、全員が安らかに目を閉じて崩れ落ちた。
「これは『霊落』。一定以下の霊力しか持たない一般人の意識を強制的に奪う結界術よ。この煙の結界の中にいる限り、昏睡した者は目を覚ますことはないわ」
「一般人の……てことはヒカリもか!?」
「へっ? 私は……なんともないけど?」
「もちろん私もだな」
王牙はその説明を聞いて慌てて振り返ったが、杞憂だったようだ。ヒカリは戸惑ってはいたが、眠りにつくことなく無事だった。
「そういえば言ってなかったわね。ヒカリ、あなたには術師になれる才能があるわ。大した訓練もなしでそこまで霊力があるんだから、鍛えればきっと準一級程度にはいけるわよ」
「マジか」
「あはは……え、遠慮しておこうかな。私にはアイドルがあるし」
「でしょうね。冗談よ」
突然の勧誘にヒカリは苦笑いを浮かべて断っていた。王牙もそれでいいと納得した。
彼女は戦う才能以上に誰かに希望を与えられる力がある。彼女もそれを望んでいるのだし、わざわざ血生臭い戦場に行く必要はないだろう。そういうのは王牙のような人間社会に居場所のない社会不適合者や、夜美のように使命を胸に抱く者がやるべきだ。
「さて、これで好きなだけ探索できるわね」
「んじゃ各自で部屋を漁るとするかー」
全員異存はないようだった。すぐに四人は各自で散らばり、部屋を探索し出す。気分は某有名RPGの勇者一行だ。
部屋は死者が出た割には鉄の匂い一つすらしなかった。初日にヒカリが持ってきた監視カメラの映像同様、被害者は心臓麻痺で死亡したのだろう。床には死体があったと思われる二箇所に人型のロープが置かれており、当時の状況を再現している。
と、そこで王牙はローテーブルに置かれた紙に目が入った。どうやらそれは何かの契約書であったようだ。何気ない気持ちでその内容を読み進め……全て把握した時には無意識にそれをくしゃくしゃに丸め、口の中に放り込んでいた。
「あれ、どうしたの王牙? 何か見つかった?」
「ごくんっ! ん、いや!? なんも見つからなかったぜ!? アハハッ!」
「……何か今飲み込んでいなかった?」
「あ、あああああれだよあれ! 飴だよ! テーブルの上にあるもん食ってたらつい飲んじまった!」
「むー、怪しい……」
ヒカリのほおが風船のように可愛らしく膨らむ。その目はジトっと王牙を見つめていた。
王牙の演技は下手くそも下手くそ、大根演技の方がマシだと言わざるを得ないほどの出来だ。当然その原因は彼が嘘をつかないことを信念に掲げていたことにあるのだが、そこは仕方がない。
(ヒカリには悪いが、ここは嘘を使う必要もある場面だ。あんな内容を伝えるわけにはいかねえ)
『誰かのためにならない嘘はつかない』。
それが王牙の信念だ。それはつまり、誰かのためになると思ったのなら嘘をついていいということになる。
どんなに綺麗事を言おうが、嘘なしでは人は生きることができない。嘘には人を陥れるものと人を救うものがある。彼はそれを親友である桜から学んでいた。そしてそれは今なのだ。だからこそ、彼は滅多につかない嘘を使うことにした。全ては彼女の心を守るために。
「ヒカリ、ちょっと来てくれるかしら。少し気になるものがあるのよね」
当然その信念を知っている夜美は、王牙の下手くそな嘘をカバーするためにヒカリを彼から引き剥がした。
言葉にはしていないが、他人のために躊躇いなく命を投げ出せる王牙の性格を夜美は信じている。その彼が無理をしてまで何かを隠し通そうとしている理由は、ひとえにヒカリのためなのだろう。それをあえて暴くつもりは夜美にはなかった。
「夜美さんどうしたの?」
「これよこれ。遺体の手があった場所にスマホが置かれているわ。これ、誰のかわかるかしら?」
夜美は遺体の型が取られたロープを指差す。
スマホは当時の現場を再現するように、人型ロープのちょうど手にあたる部分の上に置かれていた。ヒカリはしゃがみ込んでそれを手に取る。
「これ、見たことあるよ。たぶん社長のだ」
「やっぱりね。ならパスワードとかもわかったりしないかしら?」
「ごめんなさい。そこまでは……」
「なんか鍵開けの陰陽術とかそういうのないのか?」
手がかりが気になったのか、彼女たちのところに近づいてきた王牙がそう尋ねた。しかし夜美は呆れたように首を横に振る。
「陰陽術も万能じゃないのよ? 術による封印ならまだしも、現代技術による電子ロックなんて専門外よ」
「へー。意外だ」
どの国でもありがちだが、歴史の長い術師組織はたいてい電子技術にめっぽう疎い。それは彼らが魔術に誇りを持っており、かつある程度のことは術でなんでもできるため必要性を感じていなかったからだ。
火を灯したいなら術を使えばいい。遠方を見たいのなら術を使えばいい。敵地に侵入するにも術、盗聴するにも術。これらは先ほど夜美が『霊落』で警官を気絶させたように、現代技術のセキュリティをすり抜けるのでとても便利だ。
しかし逆に現代技術もまた術師のセキュリティをすり抜けることがある。今回のような電子ロックがその代表例だ。どんなに優れた術師でもそれを解くことはできないだろう。
もちろんそれを危惧している組織もおり、陰陽師院でも小規模ながらサイバー担当の部隊を作っていたりするのだが、大半の陰陽師の現状は夜美のように現代技術に疎い場合がほとんどだ。
「はぁ。せめて着信履歴だけでも見れたらいいんだけど……」
「待って。それだけならいけるかも。スマホって、機種によってはロック画面のままでも直前のメールとか着電の履歴が見てたりするの。通知センターってやつだね。ほら、こうやって……」
ヒカリはロック画面に指を当て、下から上にスライドさせた。するといくつかの履歴がリストとなって画面に表示された。
「できた! これならどうかな?」
「少し借りるわね。あと、死亡推定時刻ってわかるかしら?」
「たしか警官どもは昨日の深夜ごろっていってたっけな……すまん。詳しくは覚えてないんだ」
「十分よ」
夜美はその周辺の時間に何か通知が来てないかを探る。
――そして見つけた。昨日の23時半ごろ。誰かの電話番号がそこに載っていた。
名前はない。おそらく電話帳に登録されていない他人からの電話だったのだろう。
「……なるほどね。死因はだいたいわかったわ」
昨日の戦闘の情報と、今日の事件の情報。それらが夜美の脳内で高速に組み合わさっていく。
そして数秒とかからず夜美はそう宣言した。