ファンタズム・ファンタジア   作:日差丸

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第39話 暗雲のライブ

 いよいよこの日がやってきた。

 ライブ当日。日が暮れて星々が顔を出し始めたころ、ヒカリはドーム内の控え室で瞑想するように目をつむっていた。

 ……ファンの人たちの声がここからでも伝わってくる。ドーム内はまだ開始一時間前だというのに騒然としており、部屋全体が振動していた。まるで巨大な怪物の腹の中にいるようだ。

 ……今日はおそらく人生の転換期になることだろう。

 彼女にはその確信があった。

 今回のライブが終わってファンの顔を見ればきっとわかるはずだ。自分の歌の力が。

 しかしそれを確かめようと決心すればするほど、心の奥底で小さな不安が生まれてしまい、それを忘れるために目を閉じる。しかし一向に振り切ることはできない。

 

「お邪魔するぜー」

「ひゃんっ!?」

 

 そんな時、部屋の沈黙を打ち破って王牙が入ってきた。突然のことでヒカリはびっくりし、変な悲鳴を出してしまう。

 

「なんだなんだ? スッゲー緊張してるじゃねえかお前」

 

 王牙は椅子から崩れ落ちたヒカリを見て愉快そうにケラケラと笑った。

 

「べ、別に緊張なんてしてないもん! 私は平常心! 平常心だから!」

「ヘッタクソな嘘だなぁ。顔とかガチガチに固まってんぞ?」

 

 彼はそう言って何気なくヒカリの顔に手を伸ばし……なんとその顔を片手で鷲掴みした。そして餅でもこねるようにほっぺをぐにょぐにょと揉み始める。

 突然の奇行にヒカリは頭が真っ白になってしまった。顔は逆に熱されたかのように赤い。しかし彼はそんなこと気にもせずに手に力を込める。

 

「な、な、な……!?」

「そんな顔じゃ歌う時に口が上手く動かなくなるぞ。変に見栄張る必要はねえんだ。せっかくなら観客と一緒にお前も楽しんでこい。な?」

「……きゅう」

「何やってんのよこのバカ」

「ごふぅっ!?」

 

 危うく恥ずかしさで失神しそうになったところで救世主が現れた。王牙の後ろについてきていた夜美がどこからともなく大鎌を取り出すと、柄部分で彼の脇腹を殴りつけたのだ。ちょうどそこはリバー、つまりは肝臓があるところだったらしく、彼は地を這う芋虫のように転げ回って悶絶していた。

 

「はぁ……ごめんなさいね。この男、デリカシーってものがないから」

「……ううん。おかげでちょっとは緊張が解けた気がするから」

「ならいいけど。今回はこれを渡しに来たのよ」

 

 夜美はそう言うと、和風のお守りを手渡してきた。表面には何やら紋様が刻まれており、どことなく神聖な雰囲気を感じる。ずいぶんしっかりした作りだ。少なくともそこらのスーパーで買えるような代物ではないということがヒカリにはわかった。

 

「なにかライブ前に渡しておきたくてね。作っておいたの」

「これ夜美さんが作ったの!?」

「当たり前よ。私は巫女だもの」

 

 彼女はいつものように不思議な術を使い、一瞬で黒い巫女服に着替えた。だが今日はいつもと違った。彼女の横髪に紛れるように、長くて垂れている桃色のうさ耳がついていたのだ。

 これにはあまりに予想外すぎて、ヒカリは一瞬思考を止めてしまった。

 

「よ、夜美さん! 耳が……!」

「ん? ああ、そういえば見せたことはなかったわね。これは……あれよ。色々あって生えてきたのよ」

「……色々省略しすぎじゃない?」

「話すと長くなるから。あと面倒だし」

 

 彼女はすぐにまた同じ術を使い、現代風の服に着替えた。もちろんうさ耳はその時には消えていた。

 

「……あとで触っていい?」

「……ライブが無事終わったら考えてあげるわ」

「よしっ! 元気出てきたよ! 絶対成功させてうさ耳触るんだから!」

「なんでそこで元気になるのよ……」

 

 仕方がない。少女は常にふわふわに惹かれるものなのだから。

 と、そこで扉が再び開かれ、トレーナーが入ってきた。

 

「おーいあんたら。緊張ほぐすのもいいが、そろそろ時間だ」

「あら。なら仕方がないわね」

 

 夜美はいまだ倒れている王牙の足を掴んで部屋の外に引きずっていく。

 

「じゃあ私たちはそろそろ行くわね」

「ああ。あんたらがいない間の護衛は私がやっておくよ。か弱いFラン妖怪ではあるが、連絡の一つ入れるくらいはできるだろうからな」

「が、頑張れよ……」

「うん! 二人とも応援しにきてくれてありがとうね!」

 

 パタンとドアがしまった。

 騒がしい二人が消えると、再び静寂が室内に満ちる。しかしもうヒカリには不安は残っていなかった。

 彼女はお守りをポケットの中に入れると、先ほどとは違い、リラックスした表情で目を瞑り、その時が来るのを待った。

 

 ♦︎

 

 誰もが今日のライブを夢見て、今か今かと待ち焦がれている中、ある人影がドームの上に立っていた。

 だが誰もがそれに気づかない。彼の闇夜に溶けるような黒いタキシードがその姿を包み隠していたのだ。

 彼はペストマスクの奥にあるギラついた眼光で観客たちを見下ろし、鼻で笑う。

 

「ふん。下品な客たちだ。歌というものを静かに聴くつもりがないのか? やはり彼らは彼女にはふさわしくない……」

 

 続いて彼はその目をまだ誰もいないステージに向ける。このままあと少しすればあの祭壇に音楽の天使が舞い降りることになるだろう。

 彼女はこの穢れた下界に天上の調べをもたらしてくれるはずだった。その姿を幻視するだけで名残惜しさが胸に満ちてくるが、致し方がない。

 天使が下界に触れすぎて穢れるよりかは、その降臨を邪魔する方が何百倍もマシだ。

 

「嗚呼、嗚呼! 私の天使よ! カナリアよ! 今こそ私がその檻から君を解き放ってあげよう!」

 

 仮面の怪人は高らかに笑う。

 狂気を帯びた声で。憂いと悲しみに満ちた声で。

 

 ♦︎

 

『ヒカリン!! ヒカリン!! キラキラヒカリン!! うおおおおおぉぉぉっ!!』

 

「……すごい歓声ね。鼓膜が破けそうだわ」

「ライブなんて初めてきたが……こりゃすごいな。観客の声だけでドームがぶっ壊れそうだ」

 

 ドーム内は爆発にも思えるような大歓声で満ち溢れていた。まだライブが始まってないのにも関わらずあちこちでペンライトが振るわれており、中にはオタ芸を踊り出す猛者もいる。

 中でも異様なのが……。

 

「さーさー皆さーん! 次はライブ必勝の舞バージョン5ですよー! 死ぬ気で踊ってくださいねー!」

『ヤーイエッサー! 会長イエッサー!』

 

「……なんか見覚えのある上半身裸の男がペンライト二刀流でめちゃくちゃ狂喜乱舞してるんだが」

「目を合わせちゃダメよ。あれと知り合いだなんて思われたら私の威厳に関わるわ」

「夫がごめんなさいね〜」

 

 そう謝罪したのはヒカリの母親だった。彼女たちもヒカリに最前列のチケットをもらっており、それで王牙たちの隣に座っているのだ。ただ父親の方はファンクラブ会員と一緒になって踊っているので、こことは少し離れた場所にいた。

 

「毎回あんな感じなのか?」

「はい。毎回あんな感じですね〜」

「……ま、まあ。娘に熱心な親がいるのはいいことだし」

 

 少なくとも王牙の毒親よりは数百倍マシだろう。ただあれはあれで授業参観の時とかキツそうだなとも思った。それを口に出すことはなかったが。

 

「それにしても、社長さんの件は残念でしたね〜。でもこうして無事にライブが開けてよかったです」

「……ああ。本当に何事も起こらなくてよかった」

「こら、気を抜かないの。ライブが終わっても例のあのことが終わらないと意味ないんだから」

「わかってるって」

 

 夜美は隣に母親がいることを考慮してそうぼやかすように言った。

 彼女が言っているのは十中八九P・Sのことだろう。ライブが無事に終わってもヒカリが狙われていることに変わりはない。犯人を捕まえるまで結局護衛依頼は続くのだ。

 しかし昨日話し合ったところ、ライブ中での襲撃は考えにくいというのが夜美の見解だった。というのもP・Sという男は神秘の秘匿を気にするタイプの術師であることが予測されるからだ。犯行には術を使ってはいるが、彼は派手な破壊はせずあくまで自然死に見えるように偽装している。

 例外は王牙が襲われた時だが、あれはおそらくこちらが術師であり、死体処理家などの修繕団体と関わりがあると見ての強行だろうとのことだった。実際あの後王牙たちは現場の修繕費を自腹で夏転たちに払うことになった。要は体よく修繕を押し付けられたのだ。そう考えると腹立たしいことこの上ない。

 そんなわけで襲撃の心配は少ない。しかしそれは決してゼロというわけではないのだ。何が起きてもいいように王牙たちは細心の注意を払っていた。

 と、そこでドーム中にアナウンスが鳴り響いた。

 

『ドーム内で当ライブをお待ちのお客様へ申し上げます。ただいま機材の故障が発覚しました。修理までライブに遅れが発生する可能性がございます。誠に申し訳ございませんが席でお座りになって、ライブの開始をお待ちください』

 

「機材の故障……? 運がないわね」

「……ああ」

 

 なぜだろうか。王牙は嫌な予感がした。そしてこの場合のそれはだいたい当たるものなのだ。

 間髪入れずに夜美のスマホにメールが届いた。彼女はそれを確認し……大きく目を見開く。

 

「なんですって……!?」

「お、おいどうした?」

 

 夜美はすぐさま王牙にスマホの画面を見せた。その内容を理解した時、王牙の顔は一気に青ざめた。

 

「……クソッタレが!」

 

 ――『ドームの外へ来てくれ。やられた。ヒカリが拐われた』

 

 ♦︎

 

「おい、どういうことだこりゃ!? 敵が来たら連絡よこすんじゃなかったのかよ!?」

 

 ドームの外、人気のない駐車場では意気消沈したかのように霊のトレーナーが突っ立っていた。王牙は怒りと焦りのあまり、開口一番で彼女に突っかかっていってしまう。

 

「……すまん。言い訳に聞こえるかもしれないが、実は私はその会話を覚えていないんだ。もっと言うなら私には今日の昼から今に至るまでの記憶がない」

「……どういう、ことだ……?」

「……そういうことね。やられたわ。狙われたのはヒカリでも私たちでもなかった」

 

 夜美はその言葉だけで全てを察したようだった。苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべている。

 

「私たちもいつまでもヒカリの側を守っていられるわけじゃない。相手は私たちが観客席に行ったタイミングを狙って誘拐したのよ。……ヒカリに最も信頼されているそこのトレーナーを使ってね」

「……なんだそりゃ? どういうことだ?」

「歌には人の心を動かす力があるって言ったわよね。その延長線の話よ。P・Sは昼間のうちにトレーナーを捕まえて歌唱魔術による精神操作を行なった。それによって彼女を傀儡のように操り、私たちの警戒をすり抜けてヒカリを誘拐したってわけ。あなたも以前操り人形にされた相手と戦ったでしょ?」

「……っ!」

 

 王牙はすぐにヒカリの旧アパート前で戦った人間のことを思い出した。あれも精神操作で操られていたのは確かだ。

 歌唱魔術がどのようなことができるのか見聞きしていたのに、まんまと出し抜かれてしまった。王牙は悔しさのあまりに近くの街灯を殴りつける。

 

「くそっ! なんてことだよ! このままじゃヒカリが……!」

「……ライブに浮かれてた私のミスね。音に関しては相手が一段も二段も上。盗音虫が無力化されていることすら気づけなかった。せめて私だけでもドア前に立っているべきだったわ」

「いや、私が一番悪い。まさか私が彼女の誘拐に利用されるなんて……!」

 

 全員の顔が暗く沈む。特に夜美とトレーナーは自責の念が大きいようだった。

 前者はもともと全てを背負い込む性分ゆえに、後者は誘拐の実行犯として使われたがゆえに。

 だがこうしているのも時間の無駄だと、王牙は両拳を打ちつけて音を鳴らし、二人の注意を惹きつける。

 

「誰が悪いとかあの時ああすればよかったとかはとりあえず後回しだ。まずはヒカリを助けねえと」

「……ええ、そうね。その通りだわ。たまには良いこと言うじゃない」

「たまには余計だ」

 

 王牙の励ましもあって、夜美はようやく冷静さを取り戻したようだった。その顔は先ほどまでの苦々しいものからいつもの氷のような凜とした表情に戻っている。

 

「とは言っても、どうやってヒカリを追うかだよなぁ。トレーナー、あんた心当たりはないのか?」

「……いいや。ぼんやりとしか覚えてないんだが、私はこのスタジアムの外で誰かにヒカリを手渡したんだ。それからしばらくの間は気絶していた」

「ダメか。どうすっかなぁ」

「そこは安心しなさい。万が一を考えて、彼女に特殊な霊力を放つお守りを渡しておいたから」

「特殊な霊力? んなもんどこからも感じ取れないんだが……」

「誰でも感じ取れたら敵にも気づかれて意味ないでしょうが。特殊な術を使うのよ」

 

 彼女はそう言うと、『仮衣(かりぎぬ)』を解いて元の巫女服姿に戻った。その頭には今まで隠していたうさ耳も生えている。

 そして指に霊力を纏い、空中に正方形を、その中に円を、さらにその中に北斗七星を描いた。そしてタッチパネルに触れるように空中に浮かんだその図に手のひらを添え、念を込める。

 

「隠形順式『占星式盤(せんせいちょくばん)』」

 

 瞬間、魔法陣のようにその図の中に様々な紋様や漢字が大量に現れた。漢字……というのはわかるのだが、王牙にはその意味がさっぱり理解できなかった。かろうじて『子』『丑』『寅』などといった文字から十二支が描かれているのがわかったが、他はさっぱりである。

 その魔法陣の中に描かれていた北斗七星はいつのまにか消えており、代わりに細かい光の粒のようなものが不規則に大量に浮かんでいる。どうやらあの円の中は地図のようになっているらしく、夜美はスマホで画面を拡大したり移動させたりするように親指と人差し指を動かし、その地図を操作していた。

 

 『占星式盤』は言ってしまえば周囲の霊力をレーダーサーチのように図上に浮かび上がらせる術だ。霊力が大きければ大きいほど、図に映る粒の輝きは大きくなる。さらには対象に特殊な発信機をつけることで捕捉がより容易になる。

 そしてその地図の中に点滅をし続ける光の粒を彼女はようやく発見する。

 

「……見つけたわ。丑寅の方角におおよそ一里!」

「わかった! 丑寅に一里だな!」

 

 王牙は迷う素振りすらせずに猛牛の如く突如駆け出した。……が、数十秒後、すぐに元いた場所に引き返してくる。

 

「――って、どこだよ!?」

「それを今説明するところだったんでしょうがこのウマシカ!」

 

 夜美は大鎌を取り出し、その柄部分で王牙の頭を叩いた。悶絶する王牙を放っておいて彼女はそのまま話を進める。

 

「要するに北東に約四キロってところよ。そこにお守りの反応があるわ。どうやら現在も移動しているみたいね」

「ならここでモタモタしている時間はないな」

 

 王牙はすぐに立ち上がり、夜美が指差した北東の空を睨みつける。

 あそこにヒカリがいる。彼女はこのライブに真の意味で命をかけていた。このライブは彼女にとって最高のものになるはずだったのだ。

 ――それを邪魔するなんて、どんな理由があろうが許されていいはずがねえ!

 

「私はここに残ってなんとかライブを延期させておこう。私が行っても足手纏いになるだけだろうからな」

 

 トレーナーは片手を押さえながらそう言った。その手震えており、人間を切り刻めそうな巨大な爪が隠しきれず伸びてしまっている。そのことからどれだけ彼女が悔しさと怒りを抱いているかが王牙たちにも伝わってきた。

 

「ヒカリを助けるのが俺たちの仕事だったら、ライブを成功させるのがあんたの仕事だ。これはあんたにしかできないことだ。だからしっかりやれよ」

「……ああ! 必ず最高のライブを届けてやるさ! だからお前たちも彼女のこと、頼んだぞ!」

「おう!」

「ええ!」

 

 返事は短い。だがそれでいい。余計な言葉は今この場には必要なかった。

 ――『駆動心音(マキシマムハート)』、ダブルアクセル。

 王牙たちは車をも凌駕する速度でドームの敷地内を抜け出し、北東の方角へ向かって直進した。

 ふと、王牙は夜美がついてこられるか心配で後ろを振り返ったが、それは杞憂だった。なんと彼女は空中をジェットを使用しているかのような勢いで飛んでいたのだ。

 

「お、お前! 空飛べたのかよ!?」

「こんなの、訓練すれば誰にでもできるわ。あなたにもいずれは覚えてもらうから、覚悟しておきなさい」

「お、おう」

 

 驚きでしばらく目をパチパチさせていたが、そんなことをしている場合ではないと意識を切り替え、追跡に集中する。

 しばらくするとビルが立ちはだかったが、それも関係ない。夜美はL字を描くようにほぼ直角で軌道を変えて、王牙は倍化された自身の身体能力を使って平面の壁を蹴って、グングン上へ登っていく。そしてあっという間に屋上まで辿り着いた。

 そこから先は、王牙はまるでパルクールのようにビルからビルへと飛び移っていき、最短距離で北東に向かって爆走した。

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