ファンタズム・ファンタジア   作:日差丸

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第40話 音楽の悪魔

 ビルとビルを飛び越え続け、ひたすら北東へ。

 王牙の隣では夜美が飛行しながら『占星式盤(せんせいちょくばん)』を眺めて細かな方角調整を行なっていた。

 前も見ずにジェット機のような速度で移動しているにも関わらず、彼女は緊張一つなくいつもの涼しげな表情を浮かべていている。慣れているとしか言いようがなかった。

 

「どうやら相手もビルの上を飛行しているみたいだけど、私たちの方が速度は上みたい。あまり実戦慣れしていない学者寄りの術師なのかも知れないわね」

「だったら近づいてぶん殴ってやれば終わりだな」

「そうなればいいけど。――見えたわよ!」

 

 そして走り出してから十数分後、ようやく視界の中に闇夜を飛ぶ怪人の姿が見えた。

 黒いタキシードにペストマスク。間違いなく夜美から聞いていたP・Sの外見と一致する。

 その腕にはキラキラとした天使の衣装を着たヒカリが抱えられている。グッタリしている様子から、どうやら意識を失っているようだ。

 P・Sはこちらの追跡に気づいていないのか、ビルの上から一気に地上に着地した。どうやらそこは公園になっているようだった。そこでふと上空から周囲を見下ろして、王牙たちはそこが見覚えのある場所だと気づく。

 

「……この場所は……」

「銀座の裏地区。ヒカリが昔住んでいた場所ね」

 

 そうだ。このボロボロの寂れ具合。間違いなく前にヒカリに案内され、P・Sに奇襲を受けた場所だった。

 ということはP・Sの拠点はここにあったのだろう。

 初めての護衛任務に頭がいっぱいになっていて、襲撃地点周辺を調査することを忘れていた、と内心夜美は苦虫を噛み潰す。

 P・Sはその公園内の何もない空間に手を伸ばす。すると彼の目の前の空間が捩れ、渦巻いた。

 この光景にもまた見覚えがある。二人は驚愕して思わず声をあげた。

 

「異界への門だと!?」

「まずいわ! この距離からじゃ門が閉まるまで間に合わない……!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、王牙は即断即決で手首を三度撚り、身体能力の強化を三倍に跳ね上げた。

 そして夜美を置いて、一人弾丸のように捩れた空間へ突っ込んでいく。

 

「ちょ、ちょっと王牙!?」

「悪りぃな! 一足先に行ってくる!」

 

 徐々に狭くなっていく異界の門。その隙間に滑り込むように王牙の体は門を通過し、その奥に消えていった。

 数十秒遅れて夜美が現着するが、その時にはもう公園内に空間の歪みは閉じていた。

 

「ああもう! 相変わらず猪突猛進なんだから!」

 

 夜美は急いで先ほどまで異界が開いていた空間に手を突き出し、解析を始めた。

 

「通過を許可されていた八百神社やそもそも閉じる気のなかったジェネシスと違って、ここのは完全に閉じられているわね。私の技量でも強引にこじ開けるのには……おおよそ15分ってとこかしら?」

 

 15分。側から聞けば短いと思うかもしれないが、数秒の隙で決着が決まる戦闘においては長い長い時間だ。果たして王牙がそれまで耐え切れるかどうか……。

 夜美は一度P・Sと戦ったからこそ断言できる。あの男は今の王牙には天敵に近い相手だと。

 

「私が来るまでの間、死ぬんじゃないわよ……!」

 

 だが後悔してももう遅い。今の彼女にできることは、こうしてただ彼の無事を祈ることだけだった。

 

 ♦︎

 

「ん……ぅ……」

 

 少しのまどろみのあと、ヒカリはだんだんと意識を取り戻した。

 記憶の中にあるのは意識が途切れるまでの映像。王牙たちが控え室から出ていったあと、信頼するトレーナーがある音楽プレイヤーを取り出したのだ。そこから聞こえてきた素敵な歌声に夢中になっていると、だんだん意識が遠のいていって……気がつけばここで寝ていた。

 ヒカリは周囲を見渡す。そしてその光景に空いた口が塞がらなくなった。

 

「なに……ここ……? 教会……? いや、オペラ会場……?」

 

 彼女が言う通り、そこは教会とオペラ会場が合わさったような不思議な空間だった。

 ヨーロッパ風の豪華絢爛な装飾が壁一面に施されており、座席が一階から六階まで大量に並べられ、ステージを取り囲んでいる。その広さは尋常ではなく、まるで銀座ドームがそのままオペラ会場になったかのようだ。

 しかしこの空間には人口の明かりはなく、天井を覆うステンドグラスが反射した色とりどりの月光が冷たく会場を照らしていた。

 ヒカリはそんな独特の空間のステージ上に座らされていた。

 

「まさか……私、誘拐されたの?」

 

 顔がサーっと青くなっていく。ヒカリは思わず自分に親切にしてくれた男の子の姿を探し求めるが、どこにも見当たらない。それだけで泣き出したくなるほどの恐怖に駆られたが、彼と交わした思い出の数々が彼女の心を繋ぎ止めた。

 ――そうだ。今ここで泣き出したって仕方がない。今は自分にできる最善の行動をしなければ。銀座ドームには自分を待っているファンの人たちがいるのだ。ここで泣いている暇はない。

 そう覚悟を決め、深呼吸をする。

 幸い縄で縛られてはいない。なのですぐさまこの不気味な場所から逃げ出そうと、立ち上がる。が……その時、同じステージ上に別の足音が響いた。

 

「やあ。お目覚めかな? 我が麗しの天使よ」

 

 不思議とその声に嫌悪感は感じなかった。むしろ綺麗だとすら彼女は思った。

 だがその顔を見た時、その考えは逆転する。

 鳥のくちばしのように尖った異様な白いペストマスク。そしてその奥で輝く赤く不気味な瞳。黒いタキシードも相まってまるで死神のようだとヒカリは慄き、無意識のうちに後退りした。

 ごくり、と恐怖を唾とともに飲み込みながら彼女は冷静さを装って男に質問をする。しかしその額からは隠しきれない汗が雫となって流れていた。

 

「あなたが……P・Sですか。」

「いかにも。だが君にはその名で呼んでほしくはないな。――エリック。君にはそう呼んでほしい」

「結構ですっ」

 

 彼の言葉には気になる部分が含まれていたが、現状の危機感が彼と会話することを拒否させた。

 P・Sはその拒絶に少しも怯んだ様子はなく、彼女に歩み寄っていく。彼女も抵抗しようとするが、それ以上に足がすくんで動くことができなくなった。そしてP・Sは彼女の顎を撫でるように動かし、強引に目線を彼の目向けさせる。

 

「ああ、ヒカリ……私の天使よ。なぜ私を拒む? お前の救い主がやってきたというのに」

「私はあなたのことなんか知りません。勝手に人を誘拐して、勝手にライブを中止させるなんていい迷惑です。今すぐ帰して!」

「いいや。君は知ってるはずだ。私のことも。そして私も君の全てを知っている。なにせ、君に歌を教えたのはこの私だからね」

「何を、言って……」

 

 その無視できない言葉に戸惑うヒカリ。

 するとまたもや彼女を激しい頭痛が襲った。

 ヒカリはすでに知っていた。この痛みが過去を思い出そうとするたびに起こるものだということを。それを歯を食いしばってなんとか耐えていると、頭の中を大量の知らない……否、忘れていた記憶がものすごい勢いで逆流していく。

 P・Sは苦痛に顔を歪めて悶絶しているヒカリを観察しながら、その胸元にあった銀の十字架のネックレスを掴み上げた。

 

「私がいなくなった後もこれを肌身離さずつけてくれていたんだね。嬉しいことだ」

「……っ、やっぱりあなたは……先生なんですか……!?」

「おや。私との接触がキーとなって記憶を取り戻し始めたか。やはり音楽家が本業の私では君の記憶を完全に消し去ることは難しかったようだ」

 

 だんだんと思い出してきた。

 ――そうだ。この男は先生だったのだ。自分の祈りによって現れた天界の導き手。彼女にとっての音楽の天使。

 既に彼女の中で男への嫌悪感は消えていた。あるのは戸惑い。自分に夢に至る道筋を描いてくれた恩人が、なぜ今になってその道に立ちはだかるのか。

 

「どうしてですか……? 先生は私を応援してくれてたはずじゃ……?」

「……そうだ。私は君を音楽の天使に仕上げた。全ては君に秘められた才能を開花させ、それをこの世に送り届けるために。君こそが無から生まれ出た私にとって人生の光だった!」

 

 P・Sの顔は仮面に隠れて見えないが、その空間を振動させるような強い口調からは彼が本当にそう思っていたことが伝わってきた。

 

「君から離れたのもそのためだ。アイドルというのは異性が身近にいることは致命的になりかねない。それが家族でも事務所の関係者でもなんでもなく、ただの赤の他人ならなおさらね。だが幼い君は私を手放そうとはしなかった。だから記憶を消したのだ。――それなのにっ!」

 

 ダァァン!! という男の足踏みがオペラ会場にこだました。ヒカリはそれに一瞬体をこわばらせる。だがそれもお構いなしに男は溢れる感情を抑えきれんと言わんばかりに怒鳴り始める。

 

「そんな私の光が! あろうことか俗物どもに穢されようとしている! 真の歌姫とは、その声で、その仕草で聴衆の心を虜とするもの! 断じて売春婦の真似をして得る資格ではない! 私はそれが耐えきれなかった! だから殺してやったのさ! 君を堕落させんとする卑俗な畜生どもを、一匹一匹! この手でな!」

 

 先ほどの穏やかで優しい紳士的な雰囲気から一変、彼の雰囲気は地獄の悪魔のような恐ろしげなものに変化した。彼の叫びにはこの世の全てを怨むような呪詛がこもっていた。そのあまりの威圧感にヒカリは押しつぶされそうになったが、かろうじて意識を保つ。

 

「そ、そのために……そんなことのために歌を殺しの道具に利用したんですか!?」

「そうだ! だからこそ故国フランスに帰り、歌唱魔術を研究する一族を見つけ出し、皆殺しにした! 全てはその術式を強奪するために!」

「ひ、酷い! 先生は言ってたじゃないですか! 音楽は心を映し出す鏡だって! 決して人を傷つけるためのものじゃないって! 今のあなたは音楽の天使なんかじゃない! 悪魔そのものです!」

「悪魔……悪魔か! だがそれでもいいさ! 君の平穏を、その歌声と純潔を守るためだったら、私はいくらでも泥を被ろうとも!」

 

 ヒカリの必死の訴えはもはやP・Sには届かない。彼の心はその外見に違わぬ悪魔に成り果ててしまった。

 いまだ自身に翼があることを信じて疑わない彼は、ダンスの相手を求めるように優雅にその手を差し出す。

 

「さあヒカリ。私の手を取ってくれ。私とともにあの穢れた世界から逃げ出そう。そしてこの世界で永遠に君の歌を聴かせておくれ。そうすれば君はもう傷つかずにすむ。悩むことも、絶望で打ちひしがれることもなくなる」

 

 ヒカリはその手をしばらくの間見つめていた。そして目を瞑って覚悟を決め……その手を振り払った。

 

「なっ……!?」

 

 P・Sはその予想外の拒絶に呆然とする。

 ――迷いがないと言えば嘘になる。少し前までの彼女だったら全てを諦め、その手を取っていただろう。芸能界はそれほど深い傷を彼女に塗り込んでいた。

 一番嫌だった大田が死んだだけで、きっとこの先も似たようなことは起こるのだろう。そう考えると吐きそうになるほどの嫌悪感と絶望が湧いてくる。……だが、それだけじゃないのだ。彼女が得たものは。

 

「……ごめんなさい。たしかにあなたは私の恩人です。でも、私にはそれはできません。この世界には、私の歌を待っている人たちがいるんです」

 

 ――私の歌に感動したと言ってくれた男の子がいた。

 それで思い出したのだ。芸能界は決して闇ばかりではないことを。ヒカリは控え室に行く前にドーム前で並ぶ人々の顔を見た。その誰もが生き生きとしており、ヒカリの歌を楽しみにしているようだった。ヒカリの歌は彼らの希望になれていたのだ。

 ならば、その期待を裏切りたくない。応援してくれる人のために、彼らに希望を与えられる歌をこれからも歌っていきたい。それがヒカリが自覚した意志だった。

 

「……そうか。なら仕方がない。しばらく経てば君も冷静になるはずだ。それまで、君を攫わせてもらおう」

 

 だが、その彼女の思いのこもった答えも、狂ったP・Sには届かない。彼はヒカリの言葉を聞きたくないというように、再度眠らせようと歌唱魔術を発動させようとする。

 

 その次の瞬間、オペラ会場の天井が吹き飛んだ。

 

「ヒカリぃぃぃぃぃっ!!」

 

 頭上を覆った砂埃の中からシルエットが一つ飛び出す。その正体を目視してヒカリは希望に満ちた笑みを、P・Sは忌々しげな視線をそれに向けた。

 

「……王牙っ!」

「早い……なぜここがバレた……!?」

「らぁぁぁぁぁっ! ――『王牙会心撃』!!」

 

 先手必勝。

 王牙は右拳に大量の桃紫色の霊力を纏わせ、それをヒカリの側にいる怪しげな仮面男に向かって振り下ろす。

 男はそれを軽やかなバックステップで回避した。が、拳は壇上の床に突き刺さった瞬間、そのあまりの威力によって周囲の地面を隆起させ、男と王牙たちの間に土の壁を作り上げた。

 視界からP・Sの姿を完全にシャットダウンしたところで、王牙が不敵な笑みを浮かべて振り返る。

 

「よう。なに泣き出しそうな顔してんだよ? 昼飯でも食い忘れたか?」

「王牙……来てくれたんだね……」

「当たりめえだ。約束したからな。俺は誰かのためにならない嘘はつかん」

 

 王牙はヒカリの元に近づくと彼女の目尻に浮かんでいた涙を拭う。かと思ったら次の瞬間、なんとその両頬をつかんで無理やり笑顔の形にした。

 

「いひゃいいひゃい!?」

「ほら笑え。この後ライブだろ? そんなしけたツラでファンの前に出んのか?」

「うん……でも……」

「目の前のことに関しては安心しろ。俺が命をかけてでもこいつをぶっ潰してやる。だからお前はこの後楽しく歌うことだけ考えてろ」

「……わかった!」

 

 正直、先生に対して思うことはたくさんある。再会の喜び、歌を凶器に使ったことへの絶望、そして彼が悪魔と化したことへの恐怖。だが今はそれらは全て忘れよう。

 今すべきこと。それは一刻も早くファンたちの元へ戻ることだ。そのためには壁の向こうにいる男を倒さなければならない。

 だからヒカリは余計なことは何も言わず、王牙に全てを託すことに決めた。

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