ファンタズム・ファンタジア   作:日差丸

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第49話 追憶回廊:桜吹雪2

 桜との出会いからしばらくして。桜が散り、しかしまだ温かさが感じられる五月の末。王牙たちの通う中学校では学園祭が開かれることとなった。

 とはいえ王牙はその行事にほとんど関わっていない。普段から恐れられているせいで、自然といない者扱いされているからだ。だから彼はこういった学校のイベントにはまったく参加したことがない。王牙自身も無理やり参加しようとすれば周りが怯えて準備が進まなくなることを理解していたので、その扱いに意を唱えることはなかった。

 ちなみに桜は今年転入のはずなのに、さっそくクラスメイトたちから頼りにされていた。おかげで最近の彼女は毎日忙しなく動き回っている。あれだけ必要とされているのだから、自分のようなはみ出し者に関わらない方がいいのに、なんて王牙は心の中で愚痴をこぼす。

 そう、あれから王牙と桜の交流は細々ながら続くようになった。とはいえ毎日話していたりするわけではない。周りの目がない時に出会ったら少し話したり、たまに禁止場所の屋上などで一緒に昼飯を食べる程度だ。たいていは王牙が人気のない場所で暇を潰している時に、なぜか桜が追ってきて話かけられる、といったようなパターンとなっている。

 おそらく王牙がいつも一人でいることを気にしているのだろう。お人好しなことだ。まあそのお人好しさが、人気の秘訣なのかもしれないが。なんて大勢のクラスメイトに話しかけられている彼女を見ながら、思う。

 

 そうして時は流れて、学園祭当日の日となった。ここではクラスごとに様々な出し物をしているのだが、当然王牙はやることがないので廊下を散策していた。

 学校はいつも以上に人で溢れている。そのはずなのだが、王牙が肩を切って歩いていると、なぜか滝が割れるように人混みが分かれて、道が出来上がっていく。それに内心ため息をつきながら、歩きやすくなったそこを通過していく。

 この調子じゃどこのクラスに行っても、まともな待遇は受けられないだろう。むしろ王牙の顔を見た途端に逃げ出す生徒もいるかもしれない。さすがに王牙はそのように迷惑をかけたいとは思っていなかったので、禁止区域となっている人気のない屋上で大人しくしておくことに決めた。

 

 それから数時間が経った。夕日が赤く輝いている時間になって、王牙はようやくスマホから顔を上げた。

 この時刻なら、もう学園祭は終了しているだろう。その時間を見計らって、王牙は屋内に戻ることにした。

 夕焼けの光が差し込む廊下を歩く。予想通り、もう廊下に人気はなかった。ただ足音だけがこだましていた。

 だが、違和感を感じて王牙はある部屋の前で足を止める。そこは現在使われていない教室であり、この学園祭では展示物の置き場所にされていた部屋だった。中でも今回の祭りでは著名な芸術家のOBが作った壺が飾られているらしく、昼では多くの人が殺到していたのを覚えている。

 そんな誰もいないはずの空き教室から、声がした。王牙は気になって窓の外から中を覗き込むことにする。

 そこには、5人の小学生くらいの少年少女たちが、壺の周りを囲っていた。

 たしかこの学園祭にはこういった近所の小学校から子どもたちが招待されていたと聞いたことがある。おそらく彼らがそれなのだろう。

 しかしもうすでに学園祭は終了してしまっているはずだ。彼らが何をしているのかが気になり、王牙は身を潜めて耳を澄ませる。

 

「うおー、スッゲー! これがいちばんにんきのツボかー!」

「おひるはひとがおおすぎて、ボクらじゃみれなかったからね。こっそりきてよかった」

「わぁ……みてみて! ツルツルしてるー!」

「ね、ねぇ……やっぱりもうかえろうよ。みつかったらおこられちゃうよぉ……」

「うるさいぞ! バレなきゃいいんだよバレなきゃ!」

「ひぅっ、いたいよぉ……!」

 

 どうやら組み合わせとしては男子3人、女子2人といった感じらしい。彼らはあの壺が見たくてここに忍び込んだようだった。そのため興味津々でその壺を眺めたり、触ったりしている。

 しかし一人の少女は彼らと違って楽しめていないようだった。

 

「……ん? あいつ、たしか……」

 

 王牙はその少女に見覚えがあった。たしかこの前薬代をカツアゲされていた子だ。彼女はすっかり怯えきっており、周囲をビクビクと伺っている。どうやら彼女は彼らと違って無理やりここに連れてこられたらしい。

 しかしそんな彼女を鬱陶しく思ったのか、一人の少年が少女の髪を引っ張って嫌がらせをしていた。他の三人はそれをニヤニヤとした笑みを浮かべながら見守っている。

 ……さすがにこれは、見ていて気分がいいものではないな。王牙は仕方なくため息をついて、空き教室に突入しようと立ち上がる。

 

「ったく、いいこぶってんじゃないわよっ!」

 

 しかしその時、いじめっ子たちの一人が悪ふざけで少女を突き飛ばした。彼女はバランスを崩し、転んでしまう。

 

 そして何かに手が当たり、パリィン、という音が響いた。

 

「……あっ」

 

 床にあるのは、散らばった破片。

 全員の顔が青ざめていく。誰も声を発することができない。冷たい沈黙が彼らの体を縛り付けていた。

 

「……え、あっ、そんな……!」

「どうすんだよこれ!? どうすんだよ!?」

「しらないよ! おれじゃないし!」

「はぁ!? しのびこもうっていったのおまえだろ!?」

「おまえだってとめなかったじゃないか!」

 

 ……なんとも醜い争いだ。小学生の時点でこれだけ性根が腐っているのなら、なんて救いようのない話なのだろう。王牙は人間そのものがますます嫌いになっていった。

 やはり人間とはどうしようもない生物なのだろう。こんなやつらと同化して生きていくのはごめんだ。

 ため息をつきながら、教室に押し入る。そうしたら彼らの視線が一気に王牙に集中した。

 

「や、やべえ! みつかったぞ!」

「と、とにかく、おまえのせいだ! おまえがノロマだったからツボがわれた! そういうことだ!」

「えっ……? ちょ、ちょっとまって……!」

「にげるぞ!」

 

 少年たちは蜘蛛の子を散らすように、彼が立っている場所とは反対の戸から逃げていった。

 残ったのは床にへたり込んだままの少女と、王牙のみ。

 彼女は視線が合うと「ひっ……!」という短い悲鳴をあげた。王牙はかなり目立つ容姿だ。一度でも関わりがあったのなら、覚えているはずなのだが、どうやら少女はパニックになっていて、気づいていないらしい。すぐさま彼女は逃げようとするのだが、しかし……。

 

「うっ、いたっ……!」

 

 突如、少女は足を押さえてうずくまってしまった。

 よくよく見ると、彼女の足首は青黒く腫れ上がってしまっている。おそらく先ほど突き飛ばされた時に、捻ってしまったのだろう。

 

「う゛っ……あ゛ぁ゛……ごめんなさい……! ごめん、なざい゛……!」

 

 少女はとうとう沈黙と罪悪感に耐えきれなくなって、泣き出してしまった。もう逃げる気力もないようだ。

 王牙はため息をつく。彼女の事情もよくわかる。無理やり連れられて、それで人がいないことをいいことにいじめられ、挙げ句の果てには貴重な壺を壊した犯人扱いさせられる。一応の知り合いであることを含めて、同情すべき点は多いだろう。

 しかし、だからといってそれを隠すことは王牙にはできない。それは嘘をつくということになってしまうから。

 

「何か声が聞こえたぞ!」

「今は全員ホームルームのはず……誰だ!?」

「あ゛っ……う゛ぅ……!」

 

 先ほどの醜い争いで声が響いたのだろう。それを聞きつけて教員らしき声と足音が複数、こちらに迫ってくるのが聞こえた。

 少女はさらに泣き出してしまった。この後に起こる最悪の出来事を想像してしまったのだろう。その瞳には絶望が映り込んでしまっている。

 ……どうしようもないことだ。過程はどうあれ、結果は変わらないのだから。王牙にできることと言えば、あのクソガキたちを巻き添えにすることぐらい。しかしそもそも顔もまともに覚えていないし、教員からの信用がない王牙では何を言ってもまともに取り合ってもらえることはないだろう。

 彼はそうやって、同情のこもった目で、うずくまる少女を見下ろし……。

 

 

『ごめん、なさい……兄さん……。役立たずで、ごめん、なさい……』

 

「……っ! そこのカーテンに隠れてろ!」

「えっ……!」

「いいから早く!」

「う、うん……!」

 

 なぜそんなことを言ったのかは自分でもわからなかった。ただ、頭が考えるよりも早く、言葉が口から出ていた。

 王牙は割れた壺の前で仁王立ちの如くたたずむ。そして少女が足を引きずりながら隠れて数秒後に、背後から戸を開ける音が聞こえてきた。

 

「こ、これは……!?」

「が、我道……! ま、まさかお前が……!」

「……」

 

 教員たちから矢継ぎ早に声をかけられるが、王牙の耳には入らない。彼はただひたすら今の自分の行動に対して自問自答することで頭が夢中になっていた。

 しかし教員の一人に肩を掴まれたことで、ようやく現実に意識が引き戻される。

 

「答えろ我道! これはお前がやったのか!?」

 

 ――正直に言え。嘘をつくな。

 理性がそう叫ぶ。そうだ、それが我道王牙にとっては正しい選択のはずだ。

 嘘とは弱さ。弱さとは罪なのだから。

 嘘をつけばあの頃の、弱かった自分に戻ってしまう。だから我道王牙は嘘をついてはならない。ならないのだ。

 だが……。

 

「――そうだ。俺が、やった」

 

 絞り出したような、しかしそれでいて圧のこもった声で、彼はそう言った。言ってしまった。

 途端に教員たちの目が厳しくなる。ある者は顔を赤くし、ある者は無言。しかし彼らから共通して感じられる感情があった。

 それは、怒り。

 

「き、貴様ぁ!」

 

 教員の一人が我慢ならず、王牙の顔を引っ叩こうとした。次の瞬間、彼の体は反射で動き出し、逆にその教員の顔面にカウンターを浴びせていた。

 血飛沫が拳に付着する。教員は顔を押さえ、うめき声をあげながらうずくまる。

 教員たちはそれで動揺したようで、王牙から距離を露骨に取り出した。そこにあるのは怯えのみ。まるで肉食獣を前にした羊のようだ。

 だが王牙の眼中に彼らはなかった。むしろ自分が殴ったことさえ気づいていないようだった。彼はひたすら茫然自失している。まるで今自分が発した言葉が信じられないものであったかのように。

 そして沈黙が支配すること数分後。ようやく彼の意識はうっすらと現実に引き戻された。

 王牙は周囲を一瞥し、そして現状を理解する。そしてゆっくりとした足取りで教室を出ていった。そこには殴った教員への謝罪はない。そんなことはどうでもよかった。

 すると教員たちもゾロゾロとその後を追ってくる。

 そうして王牙は教員たちを引き連れ、まるで断頭台に登る処刑囚のように、自ら職員室に出向いていった。

 

 ♦︎

 

 あの後、王牙は学校中の教員たちから、かつてないほどの説教を受けた。次第にその怒りはエスカレートしていき、しまいには賠償責任の話まで出てきてしまった。

 しかしこれに待ったをかけた人がいた。

 それが、あの壺を作った張本人であるOBだった。

 彼は未来ある若者の将来を潰したくないと言っており、王牙に賠償を求めなかった。そのため、この話だけはなかったことになった。

 しかしそれで教員たちの怒りが収まることはなく、彼はその日、夜になるまでひたすら説教をされ続けていた。

 だが、彼はそのような些細なことは微塵も聞いていなかった。

 彼は考え続けるのは、なぜあの時嘘をついたかについて。その行いは確実に彼のアイデンティティにひびを入れていた。その補修をするために理由を探し続けたことで、教員たちの話は聞き流されていた。

 そうして日が傾き、王牙はようやく学校から解放される。周囲のほとんどが闇に包まれており、街灯だけが彼を照らしている。

 しかし彼の顔には影が差していた。そこにはいつもあるはずの活力がない。足元はおぼつかなく、目の焦点も合っているか定かではない。

 学校を出てからも、彼はひたすら自分が嘘をついたことについて考え続けていた。そうやって当てもなく町を彷徨っていると、丘の上にある公園にたどり着いたようだ。

 ここは知る人ぞ知る町の人気スポットだ。観光名所がほとんどない香霊町では珍しく絶景を拝める場所であり、突き出した崖からは町を一望することができる。しかしここに来るために長い長い階段を登る必要があるため、普段はほとんど人がいない。今も公園にいるのは王牙のみだった。

 

「……」

 

 王牙は幽鬼のような足取りで近くの街灯に寄りかかる。

 ――そして次の瞬間、彼は自らの顔面を思いっきり街灯に打ちつけた。

 

「なんでっ!? どうしてっ!? 俺はっ! 嘘をっ! ついたんだっ!? 誓ったはずなのにっ!!」

 

 何度も何度も打ちつける。鈍い音が鳴り響く。だが彼は止まらない。止まることを知らない。

 

「俺はどうすればよかったんだ!? 俺はあの時、二度と嘘をつかないことを誓った! だけど、あのガキが一瞬、魅喜の姿に重なって見えて、見捨てられなくなったんだ! もし見捨ててしまえば、俺はまた同じ過ちを繰り返すことになる気がして……! でも、結局その解決に嘘を使うことになって……! ぐぅぅぅ……っ! 頭がどうにかなりそうだ……!」

 

 繰り返される衝撃によって街灯がへし折れる。しかし彼の顔には傷一つついていなかった。

 それが無性に腹立たしくて、全身を掻きむしりたくなって……王牙は理性のない獣のような雄叫びをあげた。

 

「ガァァアアアアアアアアッ!!」

 

 そして今度は自らの拳で自分の顔面を殴り始めた。鳥肌が立つようなおぞましく鈍い音がこだまする。今度こそ彼の顔からは血が流れた。だが彼は拳をやめず、何度も何度も自分を殴り続けた。まるで自らを罰するように。

 彼の意識を蝕むのは、狂気。

 誓いを自ら破った。それが自己の崩壊を引き起こし、彼は自らを本気で殺そうとしていた。

 己が最も嫌いな、嘘つきを裁くために。

 このままいけば彼は本当に自分で自分を殺すことになるだろう。一切の加減のない拳と、飛び散る血がそれを物語っている。

 

「……こんなところにいたんだ」

 

 しかし、そうはならなかった。

 声がしたからだ。誰かを憐れむような、慈しむような優しい少女の声。それが彼の狂気を引き止めた。

 王牙は傷だらけになった顔をあげる。

 そこには、あの桜が立っていた。

 

「……何をしにきた?」

「この子を連れてきたの。どうしても言いたいことがあるらしくって」

 

 そう言って彼女は体を横にずらす。その背後にいたのは、あの時王牙が庇った少女だった。

 彼女の目は震えていた。彼の狂気的な場面を目撃し、すっかり萎縮してしまっていたのだ。それでも彼女は絞り出すように声を出しながら、頭を勢いよく下げる。

 

「あ、あ、あの……ありがとうございましたっ!」

「……はっ?」

「そ、その……ほんとうはわたしがおこられなくちゃいけなかったのに……っ! ひっぐ……!」

「ほら、泣かないで。頑張って自分の言葉で言おう?」

「うん……! わ、わたしのせいでおこられちゃって……ごめん、なさい! それと……わたしをかばってくれて、ありがとうございましたっ!」

「っ……!」

 

 嘘をついたのに、お礼を言われた。

 その事実が彼の思考を停止させた。

 彼は石のように固まって、動けなくなってしまった。少女は返答がないということで不安げな顔をしていたが、桜は空気を読んで、ひと足先に彼女を帰らせていた。

 そして桜は、王牙と真正面から向き合う。

 

「……なんのつもりだ?」

「……なにが?」

「あのガキをわざわざ俺の前に連れてきて、いったいなんのつもりだって言ってんだよ!?」

 

 王牙の頭はもはやこんがらがっていた。彼はもう何が正しくて正しくないのかわからなくなっていた。

 だから八つ当たり気味に、その混乱に陥れてくれた桜に向かって吠える。

 しかし彼女は顔色一つ変えず、口を開いた。

 

「知って欲しかったの。王牙君の嘘のおかげで、救われた人がいたってことを」

「はっ……?」

 

 王牙は桜の言葉に目を丸くした。

 ――嘘によって人が救われた? そんなの……!

 

「そんなの、あっていいはずがない! 嘘は弱さだ! そして弱さは罪だ! 嘘なんてこの世に存在しちゃならねえんだ!」

「違うよ! 王牙君の嘘はたしかに子どもを救ったよ! それは決して弱さから出た嘘なんかじゃない!」

 

 王牙の言葉を桜は否定する。

 

「王牙君の嘘は立派だった! 妹さんだって許してくれるよ!」

「お前に俺の妹の何がわかる!」

「もし私が妹さんだったら! 私は泥を被ってまで誰かを救った兄のことを誇りに思う! 誰だってそうだよ!」

 

 誰かを助けることは、自分を助けることよりもずっと勇気のいることだ。ましてや自分が傷ついてまで誰かを救うことなんて、普通はできない。ゆえにそれはとても誇り高く、尊い行いなのだ。

 だから、桜は王牙を肯定する。

 彼に今日の自分の行いが、間違いだと思って欲しくないから。

 

「だけど、俺は……! 俺はぁ……っ!!」

 

 それでも王牙は悩み、苦しみ、歯を食いしばっている。

 彼はそれを認めるわけにはいかなかったからだ。認めてしまえば、嘘をつくことが正しかったことになる。それだけは認めるわけにはいかないのだ。

 王牙は答えのない思考の迷宮に陥り、自己矛盾の苦しみによって唸り声を上げ続けた。

 

 ――その苦しむ姿に心が張り裂けそうになって、桜は気づいた。どうして自分がこんなにも彼を放っておけないのかを。

 ――彼が、傷だらけでも、止まること知らない人だったからだ。

 最初会った時、桜は彼が強い人間なんだと思っていた。どんなに周りから非難されようが、自らの道を貫く強い意思。そして少女を助けた時のような、弱きを助ける優しさ。その両方を兼ね備えた、すごい人なのだと思っていた。それは社会的な善悪はどうであれ、桜には絶対になることができない姿だ。

 だけど、今彼が苦しんでいる姿を見て、それだけではないことに気づいた。

 彼は強いのではない。強くなろうとしているだけなのだ。

 弱かったころの自分を殺したいほど憎んでいて、昔に戻らないために、社会生活に支障が出るような誓いまで立てて……それでも彼は、どんなに傷ついても、必死に強い人間であろうとしていた。

 だから、桜は惹かれたのだ。

 その傷だらけでも、前に進もうとするその姿に。

 そして、これ以上傷つかなくて済むように、守ってあげたいと思うようになった。

 

 だけど、彼はもう限界だ。

 今回、人を助けるためには、嘘をつかなければならなかった。だけど嘘をつけば、誓いを破ることになる。

 その矛盾が、彼が拠り所としていた誓い、アイデンティティを破壊してしまった。今の彼の頭はバグが発生したかのように混乱しており、このままでは自己崩壊を起こしてしまうことだろう。最悪、植物人間のようになってしまうかもしれない。

 ――だから桜は今、決心した。

 

「王牙君が嘘をつかないのは、過去の過ちを繰り返さないためなんでしょ? 自分の嘘で誰かが傷つくことが、もう二度とないようにって」

「……そうだ」

「だったら、誰かを助けるための嘘は許されてもいいと私は思うな」

 

 王牙から誓いを取り除くことはできない。それは既に彼を彼足らしめる根源となっているからだ。

 しかし取り除くことはできなくても、一部は変えることができるかもしれない。そうすれば、彼の苦しみを和らげることができるかもしれない。

 そう考え、桜はとある提案をした。全ては彼を守るために。

 

「――妹さんに、新しい誓いを立てようよ。妹さんが誇れる行いをできるように」

「新しい誓い……だと……?」

 

 消せないのなら、上書きすればいい。それが桜の考えだった。彼女は王牙が人間社会でも生きていけるように、元の誓いに逃げ道を付け加えようとする。

 

「そうだね……。『誰かのためにならない嘘はつかない』なんてのはどうかな?」

「『誰かのために』……だと……?」

「そう。王牙君は自分のために嘘をついてはならない。だけど今回みたいに、誰かを助けるために必要な嘘っていうのも、時にはあると思うの。だから、この誓い。これなら王牙君は誓いを保ちながら、思ったままに人を助けることができる」

「……」

 

 王牙から即答はなかった。

 彼はただ否定も肯定もせずに、ひたすら熟考をしていた。

 桜はそれを急かすことなく、ただ微笑んで答えを待ち続ける。まるで彼を見守るように。

 そして数分が過ぎて、絞り出すような小さな呟きが、聞こえてきた。

 

「……その誓い、妹は誇りに思ってくれると思うか?」

「うん。立派なお兄さんだって自慢に思ってくれるよ。きっと」

「……そうか……」

 

 彼はそれっきり、夜空を見上げたままとなった。

 彼が今、何を考えているかは桜にはわからない。

 ただその様子は、まるで今は亡き妹さんに思いを馳せているように思えた。

 

「俺は魅喜と……そしてお前に誓おう。俺は今後『誰かのためにならない嘘は、絶対につかない』と……」

「……うん、聞き届けたよ。王牙君の誓い」

 

 そして王牙は決めた。自らの進む新たな道を。

 桜は王牙の目を見る。そこには既に狂気は消えていた。あるのは彼女が惹かれた、強い意志の光だけ。

 王牙が元に戻ってくれたのを実感して、桜は笑みを浮かべた。

 

「……お前もありがとうな。こんな俺のために色々考えてくれて」

「ううん……いいの。私は王牙君にこれ以上傷ついて欲しくないって思っただけだから……」

「それと……図々しいやつと思うかもしれないが……お願いがあるんだ」

「え、な、何かな?」

「……俺と、友達になってくれないか?」

「へっ?」

 

 突然の王牙の言葉に、今度は桜が目を丸くした。

 驚いている間に、王牙は話を続ける。

 

「自分でも自覚しているが、俺は異常者だ。中学生になってもいまだにどうして人を殺しちゃダメなのか、知識ではわかっていても実感することができてねえ。他にも色々ズレていて、だから親も、引取先の祖父も、院や学校の先公どもも、俺を異常に思って遠ざけてた。初めてなんだ、お前みたいに俺のことを本当に考えてくれて、真っ向から向き合ってくれるようなやつは……!」

「え、えへへ。そんな大したことしてないと思うな。当然のことをしただけだよ」

「だから、俺はもっとお前を理解したい。もっとお前と話したいんだ! だから迷惑かもしれないが、俺と友達になってくれ!」

 

 胸の動悸が激しくなる。顔が赤くなって、動揺を隠しきれそうにない。

 あまりにまっすぐな彼の言葉に、桜は目を背けたくなりそうになった。しかしここでそれをしては勘違いをさせてしまいそうで、彼女は必死に羞恥心を堪えて王牙と目を合わせる。

 

「わ、私としてはもう友達だと思ってたんだけど……」

「っ! じゃあ!」

 

「――うん。これからも、不束者ですが、よろしくお願いします。王牙君」

 

 

 こうして、二人は本当の意味で友達となった。

 それは王牙にとっては初めての、桜にとっては特別な友達だった。

 それから二人は学校で会う時も毎日顔を合わせ、一緒に行動するようになった。

 桜は王牙が少しでも人間社会で暮らしていけるように、助言や手伝いをする。王牙はそれを聞いて実行し、少しずつ人間性を獲得していく。二人はそうやって仲を深めていった。

 そのせいで桜の方では徐々に普通の友だちが離れていったこともあったが、彼女は気にしていなかった。

 桜は百人の友達よりも、王牙一人の親友になりたいと思っていたから。

 むしろ友達が減るたびにその想いは強くなっていき、やがて二人は比翼の連理のように、互いに離れがたい関係になっていった。

 そうして時は流れ、冬が去り――二人は同じ高校に進学したのだ。

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