ファンタズム・ファンタジア   作:日差丸

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第60話 空硯

「三級妖怪……それも理性のないタイプね。それだったらこっちもやりやすくて助かるわ」

 

 大鎌の一振り。それだけで巨大な狼型の妖怪は縦に真っ二つとなり、霊素の粒子となって消えた。

 弱い。所詮は理性のない獣か。

 不満があるとすれば、大見得を切ったものの、討伐時間がわずか一分を超えてしまったことだ。相変わらず錆びついたように満足に動いてくれない体に、夜美は辟易していた。

 血振りをして地面に赤い弧を描き、戻ろうとしたところで、夜美は妖怪がいた場所の近くに何かが落ちていることに気がつく。

 それは紫色の怪しげな光を放つガラスの筒だった。その中は液体で満たされており、加工された石がぷかぷかと真ん中で浮かんでいる。筒が発する光はこの石から放たれているようで、一見するとランタンのようにも見えた。そこからは邪悪な霊力が感じられる。

 そして近づいてそれをはっきり見た時、その正体に気がつく。

 

「これは……誘魔灯? なんでこんなところに……?」

 

 誘魔灯とはその名の通り魔を、つまりは妖怪を誘き寄せるための呪具である。基本的には理性を持たないタイプのものにしか効き目がなく、そういった存在はたいていが三級以下の低級妖怪なので危険性は低いのだが、それでも陰陽師院では許可のない使用は禁止されている。ゆえにこういうのを持つのはたいていがろくでもない独立術師であることが多い。

 夜美はそれがここにあることに人為的な何かを感じ取り……そしてハッと視線を王牙がいた場所へ向けた。

 

「しまったっ!」

 

 今ようやくわかった。狙いは王牙だ。

 だがそう悟った時、タイミング悪く三つの影が夜美を包囲するように出現していた。

 ボールのように転がりながら笑うドクロ、人間の上半身を模した巨大ヘドロ、古びた物干し竿を抱える付喪神。どれも三級妖怪。誘魔灯で呼び出せる妖怪の中ではジャックポットもいいとこだろう。

 

「ああもう……邪魔よっ!」

 

 夜美は護符を取り出して、構える。

 殲滅するのにおおよそ1分。普段だったらたった1分と言いたいところだが、今はその1分1秒が惜しい。

 彼女は護符を惜しむことなく投げつけ、戦闘を再開した。

 

♦︎

 

 ここはどうやら人気のない空き地のようだ。四方を建物で囲まれており、ここに行くには狭い裏路地に入る必要がある。

 その空き地の中心に彼女はいた。

 彼女は学校の時とは違って、パーカーを羽織っていた。それがどこか新鮮味を感じさせる。

 

「よっ。昨日ぶりだな。それで、こんなところに来てまで話したいことってなんだ?」

「……」

 

 彼女は王牙に背を向けたまま、しばらくの間不動を貫く。しかししばらくすると観念したかのようにゆっくりと振り向いてきた。

 その目は寒気がするほど冷たい光を宿している。

 

「……いろいろ考えたの。うちの目的を達成するにはどうすればいいかって。最初は下手な媚び売って近づこうとしたけど、やめた。うちにはこっちの方が性に合う」

 

 彼女は突如、着ていたパーカーを脱ぎ捨てた。そこで彼女の服装が明らかとなる。

 それは明らかに一般人が着るには異様なものだった。

 率直に言い表すなら、エナメルに似た質感と光沢が見て取れる、ボンテージドレス。黒いガーターベルトに黒いミニスカート、そして肩や背中が露出した黒いビスチェ風の服に、これまた同じ質感の黒いロンググローブを身につけている。

 危ない色気が漂う服装だったが、それに浮かれる余裕はない。なぜならその服には色気以上に、戦闘服のような気迫が感じられたからだ。

 突然の変化に戸惑う王牙。しかし彼女は待ってはくれない。

 

「なにを……言って……?」

「こういうこと。霊装解放――『空硯(からすずり)』」

 

 消え入くようなか細い声で、言霊が囁かれる。

 すると彼女の体から光の粒子が溢れ出し、腰に鞘を形成していく。

 そして、抜刀。

 それは美しい刃紋が刻まれた日本刀だった。その刃は静かな殺気をたたえており、ギラリと光っている。

 そしてその柄側には奇妙な形の鈴――いわゆる金剛鈴と呼ばれるものが飾りのようにつけられていた。

 

「っ!?」

 

 とっさに王牙は後ろに飛び退き、距離を取ろうとした。

 しかし静音はデコピンで柄頭の鈴を弾き飛ばし――リィィィン! という清らかな音を響かせる。

 

 ――そして次の瞬間、王牙の左脇腹に刃が突き刺さっていた。

 

「なっ……カハッ……!?」

 

 口から血が吐き出される。それでも根性で体を動かし、刃を引き抜いて今度こそ距離を取った。

 荒い息を吐きながら、王牙は思考を働かせる。その中を占めているのは困惑だった。

 ――見えなかった。

 彼女がこちらに接近した瞬間も、刀を突き出した動作も。

 いったいあの霊器の能力はなんなのか。超スピード? いや、それにしてはどこか違和感があるような……。

 

「……やめだ。いくら考えても俺の頭で推測できるはずないわな。こうなったら最大限あがいてあいつが来るのを待つしかねえ。『駆動心音(マキシマムハート)』……ダブルアクセル!」

 

 王牙はとりあえず能力を発動し、やられないために自身を強化しようとした。

 しかしいつものように手首を捻っても、エンジン音が鳴り響くことはなかった。それに桃紫色のオーラも噴き出すことはない。

 

「能力が……発動しねえ……!?」

「今の一撃であんたの霊臓を壊させてもらったよ。これであんたは霊力を操れない。能力も発動できない」

「左脇腹を狙ったのはそのためかよ……!」

 

 霊臓。

 大気中の霊素を取り込み、霊力を生み出すための器官。そして同時に霊力の貯蔵庫でもある。

 つまりこれがなければ霊力を操作できなくなってしまう。それはジェネシス戦で彼自身が実践しているのでよくわかっていた。

 だが、それはなんの慰めにもならない。明らかに最悪な状況だこれは。

 王牙の素の身体能力は一般人の数十倍はあるとはいえ、霊器を持った相手に勝てると思えるほど自惚れてはいない。ましてや彼女はその堂に入った構えから、明らかに戦い慣れていることが伝わってくる。

 

「クソッタレが!」

 

 しかしやるしかない。

 先手必勝。王牙は地面がめくれるほど強く踏み込むと、わずか1秒程度で至近距離まで近づいた。そのまま勢いを利用して拳を振おうとする。

 だがその時、再び鈴の音が鳴ったかと思うと、目の前から彼女の姿は消えていた。そして空振りした途端に体に斬撃の跡が三つ、刻まれる。

 

「シッ!」

「ゴガアアッ!?」

 

 さらに鈴の音。瞬間、今度は五つの斬撃が彼の体を切り刻み、血を噴き出させる。

 王牙はたまらず逃げるようにその場を離れる。そしてどうにか呼吸を整えながら何か策を見出そうとする。

 何回か受けてわかったが、彼女は超速スピードで動いているわけではない。そうだったら風圧で周囲の物が揺れたり吹き飛んでいたりするはずだ。しかしそうはなっていない。

 だったら透明化? そう仮定してみても妙だ。透明人間になってるのだとしたら、足音や臭い、霊力などの気配までは消せないはず。なのにこれだけ切られてもまったく、それこそいつ切られたのかもわからない。

 これはとても不自然だ。まるで自分の時だけ飛ばされたかのような……。

 

「……もしそうだったら、笑えねえな」

 

 そこまで考えが至ったところで、王牙は冷や汗を垂らして苦笑する。しかしその心は全然笑ってはいなかった。

 通常時で戦っても勝ち目の見えない敵だ。ましてや今の彼は能力どころか霊力操作を封じられている。

 どうしようもない詰み、という言葉が頭の浮かんでしまった。

 

「おおおおおっ!!」

 

 それを払拭するために突撃するも、鈴の音が響いた途端に彼女の姿は再び消えてしまう。

 能力発動の起点があの鈴にあることはわかっている。しかし速度が足りない以上、どうしようもない。発動する前に止めることは素の身体能力では不可能だ。

 

「そろそろ終わらそっか」

 

 それは処刑の合図だった。

 次の瞬間、鈴の音が響き、王牙の体に新たな傷が生まれる。だがそれで終わりではない。鈴の音が途切れる前にまた新たな鈴の音が生まれ、再び彼の体が切り刻まれる。それが延々と続いていき、彼の体はどんどん血だるまになっていった。

 それでも彼は倒れない。戦意をみなぎらせ、必死に抵抗する。

 

「っ……! いいから、眠ってよ!」

 

 体から血が噴き出す。しかし倒れない。

 肉が切り裂かれる。しかし倒れない。

 

「っ……!」

「くそ……たっれ……!」

 

 ――そして10分後、154もの斬撃を浴びて、彼はようやく気絶した。

 空き地は悲惨な現場になっていた。ほぼ全ての地面がペンキをぶちまけられかのように赤で染められており、周囲の建物にもその血飛沫が酷くこびりついている。空硯の刃や静音の体自身も血の雨に打たれたかのように真っ赤になっていた。

 

「ハァッ……ハァッ……!」

 

 だが彼女の顔に愉悦はなかった。あるのは苦虫を噛み潰したかのような後味の悪さのみ。荒くなった呼吸を整え、必死にいつもの無表情を取り繕うとする。

 

「うわ、ダッサ……覚悟してたはずなのに、なんて無様な顔してんのさ……」

 

 地面に出来上がった血の池に偶然静音の顔が映った。その表情は苦味どころではない。目は虚で顔は青ざめ、吐く寸前となっている。

 静音はそんな池に映った自分自身を踏みつける。そうしていると、急速でこちらに向かってくる気配を感知した。

 

「……ようやくだね」

 

 静音は虚勢を張るように薄っぺらい笑みを浮かべると、血の池に伏している王牙は引き起こした。しかしそれは彼の治療をするためではない。彼女はそのまま彼の首に刃を突き立てると、空き地の入り口に向かって侵入者を待ち構える。

 

 

「……どういう、こと……!?」

 

 そして待ちに待った獲物が――出雲夜美が、現れた。

 

 

 ♦︎

 

 

「遅かったじゃん」

 

 その顔を見た時、無表情の仮面の奥で夜美は驚愕をあらわにした。

 なぜ彼女がここに? どうして霊器を?

 しかしそんな動揺をおくびにも出さず、彼女はさも冷静であるかのように取り繕う。

 

「……まさかそこの男がここまで役立たずだったとはね。失望したわ」

「嘘つかなくていいって。声が震えてるよ? 今さらどれだけ見せかけようとしても、あんたがこいつのこと重く見てるのなんて学校で観察してれば嫌でもわかるっての」

「っ……!」

 

 夜美は王牙が人質に取られたと判断した途端、はらわたが煮えくりかえる思いを押し殺して王牙を蔑むような発言をした。そうすることで彼女が王牙をさほど重要視していない風を装い、彼の人質としての価値をなくそうとしたのだ。陰陽師時代の彼女を知っている者ならそれで騙される可能性もあっただろう。

 しかし静音はクラスメイト。散々夜美の生活を見ている以上、そんな安い嘘は通じるはずがない。

 

「……何が望みかしら?」

「あんたの命……とかだったらどうする?」

「そうしたいのならそうしなさい。どうせ私の命は王牙にもらったものだもの。彼のために死ねるのなら本望よ」

 

 その発言に静音は唖然としていた。

 そうなるのもしかたがない。自分でもキャラじゃないとわかっているから。しかしこれは本心である。

 陰陽師院から捨てられ、全ての肩書きや人間の体まで剥奪された夜美は空っぽだった。そんな彼女の心を満たしてくれたのが彼だ。

 今の夜美には王牙こそが全てなのだ。だから彼のために命を投げ出すことに躊躇などない。

 

「……冗談だって。うちはあんたを殺したいほど憎んでいるのは事実。でもうちはマイナスをゼロにするような無意味な作業よりも、ゼロをプラスにしたいの。だからあんたにはその力を貸してもらうよ」

 

 静音は太ももに取り付けてあるポーチから手枷のような物を取り出すと、それを彼女の前の地面に放り投げた。

 

「まずはそれを自分ではめろ。うちがやってもいいけど、うちは今人質で手が塞がってるし」

「これは……『殺戒錠(せっかいじょう)』!? 陰陽師院の技術でしか作れないこれを、どうしてあなたが……?」

 

 『殺戒錠』。

 陰陽師院が持つ神代の技術によって作られたこの手枷は装備者の霊力を完全に封じることができる。

 そう、『完全』に。

 海外でも同じような発想から類似品やコピー品は数多く存在する。しかし本当に霊力を完全に封じられるのは殺戒錠のみである。なぜなら神代の技術を持たない海外では、それは再現どころか解析不可能な物であるからだ。

 

「たしかに殺戒錠は陰陽師院しか作れない。でも、ごく少数だけど他組織との貿易で海外に渡ることがあるのは知ってるよね。今回のはその海外に流れたものの一つ。扱っていたどこかの国が紛失したものが闇オークションの目玉商品として流れたってわけ。数十億円も払うハメになったし、手に入れるのに苦労したよ」

「……あなた、何者? 平和ボケしてたとはいえ、私の目をごまかすなんて……」

「そんなことはどうでもいいでしょ」

 

 夜美は数多の実力者を見てきたため、強者を見抜く己の目には自信があった。

 しかし彼女の隠蔽能力はそれを上回っていた。霊力の抑え方や、動作の一つ一つがまるで一般人のようにしか見えなかったのだ。そんな風に偽装できる技術は自然に身につくものではない。例えば、達人級の誰かから教えられるなどしない限り……。

 しかし、今できることは何もない。ゆえに彼女は目だけ悔しげに殺戒錠を睨みつける。

 何もしないでいる彼女に苛立ったのか、静音は刃を軽く王牙の首筋に押し当てた。小さな切り傷から血滴が風船のように膨らんだかと思うと、首を伝って下へ流れていく。

 

「さっさとしなよ。こっちも暇じゃないんだ」

「……わかったわ」

 

 その光景を見てようやく夜美は観念して、殺戒錠を自らの手首にはめた。

 途端にものすごい脱力感が彼女を襲う。立っていることすら辛く感じてしまう。さすが陰陽師院製と皮肉げに夜美は感心した。

 

「さあ、はめたわよ。王牙を解放しなさい」

「まだだっての。こっからが本番。あんたには聞きたいことがある」

「……ちなみに拒否権は?」

「ハッ。本気で言ってる? あるわけないじゃん」

「でしょうね」

 

 こうなったらもうまな板の上の鯉だ。この場から王牙を連れて逃げる方法は考えつつ、ある程度彼女の要求を呑むしかない。

 静音は夜美がようやく答える気になったと見て、まず一つ目の質問をした。

 

「じゃあまずは一つ。現在陰陽師院に囚われているディストピアスのリーダーを解放しろ」

「……あなた、ディストピアスなの? でもなんで能力者の地位向上を目指す組織の構成員が霊器を……」

「それは今の質問には関係ないっての」

 

 霊器の話題を口にした途端、静音は人を殺せそうなほど憎しみがこもった目で彼女を睨みつけてきた。

 どうやらこれはデリケートな話題だったようだ。王牙のため、なんとか彼女を怒らせないように夜美は口を開く。

 

「結論から言って無理よ。今の私にそんな権限はないわ。むしろ私の方が投獄されそうなくらいよ」

「……まあそっちは予想できてたし、別にいいけど。じゃあ次の質問」

 

 どうやらここからが本題らしい。彼女はいっそう力のこもった目つきになると、自らの血濡れの刀を夜美に見えるように突き出した。

 

「この霊器を人間に戻す方法。それを教えて」

「……残念ながら、それも知らないわ」

「嘘をつくなっ!」

 

 夜美が首を横に振ると、突然激昂する声が空き地に響いた。

 

「あんたは出雲の巫女でしょうが! 陰陽師院に関してあんたが知らないことなんてあるわけないでしょ!?」

「……たしかに、陰陽師院は霊器作成にも秀でている組織。だったら私に尋ねるのも無理ないわ。でもね、私は巫女であって鍛治師じゃないの。霊器の作成なら少しは知識があるけど、それを戻すことが可能かどうかは知らないわ。そういう専門的な技術は作鏡連合商会の神将にでも聞きなさい」

「作鏡連……陰陽師院内で霊器を作ってる組織……」

 

 本来、霊器というのはそう簡単に作れるものではない。能力者や妖怪を殺した時、ごく稀にその魂が武器に付着することがある。そうして出来上がるのが霊器の自然な生まれ方だ。ゆえに海外の術師組織では能力者を捕らえたあと、拷問して憎しみを増幅させることで、少しでも成功の確率を高めてから処刑するのが普通となっている。

 しかし陰陽師院は別だ。これにも殺戒錠と同様に神代の技術が使われており、確実に霊器を作り上げることができる。その技術の由来は三種の神器の一つである八咫鏡を作った鍛治の神、イシコリドメノミコトにある。

 鏡作りの神の技術を扱う者たち。だから『作鏡連』。

 霊器について聞くのなら、彼らより他に適任はいないだろう。

 

「……そう」

 

 意外なことに、静音はその話を聞いてあっさりと引き下がった。

 それに夜美は疑問に思う。彼女の目的はおそらくあの霊器に宿る人物を元に戻すこと。それが可能かどうかは夜美は本当に知らないが、相手からしたらそれを信じる理由がない。なのに彼女はあっさりと身を引いた。

 果たして本当に彼女は信じてくれたのか、それとも本命で聞きたいことが別にあるのか……。

 そしてその嫌な予感は当たった。

 

「これが本命。これだけはごまかせさせない。幻想召喚のやり方を教えて」

「っ……!?」

 

 それは予想外の質問だった。途端に夜美は信じられないという顔つきで静音を睨む。

 

「……あれがどんな儀式なのか知ってていっているのかしら?」

「陰陽師院の禁術。リソースさえあればなんでも、たとえ死者ですら呼べる、まさしく神の御業とも呼べる召喚術。違う?」

「愚かね。それは部分的にしか正しくないわ。禁術指定されている意味を考えたことがあるのかしら?」

 

 夜美は侮蔑に満ちた顔と哀れみのこもった目で、幻想召喚の真実について解説する。

 

「幻想召喚で召喚された存在は強制的な狂化が付与され、凶悪な幻魔へと成り果てるわ。その霊器の中の人の尊厳を守りたいのだったら、悪いことは言わないわ。やめておきなさい」

「……なにが尊厳だよ……! こんな物みたいな体にされて、今さら尊厳なんてあるわけないじゃん!」

 

 突如、静音は感情の限りを爆発させて激昂した。そして空硯の刃を自らの手が傷つくのにも構わず、握りしめる。

 

「うちの妹は、あんたら陰陽師に霊器にされたんだよ!」

「っ……!?」

「三年前、突然のことだったっ。妹は能力者だったけど、なんにも悪いことはしていなかったのに……! もうすぐで中学生になるはずの、普通の子だったのに……! あんたらはうちらの家に訪れて、突然うち以外を皆殺しにしやがったんだ! 能力者じゃなかった父も母もお構いなしでっ!」

「っ……!」

 

 ありえない話ではなかった。

 今までの陰陽師の態度からわかるように、陰陽師院内での能力者の扱いはすこぶる悪い。いや、このすこぶる悪い状態ですら夜美の生まれてくる前と比べたらマシなくらいだ。前の時代、つまり昭和くらいではそもそも能力者は見敵必殺、人権すら認められていないのが常識だった。

 だから意識が変わり始めた頃とはいい、明確な法律で禁止されていない三年前にそのような悲劇が起こってもおかしくはない。

 

「そっからは地獄の毎日だったよ。同じく能力者狩りに抵抗するディストピアスに入って、戦って戦って……ようやく妹を元に戻せる手がかりを見つけたんだ! 簡単に諦められるわけないでしょうが!」

「……私はあなたを慰めることもできないわ。私は加害者側の人間だから。だけど、幻想召喚はやめなさい。あなたは妹を化け物にするつもりなの?」

「ハッ、信じるわけないじゃん。何か抜け道があるんでしょ?」

「ないわよ。そんなもの」

「嘘つかないでよ。だったらあんたはなんで正気を保ててるってのさ!?」

「っ……!」

 

 それを突かれると痛い。しかし自身が正気である理由など、夜美本人にもわからないのだ。わからない答えを出せるわけがない。

 静音の睨みつけるような目線はずっと夜美の横髪に混ざって垂れている桃色のうさ耳に向けられていた。

 

「……たしかに、私はなぜか幻魔になっても正気を保っていられるわ。それが精神性に問題があったからなのか、相性のいい性質を持っていたからなのかはわからない。けれど、私以外に正気を保っている幻魔がこれまでの記録にない以上、普通に幻想召喚を使っても無駄になる可能性が高いわ」

「だったら大丈夫じゃん。あんたを触媒にして幻想召喚をしてやればいい。そうすればきっと妹は正気のままでいられるはず」

「っ……どうやら正気を失っているのは貴方のようね。私を触媒にしたからって、召喚される幻魔が正気でいられるわけないじゃない。何の根拠があって大丈夫と言えるのかしら?

「あのさ、うちからしてみればあんたは憎い陰陽師なんだよ。そいつを使って少しでも成功率が高くなるなら、たとえ1パーセントでも喜んであんたを捧げてやるよ」

 

 静音は淡々とそう結論づけた。

 彼女からしてみれば妹が復活できるかもしれないし、そうでなくとも最低でも憎き陰陽師院の最重要人物を始末することができる。これ以上うまい話はない。

 交渉は決裂した。もう夜美に彼女を説得することはできそうにない。いや、そもそもこうなるのが普通なのだ。

 加害者と被害者。その二人が言葉で分かり合えるようなことは絶対にない。

 

「……わかったわ。好きにしなさい。ただ、彼はもう手放しなさい。私を運ぶのも面倒になるし、これ以上人質にしてても邪魔なだけしょ?」

「どうしてうちがあんたの命令なんて聞かなきゃなんないの?」

 

 苛立ちのこもった目線が夜美を貫く。

 彼女は数秒間、沈黙でそれに応答した。そしてしばらく熟考した後……信じられない行動に出る。

 

「……お願いします。王牙を助けてあげてください」

 

 夜美は巫女装束を汚してその場に正座すると、地面につくほど頭を深々と下げた。

 土下座したのだ。

 あの、誇り高い出雲の巫女が。陰陽師の頂点に立つ神にも等しい巫女が。

 そのあまりに異常な光景に静音の方が声を詰まらせてしまう。舌が凍りついたかのように言葉が出なくなっていた。

 いったい彼女の中ではどれほどの屈辱と怒りの炎が逆巻いていることだろう。それは己の身を焼き尽くすほどの激情を与えていたに違いない。

 しかし彼女はそれをおくびにも出さず無表情で、静かに懇願していた。

 敵であるはずの、血も涙もないはずの女が、同じ能力者のために額を地面にこすりつけている。

 その光景が土下座したまま死体となっていた両親の姿と重なって見え、静音の心をぐしゃぐしゃに掻き乱す。

 

「っ……! ムカつくムカつくムカつく……! あんたは陰陽師院の総大将でしょうが! プライドとかないの!? もっと冷酷な顔してよ! 一丁前に人間みたいな顔しないでよっ!」

「……」

「っ、このっ……!」

 

 静音は湧き立つ苛立ちを押さえきれず、夜美の顔を蹴り飛ばす。しかしそれでも彼女はうめき声一つあげることすらしない。

 ――これじゃあ、ただの八つ当たりじゃん……。

 倒すべき敵のはずだった。憎らしい敵のはずだった。

 しかし人質のために頭を下げ続ける女を痛めつけるこの行為になんの意味があるのだろうか。

 ――これではただの弱い者イジメ。陰陽師どもがやっていることと大差ないじゃん。

 そう自覚した時、急速に彼女の中で燻っていた苛立ちは冷めていき、後味の悪さのみが残った。

 

「ちっ……わかったよ。あいつはここに置いていく。それでいい!?」

「そう……感謝するわ……」

「……あんた、この後うちに生贄にされるってわかってる? それで礼を言うとか頭バグってるでしょ」

「ええ。それでも王牙を無事で放してくれたことにはお礼を言いたいの……」

「ふんっ……こいつはおまけでくれてあげる」

 

 静音は太ももにつけてあるポーチから試験管を取り出すと、中に入っている液体を王牙に注いだ。

 

「錬金術で作られたポーションね」

「うちらはあんたらみたいに回復の術なんか使えないし、その代わりってわけ。言っておくけど遅効性だし、祈祷術と比べたら腕とか生やせるほど回復力がすごいわけじゃないから効果は期待しないでよ」

「わかってるわ。でもこの男は頑丈だし、これできっと大丈夫よ」

「あっそ。別にどーでもいいけど」

 

 王牙にポーションをかけたのは、負い目があったからだ。彼は陰陽師ではない。むしろ仲間であるはずの能力者である。なのに静音は己のために彼を痛めつけ、人質に利用した。

 なまじ学校で一番話しかけて、仲良くしてくれたのは彼だっただけに、その残虐な行いは彼女の心に暗い影を落としていたのだ。

 

「悪いね。うちを恨んでもいいよ。でもうちには……どんなことをしてでも、やらなきゃいけないことがあるから……」

 

 静音は振り抜きもせずにそう言い残すと、逃げるように空き地を後にした。

 そして空き地に夜美と王牙だけになる。彼女は王牙の頭を優しく撫でながら語り出す。

 

「……ま、この結末についてあなたが気に病むことはないわ。全て私の選択。私の決断が導いた結果なのだから。だから……無理はしないでね」

 

 それが彼女の最後の言葉だった。

 やがて夜美が空き地から去っていき、とうとうそこには血溜まりと王牙だけが残った。そして静寂が訪れる。

 

 ♦︎

 

「……ずいぶん、派手にやられましたね」

 

 静寂を破り、誰かが声をかけてきた。彼女は真珠色に輝く鮮やかな髪を揺らし、マーメイドドレスを畳むようにその場にしゃがみ込んでくる。

 

「ですが、諦めるにはまだ早いでしょう。まだ間に合います。もしまだその心が折れていなければ……まだあなたの瞳が褪せていなければ……この手を握りなさい」

 

 少女はまるで白磁器のように白く細い腕を差し出す。

 すると死体のように微動だにしなかった体が動き出した。まるで地を這う虫のように血の跡を残して体を引きずっていくと、ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばしていく。その手は震え、滴る血がいくつも地面に落ちていく。

 そうして彼はその救いの手を、跡が残りそうなほど強く、握りしめた。

 

「おれはっ……まだっ……! おれはぁっ……! まだぁっ……!」

「いいでしょう。ならば今一度、回生の機会を与えましょう」

 

 少女の手から水色の淡い光が溢れ出してくる。それはやがて空き地全体を包み込み――王牙は力尽きて、眠るように目を閉じた。

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