「ふぅ……」
王牙は脱力しながら、能力を解除する。途端に激痛が体中に走り、極度の疲労と相まってバランスを崩した。
やべっ、能力の反動か……! そういえば無理なく三倍で動ける5分どころか、限界の10分を安々と超えてしまっていた。戦闘中はアドレナリンの分泌で痛覚が麻痺してたから気にはならなかったが、ここに来てその代償が襲ってきたのだ。
筋肉の一片でも動かそうとすると痺れるような痛みが発生する。ゆえに彼は抵抗することもできずにそのまま地面に倒れそうになるが……。
「まったく、毎回無茶しすぎよ」
その前に夜美が彼を支えてくれた。そのまま彼女は慣れた手つきで彼に肩を貸し、立たせる。
「……なんか毎月のようにお前に肩貸してもらってる気がするな……」
「気がするじゃなくてその通りなのよ。もしかしてわざとやってる? そんなにこの私の至高の体に触れたいのかしら? この変態」
「なんかすっげえ理不尽なこと言われた気がする……」
「気のせいよ」
これが命懸けで戦った者に送る言葉だろうか。相変わらず夜美の毒舌は絶好調であった。
「……でもまあ、体ぐらいいくらでも貸してあげるわよ。たとえあなたがどれほどのドマゾな変態でも、私のたった一人の大切なパートナーであることに変わりはないのだから」
「……くそ。褒められてるのかけなされてるのかわからねえ」
どうして彼女はこう一言多いのだろうか。耳元でささやかれた時はゾクっとしたが、その後に続く言葉で王牙の気持ちはげんなりとした。
なお、ささやいた本人はこの後自分がしたことの恥ずかしさを自覚し、顔をリンゴのように赤らめて悶えていたのだが、そのことに彼が気づくことはなかった。
「はぁ。イチャつくならよそでやってくれない? 居心地悪いんですけど」
『いちゃついてない!』
と、こんなことをしている場合ではなかった。
王牙たちは視線を倒れている天音に目を向ける。彼女は陸に釣り上げられた魚のように痙攣するばかりで、逃げようとはしなかった。いや、もはや逃げられないのだろう。王牙が肝臓とその周辺の神経を破裂させたせいで、おそらく呼吸に支障が出て動けないのだ。釣り上げられた魚という例えはまさにその通りであった。
静音はそれを複雑そうな表情で見下ろしている。幻魔とはいえ、妹と同じ外見の存在が呼吸困難で苦しんでいる姿を見るのは忍びないのだろう。
「お……ねえ……ちゃん……わた、しに……トド、メを……!」
「っ! 天音!? 正気に戻ったの!?」
「一時的にね。けれども回復すればまた幻魔の性質である負の感情に呑み込まれることになるわ」
「っ……!」
一瞬静音の中に湧き上がった希望。それを一瞬で夜美は断ち切る。
この光景には見覚えがあった。先月戦った
しかし彼が自分の存命を望むことはなかった。それはおそらく回復すればどうなるのかを本人が一番理解していたからだろう。そして天音も……。
「今は……押さえられ……てるけど……これ以上は……げんか……い……! だから……はや……く……!」
「天音……」
静音は涙を溜めてその場に崩れ落ちた。
やっぱりこの話は彼女にとって酷なものだ。だから王牙は激痛を無視して右腕を振り上げる。
「……ここは俺がやるぜ。家族殺しほど胸糞悪いことはねえからな」
静音はそんな王牙をジッと見つめていた。
彼は見るからに動くだけでも辛そうだ。おそらく拳を握りしめるだけで精一杯なのだろう。それでもトドメを刺そうとしているのは、静音のため。静音が手を汚さないようにするため。
……本当にそれでいいのだろうか?
戦いすら全部を彼に押し付けて、後始末まで彼に任せるつもりか? そんな疑問が彼女の頭に浮かび上がる。
静音の手が汚れなくても、誰かが汚れないわけではないのだ。王牙にそんなものまで背負わせるなんて恥知らずにも程がある。
何より、この事件を始めたのは誰だ?
そう自問自答をした先で、彼女はようやく覚悟を決めることができた。
「……そんな震えた腕で何言ってんの」
「そうよ。大人しくしていなさい。ここはこういうのに慣れている私が……」
「ううん、うちがやる。これはこの子を歪な形で蘇らせてしまったうちの義務だから」
静音は近くに転がっていた
当然だ。歪んでしまったとはいえ、あそこに転がっているのは紛れもない彼女の妹なのだから。そう自覚すると胸が痛むが、唇を噛んで刃を天音に向けた。
「お姉……ちゃん……ごめん……なさ……い……。私……毎日毎日……迷惑……かけてばっか……で……」
「ううん……。迷惑をかけてんのはうちのほう。あんたは幻想召喚にずっと反対していた。それを聞きもしなかったうちが全部悪かったの」
彼女は懺悔する。術師となって数年、なんの成果も得られずに焦っていたこと。それで安易な解決策に飛びついてしまったこと。何よりも妹本人の意見を無視して独りよがりになっていたことに。
「うちはいつか、必ずあんたを元に戻してみせる。だからそれまでの間、もう少しだけ我慢してくんない……?」
「……うん……いいよ……我慢するのは……慣れてるから……」
それが、最期の言葉となった。
静音はゆっくりと、両手で握った刀を突き出した。その刃は抵抗なく天音の胸に突き刺さる。
そうして生命維持ができなくなり、彼女の体は霊素の粒子となって空に消えていった。
夜が更けていく。静音の心を現すように。
せめて、その闇にいつか夜明けが来ることを。
王牙はそう願った。
♦︎
「……と、これが事の顛末よ」
八百神社。その拝殿にて。王牙の隣に座っていた夜美がそうこれまでの経緯について語ってくれた。
それを聞いてヤオは何やら思案をしている。その目は王牙たちの背後で鎖でがんじがらめになって座らされている静音に向けられていた。その上で彼女は万が一でも抵抗できないように、左右には妖怪巫女の夏転と河童忍者の春水が座っている。
「……なあヤオ様よ。お咎めなしってわけにはいかねえだろうけど、なんとかこいつを許してはやれねえか? 死人が出たわけじゃないんだろ?」
「いいよ別に。誰も殺してないとはいえ、それは未遂で終わっただけ。あんたたちがいなかったらうちのせいで天音は大勢の人間を殺してただろうし。殺人未遂が罪になるように、うちの罪は裁かれるべきだ」
そう無茶を頼み込もうとする王牙を静音は制する。
彼女はもはや暴れる気はなかった。
幻想召喚は失敗し、そのせいで元に戻ったとはいえ妹を自らの手で殺してしまっている。それら一連の事実が彼女に諦観を与えていた。
「……難しいですね」
「難しいって?」
「静音さんは陰陽師院では指名手配されてしまっています。ゆえに陰陽師院に渡してもいいのですが……それだと静音さんを捕まえたのが八百神社ということでディストピアスと戦争になってしまいます」
「……うーん、なんかよくわかんねえけど陰陽師院に引き渡されることはないんだな?」
「少なくともそのつもりはありません。とはいえ無条件でディストピアスに返すつもりもないですが」
「ディストピアスはたぶん身代金には応じないよ」
手っ取り早く禍根も残さないようにお金で解決しようとするヤオ。それに静音が待ったをかける。
「うちの殺戒錠は組織から盗んだものだから。今ごろあっちはうちを血眼で探してるでしょうよ」
「なるほど……個人で持つにしては贅沢すぎると思ってたのよ。そういうわけだったのね」
殺戒錠は陰陽師院で秘匿された技術によって作られるため、裏ルートだと一個だけでも数億もの値がつく。それを盗み出したとあっては組織にはもういられないだろう。
「さ、これで懸念点はなくなったでしょ? さっさと煮るなり焼くなり好きにしなよ」
「……なるほど。では好きにさせてもらうとしましょう」
ヤオはそう言って立ち上がると、王牙と夜美の間を通り、静音の前に出た。
そしてなんと手を彼女に差し伸べた。
「雲踏静音さん。居場所を失ったと言うのなら、私たちに鞍替えするつもりはありませんか?」
「……なんのつもり?」
「単純にメリットデメリットの話です。私たちがあなたを陰陽師院に突き出したところで、得られるものは何もありません。なにせ私たちは妖怪保護団体、陰陽師院とは根っからの敵対組織ですから。かと言って殺すにはあなたの実力は惜しい。準一級にも匹敵し、彼を追い詰めたその力を私は買っているのです」
「かと言って、うちが裏切るかもしんないじゃん」
「そうはならないと思いますけどね。あなたの望みは妹さんを元に戻すこと。ディストピアスと同じく陰陽師院と敵対し、日々その情報を集めている私たちとなら、目的の情報を得られる機会も多いはずです。それに……」
その時、ヤオの雰囲気が一瞬にして変わった。
彼女の体からは思わずひれ伏してしまいそうになるほどの緑色の霊力が溢れ出す。その霊力を保ったまま、彼女は静音の前で柏手を打つと、どこからともなく大量の水が発生し、それはまるで蛇のように空中を舞った。
「私の得意な術は水属性です。あなたの弱点が知られている以上、私に勝てる確率は万が一にもないでしょう」
そう言い終えると、ヤオは自らの霊力を消し去った。
途端に体が急に軽くなる。静音に至っては冷や汗を顔中にかいていた。無理もない。あの膨大な霊力を真正面から浴びたら、心臓でも握られたような気分になるだろう。
王牙はこっそりと夜美に耳打ちをする。
「……もしかして、ヤオ様ってメチャ強い?」
「仮にも陰陽師院と敵対している組織の長なのだから当たり前でしょ。少なくとも今のあなたじゃ勝負にならないでしょうね」
「そりゃあのアイ研の連中が様付きで呼ぶわけだ……」
もちろん全ての精霊がここまで強いわけではないのだろう。
精霊、国津神とは言ってしまえば妖怪とは正反対の存在だ。妖怪にも弱い存在がいるように、精霊にも弱い存在はいる。座敷わらしとかが良い例だ。
しかし神社や寺で祀られるほどの精霊はたいてい相当な実力を持っている。妖怪が負の感情を餌として成長するように、精霊は正の感情を力とするからだ。だから自分の神社を持っている精霊は基本強いというわけである。
「……ま、いいや。どうせここで断ったらうちは陰陽師院とディストピアスの二つの組織に狙われることになるだろうし。まだ死ぬわけにはいかないし、匿ってくれるのならそれでいーよ」
「決まりですね。ではさっそく参りましょうか」
「……? 参るって、どこに?」
その質問にヤオはニヤリと笑みを浮かべる。静音の隣にいた夏転は一言も発してはいないものの、その二股に分かれた尻尾をブンブンと振って何かを楽しみにしていた。
「事件が解決された。そして新しい仲間が増えた。となるとやることは一つです。――宴会しましょう!」
「……はっ?」
♦︎
それから数時間後。
八百神社は王牙が見たことがないほど盛り上がっていた。
八百神社の境内内には拝殿やヤオの住む本殿の他にも宿舎が建っている。ここは夏転や春水などの身内や、外部からの客が寝泊まりをする場所なのだ。
そんな建物の一階には宴会場が存在する。床は畳で覆われ、その上には大量の座布団が敷かれており、縦に長い和風のローテーブルには色とりどりの料理が所狭しと並べられていた。
「刺身うめぇ! 醤油に合うぜ!」
「あら、桃団子も用意してくれるなんて、わかっているわね」
「……フグとかうち、初めて食べるんだけどマジか……」
「あ、春水さん! それウチの焼き鳥っスよ! 意地汚いっス!」
「……肉は早い者勝ちだ」
「ムキーッ!」
……とまあ、このように、宴会場はカオスに包まれていた。よく見ると全員ほんのりと顔が赤い。酒を飲んだ影響で気が緩んでいるのだろう。普段から能天気な王牙は変わらないとしても、あの夜美すらも今はよく口が回っており、遠慮なく好物の桃団子にかじりついていた。
そしてそれは彼女たちだけではない。
「ほーら! イッキ、イッキ、イッキ!」
「だ、ダメ……っ。飛ばしすぎだよ火花ちゃん……っ。これ以上は……お口からお星様が流れちゃいそう……!」
「あーん? 私の酒が飲めないのかー? うりうりー」
「……つーかなんでここにお前らがいるんだよ!?」
王牙は思わずツッコミを入れた。
そう、なぜかこの宴会場に敵であるはずの火花と綺羅々が混ざっていたのだ。彼女たちは彼女たちで夜美の隣におり、酒と料理を浴びるように味わっていた。
ちなみに席順は王牙の左右に夜美と静音がおり、八百神社組はその正面に座っているといった感じになっている。
「なんでって、せっかく宴会が開かれたんだし、楽しまなきゃ損でしょ?」
「それでいいのか陰陽師院」
「今さらでしょ。敵地で寝泊まりしてる時点でもう手遅れだって。ぶっちゃけ任務とかどうでもいいしねー。別組織に犯人確保されたってことで評価は下がるかもだけど、火花たちアイ研にこれ以上下がるものはないし」
「う、うぅ……なんでみんなはっちゃけちゃうんですかぁ……泣きたい……」
あっさりと今を楽しむために任務の放棄を火花は宣言した。マジかよと王牙は呆れ果てる。そりゃ綺羅々もあんなに泣くわけだ。たぶんこれは彼女が泣き上戸だからってのもあるのだろうが。
彼女はこの後結局真っ先に酔い潰れてしまい、夜美に頭を撫でられながら夢の世界へ旅立つのであった。
王牙は戦いでの痛みを忘れるために大盃を傾けて酒を飲んでいると、その隣で同じように盃に口をつけている静音が目に入る。
「……そういえば静音。お前も酒飲めたんだな」
「……ディストピアスも術師組織の一つだから。よく宴会をやってたわけ。……うち以外みんな酒癖悪かったから大変だったわ」
どうやら事件解決後に宴会を開くというのは日本の術師組織では共通している風習らしい。
苦い顔をしながらチビチビと酒を飲む静音。なんとなく彼女の気苦労が感じられた気がする。
しかし宴会だと言うのに一人静かに酒を飲んでいる姿は気に入らなかったのか、火花がいつも以上にニヤニヤとした笑みを浮かべながら彼女に近づいてきた。
「そーいえばー。私たちに何か言うことあるんじゃなーい?」
「……あの時は傷つけてすみませんでした。……これで満足?」
「ぶっぶー! 行動なき謝罪なんて一銭の価値もないんだよ? キャハッ」
笑いながらも容赦のない一言に静音は眉をひそめる。しかし火花は気にした様子はなく、むしろ彼女の怒りを買えて楽しげだった。そしてその騒動は横にいた王牙にまで飛び火することとなる。
「はーい! ここに静音ちゃんのせいで怪我をした人筆頭がおりまーす!」
「え、俺?」
「どうやら見たところ箸を持つのも一苦労みたいですねー!」
「ま、まあ多少はな。でも別に問題は……」
「てことで静音ちゃんには罰として責任を取ってもらいまーす! 具体的に今日の宴会では全部彼にあーんさせて食べさせてくださいねー!」
「「「はあっ!?」」」
思わず三人で叫んだ。
……って、静音はともかく、どうして夜美まで叫んだのだろうか。彼女は一切関係がない気がするのだが。
……だがなんでもいい。この際味方をしてくれるのだったら猫でもありがたかった。
「おー! いいじゃないっスか! 面白そうっス! 役得で鼻の下伸ばしてもいいんスよ?」
「テメェふざけんなよおい!? こいつクラスメイトなんだぞ!? 明日顔合わせる時に恥ずかしくなるだろうが!」
「ちょ、ちょっと! あんたこの宴会のまとめ役でしょ!? どうにか止めてよ!」
「いいじゃないですか。罰とは苦しいものでなければなりませんからね。さっそく上司命令です。彼に恋人のようにあーんしてさしあげてください」
「増えてる!? なんか一言増えてる!?」
ダメであった。静音はさっそく上司特権で鎮圧。王牙もまた体が動かないせいでまともに抵抗することができなかった。
かくなる上は……。二人は期待した眼差しを夜美に向ける。あの毒舌女王だったらこの場をうまく切り抜けられるはずだ。
「い、いくら宴会で無礼講といっても限度があるわよ! はしたないわ!」
「あらら、夜美姫様もしかして嫉妬してる? 顔真っ赤だよ?」
「なっ……!? これはお酒で酔っただけよ!」
「アッハッハ! 可愛いー! ところで夜美姫様、夜美姫様って今回の事件でほとんどいいところなかったよね?」
「……何よ藪から棒に」
「人質取られたとはいえ、あっさり幻想召喚を教えて被害を拡大させてくれちゃって。これってお仕置きが必要だと思わなーい?」
「いや、別にそんなことないだろ。こいつが捕まったのは俺のせいだし、なんだったらこいつのアドバイスとか術がなければ俺は生き残れなかったぜ。だから……」
「ええそうね。私にも責任があるかもしれないわ」
「……夜美さん? なんでそんなに食い気味に肯定してるんでしょうか?」
どことなく違和感を感じる。ありもしない罪を認めた割には落ち込んでいる様子も反省している様子も見られないし、むしろこれは何かを期待しているような……。
「てことで夜美姫様もお兄さんにあーんしてあげましょうねー! 仕方ないよ! これは罰なんだから!」
「そうね。仕方のないことね。これは罰。決して私の本意ではないわ」
「テメェェェェェェッ!!」
夜美、まさかの裏切り。背後から刺されるとはこの王牙の目をもってしても読めなかった。
誰か……誰かいないのか!?
綺羅々は……ダメだ。既に夢の世界へ旅立ってしまっている。しかしここでもう一人、宴会が始まってから一言も発していない者がいたことを彼は思い出した。そしてバッとその顔を春水の方へと向ける。
「……すまない。本当にすまない」
「行動の伴っていない謝罪に一銭の価値もねえんだよ!」
希望の綱が途切れた。ついさっき覚えたばかりの言葉を王牙は叫んだ。本当にその通りだと使ってみた今ならわかる。
「……ま、まあ今回助けてもらったお礼がまだだったし。いいよ。これくらいやったげる」
「さあ王牙。さっさと口を開けなさい。この私自らが給仕してあげるんだから、感謝することね」
「……ちくしょぉ。ちくしょぉぉぉぉぉ!!」
その後、王牙はあまりの羞恥心に耐えきれず、精神が焼け切れたような状態になった。
周りに見つめられながらやる「あーん」のなんと恐ろしいことか。しばらくの間王牙はこのネタで夏転に弄られるようになり、本気で首を吊りたくなるのだった。まあ首を吊っても死ぬことはないのだろうが。