第67話 猛夏の始まり
そこは、暗闇に閉ざされた茶室であった。
一本の蝋燭だけが唯一この空間を不気味に照らしている。ゆらめく光源はこの不穏な雰囲気を映しているようであった。
部屋の中には、時代にも部屋にも似つかない豪奢な着物を着た男が一人。その顔は黒子のような布で覆われており、素顔を覗き見ることはできない。
そんな男が正座して茶の器を手元に置いたあと、ポツリと呟く。
「……さて、概要は今お話しした通りです。報酬は三百億。あなた方にとっても悪い話ではないはず。引き受けていただけますね?」
「断る」
別の男の声が茶室に響く。
その男は光の届かない部屋の隅で壁に背を預け、腕組みをしながらその場に佇んでいた。声は低く、険しい。まるで猛獣の唸り声のようである。その目は暗闇であるにもかかわらず爛々と憎しみの炎を抱えて輝いている。
「馬鹿げた話だな。お前、俺をおちょくってんのか?」
「至って我々は真剣です」
「だったら正気を疑うぜ。出雲夜美の暗殺? できるわけねえだろうが」
男は怒気と苛立ちを吐き捨てるように叫んだ。その咆哮だけで並の者では身がすくみ、気を失っていたことだろう。
「あいにくと俺は自殺願望なんざこれっぽっちも持ってないんでね。あの化け物と戦うくらいだったら、この国以外の魔法大国に単独で戦争をしかけにいった方がまだ楽だぜ」
男は、いや術師界隈に生きる者だったら誰もが知っているだろう。出雲夜美の伝説を。
そしてそれが事実であると知っているがゆえに、男は牙を剥いて依頼主に苛立っているのである。
「君の意見ももっともだ。しかしどうやら今の巫女姫様は事情が異なるらしい」
「……どういうことだ?」
「弱体化したらしい。それこそ元部下の準一級の陰陽師にすら負けるほどに」
「なんだと……?」
戸惑う男。その情報の信憑性を上げるために、依頼主はちゃぶ台の上に資料を置く。
この依頼主は光天京の貴族の一人だ。ではなぜそんな人物が出雲夜美の暗殺を企てているのかというと、彼女のせいで家が没落したからだ。
十数年前までは男は上流階級の人間であり、この世の極楽を謳歌していた。しかし出雲の巫女が政治に関わるようになったことで、利権が奪われた他に様々な汚職を暴かれる結果となり、家ごと下級貴族に落とされてしまったのである。
このような例は珍しいことではない。出雲夜美に恨みを持つ人間は多い。探せばこの依頼主のような男はまだまだたくさん見つかることだろう。
それだけ、出雲夜美という存在が大きすぎたということだ。
男はちゃぶ台に置かれた資料を次々と読んでいく。
読む前に思ったことは「ありえない」であった。どんな奇跡が起これば準一級程度があの出雲の巫女に勝てるというのだろうか。多少弱体化した程度で埋まるほどの実力差ではなかったはずだ。
しかし資料を読み終えた時、その原因が理解できた。
霊器の喪失。及び幻魔化による霊力の99%以上の減少。
たしかに、これなら可能性はあるかもしれない。
「……あんたらお抱えの暗殺部隊はどうしたんだよ? たとえあんたの家が没落しようが、議会派にはまだまだ力を残している家もあると聞く。そいつらの力で執行局でも送ればいいだろうが」
「ふんっ。執行局が司京議会お抱えだったのは十年以上前の話ですよ。議会派だった人間は全員あの巫女によって処刑もしくは投獄され、神将ごと入れ替えられました。今の我々にあの組織を自由に動かす力はありません」
司京議会。
法界の行政を取り行う機関である。戦場を知らないような貴族がその大半の席を占め、腐敗の限りを尽くしていたが、それゆえに出雲の巫女によって焼き尽くされた。文字通りに。
今ではその力の多くを失い、ハリボテのような組織になっていると聞く。
「そこであなたの出番です。あなた方も私たちも、あの忌まわしい巫女に用がある。違いますか?」
「……違わねえな」
改めて男は資料を見る。
慎重になる必要はある。しかしこの情報が本当だった場合、得られるリターンは想像できないほどになる。
男が乗る気になったのを悟ったのだろう。依頼主は布の奥で邪悪な笑みを浮かべる。
「頼みましたよ。『ディストピアス』サブリーダー、
「勘違いするなよ。今回は違いが一致しただけ。出雲夜美を殺った後はテメェらだ。この俺の牙から逃れられると思うなよ?」
♦︎
いけすかない貴族との密談後、愚連は自らのアジトへ戻ってきていた。
ここはとある町の隅にある倉庫だ。元は運送会社のものということだけあって中は非常に広く、倉庫の中にそれぞれの構成員用の自室となるコンテナが置かれている。それでもまだ余りある広さなのだからアジトとしては十分だろう。
「ったく、ダリィ。なんで俺がこんな面倒なことを……」
気だるげな首をポキポキ鳴らしながら、彼はその中にある広場に向かう。土管を始め数多くのガラクタが積み重なったここには想像通り、組織のメンバーたちが全員でたむろしていた。
その中の一人である少女が彼に気づき、アホっぽそうな笑みを浮かべる。
「あ、愚連君じゃん。お仕事終わったのー?」
「……ちっ。いつ見てもムカつく顔だなぁお前は」
「うわ、すっごい理不尽。千幸泣いちゃう」
おどけるようにそう言いながら、少女は手に持ったスナック菓子を口に含む。
万香寺千幸。
ピングのメッシュが入った金髪の女子高生。爪はカラフルなネイルアートが施されており、服は露出が多めになっている。はっきり言ってギャルと呼ぶべき少女だ。
しかしダウナー系の雲踏静音とは反対で、こちらはアッパー系とも言うべき明るいタイプのギャルである。その性格のおかげか一番の新人であるにもかかわらずなぜかもう順応しており、己の家であるかのように広場でダラダラとしていた。
「おうサブリーダー。戻ってきてたか」
「ほんとお疲れ様だよ。相手光天京のお貴族様だったんでしょ? あいつら落ち目のくせに露骨にこっち見下してきて嫌いなんだよねー。僕だったら思わず目くり抜いてるところだったよ」
千幸の言葉を皮切りに別のメンバーも愚連の元に集結してくる。
最初に話したのが
三十路に入ったばかりの中年だ。しかし服の下から覗ける筋肉ははち切れんばかりとなっており、よく体が鍛えられていることがわかる。サングラスをしていることと、傷跡が残る顔つきがイカついことから、まるでヤクザのような佇まいをしている。
もう一人の男が
「……動くのね」
最後に土管の上に座り、一人無口のまま本を読んでいた少女が消えゆくような声でそう呟く。
歳は18。ゆったりとした黒い着物に長い黒髪。まるで闇から生まれたようなその少女は儚い美しさを漂わせていた。
もし高校に通っていたら高嶺の花と呼ばれること間違いなかっただろう。しかしその未来が訪れることは『ありえない』。
その背には、
彼女の名はルイ。
苗字はない。この業界では過去を断ち切るために苗字を捨てることは別に珍しいことでもなんでもなかった。
愚連を含め、合計五人。
彼らこそがディストピアスが誇る精鋭部隊、つまるところ組織の最高戦力だった。
「おい悟。お前に依頼した調査はどうなった?」
「完全に捕捉したよ。彼女、今では穏やかな学校生活を送ってるみたいだよ。あはは……ムカつく」
「殺戒錠は八百神社から返却されたとはいえ、俺たちがこれを持ってることは他の組織に知られたわけだ。黙って逃すわけにはいかねえ。……オトシマエ、つけさせるべきだよなぁ?」
大吾が指を鳴らして怒気を放つ。他の二人も元メンバーの少女に憤りを隠せないようだった。
一方で千幸は事情をよく理解できておらず、ぽかーんと間抜けそうに口を開いていた。
無理もない。彼女が鳥頭であることは周知の事実なのだから。
「ククク、もちろん、ケジメはつけさせる。二度と妹握れねえようにグシャグシャに叩き潰してやるよ」
「……リーダーがいないのに、そんな処分を勝手に下していいの?」
そうルイが呟いた瞬間、氷の槍が彼女の顔の真横を通り過ぎた。
「黙れ。今は俺がリーダーだ。俺はあいつとは違う。今まで通り生ぬるいやり方が通じると思ったら大間違いだ」
「……わかった」
「えー、可哀想だよー。静音ちゃんとは趣味が合いそうで仲良くなれそうだったのにー」
ルイは特に抵抗をすることもなく大人しく引き下がった。今まで千幸が入るまでは唯一の女仲間だったので、少し気にかけただけだ。しかしそれ以上は特に興味はない。彼女はすぐに読書に戻った。
一方で不満げなのは千幸だ。しかしこっちはどうせ三分も経てばこの話も忘れているはずなので、無視されることとなった。
「ククク……あの男はもういねえ。これで存分に暴れられるぜ……!」
愚連は獰猛そうな笑みを浮かべ、鋭い八重歯を輝かせる。そして咆哮するようにメンバーに向けて宣言した。
「さあ、狩りの時間だ! 兎狩りだ! 全力でその肉、食いちぎってやろうぜ!」
彼は叫ぶと同時に取り出した写真を強引に引きちぎった。
そこには、兎耳を生やした桃色髪の巫女の姿が映っていた。
♦︎
「……あちぃ」
今は七月。夏である。窓を開けた途端うだるような暑さを感じて、我道王牙は顔を部屋に引っ込めた。
四月に夜美と出会い、ジェネシス、銀座の怪人、静音と次々と強敵たちを退けてきた彼も、この猛暑には敵わない。彼はエアコンの効いた部屋で一人グータラしていた。
「……でも修行してえしな。しょうがねえ。外出るか」
今は上半身裸となっているため、服を取り出すためにクローゼットを開く。しかしハンガーにかけられていたのはボロボロになったいつもの私服セットだった。
「……うん。今思えばただの服で戦ってたのが悪いわな。そりゃこうなるわ」
はぁ、とため息をつく。
これで何回目だろうか。一ヶ月に一回大きな事件に巻き込まれ、その度に服を破壊されている。今回のも服の意味をなさないほど壊れている他、血などがこびりついていて正直汚い。もう二度と着ることはないだろう。
面倒くさいからと放置していたそれをゴミ袋に突っ込み、王牙はしばらく何を着るべきかと悩む。
「もうこれでいつもの私服は全滅だしな……。ったく、あのジャケットけっこう高えのに。どうしてくれるんだよほんと」
『王牙ー! 今届いた荷物部屋の前に置いておくわよー!』
と、その時だった。そんな夜美の声が廊下の方から聞こえてきた。
ベストタイミングだ。最近買ったものなんてあれしかない。さっそく王牙はドアを開けてダンボール箱を回収し、中を開封する。
「おお……いい感じじゃねえか。八百神社でわざわざ採寸してきた甲斐があったぜ!」
中から出てきたそれを見て王牙は興奮する。
今回頼んだのはそう、今現在不足していて困っている服なのだ。しかもただの服ではない。術師の戦闘にも耐えられる呪具としての機能を持った戦闘服なのだ。夜美がいつも着ている『神御衣』のようなものだと思ってもらっていいだろう。
これを頼んだ理由はお察しの通り、一般の服では戦いに耐えられないからである。激戦のたびにズタボロになるのは許容しよう。しかし最近はなんでもない雑魚戦や修行をするだけで服が破けたりするので、ほとほと困り果てていたのだ。おそらくもう十回以上は王牙は新品の服を買ってしまっている。
その問題をヤオに相談したところ、戦闘服を作る業者を紹介してくれたというわけである。もちろん社員は妖怪だった。八百神社は食料や建築のほか、ありとあらゆる業界に人材を派遣したり支援しているので、こういう時は本当に頼りになる。
そして今回届いたのがその戦闘服というわけだ。
さすがに国宝級のあの痴女巫女装束ほど高性能ではないが、それでもできる限りの高額を詰んだ代物だ。これですぐに壊れたら泣く自信がある。
さっそく王牙は着用することに決める。
そして数分後、服を着た彼は全体図を確かめるために鏡の前に立つ。
全体的なイメージは今までとさほど変化はなかった。
白いワイシャツの上に、黒のジャケット。王牙はそれを半裸の上に羽織るように着用している。デザインを普段着と同じにしたのは、いつどこで戦闘が起きてもいいように、毎日着るためだ。
さらにはこの呪具には特殊な能力が込められている。それは服の防御力を装着者の皮膚と同じレベルにまで引き上げるというものだ。
元々は鎧よりも素の防御力が高い、一部の能力者や妖怪向けの商品らしい。彼らにとっては自分の皮膚よりも頑丈な防具を見つけることは難しく、あったとしても高額だったり、重量がありすぎて動きを阻害してしまうという問題がある。そのため、いっそのこと服の防御力を皮膚と同じにする能力を付与することで、動きやすいデザインにして機動力を高めようというわけだ。
強敵との戦いでは、おそらくこの呪具はなんの役にも立ってくれないだろう。しかし雑魚相手だったり、修行中は決して壊れることはない。王牙にはそれだけでありがたかった。
ともかく、そんな感じの戦闘服が五セット、ダンボール箱に詰められていた。
「うし、気合い入ってきた! さっそく八百神社に行くか!」
今日は土曜日。一日中修行し放題だ。
王牙は夜美に声をかけると、二人一緒に神社に向かうのであった。