ウォータースライダーで水面に叩きつけられた数分後……。プールサイドに上がったヒカリは、王牙の肩をポカポカと叩いていた。
「酷いよ酷いよ!」
「悪かったって。そうカッカすんなよ」
軽く謝罪をしながら彼女の頭を撫でる。おおよそ誠意のかけらもない謝り方であったが、それをされた途端にヒカリの怒りは霧散し、彼女の機嫌は良くなるのであった。そこ、チョロいとか言わない。
そうやってうやむやにしたまま、王牙たちは次の場所に向かった。
そこは流れるプールだ。
泳ぐというのは予想以上に体力を使うものだが、ここはボーッとしているだけで移動ができるので意外な人気がある。
しかし普通なら楽しげなその場所で聞こえたのは歓喜ではなく、悲鳴だった。
「ひぃぃぃん……! も、戻れないよぉ〜!」
「痛っ……が、頑張ってください! 私は今足攣って泳げないので!」
「そんなぁ〜!」
「……なにやってんだあいつら?」
「どうやら形見さんが足を攣って動けないみたいだよ」
「それで桜が永遠に流されてるわけか……」
桜は浮き輪に尻を沈めて仰向けのような体勢になっていた。それでぐるぐる回りながら、波に流されている。
あの浮き輪から脱出しようとしてもおそらくできないのだろう。桜は学年最下位と言っていいほど泳ぎが下手くそだ。おまけにああも目を回していてはまともに泳ぐことはできまい。
「しょうがねえ。助けてやるか」
「うん」
二人は同時に流れるプールへ飛び込んだ。そしてヒカリを置き去りにしたまま、魚のような速度で進んでいく。
そうして難なく浮き輪に近寄ると、それを受け止めた。
「お、王牙君……ありがと……」
「はぁ。お前ももうちょっとは泳げるようになっておけよ。体型的に浮力はありそうなのによ」
「浮力って……」
桜は心当たりがあったのか、自らの体を見た。そこには二つの立派な浮きがあった。
「お、王牙君のえっち!」
「いやちげえよ! 軽くて浮きやすそうって思っただけだ! つーか暴れんな落ちるぞ!」
「わ、私だってみんなみたいにおっきくなりたかったんだもん! 牛乳だって毎日飲んでるんだよ! なのに身長よりも別の部分ばっかり大きくなってるし……! 私の気持ちなんてわからないんだ!」
「わかるかよ! わかってたまるか! 俺男だぞ!? あとそんなにジタバタしたら……あっ」
バシャン、と浮き輪がひっくり返った。
当然そこにハマっていた桜も水の中に引きずり落とされる。そしてそのまま浮き上がることなく十秒が経過した。
「さ、桜ーーっ!!」
♦︎
桜はただびっくりして水を飲み込んでしまっただけのようだった。プールサイドではぐったりした王牙たちが座り込んでいた。
「うぅ……初対面の人もいるのに恥ずかしい……」
「ま、まあ誰だって苦手なことくらいあるし大丈夫だよ。だから落ち込まないで」
「あ、アカリちゃ〜ん!」
ヒカリと桜はすっかり打ち解けたようだ。えぐえぐと涙ぐむ桜をヒカリが抱きしめてあやしている。
その一方で王牙は足のももを揉んでいる形見に声をかけた。
「それにしても珍しいな。真面目な委員長がストレッチのし忘れで足を攣るなんてよ」
「誰もそういうのやってなかったじゃないですか。それでついつい忘れてしまったというか……」
「ま、もう痛みはだいぶ引いてきたんだろ? 今度はちゃんとストレッチやっておくことだな」
「はい……」
形見は珍しく落ち込んでいた。夜美を呼んできて祈祷術か何かで治してやりたい気もするが、彼女は裏の世界についてなにも知らない一般人なのでそれはできない。幸いもうすぐすればまた遊べそうとのことなので、せめて早く痛みが治ることでも祈っておこう。
「じゃ、せっかく来たんだししばらくはこのプールで適当に流されておくか」
「いいね。それじゃあ桜、浮き輪借りるね。私こうやって水の上でぷかぷか浮かんでるの好きなんだ」
「うん、いいよ。私も少し休憩したかったし」
そうしてしばらくの間王牙たちは脱力し、流されるまま遊ぶのだった。
そして流れるプールを堪能した後、次に向かったのは大波が発生するプールだ。
これは文字通り人工的に波を発生させるプールで、おそらく都会でもそう見かけるものではないだろう。雰囲気もこだわっているのか、プール前の沖には砂浜が再現されていた。
そしてその砂浜には浮き輪……ではなく乗り物型のフロートに空気を送っている夜美と静音の姿があった。
「……なんかお前ら、予想以上にはしゃいでんな」
「うるさいわよ。私だって初めてのプールなんだし、興奮しても仕方ないでしょ」
「にしてもあんたキャラ変しすぎでしょ。陰陽師時代の冷酷な氷の女王様はどこいったわけ? 今どきギャップ萌えで男の気を惹こうとかあざとすぎ」
「……どうやら殺されたいみたいね」
「上等だっての。波がきてる途中に叩き落としてくれるっつーの」
「え、えっと……あの二人大丈夫なの?」
「あー、まあ術師関係の話で色々因縁があってな……。でもまああれでもだいぶマシになったし、殺し合わない限りは大丈夫だろ」
事件が解決すれば全員が仲直り……とはいかないものだ。たとえ夜美が静音の家族の事件とはなんら関わりがないにしても、彼女が妹の仇と同じ陰陽師だったことは変わりはないのだ。この関係性はそうそう変わるものではないだろう。
それでも二人とも殺意だけはないみたいなので、王牙はこのある意味正直な関係を悪くは思ってはいなかった。
「じゃあせっかくだし俺たちもそれに乗せてくれよ。その大きさだと二人ぐらいまでなら大丈夫だろ」
フロートはそれぞれ二つある。夜美のがバナナ型のもので、静音のがイルカ型のものだ。波打つプールは普通にしていても楽しいが、こういった浮くものに乗っているとさらに波に流されて面白くなると聞いたことがある。
「はぁ……あんたね。それうちらじゃなかったらセクハラで訴えられてっからね? うちはパス」
「あ、じゃあ私が王牙と乗るよ。てことで片方かーして」
「「はっ?」」
いつも通りツンな態度をとる静音に対して、ヒカリは恥ずかしがることなく挙手をした。それに少女二人が反応する。というか静音の方は拒否したくせになぜそんな顔をしているのだろうか。
「私は断固拒否するわ。あなたたちが一個使っちゃったら、もう片方をこの女と乗るハメになるじゃない」
「不本意だけど同感。この女と相乗りとかどんな罰ゲームなわけ?」
「とか言って二人とも王牙と相乗りしたいだけなんじゃ〜?」
「「絶対にないっ!」」
「……あのよ。俺だったから何も言わねえけどよ、それ普通だったらけっこう傷つくんだからな?」
彼女たちの性格はわかっているつもりだが、こうも明確に拒否されるとくるものがある。それを言ったのが美少女だったらなおさらだ。
ともかくそうやってさんざん言い争った結果、結局誰が誰と乗るかはじゃんけんで決めることとなった。そしてその結果は……。
「はぁ……なんでうちが……クソダル……。あと変なとこ触ったら刺すから」
「マジか。こいつマジで刺すつもりか? 俺たちの中の友情どこいった?」
「あんた刺されたくらいじゃ死なないでしょ」
ご覧の通り、王牙は静音と組むことになった。
もう一方ではヒカリが夜美に掴まって慌ただしくはしゃいでいる。こっちに比べて実に平和そうだ。
王牙は背中から静音に抱きつかれながら、イルカのフロートに乗って水の上を漂い、波が来るのを待つのであった。
「はぁ……まさかうちがこんな呑気な日を過ごすことになるなんてね。ショージキ考えたこともなかったけど……」
「ディストピアスとやらからはもう抜けたんだろ? そっちがどうかは知らないが、八百神社はけっこう暇してるから今のうちに平和に慣れておくことだな」
ディストピアス。
能力者の集団であり、術師組織による差別撤廃を求めて陰陽師院と敵対している組織だ。ぶっちゃけ王牙も能力者だし、戦場で会った陰陽師から悪意をぶつけられることも多々あったので、思想としては頷けるものがある。
「うちはあんたみたいにノー天気じゃないし。それに……あの男がこのままでいるとは思えないんだよね」
「あの男?」
「……」
その人物について聞いてみると、しばらく考えたのちに彼女は真剣な眼差しで口を開いた。
「前にディストピアスのリーダーが陰陽師院に捕まったって話はしたっしょ?」
「ああ。たしか夜美が一度死ぬ前にセットした会談を能力者排斥派が悪用して罠に仕立てたんだっけか」
「そっ。それでリーダーが捕まったから実権が副リーダーに移ったんだけど……こいつがかなりヤバくてね」
その男を思い出したのか、静音が顔を顰めた。
彼女の実力は準一級相当、つまりは四月に苦戦したあの忠則と同格ということとなる。そんな彼女がこうも顔を歪ませるだけで、その男の厄介さが伝わってくる。
「霜裂愚連。歳は19。『
ランクというのは国際版の階級で、世界中に共通しているものらしい。階級はFからSSまでの八ランクがあり、陰陽師院が定めている八階級と基準はほぼ同じである。
つまりその愚連とやらは日本でも有数の実力者というわけだ。
「ふーん? でもアメリカって魔法技術的には発展途上国なんだろ? そこで長く活動していたからって、自慢になるものなのか?」
「アメリカの術師が弱いのは政府軍みたいな組織の話。個人、つまりは組織に属さないやつらには特級を含め、世界中から名だたる独立術師たちが集まって、日々鎬を削っているんだとさ」
「どうしてそんなあべこべみたいな現象が起きてんだ……?」
「別に驚くことじゃないでしょ。現地の組織が弱ければ、その分独立術師たちが幅を効かせるようになって、やりたい放題できるようになる。逆もまたしかり。だからこの国では独立術師なんかほとんどいないでしょ?」
「……まあ、たしかに。他の同業者とか見たことないな」
それだけ日本の陰陽師院は厳格で力を持っているということだ。なにせ世界最強の術師組織である。狙われたら、たとえ特級クラスの独立術師でもただでは済まない。
おまけに妖怪退治を主とした術師界隈の仕事はほぼ全て陰陽師院一つで対処できてしまう。だから実入が少ないということで、この国における独立術師の数は非常に少なかった。
「それにアメリカって言えば独立術師発祥の地、言ってしまえば本場ってわけ。中には『アメリカで独立術師としてまともに五年活動することができれば、どんな組織からでも引くて数多になる』なんてジンクスもあるくらいだし」
「そうだったのか。初耳だ」
どうしてそのようなジンクスが生まれたのかについては、アメリカの歴史を振り返る必要がある。
第二次世界大戦終了後、アメリカは表社会では覇権を握るようになった。
しかしこの国にはある問題が生じていた。
それは国内で生まれる妖怪について、自国の戦力ではまるで対処できなかったことだ。
アメリカは新しい国であるがゆえに、魔術的な遺産がまるでない。その土地にあった先住民族の文明は全て彼らが滅ぼしてしまった。
妖怪は人間が持つ負の感情と、大気中に漂う霊素が混ざり合って生まれる。開国当初は人間の数も少なく、神秘も薄かったため、なんとかなっていたが、アメリカという国が膨張気味に肥大化していくにつれて、妖怪の数も爆増。さすがに「魔境」の日本と比べると十分の一程度もなかったが、それでも妖怪発生数が世界でも十本指には入ってしまうほどになってしまった。
こうなってはもはや既存の軍隊では太刀打ちできない。
妖怪は精神生命体。銃も大砲も、核兵器ですら傷一つつけられない。彼らを倒すには同じ神秘が必要なのだ。
そして政府に代わって妖怪討伐の任務を行なってきたのが、五大組織の一角である十字教会だ。表社会でも絶大な影響力を持つ彼らは、世界最多の術師を有している利点を活かして、世界中で妖怪退治を行なっている。
しかしそれはいいことばかりではない。彼らがそうやって他国に干渉するのは善意ではなく、その土地で影響力を増して国を乗っ取るためだ。アメリカもそのせいで政治や軍にまでかなりの影響力を持たれてしまった。
そこでアメリカ政府が取った対策は、十字教会以外の、どこの組織にも属さない傭兵の術師を世界中から呼び集めることだった。
餌ならある。それは表社会で覇権を握ったことで得た、莫大な資本だ。政府はそれをばら撒いて、金に飢えた腕自慢たちを呼び寄せたのだ。
そうしてアメリカでは妖怪退治を専門的に担う「独立術師」が生まれた。
だがやがて大きな力を金で動かせることを知った人間たちは、その力を妖怪退治以外にも使い始める。具体的には政敵の暗殺や妨害など。そしてそれを防ぐためにも独立術師が雇われ、次第にアメリカでは毎夜死人が出るほどに独立術師同士での争いが盛んになっていった。
今では『アメリカでは一日に五人の独立術師が生まれて三人が死ぬ』なんて言われるほどだ。
日本の「魔境」と並んで、ついたあだ名が「修羅の国」。
そんなアメリカで長期間まともに活動して生き残っていられるのは、相当の実力と運がある証拠だ。
「……なんか、楽しそうな国だなぁ」
「うげっ、あいつとまったく同じ感想言ってるじゃん」
「あいつって?」
「その愚連本人のこと。あいつもアメリカ生活は楽しかったとか抜かしてたの。まじ引くわー」
静音はドン引きしたような表情を浮かべながら、改めて王牙に忠告をする。
「ともかく、そんな環境で五年以上生き残ったせいか、穏健な前リーダーと違ってかなり気性が荒くてね。正直、このまま平穏に終わる気がしないんだよね……」
「……わかった。覚えておくぜ」
その時の静音の顔にはいつもの余裕そうな表情ではなく、不安がたしかに映っていた。それは一瞬だけだったが、あれは見間違いということはないだろう。
正直、王牙にはどっちが正しいかどうかなんてわからない。客観的に見れば組織を裏切り、損害を出した静音の方が悪いのかもしれないし、それに部外者が口を出すのは筋が通らないのかもしれない。
しかし知ったことか。
王牙の行動原理は変わらない。
気にいるか気にいらないか。
自分を正直に貫くということだけだ。
感情のまま動いているだけとバカにされるのかもしれない。大人になれと蔑まれることもあるだろう。
それでも王牙は、自分にだけは絶対に嘘はつかないと心に決めているのであった。
「わあ! ものすごい大波!」
「っ……たしかにフロートに乗ってるのと乗ってないのとじゃ迫力も段違いね……!」
「へっ?」
「しまっ」
――しかしそんなふうに暗い考えに没頭していたのが悪かったのだろう。
王牙たちはすぐ目の前に迫る大波に直前まで気づけなかった。そして――。
「「がぼぼぼぼっ!?」」
二人はそイルカから落とされて、もみくちゃになりながら、その思考ごと沖まで流されるのであった。