科(化)学系チート持ち転生者のお話   作:金属粘性生命体

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転生後闇堕ちの六十一手

 

 

 フィリピンの政治の中枢であり、国家の最高権力の象徴である大統領府(マラカニアン宮殿)

 かつてはスペインの総督が住まい、長きにわたってこの国の歴史を見守ってきたその荘厳な白亜の宮殿に、三台の漆黒のリムジンが音もなく滑り込んだ。

 

 車列を囲むように展開しているのは、完全武装した国軍の精鋭部隊である。

 彼らは最新型の義体(サイボーグ)を装着し、一人一人が戦車すら素手で解体できるほどの恐るべき戦闘力を秘めている。だが、リムジンを取り囲む彼らの表情は、例外なく死人のように蒼白であり、アサルトライフルを構える腕は情けないほどにガタガタと震えていた。

 

 無理もない。彼らはつい数日前、このリムジンに乗っている者たちに牙を剥こうとして、文字通り『地獄』を見たのだ。

 身体の自由を奪われ、神経を焼き切られるような幻痛と禁断症状でのたうち回った記憶が、彼らの脳髄に絶対的な恐怖として刻み込まれている。今こうして銃を構えていることすら、相手が「その指の神経のスイッチをオフにしていないから」許されているにすぎないのだ。

 

 中央のリムジンのドアが開き、分厚い葉巻を咥えたカルロスが悠然と降り立った。

 

「ハッ。見ろよリカルド、この国の最高戦力様たちの見事な歓迎ぶりを。どいつもこいつも、生まれたての小鹿みたいに震えてやがるぜ」

「やめろカルロス、彼らを刺激するな。こっちはただでさえ、こんな歴史的な場所にギャング上がりが入城するってんで、胃薬の過剰摂取で倒れそうなんだ」

 

 額の汗を高級なハンカチで拭いながら、リカルドが胃の辺りを押さえて顔をしかめる。

 そして最後に、その後部座席から、特注の真っ白な白衣を羽織った十代後半の青年――サイエンが、まるで遊園地にでも遊びに来たような軽やかな足取りで降り立った。

 

「いやあ、素晴らしいお出迎えだね。やっぱり歴史のある建築物は、スラムの地下のコンクリートとは空気の美味しさが全然違うや」

 

 サイエンは宮殿の美しい外観を見上げて、無邪気な笑声を漏らした。

 周りを取り囲む兵士たちが、その少年の姿を見た瞬間にビクッと肩を跳ねさせ、一歩後ずさる。彼らは本能で理解していた。この一見無害そうな、笑みを絶やさない若者こそが、自分たちの命綱を握る『本物の悪魔』であるということを。

 

 

 

 大統領府の内部は、異様なほどの静寂に包まれていた。

 いつもなら慌ただしく走り回っているはずの官僚や秘書たちの姿はなく、赤絨毯の敷かれた長い廊下には、サイエンたちの靴音だけが不気味に響き渡る。

 やがて彼らは、最奥にある重厚なマホガニーの扉の前に辿り着いた。護衛の兵士すら立っていないその扉を、カルロスが無造作に押し開ける。

 

 大統領執務室。

 フィリピンの国旗が掲げられたその神聖な部屋の中央で、ホセ・フェルナンド大統領は、まるで魂を抜かれた抜け殻のように執務デスクに突っ伏していた。

 

「やあやあ、大統領閣下! アポなしの訪問で申し訳ありません。でも、今日から我々は()()()()()()()のビジネスパートナーになるわけですから、水臭い挨拶は抜きにしましょう」

「……悪魔め。よくも、よくもこの神聖な大統領府に、土足で踏み込めたものだな」

 

 フェルナンド大統領が、血走った目でサイエンを睨みつける。

 数ヶ月前の選挙戦で、スタジアムの数万人の前で熱弁を振るっていた、あの若々しく希望に満ちた青年の姿はそこにはなかった。髪には白いものが混じり、頬はげっそりとこけ、まるで数日で二十年も老け込んでしまったかのような惨状である。

 

 サイエンはそんな大統領の恨み言をどこ吹く風と受け流し、執務デスクの上に軽々と腰掛けた。

 国家元首の机に腰を下ろすという、あり得ないほどの不敬。カルロスが愉快そうに鼻で笑い、リカルドが「常識をわきまえろ」と小声で窘めるが、サイエンはニコニコと笑ったままだ。

 

「閣下、そんなに怖い顔をしないでくださいよ。今日はこの国を、もっと平和で、もっと豊かで、もっと()()()された素晴らしいユートピアにするための、新しい法案のサインをいただきに上がったんですから」

 

 サイエンは懐から薄いタブレット端末を取り出し、デスクの上に滑らせた。

 画面に表示されているのは、『国家総合AI最適化法案』と銘打たれた、恐ろしい分量の電子書類である。

 

「内容はとっても簡単です。今日から、この国の軍の配置、警察の運用、国家予算の配分、そして立法と司法の基本判断に至るまで……そのすべてを、我が社の巨大演算中枢『EXTERIOR(エクステリア)』の完全な管理下に置く。たったそれだけです」

「……つまり、この国の政治と武力のすべてを、貴様らサグラダ・メディカルに丸投げしろと。私に、国家を売り渡す売国奴になれと言うのか!」

 

 大統領が激昂し、デスクを強く叩く。

 だが、サイエンの表情からは微塵も笑顔が消えなかった。むしろ、聞き分けのない子供を諭すような、極めて慈愛に満ちた顔つきで首を横に振る。

 

「売国奴だなんて、とんでもない。閣下、あなたは歴史に名を残す『最も偉大で、最も清廉潔白な大統領』として、永遠に国民から愛され続けるんですよ」

「何……?」

「考えてもみてください。俺たちのAIがこの国の政治を完全に管理すれば、汚職は物理的に不可能になり、予算の無駄遣いは一セント単位で消滅します。犯罪予測システムによって治安は世界最高レベルを維持し、経済は俺たちが市場をハックして強引に成長させ続ける。……国民からすれば、あなたの政権は『奇跡の黄金時代』なんです」

 

 サイエンの言葉は、まるで麻薬のように甘く、そして決定的な毒を含んでいた。

 

「あなたはもう、難しい決断で頭を悩ませる必要はない。夜もぐっすり眠れます。ただ、俺のAIが用意した完璧なスピーチ原稿を読み上げ、カメラの前で人々のために涙を流し、美しい笑顔を振りまいていればいい。……それだけで、フィリピンは完璧な平和を享受できるんです。どうです、最高のお仕事だと思いませんか?」

「ふざけるな……ッ! 国民から()()()()と考える力を奪い、すべてを機械の檻に閉じ込めることが、平和だと!? そんなものは、ただの飼育小屋だ!」

 

 大統領の悲痛な叫びが、執務室に空しく響く。

 だが、サイエンは肩をすくめて、ひどく冷酷な事実を突きつけた。

 

「閣下。人間という生き物はね、自由の重さに耐えられるほど強くなんてないんですよ」

 

 

 

 サイエンは立ち上がり、執務室の巨大な窓から、眼下に広がるマニラ首都圏の美しい街並みを見下ろした。

 かつてはスラムのバラックが立ち並び、マフィアと麻薬が蔓延っていた街。それが今や、サグラダ・メディカルのインフラによって整備され、清潔で安全な近未来都市へと変貌を遂げている。

 

「誰もが明日撃たれるかもしれない『自由』よりも、決められたレールの上で与えられる『安全な不自由』を望むんです。現に、あの白黒の機体がパトロールを始めてから、国民は誰一人として文句を言っていないじゃないですか」

「それは……ッ」

「薬で感情をコントロールされ、AIに犯罪係数を管理され、俺たちが用意したエンターテインメントを与えられて、彼らは心の底から幸せそうに笑っている。……俺はただ、彼らが望む最高の『ディストピア』を提供してあげているだけなんです」

 

 圧倒的なまでの、絶対者の論理。

 善悪という概念すら超越した、狂気的なまでの合理性。大統領はついに言葉を失い、その場に力なく崩れ落ちた。

 彼にはもう、このシステムに抗う力は残されていない。軍隊という物理的な牙を折られ、情報という目を奪われ、そして「国民の幸福」という最強の盾を前にしては、自らの正義感すらもただの邪魔なノイズでしかなかったのだ。

 

「……私は、この国を救いたかっただけなのに。貧しい人々が、笑顔で暮らせる世界を作りたかっただけなのに」

「だから、その夢は叶ったじゃないですか。胸を張ってくださいよ、ホセ・フェルナンド大統領閣下」

 

 サイエンは優しく微笑みながら、タブレットを大統領の手元へと押し付けた。

 もはや、選択肢はない。大統領は震える指先で、電子署名のペンを握りしめる。

 そして、自らの理想と誇りを完全にへし折るその法案に、ゆっくりとサインを書き込んだ。

 

 ――ピロリンッ。

 

 承認を知らせる軽快な電子音が鳴り響き、モニターに緑色の『ACCEPTED』の文字が浮かび上がる。

 この瞬間、フィリピンという一つの独立国家は、名実ともに『ラ・サグラダ・マノ』という巨大企業の完全な私有財産として、その腹の中に丸呑みにされたのであった。

 

「……素晴らしい。ご協力に感謝しますよ、閣下。これからも、良い傀儡としてこの国を盛り上げてくださいね」

 

 サイエンは満足げに手を叩き、カルロスとリカルドを振り返った。

 

「さあ、これにて足場の地均しは完全に終了だ。背中を刺してくる鬱陶しい国家権力は、もうどこにも存在しない」

 

 白衣の青年の瞳の奥底で、かつてないほどに凶悪で、そして純粋な闘争の光が瞬く。

 自国を完璧な要塞へと作り変えた彼は、その視線を、太平洋の向こう側で傷を舐め合っている巨大な敵たちへと向けた。

 

「次は、世界を丸ごと俺たちのオモチャ箱に作り変える番だ。……手始めに、株価が暴落して泣き喚いているマッシブ・ダイナミクス社の残党どもを、骨の髄までしゃぶり尽くしてやろうか」

 

 スラムの泥水の中から這い上がったギャングたちは、ついに一国の頂点に立ち、そして世界のルールそのものを書き換えるための、果てしない『企業戦争』の真の幕開けを宣言したのである。

 

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