科(化)学系チート持ち転生者のお話   作:金属粘性生命体

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転生後十二の手 別から

 

 

 

 日本の首都、東京。その一角にそびえ立つ某大手重工メーカーの本社ビル。

 

 早朝の役員会議室には、重苦しい沈黙と、異常なほどの熱気が渦巻いていた。巨大なプロジェクターのスクリーンに映し出されているのは、昨晩、匿名掲示板に投稿されたばかりの「塩ビパイプのパワードスーツ」の動画と、黒い画面に羅列された難解なソースコードである。

 

「……佐々木主任。君は、我が社の優秀な開発チームが総出で徹夜した結果が、このネットの素人工作だと言いたいのかね?」

 

 恰幅の良い専務が、呆れたような、それでいて苛立ちを隠せない声で尋ねた。

 

 その視線の先に立つ開発部主任の佐々木(昨晩の掲示板でID:g8F1vK4mとして書き込んでいた男)は、目の下に濃いクマを作り、ネクタイを緩めたボロボロの姿だった。だが、その目は尋常ではない光を宿して爛々と輝いている。

 

「素人工作などではありません、専務! このソースコードを、ただのネットのガセネタだと笑い飛ばすことこそ、我が社にとって最大の損失です!」

 

 佐々木は手元のレーザーポインターで、スクリーンに映る数式の一部を激しく叩いた。

 

「これを見てください。この熱伝導の微分方程式、そして倒立振子を制御するためのカルマンフィルタの拡張モデル……。これらは、現代の計算機科学と物理学の常識を数十年は軽く飛び越えています。我が社が数百億円の予算と数年をかけて進めている次世代モビリティのアシスト技術が、このたった数千行のコードの足元にも及ばないんです!」

「なんだと……? 君たち開発部のエリートが束になっても敵わないと?」

「敵うはずがありません! これは、例えるならライト兄弟が空を飛んだ翌日に、いきなり最新鋭のステルス戦闘機の設計図が公開されたようなものです。しかもこの投稿者……『天才科学者(笑)』と名乗る人物は、あえてホームセンターの安価な部品で動くように、わざと技術をデチューンして公開しています」

 

 会議室がどよめいた。役員たちが信じられないものを見る目でスクリーンを見上げる。

 

「このデチューンされた残飯のようなコードですら、我が社の技術力を遥かに凌駕しています。もしこのアルゴリズムを、チタン合金フレームと最新の超伝導モーターに最適化して組み込むことができれば……軍事、医療、土木、あらゆる産業のパワーバランスが根底から覆ります」

 

 佐々木は息を呑み、さらに絶望的な事実を告げた。

 

「しかし、我々がこれを勝手に商用利用することはできません。この技術のコアモジュールの特許は、すでに『黒川テック』という無名の企業によって完全に押さえられています」

「黒川テック……? 聞いたことがないな。どこの系列だ」

「それが、完全に独立した新興企業のようです。ホームページは九十年代の遺物のように古臭く、代表取締役は黒川という男。連絡先は問い合わせフォームのみ。しかし、背後には間違いなくこの『天才科学者(笑)』という本物の化け物がついています」

 

 佐々木は深く頭を下げた。

 

「専務。今すぐ黒川テックにコンタクトを取る許可を。彼らが他国やライバル企業と独占契約を結ぶ前に、我々が提携を取り付けなければ……日本の、いや世界のモノづくりは彼らに支配されます」

 

 会議室は、圧倒的な未知の技術を前にした恐怖と野心によって、完全に支配されていた。ただ一人のオタクが暇つぶしに投げ込んだおもちゃが、日本を代表する大企業の中枢を狂騒の渦に巻き込んでいたのだ。

 

 

 

 一方その頃。日本から遠く離れた米国カリフォルニア州、シリコンバレー。

 

 世界最大の巨大IT企業『オムニ社』の本社キャンパス内にある、セキュリティ・オペレーション・センター(SOC)。そこは世界中から絶え間なく押し寄せるサイバー攻撃を監視し、自社の強固なサーバー群とクラウドサービスを防衛するための最前線基地である。

 

 シニア・アナリストのクロエは、手元の端末から鳴り響いた特殊なアラート音に眉をひそめた。

 

「……ん? MITの契約しているクラウドリソースの使用率が、異常なスパイクを起こしてる。DDoS攻撃?」

 

 クロエは即座にキーボードを叩き、トラフィックの解析を始めた。しかし、画面に表示されたのは悪意のあるパケットではなく、何らかの超高度な物理シミュレーションを回している痕跡だった。

 

「なんだこれ……。MITの連中、何を計算させてるの? こんな強引にサーバーのリソースを食いつぶすアルゴリズム、見たことが……いや、待って」

 

 クロエの指が止まった。

 

 モニターに流れる、MITの学生(昨晩の掲示板でID:R9j2kW5cとして書き込んでいた院生)がクラウド上で必死に解析を試みているソースコード。それは、日本の匿名掲示板から拾ってきたばかりの「自己修復アルゴリズム」と「ノイズ除去コード」の断片だった。

 

 クロエは画面に顔を近づけ、そのコードの記述の癖を食い入るように見つめた。極限まで無駄を省き、既存のプログラミング言語の文法をまるで数学の芸術のように再構築した、その異常なまでの美しさと冷徹な論理構造。現代のどんな天才エンジニアにも書けない、次元の違うコード。

 

 クロエの脳裏に、ある強烈な既視感がフラッシュバックした。

 

「ボス!! リチャード!! すぐ来てください!!」

 

 クロエの尋常ではない叫び声に、SOCの統括責任者であるリチャードが慌ててコーヒーカップを置いて駆け寄ってきた。

 

「どうしたクロエ! システムに侵入されたか!?」

「違います! これを見てください! MITの院生がうちのサーバーを使って、日本のネット掲示板に投下されたサイボーグ技術のコードを解析してるんですけど……このコードのアーキテクチャ、見覚えがありませんか!?」

 

 リチャードは怪訝な顔でモニターを覗き込んだ。そして数秒後、彼の顔からスッと血の気が引いた。

 

「馬鹿な……。これは、分散処理のアルゴリズムを数学的なロジックで極限まで圧縮するこの書き方……」

「そうです! 十三年前です!」

 

 クロエは興奮で声を震わせながら、過去のアーカイブデータをモニターの半分に展開した。

 

「十三年前、うちの基幹システムの致命的なパス・バイパスと長年のバックドアを指摘し、我々が数百万ドルの報奨金を仮想通貨で支払ったあの正体不明のハッカー! その時に送られてきた修正パッチのコードと、今MITの連中が解析しているこのコード……記述の癖も、ベースにある論理構造も、完全に一致しています!!」

「なんだと……!?」

 

 リチャードは愕然として言葉を失った。

 

 十三年前。オムニ社を絶体絶命の危機から救い、同時にオムニ社のトップエンジニアたちのプライドをへし折った、顔も名前も年齢もわからない完全匿名の化け物。あの一件以来、彼はサイバー空間から完全に姿を消したと思われていた。

 

「ボス……これ、日本の匿名掲示板では『天才科学者(笑)』なんていうふざけた名前で投稿されてるみたいです。しかも、この技術の特許は『黒川テック』という日本のダミー会社のようなところが管理していると……」

「あの時のハッカーが、今はソフトウェアだけでなくハードウェアの設計までやっているというのか……。いや、それだけじゃない」

 

 クロエはさらに掲示板の翻訳ログをスクロールさせ、ある一行で指を止めた。

 

「待ってくださいボス。このスレッドの書き込み……この投稿者、スレッドから退出する理由を『大学のレポートをやらないとヤバいから』と書いています」

「大学のレポート? ……大学生だというのか?」

 

 リチャードは怪訝な顔をした直後、自らの脳内で弾き出された最悪の計算結果に顔を青ざめさせた。

 

「大学生……通常、十八歳から二十二歳。十三年前のあの事件の時、ヤツは……五歳から九歳の子供だったということか!?」

「そんな……嘘ですよね? 五歳の子供が、私たちのシステムの致命的な脆弱性を突いて、完全に新しいアーキテクチャを書き上げたなんて。そんなこと、人間業じゃありません!」

「ああ、嘘だ。あり得ない。おそらく身元を偽装するためのブラフだろう。だが……もし、万が一それが事実だとしたら……我々は、とんでもないバケモノを相手にしていることになるぞ」

 

 リチャードは震える手で額を押さえた。

 

「十三年前、ヤツは我々の巨大なサーバー群を児戯のように扱い、システムを根本から書き換えた。……今度は、人間の肉体と機械を繋ぐ技術を使って、物理的な現実世界の常識を書き換えようとしているんだ」

「ボス、どうしますか? もしこの『黒川テック』の背後にあの時のハッカーがいるなら、これはIT業界だけの問題じゃありません。世界中のパワーバランスが変わります」

 

 クロエの問いかけに対し、リチャードは深く息を吸い込み、決意の表情で頷いた。

 

「すぐにCEOに緊急回線を繋げ。十三年前の件の重要参考人として、オムニ社の全力を挙げてこの『黒川テック』にコンタクトを取る。絶対に他社に、いや他国に先を越されるな」

 

 アメリカの巨大IT企業の中枢で、かつてのトラウマと畏敬の念が再び呼び起こされていた。

 

 彼らは誰も知らない。

 

 自分たちが血眼になって探している正体不明のハッカーであり、世界をひっくり返そうとしているバケモノの正体が、今は実家のリビングで母親の作った肉じゃがを美味そうに頬張っている、ただの工作オタクの大学生に過ぎないということを。

 

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