都内にそびえ立つ、日本を代表する総合電機メーカーの役員会議室。
そこは今、まるでお通夜のような重苦しい静寂に包まれていた。
「……で、黒川テックが先日市場に放流した、あの新型超伝導モーターの構造は解析できたのか?」
「不可能です。分解しようと外殻にメスを入れた瞬間に、内部の回路が物理的に自壊してただの鉄の塊になりました。そもそも、特許庁に公開されている設計図自体が、我々の知る現代の物理法則を完全に無視しています」
「彼らの目的は一体何なんだ……。あれほどの技術を持ちながら、真っ当に利益を追求する気があるようには到底思えん」
他企業から見た黒川テックの異様さは、そのオーパーツじみた圧倒的な技術力だけではない。
新製品の発表は常に唐突で、市場への事前の根回しやマーケティングといった、企業活動の基本が完全に欠落しているのだ。
広報窓口に問い合わせても、返ってくるのは不気味なほど完璧に最適化された自動音声だけ。実体のある社員は都内のオフィスに出社している数十名のみで、彼らも中枢の技術開発には一切関わっていないように見える。
「まるで、人間ではない何かが気まぐれに知恵の輪を投げ落としているようだ。我々はライバル企業と戦っているのではなく、理解不能な自然災害に立ち向かっている気分だよ」
企業のトップたちは、昨日まで自社が誇っていた主力製品が、黒川テックの気まぐれな特許公開によって次々とゴミ屑に変わっていく様を、ただ絶望と共に眺めることしかできなかった。
一方、世界経済の中心から遠く離れた、東南アジアの某国にある貧困地域。
昨日までただの赤茶けた荒野だったその場所に、突如として要塞のような巨大オートメーション工場が建造されていた。
「おい、本当にここで立ってるだけでいいのか? 給料は今までの十倍だぞ。家族全員に腹一杯の飯を食わせてもまだ余る」
「ああ。仕事の指示はスマホに送られてくるし、給料も日払いで正確に振り込まれてる。でも……なんだか薄気味悪いんだよな」
黒川テックに現地採用された住民たちは、真新しい制服を着て工場の巨大なゲート前に立ち、喜びと困惑の入り混じった表情を浮かべていた。
彼らの仕事は名目上は警備や清掃だが、実際にやることなど何もない。空には音もなく飛行する黒いドローンが飛び交い、工場内では無数の機械アームが完全な自律制御で動き続けているからだ。
「あそこに立ってる黒い服の警備員……朝から一歩も動いてないし、瞬きすらしてないぞ」
「それに、工場から出てくる大型トラック、運転席に誰も乗ってないんだよ。俺たち、本当は必要ないんじゃないか?」
圧倒的な資本と技術によって、貧しかった村は一夜にして信じられないほど豊かになった。
しかし、彼らの心を満たしていたのは、降って湧いた幸運への純粋な喜びよりも、得体の知れない超越的な存在に対する根源的な恐怖だった。自分たちはただ、この巨大な機械の城の「カモフラージュ」として生かされているだけなのではないかと。
そして、この黒川テックの異常な独走に対し、アメリカの巨大IT企業であるオムニ社も、ただ黙って指をくわえているわけではなかった。
十三年前、自社の強固な基幹システムを児戯のようにハッキングされ、システムの最適化という名の圧倒的な力の差を見せつけられた彼らは、黒川テックの背後にいるのがあの時の「匿名のハッカー」であると完全に確信していた。
オムニ社のセキュリティ統括責任者であるリチャードは、本社から精鋭の特使チームを東京の黒川テックのダミーオフィスへと直接送り込んでいた。
彼らの目的は、十三年前の事実を「交渉のカード」として使い、黒川テックの生み出す技術をオムニ社が独占するための契約を強引にもぎ取ることだった。国家機関すら手玉に取る相手に対する、彼らなりの決死の「抵抗」である。
「初めまして、オムニ社のエージェントの皆様。本日は遠いところをわざわざご足労いただき、ありがとうございます。黒川テック代表取締役の黒川です」
「単刀直入に申し上げましょう、黒川社長。我々は、貴社の背後にいる『彼』の存在を、十三年前のシステム侵入の件から存じ上げております」
「十三年前の件、ですか? 申し訳ありませんが、何の話か全く存じ上げませんね」
「とぼけないでいただきたい。我々はその事実を公にするつもりはありません。ただし、それは貴社が我々オムニ社と技術の独占契約を結ぶことが条件です。さもなくば……」
「我が社は誰とも独占契約は結びませんよ。それに、もし仮にそのような『彼』が存在したとして、あなたがたの脅しが通用する相手だとでもお思いですか?」
特使の男は、目の前で完璧な愛想笑いを浮かべる黒川社長に対し、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。
男がどれだけ強い言葉で圧力をかけても、黒川社長の瞬き一つ、呼吸の乱れ一つ生じない。まるで、感情のプログラムが最初から存在していないかのような底知れぬ不気味さがあった。
「……交渉の余地は、一切ないと?」
「ええ、全くありません。どうぞお気をつけてお帰りください」
手も足も出ずにオフィスを追い出された特使からの報告を受け、アメリカのセキュリティルームにいたリチャードは、深い絶望と共に椅子に沈み込んだ。
オムニ社が持っていた唯一のカードは、いとも容易く躱された。そもそも、利益にも名誉にも興味がなく、ただ世界を玩具にして遊んでいるだけの絶対神に対して、企業同士の交渉術など通用するはずがなかったのだ。
世界最大の巨大企業によるささやかな抵抗は、実家でコーラを飲みながらアンドロイドを遠隔操作していた一人の大学生によって、完全に無力化されたのだった。