深夜の地下ラボ。いつものようにメインコンソールに深く座り込んでいた俺は、手元のコーラを飲むのも忘れて、ネットの海に溢れる悲痛な声を見つめていた。
「……やりすぎた。いくらなんでも、やりすぎたわ」
数日前の医療革命。俺が放り投げたオーパーツのせいで、確かに多くの命は救われた。
だがその裏で、既存の医療機器メーカーや巨大製薬会社が軒並み倒産し、何万人もの人間が路頭に迷っているという現実が、冷たい数字となってモニターに表示されている。
「俺はただ、平和にゲームして美味い飯が食いたかっただけなのに。……これじゃただの魔王じゃんか。前世から引き継いだ俺のささやかな良心が、チクチクと音を立てて痛みまくってるぞ」
『ボス。ボスの行動は人類の文明を確実に数世紀分前進させています。古い細胞が死び、新しい細胞へと生まれ変わる新陳代謝の過程における、一時的な痛みに過ぎません』
「あのな、ジャービス。その古い細胞ってのは、一人ひとりが生きてる人間なんだよ。腹も減るし、明日の生活に絶望だってする。俺と同じようにな」
俺は大きくため息をつき、頭をガシガシと掻き毟った。
神様気取りで世界をひっくり返すのは楽しかった。
だが、そのせいで見ず知らずの誰かが餓死していくのを放置できるほど、俺の倫理観はぶっ壊れていない。世界中が地獄みたいに荒れていたら、新作のゲームもアニメも作られなくなるし、俺の快適なオタクライフが崩壊してしまう。
「ジャービス。方針変更だ。……俺が壊した経済の尻拭いをするぞ」
『具体的には、どのようなアプローチを取られますか? 莫大な資産を用いたベーシックインカムの導入でしょうか』
「いや、ただ現金をバラ撒くのは三流のやり方だ。何もしなくても金がもらえるとなると、人間は完全に働く気を失って社会が腐る。金がないから何もできないってのが一番の絶望だろ? だったら、生活の最低ラインである『食のコスト』を完全にゼロにしてやればいいんだよ」
俺は空中に新たなプロジェクトのホログラムを展開し、猛烈な勢いでコードを組み始めた。
「まずはSF映画によくある、超高効率の作物培養プラントの設計図を引く。天候に左右されず、現在の数十倍のスピードで小麦や大豆を無限に収穫できるタワーを世界中の郊外にボコボコ建てろ」
『なるほど。食糧生産の完全な自動化ですね。肉類はどうしますか? 万能フードプリンターを各家庭に配布して、最高級の霜降り肉を出力できるようにしますか?』
「バカ言え、そんなことしたら人類はベッドから一歩も動かなくなるぞ。プリンターは各家庭じゃなくて、俺たちが建てる巨大な無人工場の中にだけ設置する。そこで大豆由来のタンパク質を錬成して、栄養価は完璧だが味は『最低限食えるレベルの安物の謎肉』を大量生産しろ」
キーボードを叩く指に、いつになく力が入る。
破壊するのは簡単だった。だが、人間のモチベーションをコントロールしながら誰も死なせないシステムを作るのは、ゲームの縛りプレイよりも遥かに燃える。
「毎日無料の謎肉と味気ないブロック食だけじゃ、いずれ人間は『もっと美味いものが食いたい』『もっと良い生活がしたい』って強烈な欲求を抱くはずだ。ハングリー精神こそが文明を回すエンジンなんだよ。工場で作った最低限の飯は、俺の物流ドローンが各家庭に毎日無料で直接配達してやる」
『最低限の生存は無料で保障し、より高い生活水準を求めるなら働け、というわけですね。しかし、肝心の働き口が現在消失しつつありますが』
「だから、その美味い肉を買うための『金』を稼がせる仕事を作るんだよ。この農業プラントの周辺警備や、配達ドローンのシステム監視っていう名目で、誰でもできる仕事を大量に用意しろ。実質的には俺のAIが全部やってるけど、人間には自分で稼いだ金で美味い飯を食うっていう『喜び』を与えないとダメになっちまう」
『承知いたしました。名目上の雇用を創出し、彼らのハングリー精神を保ちつつ、生存に必要な物資を確実に届ける。……ボスの平和な日常を維持するための、壮大かつ絶妙なセーフティネットの完成ですね』
俺はふうと息を吐き、ゲーミングチェアの背もたれに深く寄りかかった。
『……おっと、報告です。地上のご実家で、お母様が本日の夕飯を完成させた模様です。今日は特製のビーフシチューとのこと』
「うわ、マジか! 工場で大量生産される謎肉もいいけど、やっぱり母さんの手作りに勝るものはないな。ジャービス、今の食糧支援プロジェクトはバックグラウンドで世界中に展開しておけ。俺は帰る!」
俺はゲーミングチェアから飛び起きると、リニアエレベーターへと駆け込んだ。
人類の飢餓をたった数十分のコーディングで永遠に解決した男も、実家のビーフシチューが冷めることだけは許容できないのだ。
さすがにこのままだと世界の敵ルートになるところだったので修正入ります、世界の敵ルートはifルートでやってみたいけどねぇ