深夜の首相官邸、地下深くにある危機管理センター。
内閣総理大臣をはじめとする政府のトップたちは、巨大な円卓を囲みながら、胃に穴が空きそうなほどのストレスと絶望感に苛まれていた。
「総理、本日の日経平均株価、ここ数年で最大の大暴落を記録しました。Kの発表した『完全同期型義手』と『人工多機能臓器』のデータを受け、医療機器メーカーや製薬関連のトップ企業が軒並み、大規模な事業縮小とリストラ計画を前倒しで発表しています。関連する中小の下請けメーカーは既に連鎖倒産が始まっており、この四半期だけで国内の失業者は数万人に達する見込みです」
「世界中も同じ状況だ。エネルギー関連は今のところ新型バッテリーの充電規格の件で市場が混乱している程度だが、あの天才科学者が次に何を出すか分からないという恐怖で、既存の資本主義システム全体が完全に冷え切っている」
「かと言って、黒川テックの背後にいる彼に規制をかけることなど不可能です。先日供与された軍事ドローン網の件もありますし、迂闊に手出しをしてインフラを止められれば、それこそ国家が立ち行かなくなります」
為す術もなく絶望的な議論が交わされる中、ふいに部屋の照明が一段階暗く落ちた。
そして、国家の最高機密であるはずの巨大モニターが強制的にハッキングされ、真っ黒な背景に白い文字で『K』というシンプルなロゴが浮かび上がった。
『深夜にどうも、お疲れ様です日本政府の皆さん。Kです』
「K……! い、一体どのようなご用件でしょうか。我々は現在、あなたが引き起こした市場の混乱への対応で……」
『ああ、それなんですが。俺もちょっとやりすぎたなって反省してまして。今日はその尻拭い……もとい、救済措置の提案をしに来ました』
合成音声のような、しかしひどく軽い口調のノイズがスピーカーから響く。
一国のトップたちを前にして、まるでコンビニの店長とシフトの相談をするような気安さだった。
『単刀直入に言います。明日付けで、黒川テックを中核とする巨大コングロマリット、つまり「黒川財閥」を設立します。それに伴い、今回の件で発生する失業者の再雇用システムと、彼らへの無償の食糧支援網を、全て我が財閥が引き受けます』
「なっ……社会保障のセーフティネットを、一個人が丸抱えすると言うのですか! 現代の法律において財閥のような企業グループを作ること自体は違法ではありませんが、国のインフラ根幹を一企業が独占するなど、国家主権を揺るがす事態だ!」
『じゃあ、あなた方にこの数万、あるいは今後数十万に膨れ上がるかもしれない失業者を完全に救済する財源と技術があるんですか? 放っておけば治安が悪化して、半年で国が傾きますよ』
総理の額から、冷や汗が流れ落ちた。
悔しいが、Kの言う通りだった。急激な技術革新による産業構造の破壊に対し、政府の対応は完全に後手に回っている。
『全国の郊外に超高効率の完全自動農業プラントを建てて、生活に困窮した者には一生食うに困らない食糧を無料配給します。ついでに、失業者にはそのプラントの監視員といった誰でもできる仕事を数十万人分、順次用意します。……ただ、一つ条件があります』
「条件、ですか……?」
『ええ。この食糧支援も再雇用のあっせんも、国民側から専用アプリで「申請」されない限りは一切援助しません』
モニターの向こうのKは、ひどく冷徹に言い放った。
『俺は別に、全人類の保護者になるつもりはありません。何もしない人間まで無条件で甘やかせば、社会は腐りますからね。あくまで自分から「生きたい」「働きたい」と申請してきた人間にだけ、最低限の生活と稼ぐ手段を提供する。プライドが高くて俺の用意したインフラは使えないと餓死するなら、それはそいつの自由です』
「……我々は、あなたに国の社会保障を乗っ取られることを黙認しろと?」
『人聞きの悪いことを言わないでください。表向きの手柄は全て日本政府のものにして構いません。「政府主導の超救済プロジェクトにKが協力した」とでも発表しておいてください。俺は目立ちたくないんで』
政府側にとっては、ある意味で都合の良い話ですらあった。
この悪魔の契約書にサインしてKの特区を認めれば、当面の失業問題とそれに伴う国民の不満は解決し、国家の崩壊という最悪の事態だけは避けられるのだ。
『俺の平和な日常の維持に、あなた方のような優秀な番犬は必要不可欠ですからね。恩はしっかり売っておきます。では、明日の朝イチで設立認可などの書類を送るので、速やかに決済してください。俺は今から新作ゲームのログインボーナスを受け取らないといけないので、これで』
プツン、という軽い電子音と共に、モニターの通信が切断された。
危機管理センターには、再び重苦しい静寂が舞い降りる。
「……総理。いかがなさいますか」
「……決まっているだろう。明日から不眠不休で、黒川財閥の設立と関連する事業認可の手続きを進めろ。現行法で縛れない部分は、超法規的措置を用いてでも強行しろ」
総理は深く椅子に沈み込み、震える手で目頭を押さえた。
一人の得体の知れない存在に、社会の根幹を明け渡す屈辱。しかし、これから溢れ返るであろう失業者を救い、国家を存続させるためには、これしか道は残されていない。
「国家と国民の存続のためだ。我々は、あの名もなき存在に、この国の未来を委ねるしかないのだ……」
こうして、日本経済の裏側を完全に支配する巨大なバケモノ「黒川財閥」は、深夜のログインボーナスのついでに、あっさりと誕生することになったのである。