ザックが武器を捨てて床にひれ伏した直後。
ラボの奥から、重武装した数人の男たちが血相を変えて駆けつけてきた。
「おい! 侵入者だ! どうやって入り込みやがった!」
「撃つな! もう終わってる!」
彼らはカルロスが俺のラボに配備した専属の警備部隊だ。
部隊長を務めるレオンという男が、床に転がって泡を吹いている三人の侵入者と、ガタガタと震えながら土下座している侵入者を見て、呆然と立ち尽くした。
俺はモニター室のロックを解除し、防弾ガラスの扉をゆっくりと開けて彼らの前に姿を現した。
「遅いよ、レオン。お前たちが駆けつけるまでに、俺の淹れたコーヒーが冷めちまったじゃないか」
「サ、サイエンの坊主……。いや、裏口のセンサーが切られてたから急いで来たんだが……これ、全部あんたがやったのか?」
レオンは信じられないといった顔で、黒焦げになった床のトラップと、奇妙な
彼ら戦闘部門のプロから見ても、無傷で四人の武装集団を無力化するのは容易ではない。それを、安全圏からボタン一つでやってのけた五歳児の姿は、ひどく気味の悪いものに映っただろう。
「まあね。お前たちに被害が出る前に終わらせておいたよ。……ああ、その痙攣してる奴らには触るなよ。服に擦れただけで神経を焼かれる特製の毒ガスを吸ってるからな。ゴム手袋をして、あとで焼却炉にでも放り込んでおいてくれ」
「ひっ……! りょ、了解ッス……」
百戦錬磨のギャングであるレオンが、完全に俺の言葉に怯えて敬語になっている。
素晴らしい。武力を持つ彼らが俺の頭脳に
「それより、レオン。そこのひれ伏してる一人は、俺の用意した尋問用の椅子に縛り付けておいてくれ。大事な『お使い』を頼まなきゃいけないからね」
「わ、分かった。おいお前ら、こいつを運べ!」
レオンの部下たちに両脇を抱えられ、生き残った男がラボの地下にある隔離室へと引きずられていく。
数分後。
頑丈な鉄の椅子に革ベルトで拘束された男の前に、俺は小さな注射器を持って現れた。
「ひっ……! な、なんだそれ! 解毒剤をくれるって言ったじゃねえか!」
「落ち着けよ。これはお前の痛みを和らげる薬だ。……ついでに、大脳皮質の理性を溶かして、俺の質問に百パーセント真実だけを答えさせるための『自白剤』でもあるけどね」
俺は抵抗する男の首筋に、容赦なく注射針を突き立ててプランジャーを押し込んだ。
市販の鎮痛剤と睡眠薬をベースに、前世の知識で特定の化学物質をブレンドした特製カクテルだ。数秒で男の焦点がぼやけ、口からだらしなくヨダレが垂れ下がる。
「薬の効き目を確認しようか。……お前の名前は?」
「……ザック……」
よし、大脳皮質の理性が溶け、質問に反射で答える状態になっている。
「さて、ザック君。君たちをここに送り込んだのは誰だ?」
「……ベ、ベンジャミンだ……。あのガキの機材を壊して、首を獲ってこいって……」
「報酬はいくらで、どこで受け取る手筈だった?」
「……前金で十万ペソ……成功したら倍……。明日の朝、東区画の第七廃工場で……」
虚ろな目でペラペラと秘密を暴露するザック。
その後ろで腕を組んで聞いていたレオンが、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「あのクソアマチュアが……! 自分のシノギが奪われたからって、味方のラボを外注のゴロツキに襲わせるたぁ、越えちゃいけねえ一線を越えやがったな!」
「どうやら、随分と追い詰められているみたいだね」
俺が注射器を片付けながら呟くと、レオンは懐から無線機を取り出した。
「すぐにカルロスの旦那に報告する! ウチの部隊を総動員して、今すぐあのクソッタレの工場を火の海にして……」
「待て、レオン。それはあまりにも芸がない」
俺は無線のスイッチを押そうとしたレオンの手を、短い腕でペシリと叩いて制止した。
「げ、芸がない?」
「彼をただ撃ち殺すだけじゃ、俺の受けた精神的苦痛の代償としては安すぎる。それに、身内同士の派手なドンパチはボスの心証を悪くするかもしれない。……こういう時は、もっと
俺はニッコリと笑い、白衣のポケットから、透明な液体の中心に『赤い核(コア)』が浮かんでいる奇妙なカプセルを取り出した。
「カルロスさんには『事後報告』でいい。俺が完璧な処理をしてやると伝えてくれ。レオン、お前たちには明日の朝、少しばかり面白い見学ツアーに付き合ってもらうよ」
「……坊主、まさかそのカプセルで何かする気か?」
「ああ。このカプセルは【二層構造】になっているんだ。外側の透明な層は胃液で即座に溶け、さっき打った自白剤と化学反応を起こして彼の大脳新皮質を完全に麻痺させる。自我を破壊し、俺の与えた『暗示』だけを忠実に実行する『生きた自動機械』の完成だ」
俺はザックの口をこじ開け、そのカプセルを強引に飲み込ませた。
ゴクリ、と喉が鳴るのを確認し、俺はさらに言葉を続ける。
「そして、中心にある赤い核――特殊なポリマーで覆われた遅効性の神経毒は、胃液で溶け切るまでにちょうど十時間のタイムラグがある。十時間後、核が破れて中身が吸収された瞬間、奴の神経系は完全に焼き切れ、心不全で即死する。証拠を一切残さない、完璧な時限爆弾さ」
「……ひ、ひぃっ……」
背後で、レオンが顔を引きつらせて後ずさりする音が聞こえた。
弾丸も使わず、自らは一歩も動かずに、敵の懐深くに『自我を奪った暗殺者』を送り込む。その冷徹すぎる手段に、武力しか知らないギャングは根源的な恐怖を植え付けられたのだ。
「おい、ザック。聞こえるか」
俺が耳元で低く囁くと、薬の第一段階が発動して完全に人形のような目になったザックが「あ、あぁ……」と生返事をした。
「お前はこれから、ベンジャミンの工場へ戻る。そして『サイエンの首は獲れなかったが、代わりに奴のラボから面白い薬を盗んできた』と報告するんだ」
俺はザックのポケットに、あらかじめ用意しておいた『特殊な触媒』の入った瓶をねじ込んだ。
「そして、ベンジャミンが目を離した隙に、その瓶の中身を……奴の麻薬製造タンクの中に全部ぶちまけろ。それが終わったら、お前は自由だ」
「……ベンジャミンの……タンクに……全部……」
完璧な暗示の刷り込みだ。
彼は明日の朝、十時間のタイムリミットが来る直前に工場へたどり着き、ベンジャミンの大切な
「さあ、ザック君。元の世界へお帰り。明日の朝が楽しみだね」
俺はザックの拘束を解き、フラフラと歩き出す彼の背中を、まるで迷子を見送るような優しい笑顔で見送った。
無能な働き蜂のプライドが、自身が差し向けた暗殺者の手によって物理的に、そして化学的に崩壊するまで、あと十時間。
俺は最高に愉快なショーの開演を待ちわびていた。