科(化)学系チート持ち転生者のお話   作:金属粘性生命体

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転生後闇堕ちの五十手

 

 

 マニラ首都圏、マラカニアン宮殿。

 歴史ある大統領府の壮麗なホールは、無数のフラッシュの眩い光と、割れんばかりの万雷の拍手に包まれていた。

 

 中央の豪奢なデスクで、真新しい万年筆を走らせているのは、圧倒的な支持率で大統領選を勝ち抜いた新時代の若き指導者、ホセ・フェルナンド新大統領である。

 彼の横には、清廉で革新的な医療福祉企業『サグラダ・メディカル』の代表取締役として、パリッと高級スーツを着こなしたリカルドが、どこからどう見ても誠実なビジネスマンの顔をして立っていた。

 

「――本日、我が国は長きにわたる腐敗と暴力の歴史に終止符を打ちます。サグラダ・メディカル社との包括的治安維持協定の締結により、フィリピンは世界で最も安全で、最も公正な国家へと生まれ変わるのです!」

 

 フェルナンド大統領が力強く宣言し、リカルドと固い握手を交わす。

 その瞬間、集まった国内外のメディアから一斉に熱狂的な歓声が上がった。かつての政敵が悲惨な獣の事故で命を落とし、スキャンダルに塗れた旧体制が崩壊した今、国民はこの若く美しい大統領と、彼がもたらす魔法のようなテクノロジーに完全に酔いしれている。

 

 だが、彼らがこの日サインし、大衆が喝采を送ったその法案は、都市のインフラそのものを根底から支配者に明け渡す()()()()()()であった。

 

 サグラダ・メディカルが政府に無償提供する次世代の都市管理OS、名付けて『DOMINATOR―CITY(ドミネーター・シティ)』。

 それは、街中に張り巡らされた数千万台の監視カメラ、市民のスマートフォン、そして空を飛ぶ小型ドローンのすべてを統合し、巨大な一つの頭脳で管理する異常なシステムである。

 

 このシステムの真の恐ろしさは、単なる監視網という点にはない。

 カメラ越しに市民の表情、歩様、心拍数、さらにはSNSでの発言傾向などのあらゆる生体・行動データを瞬時に解析し、その人物が犯罪を犯す可能性を『犯罪予測係数』として常に数値化し続けるのだ。

 もしその数値が規定のレッドラインを超えれば、警察本部に自動で警告が送られ、街を巡回している白黒の重装甲フレーム『LANDMATE―P(ランドメイト・ポリス)』が即座に出動して、対象を()()()()()()()物理的に制圧・排除する。

 

 フェルナンド大統領は、これを「人間の私情や賄賂が一切介入できない、完全無欠の公正なシステム」だと信じて疑っていない。

 機械が客観的なデータのみで悪を判定する。これならば、かつての警察のようにカルテルと癒着することも、権力者に忖度することもあり得ない。彼は本気で、この国から犯罪を根絶できると感動の涙すら流していた。

 

 

 

 巨大ラボのメインコンソールルーム。

 壁面の巨大モニターには、大統領府での歴史的な握手シーンと、新たに起動した『ドミネーター・シティ』の広域マップが並んで表示されていた。

 

「いやはや、素晴らしいスピーチだったね。人間が自分から考えることを放棄して、喜んで機械に首輪を繋がれる歴史的瞬間だ。あんなに清々しい顔で自由を投げ捨てるなんて、人間って本当に面白い生き物だよ」

 

 革張りのソファに深く腰掛け、最高級のポップコーンを放り込みながら、白衣の青年はクスクスと愉快そうに笑い声を漏らす。

 画面に映るマニラ首都圏のマップには、無数の緑色のドットと、いくつかの赤色のドットがチカチカと点滅していた。赤いドットは、システムによって『潜在的犯罪者』と認定された者たちだ。

 

「おい、坊主。あの画面で真っ赤に光ってる連中……まさかとは思うが」

「ご名答だよ、カルロスさん。あれは全部、俺たちのシマを荒らそうとしているライバルのギャングや、リカルドさんの商売の邪魔になる鬱陶しい連中さ」

 

 葉巻を咥えたカルロスが呆れたように息を吐き出すと、青年は楽しそうにタブレットを操作して見せた。

 

「あの若き大統領は『機械は忖度しない』なんて言っていたけれど、大きな間違いだ。機械の評価基準を決めるアルゴリズムそのものを俺たちが書いているんだから、忖度どころか完全なえこひいきシステムだよ」

「……つまり、俺たちの組織の人間は、どれだけ裏で人殺しや麻薬の密売をやっていようと、あのシステム上では『善良な一般市民』として緑色に表示されるってことか」

「そういうこと。逆に、俺たちの組織の秘密を嗅ぎ回るような正義感の強いジャーナリストや、俺たちと対立する組織の連中は、システムが勝手にストレス値や危険度を跳ね上げて『凶悪な潜在犯』として真っ赤にマーキングしてくれる」

 

 青年の指先一つで、マップ上の赤いドットが一つ、また一つと消えていく。

 それは、出動したランドメイトによって、ライバル組織の人間が合法的に排除されたことを意味していた。

 

「えげつねえ。つまり俺たちは指一本動かさずに、国家の税金で動く警察に、自分たちの商売敵を掃除させてるってわけか」

「しかも、大統領も警察も市民も、みんな『素晴らしいシステムが街を綺麗にしてくれている』と本気で喜んで、俺たちに感謝までしてくれる。……これこそが、完全な支配だよ」

 

 しばらくして、大統領府での調印式を終えたリカルドが、ネクタイを緩めながらラボへと帰還した。

 彼は大仕事を終えた安堵よりも、自分が関わっているこの途方もない悪意のスケールに、ひどく疲労した顔をしていた。

 

「ただいまって顔じゃないね、リカルドさん。歴史的偉業を成し遂げた英雄なのに」

「茶化すな。あの純粋無垢な大統領の顔を見てたら、こっちの胃に穴が開きそうだったぜ。自分が悪魔に国を売り渡したとも知らずに、俺の手を両手で握りしめて涙ぐんでやがったんだからな」

「いいじゃないか。彼は彼の望む通り、目に見える範囲の悪を撲滅して歴史に名を残す。俺たちは実質的にこの国を私物化して、莫大な利益と実験場を手に入れる。誰も損をしていない、最高の取引さ」

 

 青年は立ち上がり、都市のすべてを俯瞰する巨大モニターを見上げた。

 

 治安判定の完全な自動化。人間の判断を手放した警察国家。

 かつて前世のSFアニメで描かれていたような、システムによる絶対的な管理社会が、今このフィリピンという現実の土壌に深く根を張った。

 街の裏側に張り巡らされた猛毒の根は、クリーンな医療福祉と絶対的な治安維持という名の真っ白なペンキで分厚く塗り固められ、もはや誰の目にもその毒々しい色は映らない。

 

「さあ、国内の盤石なインフラはこれで完成だ。次は……いよいよ、海の向こうの巨大な企業どもに、俺たちの牙を見せつけてやろうか」

 

 冷たい照明の下、青年の瞳の奥底で、国という枠組みすらも超えようとする、底知れぬ狂気の光が静かに瞬いていた。

 

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