マニラ首都圏の再開発地区。その一等地にそびえ立つ、真新しいガラス張りの巨大な超高層本社ビル。
最上階に設けられた豪奢な役員会議室には、かつてスラムの路地裏で泥水と血に塗れていた男たちが、最高級のオーダーメイドスーツに身を包んで集まっていた。
「……おい、リカルド。本当にこれでいいのか? 俺たちは今日から、ドンパチをやる『ヤクザ者』じゃなくて『堅気の社長様』になるってことか?」
「堅気なんて生易しいもんじゃありませんよ、ボス。いや……今日からは『ガルシア会長』とお呼びすべきですね。我々はもう、コソコソと日陰を歩くギャングではないんですから」
巨大なマホガニーの円卓の奥で、組織の元ボスであるガルシアが、落ち着かない様子で高級なシルクのネクタイを弄っている。
彼らがかつて名乗っていたスラムの巨大ギャング『ラ・サグラダ・マノ』。そのいかつい組織名は、今や洗練されたクリーンなロゴマークと共に、医療、物流、そして民間軍事会社を束ねる巨大複合企業群の総称として、この国の経済のど真ん中に鎮座していた。
白衣を羽織った青年が、会議室の巨大モニターの前に立ち、愉快そうに手を叩いて全員の注目を集める。
「そういうこと。もはや旧時代のような、シマ争いや麻薬の密売なんていうチンケな小銭稼ぎは必要ない。俺たちは合法的に国から予算を吸い上げ、合法的にインフラを握り、合法的に武力を行使する。……そのための最終段階として、今日から組織内の全システムを完全に統合するよ」
「統合だと? ただでさえ俺たちのフロント企業は、医療から警察の装備まで手広くやりすぎてるってのに、これ以上何をまとめるってんだ」
葉巻を咥えたカルロスが、呆れたようにソファの背もたれに体重を預ける。
彼の疑問に対し、青年はモニターに巨大なネットワークの相関図を映し出した。
「名付けて、統合戦場・業務管理OS『
その図の中央には本社サーバーが位置し、そこから数万本もの光のラインが、警察、自社の私兵部隊、物流トラック、さらには末端の清掃員にまで繋がっている。
「社員証や無線の代わりに、今日から全社員と私兵部隊の体内に極小のナノマシンを注射する。これによって、彼らの位置情報、心拍数、ストレス値、疲労度、そして兵器の使用権限まで、すべてをこの本社の中枢サーバーで一括管理するんだ」
「……つまり、俺たちの部下は全員、四六時中システムに監視されるってことか?」
「監視なんて人聞きの悪い言葉を使わないでよ、カルロスさん。これは手厚い『福利厚生』さ」
青年はクスクスと笑いながら、タブレットを操作して詳細なスペックを表示させる。
「たとえば、カルロスさんの率いる私兵部隊が持つすべての銃器は、このSOPシステムと生体認証で完全にリンクしている。システムに登録されていない人間が引き金を引こうとしても、銃はロックされて絶対に火を噴かない。逆に、俺たちがサーバー側から『射撃許可』を取り消せば、部下たちは一切の武力を行使できなくなる」
「……なるほど。銃の暴発も防げるし、敵に武器を奪われても使われないってわけか」
「それだけじゃないよ。兵士が極度の恐怖やパニックに陥った時は、体内のナノマシンが自動で感情をコントロールし、恐怖心を麻痺させて最適な精神状態を維持してくれる。怪我の痛みも強制的に遮断するから、彼らは絶対に退却の文字を知らない最強の軍隊になる」
会議室に、水を打ったような静寂が降り降りた。
ガルシアも、リカルドも、そして歴戦の猛者であるカルロスでさえも、そのシステムが意味する
銃のロックと、感情の麻痺。
それはつまり、このシステム下にある限り、部下たちは絶対に会社に対して反乱を起こすことができず、死ぬまで痛みも恐怖も感じないまま、企業の命令通りに引き金を引き続けるマシーンにされるということだ。
「ハッ。要するに、絶対に裏切れないし、逃げ出すこともできない
「人聞きの悪いことを言わないでよ。俺たちは痛みを消してあげているんだから、とても良心的なホワイト企業じゃないか」
カルロスの皮肉を、青年はどこまでも爽やかな笑顔で受け流す。
「警察にはすでに『ランドメイト』と定期メンテナンスという鎖を巻いた。大統領には『ドミネーター』という最強の監視網のスイッチを握らせて依存させた。そして最後に、俺たち自身の手足となる兵隊と社員たちを『SOP』というネットワークで一つの巨大な生き物に統合する。……これで、誰一人として俺たちの牙城を崩すことはできなくなった」
リカルドが、震える手で胃薬を水で流し込みながら、手元の決算資料を読み上げる。
「……現在、ラ・サグラダ・マノ・グループがこの国で生み出している利益と、警察・インフラから吸い上げている予算の総額は、年間で約三兆ペソ。フィリピンの国家予算の半分以上が、すでに俺たちの帳簿の上を通過していることになります」
「素晴らしい。ギャングの解体は完了だ。今日この瞬間から、俺たちはただの犯罪組織ではなく、国家の機能を内側から完全に喰い破った
青年はくるりと背を向け、床から天井まである巨大なガラス窓から、眼下に広がるマニラ首都圏の美しい夜景を見下ろした。
無数の光が瞬くその広大な都市のすべてが、今や彼の設計した悪魔のシステムの上で呼吸し、彼の掌の上で踊らされている。
かつて泥水をすすっていたスラムの子供が、たった数年で一国の王すらも凌ぐ絶対的な支配者へと成り上がったのだ。
「スラムから始まった箱庭の整理は、これで無事に終わったね」
窓ガラスに映る十代の青年の顔には、途方もない偉業を成し遂げた達成感などは微塵もなかった。
ただ、遊び終わった古いオモチャを片付け、次の新しいゲームの箱を開けようとする、邪悪で無邪気な子供の瞳がそこにあった。
「さあ、内側が綺麗に片付いたのなら、次はいよいよ外側だ。……海の向こうの巨大な軍事企業どもに、俺たちの牙の鋭さを教えてあげようか」
フィリピンという一国を完全に掌握した死の商人のパレードは、ここで一つの終着点を迎えた。
そしてそれは同時に、世界中の巨大企業や超大国を巻き込む、終わりのない『企業戦争』という名の新たな地獄の幕開けであった。