オムスク北部航空基地 統合作戦指令棟 第一会議場「ズヴェズダ」
オムスク防衛戦から10日後
―――
廊下の先から、人の気配がざわめきのように伝わってくる。
アヴタンディル・ラトロフは、憲兵の案内に従って長い地下回廊を歩きながら、そのざわめきが少しずつ大きくなっていくのを感じていた。コンクリートの壁には、幾度もの改修の痕跡が残っている。増設、補強、そして、また増設。この基地がいかに長い年月をかけて、戦争という現実に合わせて成長してきたかを、その壁が無言で語っていた。
鉄製の重い扉が開かれた瞬間、音と熱気と、混じり合った言語の断片が一気に押し寄せてきた。
「―――ご着席ください。」
最初に英語が聞こえ。その次に聞こえたのはロシア語。そしてラトロフの耳にはもうひとつの言語が聞こえた。
―――日本語だった。
会議場「ズヴェズダ」は、名前の印象よりはるかに巨大だった。階段状に下がっていくすり鉢型の構造で、最下部の演壇を中心に、300を超える座席が扇形に広がっている。天井には換気設備の太いダクトが走り、その隙間から蛍光灯が等間隔に白い光を落としていた。この施設はここを支配していた勢力のものを再利用した場所と聞かされている。様々な教育に使われていた場所であるらしいが、今この場所は、人類の存亡を左右するかもしれない作戦の、最初の言葉が発せられる場所に変わっていた。
ラトロフは席を探しながら、会議場全体を素早く視野に収めた。
ソヴィエト軍の将校達が中心を占めているのは当然として、目を引くのはその外縁部に散る、明らかに異なる制服だ。
右翼の一角。ソヴィエトの将校達とは明確に距離を置くように着席した集団の中に、深緑色の軍服と見覚えのある菊の紋章が見えた。大東亜共栄圏大陸派遣軍の将校達だ。階級章から見て、佐官から将官クラスが数名。その端正な軍装は、長距離の移動を経てきたとは思えないほど整然としている。彼らの後方には、護衛らしき尉官が控え、立ったまま室内を慎重に観察していた。
左翼には、カーキ色の野戦服に身を包んだアメリカ合衆国軍の将校団。階級章には金星が並んでいる。その中心にいる大柄な将官は、黒縁眼鏡の奥の目を細めながら手元の資料に目を通していた。
そしてその隣に―――自由国家機構軍の代表団が座っていた。。北米・南米・オセアニアを中心とした複合軍の高官達で、ソヴィエトとアメリカの間に位置するように座っているのは、政治的な配慮なのか、それとも単なる偶然なのかはわからない。
ラトロフは自分の席を見つけ、座った。
そのとき、演壇の左手奥に視線をやったラトロフは―――一瞬、動きを止めた。
一人の男が、壁を背にして直立していた。
他の将校達が着席する中、一人だけ立ったまま、微動だにしない。その立ち姿に、ラトロフは職業的な反射で相手を全身を素早く確認した。
深い鉄灰色の軍服。
肩章には、見慣れない紋様のエンブレム。そして帽子―――黒地に銀の縁取りが施された制帽の前章部に、両翼を広げた鷲の帽章が輝いている。胸の中央には、どの国の勲章とも異なる独特の意匠―――黒地に白縁の、四等分された十字。
鉄十字……
あの制服は……大
ラトロフだけではなかった。その男の存在に気づいたソヴィエトの将校達が、次々と視線をそちらに向けている。そして―――その多くの目が、隠そうとしていない敵意の色を帯びていた。
当然だった。
大独逸帝国、ソヴィエト連邦とは歴史的に幾重もの傷跡を持つ関係にある。第二次世界大戦以降の出来事は、BETA大戦化である現在でも、この国の人間の骨に染み込んでいた。祖父が戦い、父が憎んだ相手だ。
それが今、同じ会議室に立っている。
ざわめきが、さざ波のように広がった。
「……あれは」
隣に座った部下の中尉が、低く呟いた。
「独逸の高官が、なんでここに」
ラトロフは答えなかった。ただ静かに、その男を観察し続けた。
帽章の鷲が、蛍光灯の光を受けて鈍く輝いている。男は室内の視線を一身に受けながら、まるで意に介していないかのような表情をしていた。いや、正確には―――表情というものが存在しない、と言った方が正しいかもしれない。岩のような静けさ。しかしそれは、臆していることとは全く別の何かだった。
ここにいる以上、独逸もまた、仲間なのだ。
ラトロフはそう考えた。感情的な反発は理解できる。自分の中にも、ないとは言えない。しかしBETAというものが、この惑星に定着し数年が経過した。人類に許されているのは、互いを憎む時間ではなく、生き残るための時間だけだ。大独逸帝国だろうと、大東亜共栄圏だろうと―――この場にいる以上、それは動かしようのない事実だった。
「静粛に」
演壇の中央に立った人物の声が、会議場全体を静止させた。
オムスク防衛軍集団司令官・ゴルデーエフ大将。その一声で、300以上の人間が黙り、前を向いた。
「全員着席せよ」
日本語、英語、ドイツ語での通訳が同時に流れた。壁際に立っていた大独逸帝国の将校が、ゆっくりと、しかし無言のままに着席した。
ゴルデーエフ大将は、演壇の両脇に立つ通訳将校達を一瞥した後、会議場を見渡した。
「始める前に、一点だけ確認しておく」
その声は低く、しかし会議場の隅々まで届いた。
「今ここにいる諸国の将校諸官。諸官の中には、隣の席に座る人間が、昨日まで仮想敵国の軍服を着ていたという者もいるだろう。その感情は、私には否定する権利がない」
静寂。
「だが、BETAによる地球侵攻が始まって数年、人類滅亡の危機に達した今、私にはこれだけ言う資格がある―――」
大将は真っ直ぐに正面を向いた。
「今この会議室には、敵は存在しない。ここにいるのは全員、人類の将校であり、仲間である。」
誰も拍手しなかった。しなかったが―――空気が、確かに変わった。
「作戦参謀、始めろ」
演壇の右手から、一人の将校が歩み出た。
ワジム・ニコラエヴィチ・ポズドニャコフ大佐。ソヴィエト連邦軍参謀本部作戦部、対BETA統合作戦課長。三十代後半にしてその任を担う、この国の対BETA作戦立案における中核の一人だ。精悍な顎のラインと、過労によって刻まれたのだろう目の下の影が、この男がいかなる密度で過ごしてきたかを物語っている。
「本作戦の正式名称―――|カーメンヌィ・パヤース作戦
―――
―――
―――
大型スクリーンに、ユーラシア大陸の広域戦略地図が映し出された。クラスノヴィシェルスク、オムスク、スルグート、ノーヴィ・ウレンゴイを繋ぐ防衛ライン全体が一目で見渡せる縮尺だ。
「まず、戦略目標から確認する」
ポズドニャコフ大佐の指示棒が、クラスノヴィシェルスクの一点を叩いた。
「第一目標
―――クラスノヴィシェルスクハイヴの完全破壊及び制圧第二目標
―――クラスノヴィシェルスクハイヴのフェイズ4以上への進行阻止。
第三目標
―――ハイヴ周辺半径300km圏内のBETA残存戦力の掃討。
以上三目標の達成をもって、本作戦の成功と定義する」
「また、本時点で確認されているBETA群の総数は——現
スクリーンの赤い数字が書き換わった。
会議場を、静寂が包んだ。パレゴロオス作戦で確認されていたBETA総数よりかは少ない。だがそれはハイブ内BETAを計算に入れてない状況での15万体という数。戦線を維持しながらユーラシア第1防衛線を押し上げる中でこの15万体という数はかなり絶望的だ。
「作戦全前進区域―――3軸合算で延べ250万平方km超に及ぶ範囲の実態を明らかにしたのは、過去10日間で投入した8発のストレラ弾道偵察弾の解析結果と、ヤンタール-Ⅲ衛星の累積観測データ、そしてブーリャ感知システム《地上広域センサー網》の全データを統合した結果である。」
「また、クラスノヴィシェルスクハイヴはフェイズ4に到達し、フェイズ5への移行プロセスを既に開始していると思われる。その為、BETAはハイヴ周辺への戦力集結を能動的に進めており、前衛帯の密度が意図的に低下している。前方300kmだけを見た場合、BETA総数は35000体。しかし前進区域の中盤―――特にハイヴまで400km以内の地帯に、主力が集積している。前衛が薄い分だけ、ハイヴ周辺が厚くなってるのでその辺は注意して欲しい。」
「本作戦の任務―――」
ポズドニャコフ大佐が演壇に立ち、会議場全体を見渡した。
「オムスク、スルグート、ノーヴィ・ウレンゴイの3拠点よりそれぞれの突撃群を前進させ、D+30までにクラスノヴィシェルスクハイヴより60km以内の
「ゴルデーエフ大将の指揮官意図―――3点だ」
「第1―――機動と火力の組み合わせによる突破。消耗戦に引き込まれてはならない。150,000体と正面からの消耗戦を30日間続ければ、確実に弾薬と搭乗員が先に尽きるだろう。長距離精密打撃で事前にできるだけ削り、機動力で壁を突破し、残余を後続砲兵で処理するサイクルを維持する」
「第2―――三軸の
FRAGORDによる調整権限を各軸指揮官に付与するが、全体協調は統合司令部がモニタリングする」
「第3―――主補給路《MSR》の防衛と前進補給点の設置を、戦闘・前進と同時進行で実施する。前進速度がいかに高くとも、弾薬・燃料が枯渇した時点で作戦は実行できなくなる。その為、兵站に関しては作戦の中でも優先事項である」
「次に作戦構想を説明する。前進は3段階に分割して管理される。
「地理的補足―――各軸の前進距離は現FEBA《戦闘地域前縁》からの数値だ。第1軸を例に取れば、ハイヴからオムスク市街地までの全距離は約1,600kmだが、現在のFEBAはオムスクより約500km前方に押し上げられている。したがってFEBAからフェイズライン・ウォルフ-3までの実際の前進距離が約1,000kmとなる。各都市は兵站・管理の後方基盤であり、戦術的出発線《LD》はFEBAである」
「では次に……戦闘序列と各軸詳細計画を発表する」
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「本作戦に投入される戦術機戦力は、三個突撃軸合計で1,080機に達する。」
「主攻を担う第1軸《オオカミ》には420機が配備され、三軸中最大の戦力を保有する。担当区域には推定65,000体のBETA群が存在すると評価されており、日平均33kmという最も高い前進速度が要求される。」
「中央突破を担う第2軸《鷹》には360機が配備される。担当区域のBETA総数は約50,000体と推定されるが、同時に三軸中最大規模となる光線級・重光線級集積地帯が存在するため、対光線級掃討中隊を集中配備する。要求前進速度は日平均22kmであり、高機動戦術機による継続的な機動突破を主任務とする。
「北方迂回攻勢を担当する第3軸《白銀》には300機が配備される。担当区域のBETA総数は約35,000体と三軸中最少であるが、タイガ地帯および永久凍土帯という極めて厳しい地形条件下での作戦行動が要求される。このため前進速度は日平均15kmに設定されている。」
「以上を総合すると、本作戦において三軍連合軍は1,080機の戦術機戦力をもって推定150,000体のBETA群に対する三方面同時攻勢を実施する。対光線級掃討任務には合計32機が専任配置され、各軸の前進速度維持と光線級脅威の継続的排除を担う。作戦成功の鍵は、単純な戦力比ではなく、後方砲兵・戦域ミサイル部隊・航空戦力との統合火力運用によってBETA密度を低下させ、戦術機部隊が突破口を拡大し続けられるかにある。」
「次に、航空支援封鎖への対処―――本作戦の最重要制約事項を解説する」
「固定翼・回転翼・無人機を含む全ての航空機の前進区域投入を禁止する。光線級に対して、速度も高度も機動性も何ら意味を持たない。この問題の唯一の例外は弾道軌道によって光線級の実効照射圏外となる軌道高度と、完全な地形遮蔽を維持した高度■■m以下の超低空飛行のみである。」
―――
その後、本作戦でおける比較的重要なことが話された。光線級に照射処理能力を飽和攻撃によって解決する面制圧や、BETA種別対処指針、情報・偵察計画等の詳細、兵站・補給維持計画等々……。会議室に来て、1時間半程が経過し遂になぜ独逸軍がいるのかが説明された。
「大独逸帝国軍の投入条件を明確に確認する」
ポズドニャコフ大佐が、その一語一語を刻むように言った。
「大独逸帝国軍はフェイズ1において―――前進作戦にも、兵站支援にも、いかなる形においても参加しない」
会議場の空気が変わった。隣の少佐が小声で何かを呟くのをラトロフは聞いた。しかし大佐は先を続けた。
「これは戦力的余裕がないからではない。作戦上の意図的な温存だ。大独逸帝国軍の投入条件は唯一つ―――フェイズ2ハイブ攻略作戦《鉗子作戦》に移行した場合に投入される。」
「その任務の名称は―――」
「コードネーム《Sturz ins Dunkel》である。」
「詳細については、現時点において参加各国最高指揮官クラスのみへの限定開示とする。本会議場全員への開示は今から10日、作戦開始10日前に行う。現時点で申し上げられるのは―――ハイヴに到達した時にしか使えない手段があるからこそ、それ以外での消耗を一切排除しているということだ。それ以上は私の口から言えることはない」
ラトロフは視線を演壇の左手奥に向けた。
鉄十字の将校が相変わらず無表情のままそこにいる。帽章の鷲が蛍光灯の光を受けて静かに輝いている。その眼差しの奥にあるものを、ラトロフは今、別の言葉で理解していた。
それは待機ではない。
高度に集中した―――準備であった。
フェイズライン・ウォルフ-3。ハイヴより60km。
その地点に軸が到達したその瞬間だけを、この男は待っているのだ。
―――
―――
―――
「成功条件―――D+30までに3軸全ての前線がクラスノヴィシェルスクハイヴより60km地点、フェイズライン・ウォルフ-3に到達すること」
「部分成功―――2軸以上が達成し1軸が未達の場合:D+40まで最大10日間の延長を認める。達成した軸から増援戦力を抽出し未達軸に投入して前進を加速する。ただしこれは達成軸の防御力低下というリスクを伴う。FRAGORDにより指示する」
「全軸未達―――作戦の根本的見直し。しかし―――」
大佐は一息を置いた。
「後退の選択肢は存在しない。その理由を全員に確認する」
「クラスノヴィシェルスクハイヴがこのままフェイズ5への移行を完了した場合、次に発生するのはここオムスク及びユーラシア第1防衛線へのBET大規模侵攻だ。それも今回の150,000体など比較にならない規模で行われる可能性が高いだろう。オムスクが陥落すれば―――ソヴィエト最大の重工業都市を失うことになる。また既に喀什という爆弾を抱えた大東亜共栄圏の中国大陸方面防衛線にもその影響は波及するだろう。そして大独逸帝国は東欧方面防衛体制を根本から再編しなければならなくなる。このままユーラシア略奪が進めば北米にまで危機が及ぶかもしれない。」
「この会議場にいる全員の利害が完全に一致している点はここだ。国籍も、歴史的経緯も、政治体制も―――全て関係ない。この作戦が失敗することは、各国全員にとっての失敗である。」
大佐は最後に会議場全体を見渡した。ソヴィエトの将校達。日本の将校達。アメリカの将校達。自由国家機構の将校達。そして―――大独逸帝国の将校。
「では各自現時刻を持ちのフェイズ1の説明は終了とする。今から10日後に、フェイズ2《鉗子作戦》の説明を行う、各自遅れないように。」
様々な言語が混じり合う「ズヴェズダ」会議場を後にし、ラトロフはコートの前を静かに閉じながら廊下へと歩き出した。地下回廊を支配しているのは、蛍光灯の白い光と、自分の軍靴がコンクリートを叩く規則的な音だけだ。会議から1時間と経っていない。300を超える人間の体温と緊張と息遣いは、今もまだ薄く廊下に漂っている気がした。
あの室内で積み重ねられた言葉たちが、頭の奥でゆっくりと回り続けている。
150,000体。
1,080機。
30日。
たった30日……
一ヶ月後、ここは―――
「ちょ、ちょっと少佐!どうして置いてっちゃうんですかっ!!」
背後から甲高い声が廊下を突き破った。
ラトロフは足を止め、振り返った。白いコートの裾を翻しながら小走りで駆け寄ってくる人影―――明るい金髪を後ろで束ね、両腕に不釣り合いなほど分厚い作戦資料のファイルを抱えた少尉だ。
「ダリア・オヴェーチキナ少尉か。どうした?」
「どうしたって―――!だから明日から三軍合同総合演習なんですよ?!セルゲイ・グリゴリエヴィチ大尉が困ってましたよ!少佐がどこ行ったんだって!」
膝に手をついて息を整えながら、ダリアが訴える。頬が少し赤い。
「―――演習の概要を述べろ」
「あ、はい!大きく4つのセクションがあります」
ダリアはファイルを開こうとして、ページを風圧でめくってしまい、慌てて押さえた。
「第1セクションが統合通信訓練―――各国のIFF《敵味方識別》トランスポンダー周波数の調整と、多国籍共通戦術無線網の構築演習です。各国軍はそれぞれ異なる暗号規格と通信プロトコルを使っています。演習で統一できなければ、本番で友軍と連絡すら取れなくなっちゃいますから」
「第2セクションが統合火力支援調整訓練各国のJTAC将校が共通のCFF《射撃要請》手順と射撃統制通信を習得する訓練です。座標系の統一も含みます。これを怠ると本番で、自分たちの前進路に誤って砲撃支援が来ます」
「第3セクションが兵站交差支援訓練。弾薬・燃料の各国間互換性の確認と緊急補給手順の確認です。ソヴィエトのTSFが使う劣化ウラン弾と日本製TSFの弾薬では装填システムの規格が異なる部分がありまして、こんなことで前線が詰まっては―――論外です」
「第4セクション」
ラトロフが短く促した。
ダリアの声が少し落ちた。
「―――戦術機模擬戦演習です。各国から任命された部隊による多国籍混成編制の模擬戦を実施します。そのために……既に各国から最新鋭戦術機が何機かずつ搬入されています。こんな最前線に……」
ラトロフは内心では理解していた。疑問は至極もっともだが、答えは単純だ。一ヶ月という時間は多国籍部隊がゼロから連携を構築するには短すぎる。しかし何も確認せずに本番を迎えれば、本番での一回の誤射が演習で洗い出せたはずの百の問題よりずっと高くつく。問題は事前に洗い出して潰す―――それだけのことだ。
「それよりも―――」
ラトロフが何かを言いかけたとき。
「―――なんで大規模な作戦が行われるすぐ前に、模擬戦とか行うわけ?!―――全く意味がわからないんだけどッ!こっちが怪我したらどうするってんだこのゴミっ!しかもこんな最前線で帝国の次期主力戦術機なんか持ってきちゃって!上も上だろ、こんちくしょー!」
「しかもだしかも!!なんだよあの作戦!簡易基地建てながら数百km前進しながら戦闘だと?もうう■こじゃんう■こ!誰だよこんな前線で戦う衛士のこと全く思ってくれない作戦考えたヤツ!」
廊下の先から、甲高い声が響いた。
言葉は日本語だったが、その感情は言語など超えて伝わってきた―――誰かが、かなり頭に来ている。
ラトロフとダリアは、反射的に振り返った。
廊下の突き当たり。曲がり角の陰から、5人の人影が歩いてきた。全員が深緑色の軍服を着ている。大日本帝国の軍服だ。
しかし―――
ラトロフは、一瞬、目を細めた。
―――子供、だ。
先頭の2人は、どう見ても10代前半としか見えなかった。
1人は黒縁眼鏡をかけた少年で、垂れ気味の目が人懐っこさを醸し出している。頬にまだ幼さが残り、肩幅も細い。軍服が少しばかり大きく見えた。
もう1人は―――
ラトロフの視線が、そこで止まった。
髪が、真っ白だった。
ボーイッシュに短く刈り込まれた白髪。肌は薄雪のように透き通るほど白く、瞳は薄い蒼灰色―――まるで曇天のシベリアの空を水で溶かしたような色だ。
体格は2人の中でもさらに小柄で、妻が連れ出した自分の息子と同じぐらいの年齢か―――あるいは、それより少し幼いかもしれない。
階級章を確認する。確か……これは
少尉
この子が、少尉―――
何かが、喉の奥に引っかかった。それを飲み込む前に、先頭の眼鏡をかけた少年がこちらに気づいた。ぱっと表情が明るくなる。人懐こい笑顔のまま、小走りで近づいてきた。
「&-&)-&7&&7&7)7*&7%=&)」
日本語だ。意味は分からないが、口調と表情から挨拶の類だろうと判断した―――そのとき。
「こんにちは。ロシアの人。私達は京都嵐山基地からはるばるここオムスクまでやって来ました。よろしく」
白髪の少女が完璧な発音のロシア語で話しかけてきた。
ラトロフの隣でダリアが、一瞬だけ固まった。帝国軍服を着た幼い子供が、完璧なロシア語で話しかけてきたのだから―――無理もない。しかしダリアの口は脳より先に動いた。
「こんにちは!私はダリア・オヴェーチキナ少尉です。オムスク北部航空基地へ、ようこそ!あなた達は―――?」
笑顔で話しかけるダリアの言葉を、白髪の少女がすぐさま小声で日本語に訳した。少年がそれを聞いて何かを返す。
「%%+&+%-*-&+%+@」
そのとき―――ラトロフは、白髪の少女を見ていた。
少女も、こちらを見ていた。ただ静かに、蒼灰色の瞳でラトロフをまっすぐに見ていた。笑っていない。怒ってもいない。ただ何かを―――
測っているかのように
その視線が、皮膚の下まで届くような感覚がした。
少女が口を開いた。
「私達は御剣試験隊。本作戦では第2軸―――に配属されています。今回、帝国から派遣された模擬戦参加部隊のうちの一つです」
―――御剣試験隊
その名前は知っていた。大東亜共栄圏最大の重工業・軍事技術複合体である御剣財閥が設立した実験部隊だ。大日本帝国初の戦術機を創り上げ、一部の分野でアメリカをも凌駕すると言われる技術力を持つ日本、四大財閥のひとつ。その財閥が前線の最終演習に送り込んできた部隊が―――
こんな子供達で構成されているのか
ダリアの笑顔の奥に、かすかな何かが滲んでいるのをラトロフは見た。彼女も同じことを感じているのだろう。
帝国率いる大東亜共栄圏は世界最大規模の人的資源を保有すると聞く。それでも―――こんな幼い子供達を戦術機に乗せ、最前線の演習に送り込む……
一体、この子達は何を背負っているのか。
「これ、お土産です」
ロシア語を話す少女が言った瞬間、眼鏡の少年が笑顔のまま、丁寧に包まれた箱をこちらに差し出してきた。
ラトロフは少し間を置いてから、受け取った。
丁寧に包み紙を剥がす。
手が―――止まった。
そこに印刷されていたロシア語は、わずか3行だった。しかしその3行で、ラトロフには全てが分かった。
御剣財閥
次期戦術機先導技術開発計画 ——神鳳——
極秘 (⚠ロシア語)
喉の奥が、静かに乾いた。
これは―――
「これは……京都の名産品「八ツ橋」です。生物は苦手かと思いこちらを持ってきました。私達は……あなた方に期待しています。ぜひ受け取ってもらえると嬉しいです」
白髪の少女が、一礼した。
「失礼します」
帝国軍人5人は喋りながら廊下を歩き去っていった。ラトロフは彼らの背中が廊下の角に消えるまで、視線を外さなかった。白髪の少女が、最後の一瞬だけ振り返った。
蒼灰色の瞳が、ラトロフと交差した。
それは、何かを確認するような目だった。
「少佐……一体何を貰ったんですか?」
ダリアの声は、困惑というより、困惑の一歩手前の緊張だった。
「ダリア・オヴェーチキナ少尉」
「は、はい」
「今起きたことは決して口外しないように。私は少し用ができた。大尉と共に模擬戦のメンバー選定を進めてくれ」
「ちょ、少佐!そんな―――!」
「―――復唱」
一拍の間があった。
「……私ダリア・オヴェーチキナ少尉は、大尉達と共に模擬戦メンバーの選定を進めてきます……」
「よし。大尉が選んだメンバーなら私は文句を言わない。今日のうちには戻る」
それだけ言って、ラトロフはダリアに背を向けた。
目的地はゴルデーエフ大将の指揮所。
手の中の薄い資料の重さが、歩くたびに増していくように感じた。
神鳳——次期戦術機先導技術開発計画。
私は詳しいことは知らないが……ゴルデーエフ大将なら何か知ってるかもしれない。―――しかし、こんなデータがあんな子供達の手を通じて、こんな形で一将校に渡されてくる。
なぜ?
廊下の角を曲がりながら、ラトロフは足を速めた。
この情報が、ソヴィエト連邦の戦術機開発に与える影響は計り知れない。しかし同時に、これほどの機密が「お土産」として渡されてくることの―――政治的な意味を、考えなければならない。
軍靴の音が、廊下に響いた。
―――
―――
―――
「それにしても……あの少佐……えーと確か―――」
誰もいない廊下を、5人の帝国軍人が歩いていた。
「アヴタンディル・ラトロフ少佐。そろそろ覚えろ」
仲間のうちの1人が、少し呆れた口調で言った。
「独逸の暗殺者リストのうちの一人だよな?一体何をしたんだか」
少年が、好奇心混じりに言う。
「ロシア統一戦争で何かやらかしたか……その親近者が独逸にとって不都合なことをしたか。上は教えてくれませんね」
5人の中では最も年長に見える背の高い青年が、静かに答えた。
「ま、そういう事情がある人間が今回の作戦には何人かいるよ。それよりも―――」
少年が続ける。
「御剣財閥も無茶やるよな……。まさかソ連に次期戦術機先導技術開発計画の実験データを渡しちゃうとは……。神鳳のデータが外に出るなんて、政府に知られたらどうなっちゃうんだろうね~」
「実験データって言っても、まだあの計画始まってから1年も経ってないから、データ量は限定的だよ」
白髪の少女が言う。
「それでも―――奴らにとっては喉から手が出るほど欲しいものだけどな」
背の高い青年が静かに答えた。
「神鳳のデータが―――たとえ限定的なものでも―――奴らの開発方向を何年も加速させる可能性がある。御剣財閥はソ連にまで影響力を伸ばそうとしてるのか……一体何を考えてるんだか」
「わかりきってるでしょ」
前を歩いていた白髪の少女が、静かに言い放った。5人の足が、廊下の突き当たりで止まった。重厚な鉄扉の前。セキュリティリーダーが緑色の光を灯している。
「ここで技術を渡して、ソ連が最前線で粘ってくれなきゃ困るんだよ。クラスノヴィシェルスクハイヴが処理できなかったら―――次は何が起きると思う?」
白髪の少女の声は淡々としていたが、だがその内容は重い。
「クラスノヴィシェルスクハイヴ攻略が失敗したら戦力を削がれたソ連はユーラシア第1防衛線の突破を許す。その次オムスクにハイブが建造される。ソ連の最前線が崩壊したら―――その次は帝国にBETAの牙が向く。ただでさえ、共栄圏に世界最大規模のハイブを抱えながらユーラシア北部にまで複数のハイブが建造されたら、中華民国・満州帝国・東南アジア各国・大陸領土を失うかもしれない。だから御剣財閥の判断は正しい。技術を渡してソ連に頑張ってもらう。それが帝国の国益・国防に直結する。長期的な見方とかじゃなくて―――今起きてることの、自然な続きを読んでるだけ」
白髪の少女がIDカードをリーダーにかざした。金属音とともにロックが外れ、重い扉が油圧の音とともに開いた。格納庫の白い光が、廊下に差し込んでくる。
5人はくぐった。
そして―――
「……やっぱり、ここに置かれるのは可哀想だな」
少年が、思わず漏らした。
格納庫の中央に、それは立っていた。
82式戦術歩行戦闘機 天海・弐型。
全高はおよそ18メートル。標準的なソヴィエト製戦術機と比べれば一回り細身だが、関節部の設計が根本的に異なっている。従来の日本製戦術機が持つ流麗な曲線ラインを継承しながら、増設されたジャンプユニットの重厚さと関節部の機械的な鋭角さが―――矛盾なく共存していた。肩部には複合センサーポッドが左右に張り出し、背部には通常型にはない大型ブースターパックが搭載されている。塗装は濃紺と黒の2色。機体の各所に御剣財閥のエンブレムが刻印されている。
神鳳計画―――その開始から1年に満たない期間で集積されたデータが、この機体に組み込まれている。骨格は既存の82式から流用しているが、関節の精度、センサー系統の解像度、そして動力系統の根幹に―――何かが変わっている。細部を見れば見るほど、何かが違うという感覚が生まれる機体だ。
白髪の少女は、機体の正面に立った。仰ぎ見る。
機体の目——カメラアイが、蒼灰色の光を灯している。
「せっちゃん。さっきのロシアの兵士方はなにを―――考えてた?」
眼鏡の少年が問いかけた。他の4人の視線が、そっと白髪の少女に向く。少女は少し間を置いてから答えた。
「……大したこと考えてなかった。強いて言うなら―――私達のことを心配してたぐらい?」
「そうか……心配ねぇ……」
しばらくの沈黙が、格納庫で続いた。
「こんなクソッタレな世界に来ちまったんだ」
眼鏡をかけた少年が誰にも聞こえないようにボソッと喋った。
「ソ連ちゃんにも壁役としてできるだけ粘ってくれないと―――いつ帝国に、BETAの牙が向くか分からないからね。あ、もう向いてるか。というか正直時間の問題か……」
天海・弐型のカメラアイが、蒼灰色に光り続けている。
情報を渡すくだりはX-29参考。
作戦内容絶対変だから修正案ほんまに出して欲しいれす