―――第1試合が、始まった。
モニターに映し出された戦場に、二つの部隊が別々の方向から滑り込んでいくのが見えた。
「―――独ソの連中が共闘なんてできるのかよ」
隣に立つアメリカからの将官が、呟くように言った。視線はモニターに向けたまま、口の端だけで笑っている。揶揄でも皮肉でもなく、純粋な疑問として言っているのがかえって腹立たしい。
正直なところ、私も同じことを思っていた。
大ゲルマン帝国がロシアの大地に対してやってきたことを、私は骨の髄まで知っている。ヨーロッパからウラル山脈の西側にかけて広がる旧ソ連領の大半を、ドイツは力によって支配し続けた。その地に生きるスラブ人たちは過酷な強制労働に叩き込まれ、反旗を翻した者は容赦なく消された。一度ではない。何度も、何度も繰り返された。そして、ウラル山脈より東に逃れた軍閥や避難民の集落にも、ドイツ軍の爪は届いた。学校が爆撃された。病院が焼かれた。教会も、孤児院も、慎ましい研究所も、躊躇なく灰にされた。私たちの故郷は、そうして少しずつ壊されていった。
チェルノーブ小隊を率いるセルゲイ・グリゴリエヴィチ・マカロフ大尉は、その爆撃でご両親を失っている。本人から聞いたわけではないが、部隊の中で知らない者はいない。
「ドイツの連中め……私達に命令をするな……」
(遠くから見ているソ連の将官がそう呟く。)
それを見て、アヴタンディル・ラトロフはため息を吐いた。
我々の中に、ドイツに対して友好的な感情を持つ者は一人もいない。そんな感情を表に出すものは、数日後には静かに行方不明になる。それほどまでに、この憎悪は血肉に染み込んでいる。だから今回の決定が下ったとき、私は心のどこかで信じられなかった。
ソ連政府が、ドイツ軍の受け入れを認めた。
BETAという共通の敵が人類から何かを奪い、何かを変えた。それは理性としては理解できる。だが、感情がそれに追いつくかどうかは別の話だ。戦場で隣に立つ相手が、かつて自分の家族を殺した側の軍隊だとわかっていて、人はそれを割り切れるのか。
(だが……今回、共闘する以上。彼らは仲間だ)
私は自分にそう言い聞かせ、モニターへと視線を戻した。
(マカロフ大尉も、それはわかっているはずだ。あの男は感情を戦場に持ち込むほど愚かではない。―――くれぐれも、問題を起こすなよ)
画面の中で、チェルノーブ小隊とアドラー小隊は、互いを絶妙な間合いで引き離しながら、しかし有機的に連動するかのように敵部隊を包囲する陣形を取りつつあった。
事前の打ち合わせ通りだ。個人的な感情がどれほど複雑であっても、二つの部隊は今、戦術的には一つの意志で動いている。
それだけで、充分だ。―――今は。
(勝てよ……マカロフ大尉)
声には出さず、ただ祈るようにモニターを見つめた。
―――
―――
―――
ダリア・オヴェーチキナ SIDE
戦闘開始から、およそ10分が経過していた。
『―――こちらチェルノーブ01。振動センサー及び熱源センサー、反応なし』
マカロフ大尉の声は静かだった。抑揚が少なく、感情を削ぎ落としたような報告。それがこの人の戦場での声だと、私はもう知っている。
短い沈黙のあと、回線の向こうから応答が来た。
『―――アドラー01、了解。まぁ……お前たちが使う機体などに、期待はしていないがな』
私は思わず操縦桿を握り直した。
アドラー小隊。ドイツ軍の部隊だ。今回の演習で共闘することになった相手。「アドラー」とはドイツ語で鷲を意味する。堂々とした名前だ。だが今この瞬間、その名は私の耳に刺のように刺さった。
『―――なんだと?』
チェルノーブ3番機、イワン・ドミトリエフ少尉の声に、怒りの色が滲む。無理もなかった。
『―――事実だろう?お前たちの乗っている機体は、私たちがすでに数年前に通過した水準にある。言い方が悪かったなら訂正しよう。貴様たちの機体は、私たちにとって"旧式"だ』
アドラー01の声音は落ち着いていた。揶揄しているわけでも、声を荒げているわけでもない。それがかえって、性質が悪かった。事実を事実として述べているだけ。感情的な悪意は薄い。でも、だからといって許せるかどうかは別の話だ。
私はMiG-27のコクピットの中で、小さく息を吐いた。
確かにアドラー小隊が駆るEW-45ジークルートは、ドイツが誇る正式量産第2世代機だ。対してチェルノーブ小隊のMiG-27は、未だ正式配備に至っていない試作第2世代機に位置づけられる。世代の差は性能の差だ。数字の上では揺るがない事実だった。
『―――その先を行っている貴様達の機体でさえ、敵の位置を把握できていないではないか』
センサー沈黙は、我々だけの問題ではない。ドミトリエフ少尉はそれを突いた。
少しだけ冷静な皮肉だと思った。
『それは敵も同じだろう。なんだ貴様、自分で馬鹿を証明しているのか?』
アドラー小隊から笑い声が聴こえる。
私は内心で顔を覆いたくなった。ドミトリエフ少尉の気持ちはわかる。痛いほどわかる。でも今は―――。
『やめろ、チェルノーブ3』
マカロフ大尉の声が、静かに割り込んだ。
『……大尉。ですが―――! あいつらは我々を、ソビエトの科学の結晶であるこの機体を馬鹿にしたんですよ!』
ドミトリエフ少尉の声に、本物の怒りがある。彼女の両親はドイツによる爆撃で殺されたと聞いたことがある。このメンバーで、ドイツへの個人的な恨みを持っていない者を探すほうが難しい。
(……戦闘中だってのに、この調子か)
コックピットの中で、私は唇を噛んだ。演習とはいえ、これは実戦に則した訓練だ。連携が乱れれば隙が生まれる。隙は死に直結する。実戦であれば、味方同士の罵り合いがそのまま全滅の引き金になりうる。そんなことは頭では全員わかっているはずなのに。
感情が、理性を少しずつ侵食していく。
私はモニターを確認した。チェルノーブとアドラーは、まだかろうじて陣形を保っている。別々の経路から、じわじわと敵部隊を包囲する動きは崩れていない。身体は指示通りに動いている。だが、気持ちは―――。
(このままじゃ、いざという時に飲み込まれる)
そう思った瞬間だった。
『―――アドラー03、接敵!』
鋭い声が回線を貫いた。始まった。
モニターの光点が激しく明滅する。アドラー03の機体アイコンが小さく揺れ、すぐに別の音声が割り込んできた。
『アドラー03、跳躍ユニット損傷軽微。戦闘続行可能』
オペレーターの声は無感情だった。損傷の規模も、感情の揺れも、すべて数値に変換して読み上げるだけ。
『何が先を行ってるだッ!やられてるじゃないか!』
ドミトリエフ少尉の声が弾ける。その顔は笑顔に満ちていた。
(―――ドミトリエフ……)
そう思いかけた瞬間、私のセンサーが反応した。
「―――ッ!敵ッ!チェルノーブ2、接敵!」
私は反射的に叫んでいた。
正面モニターの向こう、廃ビルの陰から姿を現したのはアメリカ最新鋭第2世代戦術機―――F-15イーグル。高い跳躍ユニットを背負った鋼鉄の巨体が、まっすぐこちらを向いている。
(近い―――ッ!)
36mmの牽制射が来た。着弾点の土煙が視界を一瞬白く染める。距離は詰められている。遮蔽物、どこかに―――。
私はほとんど思考せずに跳躍ユニットを吹かした。前方へ。ただがむしゃらに。
それが、ダメだった。
敵機の死角に逃げ込むつもりが、逆に射線上へ踏み込んだ。跳躍の頂点で完全に身体を晒した瞬間、120mmの照準が合わさるのが、センサー越しに、わかった。
『―――戦闘中にパニックになるとは。ほんとうに貴様、選抜部隊の者か?』
(―――オープンチャンネ―――)
回線から、男の声が届いた。米軍機からだ。冷静で、静かで、それでいて確かな軽蔑の色があった。
―――ドンッ。
衝撃が機体を揺らし、コックピットが赤く染まる。
演習弾の判定システムが即座に結果を出力した。
撃墜
―――
―――
―――
「マカロフ」
ラトロフ少佐の声が、静かなブリーフィング室に響いた。
私たちはずらりと並んで立っていた。試合を終えた部隊の顔は、疲弊よりも羞恥でこわばっている。無理もない。部隊内の連携は皆無に等しく、生き残ったのはマカロフ大尉とアドラー小隊の隊長ヴァイス大尉の二名だけだった。それ以外は全員、撃墜判定を受けている。私も含めて。
少佐が室内を見渡す。何も言わない。言葉より沈黙のほうが、ずっと重かった。
―――だが、今回の試合で問題だったのはそれだけではない。
私はモニターの記録映像を思い出していた。敵陣営の中に、一人だけ異質な衛士がいた。
アルフレッド・ウォーケン。
その衛士は、たった一人で動きながら、ドイツの衛士2名を同時に相手取っていた。それだけではない。戦闘の合間に、自軍の味方へ的確な指示を飛ばし続けていた。戦場全体を俯瞰しながら、自分の戦闘をこなし、他者を動かしていた。
対人戦に特化した訓練を常日頃から積み重ねてきたとしか思えない、あの身のこなし。
私はそれを映像で見ていたのに、現実感が薄かった。あれが、私たちが今相手にするべき「水準」なのか。そういう問いが、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
ラトロフ少佐はようやく口を開いた。
「次の出場試合までに各員、反省会をすること。以上だ―――」
それだけだった。
―――
―――
―――
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