ソニアさんと合法的に肌を触れ合える距離、もとい、その隣という特等席を巡って、私とルリナは今日も今日とて静かな、けれど激しい火花を散らしている。
リビングのソファでくつろぐソニアさんの両脇を固めるように座って、視線で殴り合っていたその時。
「ねぇレイナ、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど。一緒に来てくれる?」
ソニアさんの柔らかな声が私の鼓膜を震わせる。
ルリナを押しのけて私を選んでくれた事実に、一瞬で勝利のファンファーレが脳内に響き渡った。ほら見なさい、ソニアさんが選んだのは私!
「もちろんです! 何でも言ってください、ソニアさんのためなら火の中水の中あの子の「ちょっと待ちなさいよ。レイナ一人じゃ心もとないし、私も行くわ」
案の定、横からルリナが長い脚を組んで立ち上がり、私たちの会話に割り込んでくる。
往生際の悪い。ソニアさんは私を指名したんです。
「……あの、耳ついてます? ソニアさんは『レイナに』って言ったんですよ。モデルさんは大人しく、鏡でも見て自分に酔ってればいいんじゃないですか?」
「はあ? あんたこそ、ソニアに甘えることしか考えてない癖に。ドクターなら現場にでも行ってなさいよ」
「二人とも、喧嘩はダメだよ?」
ソニアさんが苦笑しながら私の肩をそっと叩く。その感触だけで、さっきまでのイライラが溶けていく。
「ルリナ、大丈夫だよ。今回はレイナにお願いしたいことだから。ここでゆっくりしてて?」
「……えっ。でも、ソニア」
「いいから、ね?」
ソニアさんに優しく、けれど明確に拒否されて、ルリナが信じられないものを見るような顔で固まっている。
私はその隙を見逃さない。ルリナの視界に入る位置で、これ以上ないくらいのドヤ顔をキメてやった。
「……というわけですので。負け犬は犬らしく、お留守番を頑張ってくださいね?」
悔しそうに唇を噛むルリナを背に、私は鼻歌混じりにソニアさんの後を追った。
けれど、別室に移動して聞かされた「手伝い」の内容は、私の予想を遥かに超えるものだった。
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「ルリナの、誕生日……?」
「そうなの! サプライズでお祝いしたくて。レイナも何か一緒に企画してくれないかなって」
ソニアさんが期待に満ちた目で私を見ている。
……ああ、苦しい。ソニアさんと二人で何かができるのは嬉しい。けれど、その目的がよりによってあの女のためだなんて。
私はしばらく考え込んで、それから、苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。
「……いえ。私は、遠慮しておきます」
「えっ、どうして? レイナもいた方が絶対楽しいよ?」
「……ソニアさんが、一人で一生懸命準備してお祝いしてあげるのが一番だからですよ。あの女……ルリナは、それが一番嬉しいはずです」
自分で言っていて、奥歯を噛み締めすぎて折れるかと思った。
嫌だ。嫌に決まっている。私がいないところでソニアさんが幸せそうに過ごすなんて、想像しただけで胃がキリキリする。けれど、
「……私がいたらどうせまた喧嘩になります。ルリナも、せっかくの誕生日に嫌いな奴の顔なんて見たくないでしょうし……。誕生日くらいは、ソニアさんと二人きりにさせてあげますよ。……っ今回だけですからね! 本当に、今回だけ!」
「……あはは、そっか、そうだね。ありがとう、レイナは優しいんだね」
ソニアさんが納得したように微笑んで、褒めるように私の頭を撫でる。
その手の温かさが、今はどうしようもなく痛い。
あいつが一番喜ぶであろうシチュエーションを、あいつが一番望む形で、あろうことか、この私自らの手で整えてやっている。こんなの、恋敵に最大級の「塩」を送っているだけじゃないですか。
「その代わり! 今度、埋め合わせとして私と二人っきりでデートしてください。絶対ですよ!」
「分かった、約束。……でも、一瞬でも良いからお祝いに顔を出してね? サプライズが終わった後でもいいからさ」
その返事をしようとした瞬間、ロトムから通知が鳴り響く。この通知音は、緊急要請の……!
「……っ、ごめんなさいソニアさん! すぐ戻りますから!」
私は申し訳なさに後ろ髪を引かれながらも、即座にオンバーンを呼び出した。
ルリナの誕生日、か。……正直、行きたくない。でも、行かないとソニアさんが悲しむ気がする。
そんな葛藤を抱えたまま、私は夜の空へと飛び出した。
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今年の誕生日は、これ以上ないほど満ち足りている。何故なら、愛しのソニアと二人きりだから。
テーブルの上には、少し形はいびつだけれど甘い香りを放つソニアが焼いてくれたケーキ。
「あはは、ちょっと失敗しちゃった。でも味は保証するよ!」
なんて笑う親友の顔を見ているだけで、胸の奥が満たされていく。琥珀色の紅茶からは柔らかな湯気が立ち上り、窓の外の夜の静寂が、私たちのプライベートな時間をよりいっそう深いものに変えていた。
「美味しい。……ありがと、やっぱり、あなたの淹れたのが一番落ち着くわ」
「そう? 良かった。ルリナは最近モデルの仕事もジムの調整も忙しかったし、今日はゆっくりしてほしかったんだ。はい、これ、私からのプレゼント」
差し出されたのは、私の瞳の色と同じ、深いブルーの石があしらわれたブレスレットだった。
ソニアが私のために選んでくれた。それだけで、視界がじんわりと熱くなる。
彼女の手を借りて、手首にそれを嵌めてもらう時に触れ合う指先の熱や、ソニアから漂う微かな研究室の薬品とバニラが混ざったような香りに、私はたまらなく愛おしさを感じていた。
「……素敵。一生大事にするから」
「大げさだなあ、もう。うん、やっぱりかっこいい系が似合うね」
昔のように、膝を突き合わせて語り合う。
モデル業界の裏話や、ガラルでは珍しいポケモンやバトルの戦術、それからソニアが進めている研究のちょっとした悩み。
会話は途切れることなく続き、心地よい笑い声が部屋の中に溶けていく。
ソニアが顔をくしゃくしゃにして笑うたび、私はこの瞬間のために生きてきたんじゃないかとさえ思えた。
周りからの喝采も、スタジアムを揺らす観衆の熱狂も、今のこの穏やかな一時に比べれば、遠くの砂嵐のようなもの。ソニアの瞳に私が映り、私の言葉にソニアが笑う。それだけで、この世界は完成されていた。
あまりに満ち足りている夜。
……けれど、その完璧すぎる時間が、ふとした拍子に私の意識を現実へと引き戻す。
いつもなら、この甘い空気の隙間に、土足で踏み込んでくる不快な気配があったはずだ。
けど、視界のどこを探しても、聞き苦しい金切り声を上げる銀髪のチビはいない。
いつもなら、どこからともなく現れて「ソニアさーん!」と割って入ってくる空気の読めない邪魔者が、今日に限っては影も形も見当たらない。
「この前のフィールドワークでね、面白い石を見つけたんだけど――」
ソニアが楽しそうにカバンを探る姿を見守りながら、私はふと、手元のティーカップに視線を落とした。
……平和だ。
邪魔者がいなくて、ソニアを独り占めできて、これ以上ない理想的な誕生日を過ごしている。そのはずなのに、どうして何かがざわつくような違和感が入り込んでくるんだろう。
あいつがいなければ、ソニアの笑顔は全部私のもの。
あいつがいなければ、ソニアの言葉は全部私の耳だけに届く。
私が長年望んでいた、泥棒猫のいない聖域。
それなのに。
「……あいつ、今日はこないのね」
ふと、口から出た言葉に自分でも驚いた。
口にした瞬間に、部屋の静寂が急に重みを増したような気がして、私は慌てて紅茶を啜り、熱さで誤魔化すように目を伏せる。
……いや、忘なさい。あいつなんかどうでもいい。今はソニアとの時間を楽しむべきでしょ。
「ルリナ? どうかした? 紅茶冷めちゃったかな」
「……なんでもない。ちょっと、拍子抜けしちゃっただけ」
ソニアの優しい気遣いに、私は精一杯の余裕を込めて微笑み返す。
そう、あいつのことなんて考えてやる必要はない。今はこの極上の時間を、ソニアとの絆を確認し合うこの夜を楽しむべき。
あんな、ドクターを自称するだけの意地っ張りな小娘なんて、私の人生に一秒だって入り込む余地はないんだから。
「それでね、こないだおばあさまが……」
ソニアが楽しそうに語る声が、心地よい音楽のように耳に響く。二人でケーキを分け合い、時折どちらからともなく手が触れ合って、そのたびに少しだけ照れくさそうに笑い合う。
幸せな時間は、時計の針は残酷なほど正確に、夜の終わりへと向かって刻まれていく。
午後11時55分。
最高の誕生日だったとソニアに伝えようとした、その時だった。
──ズドンッ!!!
玄関先で、何か巨大なものが着地したような轟音が響いた。
「なっ……何事!? 爆発??」
ソニアが驚いて立ち上がる。私は驚きで心臓が跳ね上がるのを感じながら、心のどこかで、もしかしたら……なんて期待している自分に気づいて、猛烈に自分自身を殴り倒したくなった。
続いて、控えめというには少し乱暴なチャイムの音が連続で鳴る。
「……なによ、こんな時間に。非常識じゃない」
毒づきながらも、心臓は嫌なほどに脈打っている。
私とソニアが顔を見合わせ、玄関の重いドアを開ける。そこにいたのは、冷たい夜風に吹く中、大きなオンバーンを待機させた、複雑極まりないな顔をしたレイナだった。
「……やっぱり! 来てくれたんだね、レイナ!」
ソニアが弾んだ声で駆け寄る。けれどレイナは、目を合わせようとせず、視線を地面に縫い付けたまま、無言で小さな包みを突き出してきた。
「は? なによこれ。ゴミの回収なら間に合ってるわよ」
ソニアを無視するレイナに苛ついた私が、わざと突き放すような言葉を投げても、レイナは言い返す余裕すらないらしい。頑なに口を結んだまま、突き出した包みをさらに「ん!」と力任せに押し付けてくる。
「……ちょっ、説明しなさいよ、なんなの?」
「んっ!!」
もはや言葉にすらなっていない。
レイナは半ば強引に私の手にその包みを叩きつけると、私達の制止も聞かずに、逃げるようにオンバーンの背を叩いて空へ舞い上がった。
「なんなのよ、あいつ……」
呆気にとられて空を見上げる。
けれど、オンバーンは遠くへ去ることはなかった。大きく旋回すると、私達が立ち尽くしているベランダのすぐ近くまで、猛烈な勢いで戻ってきたのだ。
風圧で私の髪が乱れる。
ホバリングするオンバーンの上で、レイナの顔は茹で上がったように真っ赤だった。彼女は、少し潤んだ瞳で射抜くように私を睨みつけている。
心臓の音がうるさい。長い、痛いほどの沈黙。
やがて、彼女は震える声を絞り出すように叫んだ。
「……っっお・め・で・と・う!!!!」
鼓膜に突き刺さるような絶叫。それだけを残して、レイナは今度こそ、弾かれたように夜の彼方へと消えていった。
「……ふふ、あはは! もう、レイナったら。あんなに照れなくてもいいのにね」
隣で吹き出したソニアの笑い声が、夜風に溶けていく。
手の中に残った包みの、確かな重み。
そして耳の奥に残る、あいつの必死すぎる声。
私は、どうしようもなく熱くなっていく自分の顔を隠すように、包みを指先が痛くなるほど強く握りしめた。
「……ほんと。最後まで可愛くないんだから、バカドクター」
口ではそう言いながら、あいつにだけは見せられないような、緩みきった口角を必死で抑え込んでいた。