約束を果たしましょう 作:燈台
それと、一万字超えてしまいました! すみません!
※無能なナナ、アニメ第一話、原作漫画第一話のネタバレがあります。
(ほんの少しだけアニメ最後の方のネタバレを含みますので、ご注意ください)
完全に、太陽は沈んでいた。辺りを照らす太陽はどこにもなく、空に浮かぶ星はスバルを嘲笑ったまま見下ろしている。
――あれから、スバルは二度、崖から飛び降りた。
全身が砕け散り、『ナツキ・スバル』という原形が維持できなっても、スバルは過去に囚われているままだ。
そう、中島ナナオが突き落とされ、柊ナナが『人類の敵』に連れ去らわれ、学校中の生徒が危険に曝されたのはもう過去の話だ。
確定した未来。セーブポイントが更新され、覚悟を決めたと、そう思ったときに戻れない。たとえ覚悟を決めたとしても、誰かの、ナニカの、能力の代償によってセーブポイントは変わる。
「……ひ、はは」
崖の先端に両手をついたまま、弱々しい、嗤いが零れる。
そんな、都合の良い話があってたまるか。
『――愛してる』
ナニカが最後に放った、高く、透き通ったその声が気持ち悪い。
きっと平常時であれば、聞くだけで癒されるような、そんな声音のはずだ。なのに今は、どこまでも絡みついてきて、思い出すだけで吐き気を催すほどだった。
愛してるのに、救うために戻らせてくれないのか。何がしたいんだよ。何をさせたいんだよ。
そう問いかけても、ナニカからの返答はない。風が木々を揺らす音と、人を呑み込むような潮の満ち引きの音だけだ。
「……もう、戻れない」
彼が望んでいた未来を、彼女がしたかったことを台無しにした。
『人類の敵』を倒すために連れて来られたみんなの思いを無碍にして、踏み潰した。
「―――っ」
目の前の景色が歪み、目端から涙が零れて嗚咽する。
泣く資格などあるはずもない。この事態を引き起こしたのは全て自分のせいなのに、ナツキ・スバルにそんな資格があるものか。
けれど、
「――あああぁぁぁぁぁああああ!!」
胸から溢れ出るものが、スバルの嘆きの『濁流』を加速させる。
何度泣こうと、何度嘆こうと、何度死のうと、取り零したものは帰ってこない。
だが、今のスバルには、嘆かずにはいられなかった。
海へと落ちていった涙が、ナナオが落ちていく姿に見えた。一番最初に、ナナオを引き上げようと手を伸ばしたときと同じような表情で、『人類の敵』に突き落とされたのだろう。
「……俺は」
何度も何度も呟いた言葉。
迷い、逃げて、誓ったはずの言葉は、希望になり得るはずだった言葉は、もうその先の答えが出てしまった。
――無力で、無能だ。
ナツキ・スバルは『能力者』で、無能なのだと。
『こう、思いませんか』
一つ、気になったことがある。
『――強くて傲慢な人よりも、普通でも努力を惜しまない人の方が何倍も報われるべきだって!』
それなら、
彼女が言う努力を惜しまない人でも、強い人でもない自分は、
――弱くて傲慢な自分は、
報われるわけでもなく、ただ周りを巻き込んで、堕ちていくだけなのだろうか?
* * *
森との境、古風な校舎を睨み、制服のポケットから端末を取り出した。
電源を付け、端末から浮かび上がる文字が、少女の瞳に映る。
《この島に巣食う『人類の敵』を残らず殺せ。推定で一千万人の命が守られる》
「―――」
奥歯を噛んだのは嫌悪からか、憎しみからか、あるいはどちらもなのか、少女にはわからなかった。
『人類の敵』とは、その名の通り人類を脅かす存在のことである。
それは世界中の誰もが知っていることであり、日本ではそれを倒すために、日々少年少女たちが奮闘している。――否。
彼らは『人類の敵』を倒すためにこの『絶海の孤島』に連れて来られた。――否。
『絶海の孤島』は、『人類の敵』を倒すための最先端の訓練場である。――否。
――全て、否。
潜入者が『人類の敵』を殺すためだけに、この島に彼ら――否、『敵』は集められた。
百年前に起こった人類と人類の変異体との戦争は、大量の人員をつぎ込み、五年の歳月をかけて人類側が勝利した。
現在は政府が『人類の敵』を『能力者』と言い換え、公認したフリをして『無能力者』の親元から切り離し、少年少女を『絶海の孤島』に隔離している。
「――――」
もう一度、少女は校舎を――否、『人類の敵』を睨んだ。
桃色のリュックサックを背負ったまま、森の境を越え、嘘など一度もついたことのないような人を演じ、少女――否、柊ナナは走り出した。
『人類の敵』を殺すための組織――『委員会』からの命令。
なんとしてでも成功させなければならない。世界のため、あるいは自分自身に報いるために。
* * *
桃色の、毛先だけ白い髪をなびかせながら、ナナは遅刻して焦っている少女のフリをする。
門が目の前に来たところで、後ろから視線が突き刺さった。
「……っ」
ナナは小さく声を漏らし、とっさに奥歯を噛む。
誰かが後ろから見ている。朝会の時間は過ぎているであろうこの時間に、ナナの後ろ姿を見ているのは何者だ。端末の画面を見られていたら――いや、問題はない。『能力者』が『人類の敵』だということが伝わる文ではなかった。
ならば、次の段階だ。ナナの後ろ姿を見る『敵』の能力が何か、名前は何か、容姿は何かを、振り返ったことがバレないように確認するだけ。
「―――?」
――男。
後ろから見ていた者は男の子だ。前髪を後ろに流した三白眼のつり目が特徴的だった。学校に行くときに着る服装ではないことから、生徒ではなく、迷い人のようにも見えた。
――だが、ナナが疑問に思ったのはそこではない。
見覚えがまるでなかったのだ。少なくとも、端末で確認したときには見かけなかった。
――見知らぬ少年が、この島に連れて来られた?
いいや、この島に来た以上、能力を持つ『人類の敵』であることには変わりがない。
端末の名簿情報に載っていないということは、『委員会』ですら把握していない可能性がある。
少年が瞬きをした一瞬の隙に、ナナは塀の裏に隠れる。死角になっているかどうかはわからないが、少年の視界から外れ、少しでも見えない位置に移動しなくてはならない。
右に生えていた木のところまで移動し、端末を開いて合言葉を呟いた。
――どうか、繋がってくれ。
『――どうした?』
自分が望んだ相手ではなかったことに少し落胆して、それから小さく声を発した。
「……鶴岡さんに伝えてください。見覚えのない、前髪を後ろに流した、三白眼、つり目の男の子が島にいます」
『了解した。教官に伝えるから、君は任務に取り組んでく――』
「はい。それから、男の子を転校生として手続きをさせてください。名前はその時にお伝えするので、電話は切らないようにお願いします」
声を遮ったナナに、繋がった男は溜め息をつくと、『……わかった』と言い、ナナはそれを合図に端末をポケットにしまった。
振り返り、木から顔を出すと、少年は思いつめたような表情をして、立ち止まっていた。
その様子だと、こちらのやり取りを聞かれていた心配はないだろう。
少年はナナのことを、消えた、あるいは校舎内に入ったとでも考えているのだろう。だとすると、横から近づいては不可解に思われる可能性がある。
右へ移動して、石段の上に立ち、さも心を読んで戻って来たかのように振る舞い、少年に声を掛けた。
「――そんなにぼーっとして、どうしたんですか?」
「ぇ?」
少年は呆気にとられたような表情をして、こちらに視線を向ける。
「初めまして。今日から転校してきた、柊ナナといいます!」
天真爛漫を演じ、彼が追ってきた『少女』の形が崩れてしまわないように微笑んだ。
「ここの生徒さんですか?」と、服装からしてそうではないことがわかり切っている質問をすると、少年は眉間にシワを寄せ、過去への後悔からなのか、頭を下げた。
「―――ぅ」
「はい?」
「――違、う」
掠れた声を発すると、少年はさらに頭を下げる。トラウマでも抱いているのか。――ならば、その前に、
「そうなんですね! ――じゃあ一緒に、今日からここの生徒になりましょう!」
男に伝えた内容と同じことを言い換えて提案すると、少年は「――は!?」と大きく目を見開いて後ろに下がる。どうしてそんなことを言ったのかと、問い詰めるような表情で。
「すみません、言い忘れていました。わたし、人の心が読めるんです!」
『委員会』から伝えられた柊ナナが演じる能力を口にし、少年は納得するかと思えたが――、
「人の心が――」
まるで能力など知らないといった表情で、理解が進んでいないようだった。
「さっき、校舎に向かっているときに、行く当てを探すあなたの声が聞こえまして! 聞き間違いかなとも思ったんですが、やっぱり戻って正解でした!」
理解が進んでいないのなら、強引にでも学校に引き込まなければならない。ナナが日頃から見張れる位置に少年がいなければ、能力を探ることもできなければ動かれたときにも気付けない。
危害を加えられるのか、加えられないのか。
――それ次第で、
「ナナ! ちょちょちょ、ちょっと待って! 俺生徒じゃないんだって! このまま入ったらただの不審者だから! 警察に逮捕されてこの世から永久追放だから!」
「だから、今から手続きするんです! さっき心が読めました、学校以外、どこにも行く当てがないんですよね! だったら、生徒になっちゃえばいいんです!」
「いや、でも! そんな簡単に手続きができるわけないだろ!」
逆らう彼の動きを封じ、ナナは強引にも学校に引き込んだ。
――ん?
* * *
「職員室…」
看板を見上げ、少年はゆっくりと職員室に視線を落とす。
少し、言い淀むと「あの、ナナさん…? 俺、帰っても…」と逃げようとする少年の動作をナナは悟られない程度に睨む。
――こいつは『委員会』に囲い込まれることが分かっていて警戒しているのか、それとも餓死したいだけの愚か者なのか……。
頭の中で考え、どうでもいいことだなと切り捨てる。
時間が経ちすぎるのはよくない。ドアをスライドして職員室に入った。
ズカズカと入っていくナナに悪いと思ったのか、少年が前に出て、近くの女性教師に声を掛ける。
「あの…」
反応はない。おそらく聞こえているが、面倒くさくて答えないのだろう。
少年よりも前に出て無視できないであろう声量で「あのっ!」と叫んだ。
女性教師は眠そうに、面倒くさそうに目を擦りながら「は、い…」と言って顔を上げる。
「今日から転校してきた柊ナナです! この方の入学手続きをしたくて!」
「そんなすぐ入学手続きなんてできるわけないでしょーう?」
――プルルルル。
呆れたように声を発し、またパソコンに向き直ろうとする女性教師を、電子音が遮った。
慌てて白い固定電話を取り電話の先の人物と話し始める。
「……はい。はい、あの教室の転校生が一人増え…わかりました。先生に連絡しておきます」
もう鶴岡に伝わっていたらしく、電話を切り終わった女性教師は引き出しから入学手続書を取り出し、ボールペンと一緒に少年へ差し出した。
書き始めた少年は、名前の欄をカタカナで書こうとして、二重線で消してから書き直した。
――菜月・昴。
それが、彼の名前。
彼が今書いているのは住所の欄。記入が終わるまで少しは時間がかかるだろう。廊下へ戻り、右耳に端末を当てた。
ナナは教職員に聞こえないように声を潜め、
「――菜月・昴です」
『―――。わかった。その名前の生徒はこちらで探しておこう。お前は任務に取り組め』
「―――っ!?」
電話の相手が鶴岡に代わっていた。低く、冷酷な声音が耳に残り、訊こうと思ったときには既に電話は切られており、深いな通知音が耳に届く。
――立ち止まっている場合ではない。少年に――スバルに気付かれる前に動かなくては。
再び職員室へと戻ると、書き進めていたスバルは最後の能力の欄まで辿り着いていた。
「能力…?」
首を傾げ、
「ごめんな、ナナ。これで遅刻確定しちまったよ」
「いいですよ、全然。それに、入学をするように進めたのはわたしの方なんですから!」
二階へ上がり、目的の教室へと辿り着き、ナナが先にドアをスライドさせる。
本当に何も知らないのか、偽善者の皮を被った『敵』なのか。
本気で謝ったように見えたスバルから読み取ることができないまま。
「すみませーん!!」
後ろにスバルがいるから、急いで外から走って来たような素振りもできないだろう。
「遅れ、ました」と、頭を下げて中央へと移動する。眼鏡を掛けた教師は、不服を感じている様子で「遅かったね」と、腕を組みながら言った。
足取りを重くしながら、教室の前方、中央に移動して自己紹介を始める。
「えー、柊の席は…」
「――ちょっと待ってください!」
ナナの席を指定しようとした教師の声を遮り、「どうぞ!」と、廊下にいるはずのスバルに声を掛けると、入って来た彼は不安げな、けれど少し覚悟を決めたような顔をしていた。
彼は
「初めまして。色々と大変なところ申し訳ねぇんだが、転校生みたいなもんだ」
カツ、カツ、カツと音を立てて、黒板に「ナツキ・スバル」と刻み、右手を上に挙げ、人差し指と親指だけ立てる。左手は腰に置いて、
「俺の名前は、ナツキ・スバル! 無知蒙昧にして天下不滅の不登校児。不束者ですがどうぞよろしく!」
と、不格好にも名乗りを上げた。
* * *
「これでやっと応援グッズに入れますね!」
「そうだな!」
「だから良いって…」
ナツキ・スバルの制服調整と、中島ナナオの応援グッズを作るため、一階の家庭科室で三人は向かった。
ミシンを使ったスバルの縫いぶりは、「ナツキ・スバルの無双タイム」などと自称していたほどはあった。
早速、ナナオの応援グッズへ進もうとしたが――、
コントローラーを踏もうとしたところでスバルの手が止まる。
スバルは、ハッとしたような表情で「――そもそもミシンを使うぬいぐるみの作り方なんて俺は知らねぇぞ?」と首を傾げた。
「本末転倒じゃないですか!」
となると、おそらくスバルが欲しいのは裁縫道具だ。
「裁縫道具ですね! 借りてきます!」
急いで薄橙色の部屋から飛び出して、前方の職員室――ではなく、ドアから右にずれてしゃがんだ。物音一つ立てぬように。
右ポケットから小さな裁縫道具を取り出した。
最初、ナツキ・スバルに会ったとき――否、正確にはナツキ・スバルの手を引っ張り、強引に校舎へ引き込んだとき、何か刺したような痕があることに気が付いた。
それだけでは、彼が裁縫が得意などと判断する証拠にもならないし、ナナの頭の片隅にもなかった。
ただ、スバルが裁縫を得意と自称したとき、針のような痕は手縫い針で刺した痕だと思い至った。
確実な根拠ではない。もちろん、彼がどちらもミシンで縫う可能性だって十分にあっただろう。
三人で家庭科室へ向かっているときに、スバルとナナオの二人を先に行かせ、ナナは職員室へ裁縫道具を借りに行った。
「ナナはすげぇよな。行動力があって! まぁそこだけなら俺も負けてねぇと思うけど!」
ただ、そこまでしてナナが先回りした理由は――、
「――そういえば、ナナオがつけてる腕時計って誰から貰ったものなんだ?」
この、ナツキ・スバルと中島ナナオの会話を聞くことにある。
スバルの素性は不明だ。
『人類の敵』を『絶海の孤島』に隔離したはずの『委員会』ですらスバルの情報を手に入れていない。
そんな者が、ナナがいない間に何をするかなどわからない。
この島にいる『人類の敵』全員を抹殺することがナナの使命だ。それを遂行するためには強力な者、頭が回る者から殺していかなければいけない。
秘密裏に潜入することができるなら、強大な能力を持っているのだろう。
――それにしては、何故あんなに無防備に歩いていたのかとも思ったが。
「父さんだよ。誕生日に買ってくれたんだ。こんなものをくれても、何もできないのにな」
少し籠った声で、後ろめたそうにナナオが返答する。
「ぬいぐるみ、ナナオの父ちゃんでもいいか?」
明るく、声の調子を下げたナナオに対して元気づけようとしたスバルの提案に、ナナオは「――なんで?」と、冷たく訊いた。
「え、なんでって。尊敬してる人の方がうおーって盛り上がらないか?」
無神経に答えたスバルに、ナナは少し顔を強張らせた。
「君になにがわかるんだ」
途切れ途切れに、言葉を紡いだナナオの返答が鼓膜へ届く。
「期待に応えたくて来たんだ。父さんのね」
先ほどよりも低いトーンで答えたナナオに、スバルが息を詰まらせたように静寂が生まれる。ナナは、ここで喧嘩にでもなったらどうなるだろうなと思いながら。
「――君は家族に甘やかされてたんだろうね。だから、重い期待を背負ったこともないんだよね」
おそらくスバルの、息を吸う音が聞こえて、
「違うだろ?」
ナナは少し、目を見開いた。おそらく壁越しで、ナナオも同じ表情をしているはずだ。
ナナオを怒らせただろう発言、それをした者とは思えないほど、同情――とは少し違う、自分の過去と重ねたように、スバルは言った。
「―――ナナオの父ちゃんは何かしてあげたいから、贈ったんだろ?」
「僕の尊敬している人は、父さんだ。だから、父さんだと――」
優しい声色を取り戻して、
「―――嬉しいかな」
微笑んだのだろうと推測できる言葉を合図に、ナナは立ち上がった。
「――すみません! 先生から裁縫道具を借りるのに手間取っちゃって!」
「ナナ!」 「ナナちゃん!」
急いで走って来たように声を荒くし、裁縫道具をスバルに手渡しする。
笑い、何も知らないナナオとスバルは、話していた内容を少し共有してナナに伝えてくる。
微笑んで返し、応援グッズ開始の合図の裏で、ナナはとあることを心に決めていた。
――最初に殺すのは、お前だ、菜月。
見事に、ナナオのトラウマであっただろうことを克服させてみせたスバルは、間違いなく、この島で一番手ごわい『敵』であった。
* * *
翌日、教師の決闘開始の合図が校庭に鳴り響き、三名の決闘が始まった。
殴り合いを始めるようにと、『人類の敵』に争わせるには中々無理な条件だろうが、学級委員長を決める戦いならば、聞き入れるだろう――、
「てめえ、わかってるよな、セイヤ」
「命令されるのは嫌だな。ただ、論外のナナオくんと戦うのは気が引けるね」
――そんなことを聞くはずもなかったか。
不快な音が鳴り響き、瞬きした後にはナナオは地面に転がっていた。
駆け寄った教師以外、生徒たちは気にしてもいないようだった。
真っ当な心をもって心配したのは教師だけで――、
「オイ、てめえ。なに睨んでんだよ」
モグオがスバルへズカズカと迫っていき、同時にナナはスバルがナナオを心配していたのかもしれないと思いかけて、
「――っていうかおめえの『能力』って結局なんだ?」
「――――」
「おい。聞こえてねえのか? てめえの能力なんだって聞いてんだよ」
反論するだろうと思ったが、スバルは無言のままだ。無言のまま、何かを理解したように目を見開く。彼の瞳が、先程見たはずの瞳とは違う。まるで、誰かに殺されたかのような、濁った瞳をしていた。
「―――ぇよ」
「あ?」
「そんなもんはねぇよ……っ!」
「何すんだよ!」
叫んで、スバルの眼前にいるモグオを校庭側に突き飛ばした。
「菜月さん!?」
大声を出すモグオの声に返答もせず、走っていく。ナナは驚いて固まっていた体を動かして、スバルの左手を捉えた。
全くもって、彼のしたいことがわからない。昨日、あんなに意気込んでぬいぐるみ制作をしていたというのに、いきなり怒りだして逃げ出した彼がわからない。
静寂を、スバルの方から切り裂いて、「……わかるだろ?」と、濁った目でそう問うてくる。
何を、ナナにわかってもらえると思っているのだろう。
「解りませんよ、何も」
――お前らのことなど何一つ理解できない。お前たち、『人類の敵』のことなど。
そのまま下を向いて走って行ったナツキ・スバルを追いかける者は誰もいなかった。
* * *
「結局、腰抜けじゃねえか」
モグオはそう言って教師の反対を無視して、戦闘を再開する。
右手に炎を纏わせ、殴りかかったモグオを躱して、能力を使わずにセイヤが勝利――否、モグオの片足を凍らせモグオを転倒させただけだった。
「僕が学級委員長ということだね」
水色の髪を後ろへはらい、まるで正当であるかのように言い放ったセイヤに、生徒たちが駆け寄ろうと――、
「――ふざけんじゃねえっ」
モグオが出した大きな火球が、校舎側のこちらに向けて放たれた。
彼が悪戯に笑ったような気がして――から、大きすぎたことを理解して火球を消そうとする。
「―――ァ?」
しかし、制御不能に陥ったモグオの火球は、一直線に石段へ、こちらへ向かって来る。
セイヤに視線が向かっていた生徒たちは反応が遅れるだろう。生徒を見殺しにし、ナナだけ生き残る線も――、
いや、ダメだ。上から小野寺キョウヤと――ナツキ・スバルが見ている。
スバルが何故逃げ出して、何故キョウヤのところにいるのかはわからない。だが、ここでナナだけ反応して躱せば、二人に怪しまれるだろう。何より、火球にそこまでの威力があるか不明だ。
「――みなさん、逃げてくださいっ!」
ナナの言葉で皆が反応し、火球から左右に躱す。
間一髪、全員が無事で、『人類の敵』に危害を加えるチャンスを逃した。
「「まあ、ナナちゃんならいっか」」
セイヤとモグオが顔を見合わせ、納得したように声を重ねる。
「「「ナナちゃんが、このクラスのリーダーだよ!」」」
それから数秒、この場にいる教師とナナオを除いた全員の声音が重なった。
リーダーとは、学級委員長のことであり、学級委員長とは、クラスを引っ張っていく者のことだ。
だから、このクラスで『抹殺』にあたりやすくなると、そういうことだ。
「わたしなんかでいいんですか?」
いいよと、発言した者全員が重ねて、それが、自分たちが殺されやすくなるとも知らずに了承する。
そう、みんなの声が、少し収まったときだった。
「――は? とぼけるなッ! お前が俺たちを殺すんだろ!? 前やったみたいに――」
上から、スバルの声が聞こえて、全員が上を向いた。教師も、泣きながら蹲っていたナナオさえも、上を向いた。
スバルの声から一秒と経たず、続けてキョウヤの叫ぶ声が聞こえた。
「――おい! 菜月!?」
誰も、何が起きたのかわからない。
* * *
「まだ、起きないか」
ベッドの上、寝かされた人物は目を覚まさない。
碧色のパーテーションを閉め、キョウヤはそう呟いた。保健室には、ナナ、キョウヤ、ナナオ、そしてスバルの四人。
「小野寺さん」
「キョウヤで良い」
「……じゃあ、キョウヤさん。あなたが菜月さんの意識を奪ったのでは?」
「違う」
わざと冷たい声を発して、ナナはキョウヤの能力を探ろうと問いただす。
あのとき、スバルはキョウヤと会話をしている間に倒れた。それは、なんらかの能力を使った結果なのではないか。
端末に、キョウヤの能力は《身体能力系統》と表示されていた。その力でスバルを失神させたのではないかと。
「直前の会話、菜月さんはあなたに問いただしているように聞こえました。あなたが、口封じのために菜月さんに危害を加えた。あなたが『人類の敵』なのでは?」
「身に覚えがない。そもそも。もし俺が『人類の敵』だとして、窓際で攻撃はしないだろう」
「でも――」
「……もう、帰っていいかな」
ナナの声を遮り、ナナオが声を出した。表情は暗く、何故助けてはくれなかったのかと、リーダーにすると言ったのはそちらのほうではないかと、問いただしてくるような目は午前から変わらない。
「俺ももう帰る」
「あの、そっちは」
キョウヤが行こうとしたのは階段の方向だ。帰るなら、そちらの方向ではないはずだ。
「鞄を上に置いたまんまでな。お前さんたちは先に帰っていればいい」
ナナオの言葉に重ね、キョウヤも宣言する。ナナは、少しスバルのことが気になったが――、
「……わかりました。中島さん、待たせてすみません。帰りましょう」
下を向いたままのナナオとともに、ナナは昇降口へ向かった。
* * *
何故、最初からこうも上手くいかないものか。
スバルをまず殺した方が良いと、そう考えた翌日にこれだ。校内で殺人をするには危険が多すぎる。
崖の先へ立って、ナナはナナオの手を無理やり握った。
「……っ! やめてよ、どうせ僕を利用したかっただけなんだろう」
ナナオがナナの手を振り払い、そのまま森の方に歩いた。ナナを――否、ナナとスバルを拒絶しているような。
それはされても仕方がない。ただ、少し、
「――ごめんなさい、中島さん」
少し、殺すのに手間がかかる。
「今更、何を」
泣きながら、ナナはナナオの目を真っ直ぐ見た。真っ直ぐ、刹那も彼の瞳から目を逸らさぬように。
「わたしが、間違っていました。中島さんの思いを踏みにじって、それでリーダーになんて……」
今度は目を海の方へ逸らして、申し訳なさそうに、責任から逃れるような行動をして、
「ごめんなさい!」
もう一度彼に向き直り、頭を下げた。スクールバックから物を取り出してナナオの胸に押し付ける。
「……これは、」
「……わたしが持ってるのも変だと思いましたので。菜月さんが中島さんに贈ったものですから」
ナナオに押し付けたのは、彼の父親を軽く象ったぬいぐるみだ。ナナオはそれを見て、次にナナのエメラルドグリーンの瞳を見つめた。
「明日、リーダーを中島さんに変更してもらいます」
「……なんで?」
眉を下げて泣きそうな顔をしているナナオを、太陽は祝福しているように見えて、
「こんなにいい人、そうそういないからですよ!」
彼は、息を吞んで、ナナに問うた。
「――僕が今、何を考えているか当ててみてよ」
「能力、なしでですか?」
「うん」
「わかりました!」
もう一度、中島の手を握り、握って、沈みゆく太陽の光を反射させて、彼は目をつむった。
それから、
それ、から――。
「――ぇ?」
「――なぜ、僕は今からこの子に殺されなければならないのか、だろ?」
少女はこの島に来て初めて、自分の銀鈴の声音を黒く染めた。
* * *
崖から落ちたナナオは、千切れた縄に、両手で掴まっている。
混乱、焦燥、恐怖。ナナに向かって、そう訴える瞳を振り払い、ナナは残酷にも声を発する。
「君のその腕時計は、父親からの贈り物らしいな。君と菜月の会話から聞いた」
「なんの……」
何を言いたいのか全く分からない。何も、彼女が言いたいことはわからない。
足をバタバタ、地面を掴もうと必死に動かす。死にたくない。
「わたしは君たちとは違う。『能力者』だらけの学校に『無能力者』が紛れ込んでいれば疑えるだろ?」
じゃあ、さっきのことも、裁縫道具を持ってきたときのことも全部、
『――君と菜月の会話から聞いた』
何処かで、先回りして、自分たちの話を盗み聞きしていた……?
目を見開いて、「心が読めるって……う、そ?」と弱々しく問う。
「ナナちゃん! なんで! 君が『人類の敵』――」
なのか、とそう問おうとしたところでナナが遮る。
「――いいや、お前たちこそが、『人類の敵』だ」
「……なっ!?」
意味が分からない。自分たちは『人類の敵』を倒すために、『絶海の孤島』へ集められてきた『能力者』のはずだ。
『人類の敵』など、嘘でしかないのに、
「――――」
彼女の目が、自分を見る目が、人間を見ているとは思えない。バケモノを、見ているようで。自分のことを、バケモノと認識しているようで。
「じゃあ、昴くんも……? 昴くんもナナちゃんの仲間なの……?」
予定していなかった転校生、スバルと一緒にいたのがナナだ。全部ナナが仕立て上げて、スバルと協力してナナオを追いつめたのではないか。
「――違う。菜月はただの『人類の敵』だ。君を殺そうとしたのは、殺すのはわたしだ」
ナナオの考えを真っ先に否定して、
「君を、ここまで追い込むのは本意ではなかった。ただ、菜月にトラウマを克服された君は恐ろしい。『敵』の統率者となってしまっては困る」
淡々と、そう言い切ったナナの方が、ずっと恐ろしい。
何故、ナナオを殺すのか。――『人類の敵』だから。
何故、自分が『人類の敵』なのかと問うたとしても、少女は自分が納得する答えを出してはくれないだろう。『敵』の能力を警戒して。
「――人類のために、死んでください」
縄から手がずるずると落ちて、ナナオはゆっくりと、海に飲み込まれていく。
右ポケットからスマートフォンを取り出し、一瞥して、ナナオに向けて合掌する。
「――――」
――それが、中島ナナオの、最後に見た光景だった。
× × ×
「―――!?」
足音が遠くから聞こえて、ナナは森の方へ隠れる。
後ろから『敵』が来ているのだろう。今すぐ突き落とすか。いや、何故このタイミングかがわからない。
「――ナナ、ナナオ! 勝手に逃げてごめん。『人類の敵』に殺されたく、なかったんだ……」
――それはナツキ・スバルの声であり、ベッドで寝かされていたはずの人物の声音であった。