約束を果たしましょう 作:燈台
「ぇ?」
何故――? この少女なら、校舎に入ったはずではなかったか。それが、どうして今少年の前に立っているのか。
「初めまして。今日から転校してきた、柊ナナといいます!」
体を左に傾け、白い毛先を揺らす。少女は赤いリボンの制服らしきもの――否、制服を着ていた。
「ここの生徒さんですか?」
――生徒。二文字が頭の中でぐるぐると回る。
生徒って、自分はこの子――ナナから生徒だと思われているのか。
その期待を裏切るのが怖くて、答えられない。
でも、ナナが転校してきたのなら、おそらくプレッシャーもすごいはずだ。
そんな子に、気を遣わせるのが嫌で、遅刻させるのも嫌だった。
「―――ぅ」
「はい?」
「――違、う」
喉の奥からやっと絞り出した声は、どれほど掠れていたことだろう。
「そうなんですね! ――じゃあ一緒に、今日からここの生徒になりましょう!」
「――は!?」
――生徒。俺が? 俺が生徒? 何をどうやって。
「すみません、言い忘れていました。わたし、人の心が読めるんです!」
「人の心が――」
――読める。彼女は確かにそう言った。嘘なんて一度もついたことのないような表情で、満面の笑みを浮かべて、そう言った。
異世界ではない。
島の雰囲気や森を進んでいるとき、恥ずかしながら少年がずっとよくある呪文だの詠唱だのを唱え続けていたのに反応しなかったのもそうだが、確信したのは目の前にいる少女だ。
苗字に名前の響きまで日本。おまけに彼女の桃色のバッグのタグにはきちんと日本語が書いてある。
――だから、異世界ではない。なら、彼女の言った「人の心が読める」というのはどういう意味だろう。
「さっき、昇降口に向かっているときに、行く当てを探すあなたの声が聞こえまして! 聞き間違いかなとも思ったんですが、やっぱり戻って正解でした!」
そう言いながら、彼女は少年の右手を掴んで、引っ張った。
「ナナ! ちょちょちょ、ちょっと待って! 俺生徒じゃないんだって! このまま入ったらただの不審者だから! 警察に逮捕されてこの世から永久追放だから!」
「だから、今から手続きするんです! さっき心が読めました、学校以外、どこにも行く当てがないんですよね! だったら、生徒になっちゃえばいいんです!」
何故何も言っていないのに考えている内容がわかるのか。
もしかしたら彼女が心を読めるというのは本当なのかもしれない。
「いや、でも! そんな簡単に手続きができるわけないだろ!」
入学手続きなど、お願いしただけでできてたまるものか。
「大丈夫です!」
「行かねぇ!」
「大丈夫です!」
「行かねぇ!」
「大丈夫です!」
「行かねぇ!」
「大丈夫です!!」
「だから行かねぇって! …力つよ!?」
気づいたら少年はずるずると引きずられていて、石段の前になるともう諦めムード。自分の足(止まるとナナに引っ張られる)で向かうことになっていた。
* * *
「職員室…」
部屋の前につけられた看板を見て、その部屋であることを悟った。
視線を看板から部屋に移すと、たくさんの教師がパソコンをタイピングしている音が聞こえる。
「あの、ナナさん…? 俺、帰っても…」
「ダメです! そのまま帰ったら、そのうち餓死してしまいます!」
教師に気圧され、抜け出そうとしてもナナはどうやら許してくれないらしい。
心配してくれているのはありがたいことだが、これでも自分はコミュ症なのだ。話しかけづらいというか、話しかけにくいというか。
そんなことお構いなしに、ナナはズカズカと職員室に入っていくのだからすごい。
「あの…」
「――――」
後ろから座っていた女性の教師に声をかけようとするが、聞こえていないのか、それとも無視をされたのか、無言だった。
その反応にナナはむすっと頬を膨らませてからスバルよりも前に出る。
彼女は一度深呼吸をしてから口を開いた。
「あのっ!」
「は、い…」
眠そうに目を擦りながら顔を上げる。
「今日から転校してきた柊ナナです! この方の入学手続きをしたくて!」
ナナの声に、女性教師は少しだけ目を開いてから呆れたように眉を下げると――、
「そんなすぐ入学手続きなんてできるわけないでしょーう?」
面倒くさそうな冷たい声の女性教師は、ナナと正反対のようにも見える。
隠す気もなさそうにため息をついて、自分達はこの女性教師に歓迎されていないのだろう。
確かに、こんなに職員室が慌ただしい。相当仕事が溜まっているらしい。
そんなところにまた新しい入学手続きの仕事が増えれば、もう残業どころではなくなってしまうのかもしれない。
「それにー、まず軍の許可をとらないとー、」
プルルルル
軍の許可を取らないと、とはどういう意味かわからなかったが、それを深く考えるより前に、机の上に置いてあった白い固定電話が震える。
女性教師は慌てて電話を取り、「はい、もしもし!」と電気が流れたかのように立ち上がった。
「……はい。はい、あの教室の転校生が一人増え…わかりました。先生に連絡しておきます」
ガチャリ、と音を立てて固定電話を置くと、女性教師は引き出しから「入学手続書」と書かれた書類とボールペンを少年に差し出した。
項目には名前、年齢、住所などの基本情報を書くところがある。
上から下へ書き進めていくと、一番最後に見たことがない項目があり、少年はそこでペンを止めた。
無論、少年はそれを聞いたことがなかったからだ。いや、ゲームやアニメなら山ほど見たことだが。
「能力…?」
少年はそれ、を読み上げる。能力――物語の定番の設定だ。
「あぁ…そこの能力の欄は任意だから、書かなくてもいいわ」
そこだけ空欄にして女性教師に提出しようとしたが、「担任に渡して」と止められてしまった。
「ごめんな、ナナ。これで遅刻確定しちまったよ」
「いいですよ、全然。それに、入学をするように進めたのはわたしの方なんですから!」
歩きながら微笑んだ彼女は、とても損する性格だと思う。
エメラルドグリーンの瞳を瞬かせながら、ナナは「この教室だったはずです!」と言い、少年を後ろに下がらせて、ガラガラとドアをスライドさせた。
* * *
「すみませーん!!」
教室の壁に片耳をつける。
ナナが「遅れ、ました」と言ってから教室に入って行ったあと、足音がした。おそらく中央へと移動したのだろう。
男性の教師だろうか。「遅かったね」と少し腹を立てているような声音で、ナナに自己紹介をするように言う。
「わたし、人の心が読めます。でも、ちょっと空気は読めません。よろしくお願いします!」
変わった自己紹介だったが、随分とナナの「心が読める」発言を素直に受け入れているような気がした。
やはり、この学校にとって、魔法のようなものが使えることは普通なのかもしれない。
異世界ではないが、それがわかって少年の心は少し踊った。
――が、森の中でのこともあって、どうやら少年にはその魔法のようなものが使えないらしい。
「えー、柊の席は…」
「ちょっと待ってください!」
気を抜いていたが、ここから本番らしい。
壁につけていた片耳を離し、空いているドアの前に立った。教師が「何?」と発したときには心臓がビクッとしたが、ナナの笑顔で少し救われる。
「どうぞ!」
右足を踏み入れ、温かい彼女の笑みから視線を外すと、刃物を向けられているような冷たい視線が少年を突き刺した。
転校生の紹介が長引いて気に食わないのか、睨みつけるように生徒はこちらを見ている。
正直、緊張していないといえば噓になる。高校の入学式で盛大にやらかしてから数年。あのときのトラウマは消えていない。
それに、高三になってから数か月引きこもって、高校生の路線にもう一度乗ることは無理な気がする。このまま、戻った方が良いのかもしれない。
でも、ナナがせっかく手伝ってくれたのだ。踏み出さないでどうする。
奥へと進んで教師に「入学手続書」を提出すると、真ん中の位置まで戻り、少年は口を開いた。
「初めまして。色々と大変なところ申し訳ねぇんだが、転校生みたいなもんだ」
カツ、カツ、カツ………
黒板の粉受のところに置いてあった白いチョークを右手でつかみ、黒板に大きく書いた。
我ながら、人生で一番上手に書けた字だということを誰かに自慢したいところだが、自分を知っている人間はいないので置いておく。
「俺の名前は――」
――悪人のようなつり目、三白眼、前髪を後ろに流した少年は、右手を上に挙げ、人差し指と親指だけ立てる。左手は腰に置いて、そう名乗った。
「俺の名前は、ナツキ・スバル! 無知蒙昧にして天下不滅の不登校児。不束者ですがどうぞよろしく!」
少年の――スバルの名乗りは、黒板に書かれた「ナツキ・スバル」という文字の前で、学校中に鳴り響いた。