約束を果たしましょう   作:燈台

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第ゼロ章 03「贈り物」

「すみません、心の声で済ませていたので名前を聞くのを忘れていました。菜月さんとお呼びしますね!」

 

「大丈夫だよ。そうだよな、そういうこともあるよな」

 

 頬を掻きながら、スバルは思考を巡らせた。ナナは自分のことを「心が読める」と言っている。それが事実ということは、彼女とのやり取りからもわかるが、ここで心配になったことは、彼女のその魔法のような力にもデメリットがあるということだ。

 

 例えば、先のナナの発言。スバルの名前を知っていたのに名前を聞かなかったこと。スバルの心の声が聞こえるのだから、スバルの名前を知っていてもおかしくない。

 だから、「名前を聞く」という工程を飛ばしてしまったのだろう。

 つまり、相手が話していなかったとしても、ナナは相手の情報をある程度知っているということであり、もしかしたら、「気持ち悪い」と思われてしまうかもしれない。

 

 ――その声が、ナナに聞こえてしまうかもしれない。

 

「菜月くんの席は――」

 

「先生、その前にさ、そいつの能力、教えてもらわねえか?」

 

「飯島くん…。この「入学手続書」には書いてない、つまり菜月くんは能力を明かしたくないんだよ。なら、聞かない方が――」

 

 ズカズカと前に出てきたガキ大将のような男の子は、教師の声を遮り、スバルと同じような身長なのに、何故かとても威圧感を感じる。

 

「おめえ、能力ないのか?」

 

「だから、能力ってなんだよっ。言っただろ、俺無知蒙昧だから! そういう、ラノベとかの設定は憧れるけどさぁ…」

 

 能力――ナナの「心が読める」などという力も、この能力とやらだったりするのだろうか。

 何もわからないので、誰か教えてくれればいいのだが――、

 

「能力ですよ! この島には多くの『能力者』が集められているんですよ。わたしもこれから勉強するので、あまり詳しくはわからないんですが…」

 

 頭にはてなマークを浮かべたスバルのために、ナナはつかさずフォローを入れる。

 やはり、能力とは魔法と同じようなことだった。

 先ほどの「入学手続書」のあの欄は、生徒達の能力を把握するためのものだったのだ。

 

「悪いけど、その能力ってのを俺は知らねぇ。ごめんだけど、お前のライバル的立ち位置にはなれねぇよ」

 

 思い当る節がない。できればチートみたいなもので無双したいところだが、そんなに都合の良いものはないようだ。

 

「おめえもアイツと同じように能力明かさない系かよ。つまんねーの」

 

 アイツ、とやらは知らないが、どうやら前に苦い思い出があったらしい。

 男の子は悪態をつきながら自分の席へと戻っていった。

 

「何だったんだ…?」

 

「……とりあえず、柊さんは中島くんの右、菜月くんは中島くんの後ろで。席は用意するから、少し待っててください」

 

「やったー! 菜月さん、近くですね!」

 

 天真爛漫なナナの顔が眩しいが、指をさされた中島という子がビクッと肩を動かしたのが見えた。もう嫌われてしまったのかもしれない。

 

 

「――――」

 

 浮かれていたのだから、角に座る銀髪の少年の青く厳しい双眸に気づいてなかったことはどうぞ水に流してほしい。

 

 

  * * *

     

 

「初めまして! 柊ナナといいます! 中島さん、でしたよね。これからたくさんおしゃべりさせてください! 不得意なことは空気を読むことです!」

 

 ナナが緑色の髪の少年――、中島ナナオに声をかける。

 

「いや、それさっきも聞いたから…」

 

 ナナオが読んでいた本から目をそらすと、眉を下げながらこちらを見る。

 ナナの表情を見たナナオは随分と引いている様子だ。

 やっぱり先の自己紹介がダメだったのかもしれない。

 

「ナナオって呼んでもいいか? 俺のことは気軽にスバルって呼んでくれ! あー、得意なことは裁縫だ! おちゃのこさいさいってやつだぜ!」

 

 ナナが作った流れにそって、スバルもナナオの後ろから声をかけた。

 先生が早急に用意した席なもので、狭いのはどうしようもない。

 

「あ、うん。よろしく、昴くん」

 

ナナオの引きぶりにさらに拍車をかける話し方だったのかもしれないが、それは気にしないでおくとして――、

 

「転校生じゃないから俺とナナよりは知ってるよな。能力だの『能力者』だのについて教えてくれ!」

 

「わたしも、基本的なことは知っているつもりですが、再確認したいのでお願いします!」

 

 スバルのお願いにナナも手を挙げた。やはり専門の学校に入学しなければ学べないこともあるのだろうか。

 

「うん。昴くんは知らないみたいだから最初から説明するね」

 

 ナナオの説明によると、二十世紀、最初の『人類の敵』が登場したらしい。

 都市の一切合切を破壊し、多くの人間が亡くなったという。

 その正体は未だにわかっていない。

 『人類の敵』への対抗手段として、同時期に出現した、魔法のようなものを使うことができる人間     『能力者』に政府が注目するようになった。

 

 ――それから百年が経ち、『人類の敵』と対抗するために『能力者』が最も有力だとして、育成するために学園が作られたらしい。

 

「――それで、僕たちは早く『人類の敵』を倒さなければいけないんだ」

 

「大変なことになってたんだな。――そんなこと、このナツキ・スバル様に任せてくだされば、大丈夫だって!」

 

 そう言って、すぐに口を塞いだ。 

 自分が不登校になっているうちに、一体人類は何人亡くなったのか。

 確かにこんな悲惨なことを子供に教えるのは荷が重すぎる。

 きっと、父と母はスバルを守るために日々奮闘してくれていたのだろう。

 

 部屋のテレビの局が一つ減っていたこともあった。おそらくそれも、スバルを守るために両親が頑張っていてくれた証拠だ。

 

 スバル一人でどうにかできるほど、軽くもないし安くもない。

 今の発言は本当に不快なものだっただろう。

 そう思ったら、冷や汗が止まらなくなって、すぐにナナオたちに頭を下げた。

 

「ううん、知らなかったんならいいよ。…多分、昴くんの(うち)にも赤紙のようなものが届いていたと思うんだ。」

 

「赤紙…?」

 

「召集令状のことだよ。赤紙っていうのは総称だから少し違うけどね」 

 

「違う! 召集令状は俺でも知ってる。でも、それが…」

 

 ――最近になって、また使われ始めたというのか。

 

「一度届くと、強制的に島に連れて来られるんだよ。……そのせいで僕も半年前にね」

 

「わたしも、届きましたね」

 

「―――っ」

 

 昔存在した召集令状も二十歳以上の男性にしか届かなかったはずだ。それが、今高校生以上の男女に届いている。スバルの知らぬ間に日本はこんなに深刻な状態に陥っていたのだ。

 

「―――じゃあさ」

 

「「――?」」

 

 訓練を受けてきたナナオにとって、これから訓練を受けるナナにとって、何も知らないスバルが言うのは傲慢だったかもしれない。

 

「――とっとと『人類の敵』を倒して、卒業したら本土に戻って焼肉でも行こうぜ!」

 

「い、行こう」

 

「はい、そうしましょう!」

 

 スバルの提案を二人は受けてくれた。それだけで、それだけで嬉しかったのだ。

 

 

「あ、そういえば」

 

「ナナ?」 「柊さん?」

 

 焼肉の約束をしてから数秒ナナが沈黙したかと思えば、何か思い出したかのように顔を上げる。

 彼女はそのままナナオの机の前に来て、膝をついた。

 

「中島さん、ナナでいいですよっ! ――あの、中島さんって、いじめられてるんですか?」

 

「「え!?」」

 

 ナナの質問に、スバルとナナオは目を見開いて席から立ち上がった。そのせいで勢いよく机に腹をぶつけたのは言うまでもないが、そこは論点ではない。

 今、ものすごくデリケートな質問をナナがナナオにぶつけたような気がする。

 無論、スバルも気が回らないランキングでは相当上位にいるだろうが、まさかいじめられているなんて質問、わかっていてもできない――とは言い切れないのが憎たらしい。

 今の彼女の言い方だと、心を読んだのだろう。

 

「大丈夫ですか!? すみません、つい聞こえちゃったもので」

 

「あぁ…」

 

 何か言いたそうな顔をしてからナナオはフリーズした。

 今のやり取りで実感したが、やはりナナは空気を読むことが苦手らしい。

 思ったことをつい口に出してしまう、スバルと似たようなタイプの人間だ。

 

「でも、そんな――」

 

 ナナオが言いかけて口を閉じた。ナナオとナナの方に目が集中していたからか、スバルも右に立っていた背の大きい男の子に気づかない。

 

「ナナちゃん、ナナオとこいつは『人類の敵』なんじゃないか?」

 

「お前は、さっきの――」

 

 朝会のときにスバルの前に立った威圧的な男の子だ。

 名前は確か、飯島モグオだっただろうか。

 

「モグオさん、でしたね。中島さんと菜月さんが『人類の敵』とは?」

 

 上目づかいのナナの言葉を聞くと、モグオはスバルとナナオを睨みつけてから話し出した。

 

「ナナオは無能だし。それと、こいつは『人類の敵』とか、めっちゃ一般的なことも知らないし」

 

 スバルのことはともかく、ナナオが無能とはどういった意味だろうか。

 ナナオはこの学園に入学したことを自覚しているのだから『無能力者』なわけがない。

 

「でも、『人類の敵』って、こういうドロドロの感じでは?」

 

 ナナが膝をついたままナナオの教科書を手に取り、パラパラとページをめくってこちらに見せる。       

 そこに印刷されていたのは、禍々しい色のバケモノだった。

 

「それは汎用タイプだよ! それよりも大きなバケモノとか、人の姿をしたやつもいるんだ」

 

「人の、姿…?」

 

「だ・か・ら、それがお前のことだろうが」

 

 冗舌になったナナオの言葉に少し腹が立ったのか、モグオが乱暴にナナオの頭を掴み、机に押し付けた。

 

「――ぐぇ」

 

「とっとと正体みせろよ、”自称リーダーくん”」

 

「待った!」

 

 隙が見えれば突っ込んでしまうのがナツキ・スバルという者の性質だ。

 スバルは立ち上がって机をバン、と叩いた。

 

「あ?」

 

「ストップ、ストーップだ! いじめはやめろよ、モグっち」

 

「あん? モグっちってなんだよ!」

 

「なんつーか、愛称ってやつ?」

 

「上等じゃねえか。ナナちゃん、こんなやつ見捨てようぜ」

 

 少し予想外。というかとても予想外。ナナに話を振られてしまったらどうなるかわからない。

 突っ込んでしまってから後に引けなくなるのも、またナツキ・スバルという者の性質だ。

 

 大量に冷や汗をかきながらロボットのように首をひねっていく。

 ナナに嫌われてしまったら、この先何をすればいいのだろう。

 

 ナナは、教科書をナナオの机の上に置いてから、立ち上がって目を開いた。

 

「――やめてください! そうやって、わたしにお二人を嫌わせて、デートしたいようですが、お断りしますっ!!」

 

 どうやら、モグオの心を読んだようだ。休み時間中だったクラスメイトは、その大声に目をむき、全員がこちらを見る。

 

「…そんなこと思ってねえよ! ……ちょっとしか!」

 

 嫌われていなかったようで安心したが、モグオの理由が少しだけ可愛かったのが意外だ。

 

 頬を赤らめて帰っていったガキ大将ことモグオを見届けると、ナナはナナオの方を見て、そう、問うた。

 

「あの、”自称リーダーくん”ってなんですか?」

 

 彼女の軸はブレないらしい。

 

 

  * * *

 

 

「――今日は転校生が三人も来たことだし、学級委員長を決めたいと思います」

 

ダン

 

 張り切って教壇を叩いた教師だが、その声はスバル達には全く届いていなかった。

 

「そういえば、ナナオは何でそんなに『人類の敵』に詳しいんだ? ゲーム序盤に出てくる超強い人みたいな印象だぜ?」

 

「それ誉めてるの…?」

 

「そうですね! とってもよくお勉強されていて、見習いたいです!」

 

「うん。ありがとう。だけど今は、先生の話を聞いた方が――」

 

 二方向から追いつめられるナナオは気の毒だが、そんなことに気を配ることのできる人間はここにいない。

 

「――中島っ!」

 

「は、はい!」

 

 無論、教師から注意を受ける。本当に怒鳴られなければいけないのはスバルとナナのはずなのだが、転校生ということで免除されたのか、それほど怖い注意は受けない。

 ナナは『能力』で回避したが、スバルがそれをできるわけもなく、しっかりと聞かなければならないらしい。

 

 学級委員長を決める話し合いだそうだが、立候補できるほどスバルに勇気はない。

 生徒たちはほぼ全員が手を挙げ、エリートが集まっているのだと実感させられる。

 

「――――」

 

 突然後ろを向いたナナと目が合った。スバルとナナ、ナナオは立候補をしていない。このタイミングでこちらを向くということは――、

 

「中島さんを――」 「ナナオを――」

 

「委員長に推薦します!」 「委員長に推薦するぜ!」

 

 理由はたくさんある。彼の勉強熱心な姿。優しいところもそうだが、面倒見がいいのかもしれない。何より、彼以外に適任はいない気がした。

 

「えぇ!?」

 

 ナナオの驚きの声と、生徒たちの声が重なる。生徒たちには多少イラついたが、ナナオの声はしょうがない。こちらの勝手な意見なのだ。

 

「――皆さんは実際に、『人類の敵』を見たり戦ったりしたことがあるんですか!?」

 

「――ぁ?」

 

 ナナのこの発言にスバルは目を見開く。道理で正体不明なわけだ。『人類の敵』を見たことがないのならば正体不明なままだ。

 

 引っかかる。

 ナナの発言の”見たり戦ったり”という意味は映像でもみたことがないということだろう。

 スバルは引きこもりだが、部屋から一歩も出ないというわけではない。食事のときは部屋から出るし、テレビだって見る。

先の考えが合っていて、両親がテレビ局を意図的に減らしていたとしても、全国民がそれをすればテレビ局の視聴率は低下し、倒産寸前まで追い込まれるだろう。

 盲点だった。テレビで見たことがないのなら、彼らはどこで『人類の敵』を見たのだろうか。

 

 国が『人類の敵』を見たことがない子供に「『人類の敵』と戦え」と命令していたのなら、無理があるだろう。

 

 ――『人類の敵』は、結局なんなんだ?

 

「――。――――」

 

 その疑問を頭に浮かべると、教室の右端に座るもう一人の転校生、小野寺キョウヤと目が合う。

 冷たい眼差しを向ける彼が、スバルにとって、『敵』にしか見えなかったのは気のせいだろうか。

 

「――だったら、」

 

 ―――目が合ってから鋭い声で決闘を提案したのも、気のせいだろうか。

 

 

  * * *

 

 

「昼ごはんとか用意してねぇな。暇だー」

 

 昼休みにて、ナツキ・スバルは圧倒的な暇を体験していた。

 しょうがないだろう、学園に来ることも知らされていなかったのだ。

 

「よかったら食べますか? 卵焼きありますよ!」

 

「僕のも、少しだけだけど」

 

「いや、いいって! 大丈夫!」

 

 後ろを振り向いて弁当を差し出してくれたナナとナナオには悪いが、そこまでしてもらう理由がない。

 断ったスバルに、ナナが「そうですか…。食べたくなったらまた言ってください!」と言い前に向き直した。

 何故彼女たちはそんなにスバルに良くしてくれるのだろうか。

 そんなことを考えながら、ふと校庭の方を向いた。

 窓越しに見えるのは、昼食を早く食べ終わったモグオたちがドッヂボールをしている様子だった。

 

「子分が一匹、子分が二匹、子分が三匹……」

 

「――菜月くん」

 

「はい?」

 

 スバルが右を向くと、職員室から帰ってきた教師が教室の後ろのドアにいるのが見える。

 スバルが返事をしてから見上げると、教師は申し訳なさそうにしながら近寄ってきた。

 

「制服の件なんだけど…。君に近い服はあるけど、ズボンがキミのサイズよりも少し長い気がしてね…」

 

「大丈夫ッスよ、俺家庭科だけは得意なんで! ナツキ・スバルの無双タイムが始まるぜ!」

 

 そう、スバルは家庭科だけは得意なのだ。家庭科()()は。

 服も、少しだけなら縫うことができる。ズボンの裾程度なら、自分でも直すことができるだろう。ほかの家事はからっきしだが。

 もし異世界に行って、使用人生活を送っていたのなら、ほかの家事を習得するのに相当な苦労がいるだろう。

 

「――ってなんで使用人設定?」

 

「そう言ってくれるとありがたいよ」

 

「ミシンとかってあります? そしたら手縫いよりは早いと思うんッスけど」

 

 制服を直すのに、さすがに手縫いはきつい。何日かかるかどうか。

 

「とか言って、あんまりかからなかったりしてな。なんたって俺は――」

 

「そうなんですね! ぬいぐるみとかって作れたりしますか!」

 

「ぬいぐるみ?」

 

 もう一度振り向いたナナが、瞳に期待を乗せ、笑顔でスバルに問う。

 ぬいぐるみを作って何に使うのだろうか。

 

「中島さんの明日の決闘の応援グッズとして使いたくて!」

 

「えぇ!?」

 

 急に話題にあがったナナオが驚いているのはいいとして、応援グッズ、それはとても良い発想だろう。

 応援は言葉だけではなく、形として表した方が、応援される側も気分が高まるというものだ。だが――、

 

「ごめんだけど、俺、ぬいぐるみは作れないんだ。まだ精進が足りないというか…」

 

 ナツキ・スバルの無双タイムなどと言っておいて、なんと情けないものか。

 練習すればできるようになるかもしれないが、ぬいぐるみを作ることなどできない。

 その事実から目を逸らしたスバルにナナはどんな厳しい言葉を――、

 

「そんなの、やってみないとわからないじゃないですか!」

 

「……じゃあ、やってみるけど、怒んないでね?」

 

 立ち上がった彼女は、強い光を瞳に宿して立ち上がる。その強い眼差しに断ることができず、勢い任せに言った。

 

 スバルが作ると言うと、ナナは大きく手を広げ「やったー! 良かったですね、中島さん!」とナナオの方を見てニコリと笑った。

 

「勝手に話を進めないで!?」

 

 という嘆きは誰にも届かず、教師の「じゃあ、放課後家庭科室開けとくね」という言葉でトドメを刺される。

 

「もう――!」

 

 やっぱり彼の叫びは誰にも届かないようだ。

 

 

  * * *

 

 

「やっと終わったぜ!」

 

「すごいです菜月さん!」

 

「いや、なんで僕も連れて来られてるの…?」

 

 薄橙色のペンキで塗られた、ザラザラとした壁。窓には水色のカーテンが取り付けられている。

 机の上には一台だけミシンが並んでおり、それを囲むようにスバル、ナナ、ナナオの三人が丸太の椅子に座っている。

 

 ――そう、家庭科室だ。

 

 用意されたミシンの前でスバルの歓声が響き渡ると、二人それぞれの誉め言葉――ナナオの方は疑問だが――がスバルの耳に入る。

 

「これでやっと応援グッズに入れますね!」

 

「そうだな!」

 

「だから良いって…」

 

 涙目になっているナナオは置いておいて、スバルは再びミシンの方に向き直るが――、

 

「――そもそもミシンを使うぬいぐるみの作り方なんて俺は知らねぇぞ?」

 

 あるにはあると思うのだが、スバルの情報力がなく、全く作り方がわからない。

 

「本末転倒じゃないですか!」

 

 となると、手縫いで縫う他ない。裁縫道具を持ってこなければならないのだが――、

 

「裁縫道具ですね! 借りてきます!」

 

 心を読んだのだろう。ナナは勢いよく席から飛び出して、おそらく職員室の方に向かった。

 

 

「ナナはすげぇよな。行動力があって! まぁそこだけなら俺も負けてねぇと思うけど!」

 

 スバルとナナオ、二人だけとなった家庭科室は水色カーテンだけが揺れ動いている。少しだけ赤く染まっている空は、妙に不気味に見えた。

 

「う、うん。二人とも行動力に満ちあふれすぎてる気がするけどね」

 

 ナナオは左手につけている腕時計を触りながら答える。

 

「――そういえば、ナナオがつけてる腕時計って誰から貰ったものなんだ?」

 

「――ぇ?」

 

 ナナオがつけている腕時計は少々学生が買うものにしては高すぎるような気がする。それに、綺麗に磨いているということは、贈り物である可能性が高い。

 

「父さんだよ。誕生日に買ってくれたんだ。こんなものをくれても、何もできないのにな」

 

 誕生日プレゼントの話をするにしては、ナナオの顔が暗く見える。後ろめたさを感じているような、そんな表情で。

 

「ぬいぐるみ、ナナオの父ちゃんでもいいか?」

 

「――なんで?」

 

「え、なんでって。尊敬してる人の方がうおーって盛り上がらないか?」

 

「――君になにがわかるんだ」

 

「――――」

 

 ナナオの声が数トーン低くなる。怒らせてしまったのだろうか。何故怒らせてしまった理由がわからなければ、また地雷を踏んでしまうかもしれない。

 

「期待に応えたくて来たんだ。父さんのね」

 

 沈黙を終わらせ、ナナオはそう切り出した。彼の言葉はスバルにも痛いほどわかるものだ。

 

「キミは家族に甘やかされてたんだろうね。だから、重い期待を背負ったこともないんだよね」

 

 

 そうだ、けど違う。

 

 だってスバルはいつも、

 

『――やっぱり、あの人の子だな』

 

 みんなの期待に応えたくて、でも答えられなくて。だから、スバルは――、

 

 

「違うだろ?」

 

 絶対に違う。期待に応えられないことは悪くない。期待に応えようとしないことが悪いのだ。

 何かしてほしいから、ナナオの父は腕時計を贈ったのではない。

 

「―――ナナオの父ちゃんは何かしてあげたいから、贈ったんだろ?」

 

 スバルは、悪人のようなつり目を下げ、そう言った。

 

 ナナオは少しだけ目を見開くと、

 

「僕の尊敬している人は、父さんだ。だから、父さんだと――」

 

 

「―――嬉しいかな」

 

 この一日で、一番優しい表情を浮かべていた。

 

 

「――すみません! 先生から裁縫道具を借りるのに手間取っちゃって!」

 

 家庭科室のドアをスライドし、走りながら入ってきたナナは右手に黒い裁縫道具を抱えていた。

 

「ナナ!」 「ナナちゃん!」

 

 ナナは黒い裁縫道具をスバルに手渡しすると、椅子に座る。

 

「ぬいぐるみは、ナナオの父ちゃんに決まったんだ!」

 

「っや、まぁ」

 

「そうなんですね! 能力で知ってはいましたが、やはりお二人から聞くと温かみが違いますね!」

 

 照れくさそうにナナオが笑うと、ナナは思い切り笑顔を浮かべる。

 

 揺れるカーテンとともに、ナナオの応援グッズの作業は開始されることとなった。

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