名探偵コナン残響散歌の有識者たち   作:アサシン・零

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第1話「真烈」

窓の外、米花町の夜を濡らす雨音が遠く聞こえる。毛利探偵事務所のソファで浅い眠りに落ちた江戸川コナンは、いつの間にか、現実の重力から解き放たれた「白銀の空間」に立っていた。

 

そこには、一人の男が静かに佇んでいる。

どこか自分と、そしてあの宿敵である怪盗とも似た面影を持つその男に、コナンは叫んだ。

 

「……ッ、あんたは誰だ!?」

 

その問いに対し、男は慈しむような、けれどひどく寂しげな眼差しを向け、静かに口を開いた。

 

「ボウヤ……君はもう眠り、苦しまなくていい」

 

「何を……っ!?」

 

「黒の組織は、私が消そう。……あれは元々、私が招いた種

なのだから」

 

コナンの思考が停止する。組織――あの漆黒の闇の根源を、目の前の男が「自分の種」だと言い放ったのだ。現代の知略の結晶であるはずの組織が、まるで遠い過去の落とし子であるかのように。

 

「何のことだ!? あんた、組織とどんな関係が……何を知っているんだ!」

 

激昂するコナンを制するように、男は悠久の時を見渡すような声で語り継ぐ。

 

「遥か永久(とこしえ)の古の時代……。我々の先祖は、嵯峨天皇の血を引く『嵯峨源氏』と呼ばれ、高貴な身分を持っていた。渡辺の姓を賜り、闇を払う武士(もののふ)として生きた一族だ。そして私もまたその血を引き……おまえは、私の血を引く者である」

 

「……サガゲンジ? 高貴な身分? 何を言って……意味が分からない! 今は寛知平成(かんちへいせい)の世だぞ! そんな数千年も前の話を……!」

 

混乱するコナンの脳裏に、自身のルーツ、工藤家や黒羽家の系譜が断片的に浮かぶが、男の話すスケールはそれを遥かに凌駕していた。五千六百年前の「神護(じんご)」の時代――。

 

「そもそも、あんたは何者なんだ!? 名前は!」

 

男はわずかに口角を上げ、自らの名を刻むように告げた。

 

「……梶谷 朝陽(かじたに あさひ)。いや、今は『黒羽(くろば)』と呼んでくれて構わない」

黒羽。

 

その名を聞いた瞬間、コナンの視界が激しく揺れた。

 

「……梶谷……黒羽、朝陽……?」

 

その答えを咀嚼する間もなく、白銀の世界は強烈な光に包まれ、コナンの意識は現実へと引き戻されていく。目を開けると、そこはいつもの探偵事務所の天井だった。

 

「……夢……か?」

心臓の鼓動がうるさいほどに鳴り響いている。

 

五千六百年の時を超えて現れた始祖、朝陽。彼が「招いた」という組織の種とは何なのか。

 

寛知平成の探偵は、まだ知らない。

 

自分の体に流れる血が、神護の時代から続く壮絶な「因縁」の地図そのものであることを。

 

夢の残響を振り払うように跳ね起きたコナンを待っていたのは、心配そうに顔を覗き込む蘭の瞳だった。

 

「大丈夫……?コナン君……?」

 

「蘭!?……姉ちゃん……?」

 

焦点が定まらないコナンに、蘭はそっとタオルを差し出す。

 

「コナン君、なかなか起きてこないから……呼んじゃった。なんだか、ひどい冷や汗も出ているみたいだし……」

 

窓から差し込む朝日は、いつも通りの米花町の風景を照らしている。だが、コナンの耳の奥には、先ほど夢の中で聞いた

 

「嵯峨源氏」という重厚な響きがこびりついて離れなかった。高貴な身分、そして数千年の血脈。ふと、目の前の少女の名字が頭をよぎる。

 

「なあ……蘭姉ちゃんの『毛利』って、あの毛利 元就さんと関係あるの……?」

 

唐突な質問に、蘭は少し驚いたように目を丸くしたが、記憶を辿るように指を顎に添えた。

 

「ええ……!お父さんが昔言ってたけど、私たちは『末次 元康(すえつぐ もとやす)』公の子孫らしいわ。その元康公、晩年は毛利も名乗っていたみたいだけど……。って、どうして今さらそんなことを聞くの?」

 

「ち……ちょっと気になったから……聞いただけで……」

 

コナンは誤魔化すように笑ったが、内心では戦慄していた。

 

自分の先祖が源氏の末裔であるように、身近な蘭の家系にもまた、戦国を生き抜いた武将の血が流れている。これは単なる偶然なのか、それとも……。

 

その後、重い足取りで帝丹小学校へ向かったコナンは、休み時間に灰原哀を捕まえた。朝の夢の内容を、一気に吐き出す。

 

「……梶谷、あるいは黒羽 朝陽……?」

 

灰原はコナンの話を聞き終えると、顔色を失い、細い指先で自身の腕を強く抱え込んだ。

 

「あなたも……見たのね。実は私も……昨夜から、うなされていたらしいわ。阿笠博士の話だと、眠っている間に何かを拒絶するように叫んでいたって……」

 

灰原の瞳には、隠しきれない恐怖の色が混じっていた。彼女自身の証言も、コナンの見た光景と不気味なほど一致していたのだ。

 

「私も夢を見たわ。暗闇の中に立つ、圧倒的な威厳を持った男の姿を。その男は、組織のことを『自分が招いた種』だと……。そして私を、かつて失われたはずの『宮野』の血を引く者だと呼んだ」

 

「灰原、お前もか……。あいつは言ったんだ。自分は神護平成の人間、梶谷朝陽だと。そして俺たちは、その血を引く末裔だってな」

 

五千六百年前の始祖。

寛知平成の現代に生きる二人の探偵と科学者は、同じ「血の記憶」によって呼び覚まされようとしていた。

 

「ねえ、江戸川君。もしその夢が本当なら……私たちが追っている組織は、私たちが生まれる数千年も前から、その『男』の手によって運命づけられていたことになるわよ」

 

灰原の言葉に、コナンは拳を固く握りしめた。

 

五千六百年の時を超えて、始祖が今、自分たちに語りかけ始めた理由。それは、あまりにも巨大な因縁の始まりに過ぎなかった。

 

「……それも気になるけど、その黒羽っていう男とお前は、何か関係があるのか?」

 

コナンの低い問いかけに、灰原は自嘲気味な笑みを浮かべ、窓の外の空を見上げた。

 

「私も、その男の子孫らしいわ。今、冷静に考えれば……夢の中の彼は自分の血筋を『分家』と呼んでいた。もしかしたら、朝陽さんの後の代で、宮野へと続く道が枝分かれしたのかしらね……」

 

二人が数千年の家系図の断片を繋ぎ合わせようとしていた、その時だった。

 

「お二人とも、朝から何を物騒な顔をして話しているんですか?」

 

円谷光彦がひょっこりと顔を出し、不思議そうに首を傾げた。

 

コナンは特に深い意味もなく、いつもの調子で答えた。

 

「ああ、夢だよ。……『黒羽 朝陽』っていう人物のさ」

 

その瞬間、教室の空気が、まるで一瞬で凍りついたかのように静まり返った。

 

談笑していたクラスメイトたちが一斉に動きを止め、驚愕と、そして言葉にできない「恐怖」を湛えた瞳をコナンへと向けたのだ。

 

コナンも灰原も、これほどまでの拒絶反応を見るのは初めてだった。

 

「……あのね、コナン君……」

 

吉田歩美が、震える声で口を開いた。その瞳には、怪談を聞いている時以上の怯えがあった。

 

「その人の名前……今の時代、絶対に触れちゃいけない存在なんだよ……?」

 

「お、おいコナン……お前、珍しく……そんなおっかねえ奴に興味持つなんてよ……」

 

いつもは強気な元太までもが、椅子の背もたれを盾にするようにして身を引いている。

 

さらに、隅で本を読んでいた東尾マリアが、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせて呟いた。

 

「その人、記録によれば……いつも黒い服を着て、こう言っていたそうなの。……『The truth is always one.(真実はいつもひとつ)』って……」

 

コナンの背筋に、今まで感じたことのない冷たい衝撃が走った。

 

「真実はいつもひとつ」。

 

それは今、自分自身が信条としている言葉そのものだ。だが、五千六百年前の始祖が同じ言葉を口にし、それが未来の子供たちに「恐怖の代名詞」として伝わっている。

 

「……待てよ。何でその名前が、そこまで忌み嫌われてるんだ? 彼は、ただの先祖じゃないのか?」

 

コナンの問いに、光彦が声を潜めて答える。

 

「コナン君、知らないんですか? 歴史の教科書にも載っていませんよ。彼は、この世界を一度『終わらせようとした』という伝説がある、禁忌の始祖……通称『漆黒の創造主』なんですから」

 

灰原とコナンが顔を見合わせる。

 

夢の中で出会った、あの慈愛に満ちた眼差しの男。

 

自らの過ちを清算しようとした朝陽。

 

だが、五千六百年の月日は、彼の真意を「呪い」へと変え、寛知平成の世に語り継いでいたのだ。

 

コナンは冷や汗を拭いながら、ポケットの中で拳を握りしめた。

 

(朝陽……あんた、一体この世界に何を遺したんだ……!?)

 

コナンの顔から余裕が消え失せた。

 

「光彦……!詳しくとは言わない。知っていること、喋れることを全て話せ!」

 

その気迫に圧され、光彦はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「わ、分かりました……。5600年前の神護平成から令和にかけては、今とは比べものにならないほど『いい時代』だったと言われています。……ですが、その中心にいた彼は、あまりにも複雑な男でした」

 

「いい時代、か。……治安は今より少しマシだったのかもしれないけどな」

 

コナンが自嘲気味に呟くと、光彦は重い口調で核心に触れ始めた。

 

「黒羽朝陽さんの旧姓は、梶谷。そして『渡辺』です」

 

「……? なんで二つも姓を持っているんだ?」

 

光彦はため息をつき、信じられないものを見る目でコナンを見た。

 

「物知りな君でも、知らないことがあるんですね。彼は母方の一門を若くして亡くし、渡辺の姓も継いでいるんです。……その伯父君は、わずか一歳で亡くなったという記録があります」

 

「う、嘘だろ……!?」

 

コナンの脳裏に、先ほどの夢で朝陽が口にした「嵯峨源氏・渡辺」の誇りがよぎる。幼くして絶えた血を背負い、彼は生きていたのか。

 

「……嘘じゃねえんだ。実は黒羽 朝陽って……自閉症や注意欠陥多動性障害(ADHD)、サヴァン症候群……いくつもの『障害』を抱えていたんだ」

 

元太が、震える声で補足する。歩美も、悲しげに言葉を繋いだ。

 

「その人はね、自分自身が当事者なのに、福祉をバッサリ切り捨てたの。グループホームに入れられそうになった時、『自分自身は護られるほど弱くはない』って……そう言い放って、独りで立ち上がったんだって」

 

「……!」

 

コナンは言葉を失った。護られる対象であることを拒み、牙を剥いた孤独な天才。東尾マリアが、眼鏡を光らせて問いかける。

 

「実は、その人は当時、広島で3番目に有名な人物やった。……なぜだと思う?」

 

「……そ、それは分からない」

 

「ますます珍しいです、コナン君。……ほら、これを見てください」

 

光彦が端末を操作し、古文書のデジタルデータを表示した。そこには、赤字で大きく刻まれた禁忌の記録があった。

 

【黒羽 朝陽:広島の叛逆者】

危険思想第一凶悪知能犯・指名手配犯

 

「……なっ!?」

 

「彼は広島県警察、そして警察庁中四国管理局に冤罪をでっち上げられた。……それに憤慨した当時の高陽(こうよう)町――今の高陽市の住民たちが、彼を守るために立ち上がり、広島の街を焼き尽くした……。それが、彼が現代まで忌み嫌われている『事の発端』です」

 

教室の温度がさらに下がったような気がした。国家権力に反旗を翻し、一帯を焦土に変えた男。コナンは隣で震える灰原の肩を掴み、光彦に詰め寄った。

 

「光彦……『酒』について、彼は何か遺していないか!? 例えば……ジン、とか、シェリー!」

 

光彦の顔が、恐怖で引き攣った。

 

「ジン……シェリー……。コナン君、それは彼が製造を計画した、対人・対物狙撃銃の名称ですよ!!」

 

灰原の顔から、完全に血の気が引いた。

 

「……対物狙撃銃は『ジン・トニック』。対人狙撃銃を『シェリー・フラップ』って名付けてた……」

 

歩美が震える声でそう告げると、コナンは眩暈に襲われた。

5600年後の自分たちが追っている組織のコードネーム。それが、始祖・朝陽がかつて設計した「獲物」の名前だったというのか。

 

(『私が元々招いた種だ』……そういうことかよ、朝陽さん……!)

 

組織の象徴である「酒の名前」は、5600年前、国家に裏切られた一人の天才が、復讐のために生み出そうとした「武器」の銘だった。

 

寛知平成の探偵と科学者は、逃れられない血の檻の中に閉じ込められたことを確信した。

 

「でも……なんで酒の名前を付けたんだ? 兵器に酒の名前なんて、普通は思いつかないだろ……」

 

コナンの困惑に、光彦は再びスマートフォンの画面を操作し、古文書のデータベースをスクロールした。

 

そこには、数千年の時を超えて保存された「プロジェクト・アーカイブ」のリストが並んでいた。

 

「シェリー、バーボン、スコッチ、テキーラ、ラム、ライ……ジン、ウォッカ、ベルモット、キュラソー、アイリッシュ、ピンガ、シャンパーニュ……。

 

これらのお酒の名前は、当時から世界的に有名でした。秘匿性と識別性を両立させ、かつコードネームとして定着しやすい……。安全保障を極限まで突き詰めていた朝陽さん自身が、作戦の識別名として名付けたんです!」

 

「そ……そういうことだったの……!?」

 

灰原が絶句する。自分たちが「組織」の象徴だと思っていたコードネームは、本来は国家を守るための、あるいは復讐を完遂するための、緻密な軍事計画のインデックスに過ぎなかったのだ。

 

「さらに、黒羽 朝陽さんの思想は今、再び脚光を浴びています。彼が提唱した『警察庁魔改造論』……現在の縦割り組織を廃し、実務性を最優先した組織再編案が、国会でどの政党も検討し始めているんです!」

 

「マジかよ……!?」

 

コナンの驚きをよそに、歩美が誇らしげに、しかしどこか怯えを孕んだ声で付け加えた。

 

「朝陽さんの案はね、とっても合理的だったの。情報の収集と捜査を一体化させて、無駄を一切省くスタイル……」

 

「情報を集めつつ、同時に捜査を進行させるっていう今の警察の基本スタイルも、元を辿れば梶谷さんが考案したものなんだぜ?」

 

元太の言葉に、東尾 マリアがクラスの片隅に座る一人の少女に目を向けた。

 

「しかも……麗子ちゃんの伯父さんも、確か……」

 

呼ばれた降谷 麗子が、静かに頷く。

 

「ええ……警察庁警備局の所属よ。家系を遡れば、私たちの仕事のやり方も、あの人の影響を受けているのかもしれないわね」

 

(そういうことか……。安室さんや赤井さんが、なぜあそこまで徹底して『情報収集』を重視し、組織的な動きをするのか……。その根源にある『型』を作ったのが、あの朝陽っていう男なのか……!)

 

コナンは、自分たちが巨大な手のひらの上で踊らされているような錯覚に陥った。光彦の話は止まらない。

 

「これでも、彼の才能の『序の口』ですよ。彼は文理二刀流の天才でしたが、数学だけは学習障害を持っていました。……ですが、妻のレミリアさんは逆に『世界が数字に視える』という特殊な障害を持っていて、彼女が彼の欠けた部分を補っていたそうです。それで、歴史に残るほどのおしどり夫婦だったとか……」

 

コナンは、冷や汗が止まらなくなるのを感じていた。

 

自分も、そして灰原も、現代(寛知平成)では神童や天才と呼ばれている。

 

だが、目の前の子供たちが語る「始祖・朝陽」の姿は、障害さえも武器に変え、数千年後の国家システムや犯罪組織の礎を築いてしまった怪物だ。

 

(今の情報を聞く限り……オレや灰原の知能を合わせても、到底太刀打ちできない人間……。それが、オレたちの先祖、黒羽 朝陽……)

 

夢の中で彼が言った「私が招いた種」という言葉が、重い鉄塊のようにコナンの心に沈み込んだ。

 

「(……あんたは一体、どれほどの未来を見据えて、あの『種』を蒔いたんだ……?)」

 

教室の喧騒が遠のき、コナンの頭の中には、白銀の空間で静かに微笑む、黒い服を着た始祖の姿が焼き付いて離れなかった。

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