『「三日三晩寝ずに働けないバフ師は無能だ」と追放された俺、前世の敏腕コンサル知識を思い出す。~極悪バフでゾンビ化していた聖女様を引き抜き、世界最強のギルドを設立します~』 作:うずつるぎ
俺はなんて愚かなんだ。
真っ赤に点滅する【神の眼】の警告が視界いっぱいに広がった瞬間、俺は足先から全身の血が引いていくような絶望感に立ち尽くしていた。
湿ったカビの匂いと、鉄錆のような血の香りが漂う薄暗いダンジョンの底で、俺は一歩も動くことができなかったのだ。
「ラルス! なにしてるの! さっさと止血!!」
俺より先に我に返ったルオンが、硬い石床に倒れ伏したティナの傍らへと駆けつけ、赤く染まっていく白銀のインナースーツを必死に押さえ込んでいた。
俺はようやく震える足を動かし、ルオンの背中を追うのが精一杯だった。
「……」
それが、数刻前のことだ。
どれだけ呼びかけても、まぶたを閉じたまま返事一つ返さなかったティナ。死を予感させるほどに青白く、透き通った姿が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
治療院の待合室。
冷たいベンチに座る俺の指先は、今も微かに震えたままだ。
「……馬鹿が」
膝に置いた手を見つめる。
冷え切った床に落ちる己の影へ、低く、呪うように声を零す。
効率を上げ、利益を最大化し、一刻も早くリアナを救い出す。
その目的のために、俺は最も守るべき「仲間の安全」を切り捨てた。
休息を削り、予兆を無視し、ティナの献身に甘えた。
(……これじゃあ、前世の俺と何も変わらないじゃないか)
握り込んだ拳に爪が食い込み、皮膚が裂け、滲んだ血が滲むほどに力が籠る。
前世の俺。
数字だけを追い求め、効率のために部下を使い潰し、最後には、社長として誰からも見放された男。
「社長。あなたは聡明だったのかもしれませんが、私たちはもう、あなたという人間についていけません」
全社員から辞表を叩きつけられ、信頼は灰燼(かいじん)と化した。
会社は倒産し、路頭に迷い込んだ果てに迎えた、孤独な死。
あのクソみたいな最期から、俺は何を学んだというのだ。
俺が今やっていることは、あの時の傲慢さと本質的に何一つ変わっていない。
「どうぞ、中へ」
病室の扉が開く。
先生に促されて入った室内には、溶けた蜂蜜のような柔らかな夕暮れの残光が差し込んでいた。
白いベッドに横たわるティナが、白銀のボブカットを枕に広げ、少し青白い顔でこちらを見ている。
「ティナ……」
俺は彼女の枕元に歩み寄ると、弁解の余地もなく、深く、深く頭を下げた。
「……申し訳ない。俺のせいで、君に無理をさせた。俺の判断ミスだ。一歩間違えれば、君を殺していた……本当に、すまなかった」
病室に、重苦しい静寂が流れる。
影の落ちる壁に寄り掛かったルオンも、薄い桜色の唇をきつく噤んだまま、何も言わない。
俺は、ティナに罵倒されても、愛想を尽かされて見捨てられても、当然だと思っていた。
なのに。
「……ラルスさんに謝られるなんて、なんだか変な気分です」
返ってきたのは、春の陽だまりのような、優しく穏やかな声。
顔を上げると、ティナはどこか困ったように微笑んでいた。
「私は大丈夫ですよ。先生も、明日には動けるって言ってくれましたし。……これぐらい、へっちゃらです!」
それが強がりだと分かっていても、小さな拳を作って笑うティナの健気さに、俺の凍りついた心は救われていた。
「……それより、ラルスさんが判断ミスなんて、珍しいですね。何かあったんですか?」
「それは……」
言い淀む俺の背中に、壁に寄りかかっていたルオンが声を投げかける。
「……話しなさいよ。アタシたち、アンタの『仲間』なんでしょ」
「それはそうだが、これは個人的な話で」
「それとも、隠し事をするのがアンタのよく言う『透明な経営』ってやつなの?」
藤色の髪を揺らし、鋭くも心配を秘めた氷色の瞳で俺を射抜くルオン。
その目は、突き放しているようでいて、相棒としての信頼を求めていた。
「……痛いところを突くな」
俺は観念し、丸椅子に座って、ポツリポツリと語り始めた。
「俺は、ギルド○○に所属している聖女リアナ……リアナを、パーティーに引き抜きたいと思っている」
「リアナと俺は、この街の片隅にある貧しい孤児院の出身なんだ」
彼女は、姉のような存在だった。
孤児院に住まう子供たちを優しさと包容力でまとめて、何もない俺を、いつも笑顔で支えてくれた光。
なのに、今は勇者ゼノンの元で、馬車馬のように働かされている。
「だから、一刻も早く、多額の違約金を支払って引き抜かなければ、彼女の命が持たないんだ」
「姉、ねぇ……」
ルオンがどこか疑わしそうに、睫毛を細めて探るようなジト目で俺を見つめた。
「孤児院、ですか……」
ティナが同情するように眉を下げた。
俺は少し自嘲気味に笑い、窓の外の夕闇に沈みゆく、どこか物悲しい街並みを眺めた。
「この街には孤児が多いんだ。なぜか分かるか?」
「えっと……魔物が多いから、ですか?」
「それもある。冒険者の親がダンジョンから帰ってこなかったりするからな」
「あとはヤリ捨てが多かったり、ね」
「ひゃ、ひゃわっ!?」
ルオンの辛辣な補足に、ティナが顔を林檎のように真っ赤に染めて上体を跳び起こす。
そのいつも通りな俺たちの姿に、俺は思わず、笑みを零していた。
「……そういうわけで、俺はどうしても、急ぎの資金が必要だった。だが、それを理由にティナ安全を損なったのは、経営者として最低の失態だ。本当に、悪かった」
この手は使いたくなかったが、街の貸金業を頼ることにしよう。
尤も、追放されたとの噂が流布した俺にまともな貸金業が手を貸してくれるとは思わないし、頼るのは闇金になるのだろうが。
と、その時である。
ティナがベッドから身を乗り出し、白磁のように滑らかで温かな手を、俺の手に被せた。
潤んだ瑠璃色の瞳が、俺を真っ直ぐに覗き込む。
「だったら……私の貯金、使ってください!」
「……え?」
「わ、私……コツコツ貯めてたんです。ラルスさんがどん底から救い出してくれた時のお礼を、いつかしたくて! 今がその時です!」
「ティナ……」
嬉しいが、流石にそれは受け取れない。
思わず言葉を返そうとした時、ポイと、俺の膝上に投げられる小さな革袋があった。
「……アタシのも、少しは足しにしなさいよ。路地裏にいた時よりは、随分と余裕があるから」
ルオンも、そっぽを向いたまま横目に俺を覗いて言う。
胸の奥が、熱い湯に浸したようにじんわりと温かさに染まっていく感覚があった。
数字や契約だけでは測れない、人としての信頼。
前世の俺が、最も軽視し、そして最後まで手に入れられなかったものが、今ここにはあった。
「……ありがとう。……この恩は、必ず倍にして返す。福利厚生と、最高のボーナスでな」
「そんなのいいわ。デート一回でチャラにしてあげる」
「わ、私も同じくです!」
「そういうわけにはいかない」
俺は預かった金の重みを噛み締め、立ち上がった。
「……よし。行ってくる」
向かう先は、勇者ゼノンのギルド──リアナの捕らえられた、魔王城だ。