『「三日三晩寝ずに働けないバフ師は無能だ」と追放された俺、前世の敏腕コンサル知識を思い出す。~極悪バフでゾンビ化していた聖女様を引き抜き、世界最強のギルドを設立します~』 作:うずつるぎ
自由都市アエテルナの街並みは、休日を謳歌する市民や遠方からの観光客で膨れあがっていた。
広場からは陽気な音楽が流れ、屋台から漂う香ばしい肉の匂いが鼻をつく。
本来なら平和の象徴であるはずのその光景が、今の俺にはひどく不吉な、薄氷の上で踊る狂騒曲のようにしか感じられなかった。
「ルーくん、こっち! こっちの方が早いよ!」
リアナが俺の手を強く引き、裏通りの細い路地へと飛び込んだ。
疾走に揺れる桃色の柔らかな後ろ髪を追う。人混みを避けるための最短ルート。だが、そこは陽の光も届かない、冷たい石壁に囲まれた静寂の世界だ。
俺の心臓が不規則に脈打つ。嫌な予感がする。コンサルタントとしての直感が、この先に待ち構える「致命的なリスク」を告げていた。
その予感は、路地の突き当たりで現実となった。
「――あら。そんなに血相を変えて、どちらへお出かけかしら? ラルス様」
湿った石壁に背を預け、退屈そうに爪を眺めている女がいた。
カミラだ。
昼間の甘ったるい、鼻につくような笑顔はどこへやら。その切れ長の瞳には、獲物を確実に仕留める瞬間の肉食獣のような、冷酷で研ぎ澄まされた殺気が宿っていた。
「……やはり、気づいていたか。俺たちが盗み見していたことに」
「ええ。案外詰めが甘いのね、ラルス様。あんな路地裏でコソコソ話すなんて、わたしを舐めすぎよ」
カミラがスッと背中を壁から離し、腰のレイピアを抜いた。銀色の刃が、わずかに差し込む光を反射して不気味に煌めく。
「バレてしまったなら、もう『可愛い女』を演じる必要もないわね。わたしの任務は、アンタが余計な真似をしないようにここで『処理』すること。……ここから先は、死んでも通さない」
「くっ……!」
俺は支援術師、リアナは聖職者。二人とも後方支援のスペシャリストであり、直接的な戦闘能力は皆無に等しい。
この逃げ場のない狭い路地で、SS級の実力を持つアタッカーと対峙するのは、「完全な詰み」だった。
(だが……やるしかない! 俺が盾になって、一瞬でも隙を作ればリアナだけは……!)
俺は覚悟を決め、震える手で護身用の短剣を抜き、リアナを背後に隠すように一歩前へ出た。
「リアナ、俺が合図したら死に物狂いで走れ! 振り返るな、そのまま協会へ駆け込むんだ!」
リアナは潤んだアメジスト色の瞳を見開き、壊れ物を扱うような、けれど決して離さないという強い力で俺の肩を掴んで言った。
「ルーくん!? ダメだよ、そんなの死んじゃう! 一人で行かせたりしない!」
「フフ、無能なバフ師なりの英雄願望かしら? 哀れね……。さよなら、ラルス様。あちらの世界で、ゆっくり悦にでも浸ってなさいな!」
カミラの細剣が、蛇のようにしなりながら俺の心臓を貫こうと突き出された。
死の感触が、肌を焼く――その瞬間だった。
「――主殿に手出しはさせぬでござるッ!!」
ドロン、という奇妙な音と煙と共に、俺の背後の影から、一筋の漆黒が飛び出した。
「っ……!? な、なにっ!?」
カミラの必殺の一撃を、漆黒の小太刀が火花を散らして弾き飛ばす。
そこに立っていたのは、真っ赤なマフラーを夜風に翻し、琥珀色の瞳を鋭く光らせたマフユだった。
「マフユ……!? どうしてここに!」
「失敬! 実は拙者、昨夜の契り以来、主殿を二十四時間、隠密でお守りしていたのでござる! このマフユは、一寸たりとも離れておりませぬぞ!」
「なにっ……!?」
一点の曇りもない、清々しいまでの満面の笑顔で言うマフユを前に、俺は感謝よりも先に思わず背筋が凍った。
(……それはそれで重大なプライバシー侵害だが、今はこれ以上ない救世主だ!)
「……チッ、あのドジっ子が! 邪魔しないでよ!」
カミラが苛立ちを露わにして再び踏み込む。だが、マフユの動きは昼間とは別人のように洗練されていた。
「カミラ殿……。主殿のホワイトな心を汚そうとする不純分子は、拙者が成敗いたす! 主殿、ここは拙者が食い止めるでござる! 主殿は成すべきことを! さあ、行けぇーっ!」
「……頼んだぞ、マフユ! 死ぬなよ、これは業務命令だ!」
「ははーっ! 御意にござるッ!!」
俺たちは格闘する二人を背に、全力で路地を駆け抜けた。
マフユの「忠義」というアセットが、これほど早く、最高のリターンをもたらしてくれるとは。
俺は自分の採用判断が間違っていなかったことを確信しながら、心臓が破裂しそうな勢いで勇者ギルドへと向かった。
♦♦♦
息を切らせて到着した勇者ギルド『黄金の暁』の館。
だが、そこは不気味なほどに静まり返っていた。
「おい! 開けてくれ!!」
「ゼノンくん、用があって来たの!!」
門番もいなければ、窓の明かりもない。
巨大な館全体が、巨大な墓標のように沈黙している。
俺は扉を殴るように叩く。
「ゼノン! どこだ、ゼノン!! 回答しろ!!」
返ってくるのは、虚しいエコーだけだ。
とそこに、近くに拠点を構える通りすがりの冒険者が現れた。
「勇者ゼノンを探してるのか? アイツなら、結構前に大人数で迷宮に向かってたぞ。なんだか、取り憑かれたような顔してたがな」
「なんだと!?」
第五十層だ。あいつらは、準備も物資も整っていないはずなのに、無理やりボス戦へと向かわされたのだろう。
「マルレーヌが急かして連れて行ったんだわ……。あの子、ゼノンくんたちを最初から帰さない気なのよ!」
リアナの声が恐怖に震えている。
俺は即座に通信魔法のスクロールを起動し、待機していたルオンとティナを呼び寄せた。
「休暇中に済まない。緊急事態だ。ティナ、ルオン、力を貸してくれ!」
「ど、どうしましたかラルスさん! お力なら全力で貸しますよ!」
「いつでも動けるわ。どこに向かえばいい?」
まったく、頼もしい仲間だ。
二人の快い返事に、俺は思わず胸の奥が熱くなるような、誇らしい笑みをこぼした。
「ありがとう! 今すぐダンジョンの入り口で合流するぞ!」
♦♦♦
ダンジョン第五十層。
そこは、通常の生物が存在することを許さない、濃厚な障気と闇に満ちた絶望の深淵だ。
俺は【神の眼】が叩き出す最適ルートを辿り、ダンジョンを地下深くへと下っていく。
やがて、ボス部屋を封印する巨大な黒鉄の扉の前。
その広大な石造りの広場にて、俺たちは目を疑うような惨状を目にした。
「がはっ……、あ、ぁ……」
かつての仲間たちが、無残に地面に転がっている。
その中心で、勇者ゼノンが膝をつき、血塗れの聖剣を杖代わりに、今にも消え入りそうな命を繋ぎ止めていた。
彼らを囲んでいるのは、魔物ではない。
王国の紋章を刻んだ漆黒の鎧に身を包んだ、マルレーヌの「私兵」たち――王国直属の部隊だ。
「アハハ! 惨めねぇ、『最強』の勇者様。お疲れ様、もう休んでいいわよ。その代わり、この自由都市とアンタたちが稼いだ利権は、アタシが美味しく『回収』してあげるから」
マルレーヌが、倒れたゼノンの頭を踏みつけようと、嘲笑と共に足を上げる。
ゼノンは当惑と絶望に満ちた、焦点の合わない濁った瞳でマルレーヌを見上げていた。
「……なぜ……だ……、マルレーヌ……。お前は……仲間を……紹介してくれた……はずじゃ……」
「仲間ぁ? それはアタシの私兵よ。アナタを確実に殺すための、ね」
蛇のように冷たく、嗜虐的な悦びに満ちた笑みを作るマルレーヌを前に、ゼノンは絶句していた。
そこへ精神的なトドメを刺すようにマルレーヌは続ける。
「アンタと仲のよかったバフ師に呪いをかけて、仲違いさせたのもアタシ。アナタたちが壊れていくのを見るのはとっても楽しかったわ、勇者様」
マルレーヌが満身創痍のゼノンの頬を蹴り飛ばした。
瞬間、ゼノンの瞳から黒い霧が晴れ、衝撃で呪いが揺らいだ。
「…………が、あ…………、あ、ああああああああああああああああッ!!!」
ゼノンが激しく血を吐き出し、その瞳にかつての澄んだ青い光が戻る。
あいつは信じられないものを見るかのようにマルレーヌを見つめ、震える唇を動かした。
「て……てめえええ!!」
「それじゃあさようなら、勇者様。ゴミ箱がお似合いよ」
怒りで踠くゼノンへと、マルレーヌはトドメの魔法を発動させようとして――だが。
「――そこまでにしてもらおうか。マルレーヌ!!」
俺の叫びと共に、ルオンのバリスタから放たれた極太の杭が、マルレーヌの足元を爆砕した。
「な、何者っ!? この階層にまで追ってこれるパーティーがいるなんて……!」
俺たちは悠然と、ボス前の広場へ踏み入った。
「ギルド『白銀の黄昏』だ。これ以上の好き勝手はさせないぞ!」
「ふん。ようやく気がついたのね。でも、アタシの私兵に勝てるかしら?」
マルレーヌの合図で私兵たちが一斉に飛び出す。
対するティナも銀色の旋律となって飛び出し、暗殺者たちの攻撃を完璧に撥ね除けながら、ゼノンを守るように盾を構えた。
その刹那、俺はゼノンの元へと肉薄した。
ゼノンは地面に顔を伏せたまま、溢れ出す後悔と自責の念に押し潰されそうなほど、激しく肩を震わせて項垂れていた。
「……ラル……ス……。俺は……俺は……なんてことを……。お前を、あんな風に……。俺は、アイツの言いなりになって……」
「反省会は後だ。まずはリアナに治療してもらえ。お前の剣が必要なんだ」
俺はゼノンを支え、力強く立ち上がらせた。
その頃には、目の前はティナとルオンの独壇場である。
計画を根本から台無しにされたマルレーヌが、髪を振り乱して鬼のような形相でこちらを睨んでいた。
「……小癪なバフ師がぁっ!! まさか、アタシの最高傑作を解くだなんて……!! 許さない、絶対に許さないわよ!!」
「お前の『戦略方針』は、最初から欠陥だらけだったんだよ、マルレーヌ。……さて、大掃除の時間だ。おとなしく捕まってもらうぞ」
ルオンのバリスタが次弾を装填し、ティナの盾が鋭く光る。
遅れて駆けつけたマフユも、カミラを制圧した小太刀を手に俺の隣に並んだ。
「くっ……まさかアンタがここまでやるなんて……想定外だったわ!!」
前方は俺たち。後方はボス部屋。マルレーヌたちに退路はない。
追い詰められたマルレーヌはジリリと後ずさりし、悔しそうに唇を噛み締める。
しかし次の瞬間、彼女は狂ったように笑いながら――。
「アハハ! だったら追ってきなさい! この部屋の主(ボス)――『終焉を喰らう者』に、全員まとめて胃袋の中で和解させてあげるわ!!」
「なに!?」
マルレーヌとその私兵は、背後の巨大なボス部屋の扉へと逃げ込んだ。
重厚な扉が轟音と共に閉まる。深淵の底から、この世のものとは思えない地響きのような咆哮が響き渡った。
(その手があったか……!)
マルレーヌは私兵と共にボスを盾にして時間を稼ぎ、そのまま別の脱出口から地上へ逃げ帰るつもりだろう。
この手を打たれてしまっては、みすみす奴を逃すことになる。
自由都市の未来のためにも、それだけは避けなくてはならない。
行くか、退くか。
その判断に迷い、立ち尽くしていたところ、そっと俺の手を柔らかくも確かな体温を持った手が包んだ。
「行くんでしょ。付き合うわよ。……脚の契約は、まだ終わってないんだから」
見上げれば、いつものように不敵で、けれど信頼に満ちた瞳で笑うルオン。
それに続くように、ティナ、マフユも俺の手にそっと手を重ねる。
「俺は、本当に仲間に恵まれたな」
思わず笑みをこぼしながら、俺は皆を見回した。
「……行くぞ、みんな。S級冒険者になるときだ。最高の勝利を用意してやる。……これが、俺たちのギルドの『初仕事』だ!!」
ボス前広場に響く、勝利を確信した気合の合唱。
今、最強のホワイトギルドが、深淵の絶望を打ち砕くために扉を開いた。