『「三日三晩寝ずに働けないバフ師は無能だ」と追放された俺、前世の敏腕コンサル知識を思い出す。~極悪バフでゾンビ化していた聖女様を引き抜き、世界最強のギルドを設立します~』 作:うずつるぎ
巨大な黒鉄の扉が閉ざされ、その向こう側から響く咆哮。
かつての俺なら、この扉を開ける前に完璧なリスクヘッジと撤退路の確保を最優先していただろう。
だが、今の俺の背中には、俺を信じて武器を構える最高の仲間たちがいる。
そして、この奥には、俺たちの人生を狂わせ、この街を飲み込もうとする「巨大な負債」の元凶がいる。
「……行くぞ」
俺が扉に手をかけ、全魔力を込めて押し開いた。
その瞬間に立ち込めたのは、鼻を突く濃厚な硫黄の臭いと、焦げ付いた鉄の香り。
そして、耳を突き刺すような阿鼻叫喚の叫び声だった。
「ひ、ひぃっ……! 助けて、助けてくれぇっ!!」
「魔法が効かない!? バカな、俺たちは王国の精鋭部隊だぞ……!」
眼前に広がるのは、神話の終焉を体現したような光景だった。
広大な円形の闘技場。その中心に鎮座していたのは、山と見紛うばかりの巨体を持つ古の龍――第50層の主『終焉を喰らう者(ジ・エンド・イーター)』。
マルレーヌが連れ込んだ王国の私兵、その精鋭たちは、羽虫のように次々と叩き潰されていた。
龍のブレスが石畳を一瞬で溶解させ、巨大な尾の一振りが、重装甲の騎士たちをただの肉塊へと変えていく。
(バカな……いくら階層ボスとはいえ、規格外の強さだぞ……!)
まるで、蟻たちが恐竜へ歯向かうような無謀な光景だ。
この最深部という極限環境において、絶望が物理的な圧力となって俺の肌を刺す。俺は思わずその場に立ち竦み、息を呑むことしかできなかった。
「な、なによ……なんなのよこの化け物はッ!!」
マルレーヌが、金切り声を上げて絶叫した。
彼女が放つ最高位の攻撃魔法さえ、龍の漆黒の鱗に弾かれ、虚しく火花を散らすだけ。
マルレーヌは激情に染まった緋色の瞳をはち切れんばかりに見開き、瞳孔は狂気の色を帯びて、どす黒く血走っていた。
「アタシが……このアタシが、こんなところで終わるわけにはいかないのよ! 自由都市を壊滅させ、王都へ凱旋して、アタシがこの国の実権を……!!」
その醜い欲望に満ちた叫びを遮るように、龍の尾が死神の鎌の如くしなった。
ドォォォォン!!
回避する暇も、障壁を張る余裕さえなかった。
マルレーヌはゴミ切れのように吹き飛ばされ、闘技場の端にある石壁に激突する。
崩れ落ちた大量の瓦礫の中に、その傲慢な野心ごと、その身を埋没させた。
「お、おい。マルレーヌ様がやられたぞ!?」
「ど、どうする! もう終わりだ!!」
「俺は逃げさせてもらうぞ!」
主を失った私兵たちは、もはや統制を完全に失った。
逃げ惑い、背中を向けた者から順に喰われていく。その凄惨な光景に、ティナが青ざめた顔で俺の服の袖を掴んだ。
「ラルスさん……これは、もう……」
だが――ここでやらねば、次に龍に蹂躙されるのは、俺たちだ。
やるしかない。
俺は瞼を綴じ、一度だけ大きく息を吸い込んだ。そして、混沌に包まれた円形の闘技場に、腹の底からの大声を響かせた。
「――野郎ども! 死にたくなかったら、俺の指示を聞けッ!!」
絞り出した俺の声が、戦場を震わせる。
逃げ惑っていた騎士たちが、驚愕して俺を振り返った。
「誰だ、お前は……!」
「冒険者! なぜここに入って……!」
「貴様の指示なんぞ!!」
「言ってる場合か! このままだと一分以内に全滅するぞ!! 俺が臨時で指揮を執ってやる! 左側の重装歩兵、盾を重ねて回廊を作れ! 死にたくなければ隣の奴と肩を合わせろ! 右の弓兵は高台へ移動! 射撃ではなく、龍の右目に注意を引きつけろ!!」
【神の眼】が弾き出す、生き残るための最短ルート。
俺の的確な指示が、パニックに陥っていた兵士たちに新たな「役割」を与えていく。
「た、隊長! どうします!!」
「チッ……どうもこうも、やるしかないだろう!! 冒険者のガキに従え!!」
バラバラだった歯車が、俺の言葉一つで噛み合い始める。
その場に、死を覚悟した男たちの、一体感のある地を這うような掛け声が響き重なった。
「ティナ、正面からヘイトを奪え! 龍の意識を固定しろ! ルオン、龍の翼の付け根、関節の隙間に杭を打ち込め!! マフユ、遊撃! 漏れた攻撃を兵士たちに届かせるな!」
「はいっ!! まかせてください!!」
「了解。……一発で、黙らせてあげるわ」
「御意にござるッ! 主殿の周りは一歩も通さぬでござる!」
ティナが銀色の閃光となって龍の足元を舞い、攻撃を紙一重でかわし続ける。ルオンのバリスタが轟音と共に龍の飛行能力を奪い、マフユが影のように兵士たちをサポートする。
そして兵士たちが、勇気を振り絞って龍へと波状攻撃を仕掛ける。
「い……いける! 勝てるぞ!!」
戦場に、かつてない良好な循環が流れ始めた。
だが、それでも……。
(……不味いな。根本的な『決定力』が足りていない)
俺は【神の眼】で龍を捉えながら、思わずこめかみを叩く。
『終焉を喰らう者』の生命力は規格外だ。
私兵たちの攻撃では、皮膚を焼くことはできても心臓には届かない。このままでは疲弊が蓄積し、戦況はじりじりと悪化するだろう。
現に、龍の咆哮一回ごとに、兵士たちがその圧力に耐えきれず気絶し始めていた。
防衛線は確実に薄くなっている。
(……アタッカーが、足りない。龍の逆鱗(コア)を貫く、絶対的な『武』が……!)
そのキーを担えるシルエットは、もはやアイツ以外に考えられない。
だが、俺があの時、自らの手で切り捨ててしまった相棒は――。
俺が冷や汗を流しながら、次の一手を計算し直していた――その時だった。
「――待たせたな。……ラルス」
背後の通路から、空間を裂くような重苦しい斬撃の波動が響いた。
その一撃は、兵士たちが手出しできなかった龍の右翼の付け根を深く貫く。
龍が初めて、明確な苦痛の雄叫びを上げた。
振り向くと、そこには薄ピンクの髪の聖女リアナに肩を貸されながら、血塗れの体で立つ男の姿があった。
勇者ゼノン。
全身を鮮血に染め、黄金の聖剣はあちこちが欠け、無残に折れかけている。だが、その瞳に宿った光は、呪いが解け、真の目的を思い出した者の「熱さ」を宿していた。
「……ゼノン! お前、無事だったか!」
「お前を見捨てるには、まだ俺の『ツケ』を払いきれてねぇからな。……それに、お前を追放した時のあの顔……あれを思い出すたびに、死んでも死にきれねぇんだよ」
ゼノンは、震える手で俺の肩を掴んだ。その視線は、俺の指先に向けられていた。
「ラルス……頼む。俺に……あの『不眠バフ』をかけてくれ」
「……っ!?」
「三日三晩戦った後の、あの地獄の感覚だ。……今、俺の身体はピクリとも動かねぇ。リアナに治療してもらったが、失った血はすぐには戻らねぇんだ。……だから、魔法で俺の脳を焼いてくれ。痛みを消し、恐怖を消し、この折れそうな心を無理やり立たせてくれ!」
ゼノンの鬼気迫る、決死の覚悟を宿した青い瞳を前に、俺は言葉を詰まらせ、視線をそらした。
「……断る。俺はもう、二度と仲間にあんな魔法は使わないと決めたんだ」
違う。本当は。
俺は、またコイツと仲違いし、大切な友を壊してしまうことが、恐ろしいのだ。
小刻みに肩を震わせている俺の様子を察したのか、ゼノンはどこまでも晴れやかで、混じり気のない信頼に満ちた笑顔で、俺に手を差し出した。
「これは、俺の『我儘』だ。……そして、俺からの仲直りの証だ。俺はあんなに酷いことをした。お前の優しさを踏みにじった。……このままじゃ、俺は一生、お前に顔向けできないんだよ。最後の一回、俺の『勇者』としての意地を……ラルス、お前に預けさせてくれないか?」
その笑顔はまさしく、かつて孤児院で、俺を初めてパーティーに誘ってくれたあの日のゼノンとそっくりだった。
俺の震えは、もう止まっていた。
「…………わかった。……この魔法をかけるのは、今日が最後だ。……二度と欠員を出さない、最高の勝利を掴むためにな」
俺はゼノンの背中に手を置き、魔力を極限まで練り上げる。
俺自身の身体も悲鳴を上げているが、神の眼が導き出す「勝利への数式」には、今、この勇者の一撃が必要不可欠だった。
「【不眠不休の活力(エターナル・フォース)】――リミッター、完全解除!! 全リソースを、勇者の『一撃』に全集中させろッ!!」
山吹色の猛烈な輝きが、ゼノンの全身を包み込む。
疲労も、出血も、死への恐怖も。すべてが魔法の炎に飲み込まれ、純粋な闘争心へと変換されていく。
「……あ、ああ……これだ……これだよラルス! 体が軽い……!! 全身の神経が、剣と繋がってるみたいだぜ!!」
ゼノンが吠え、聖剣が眩い光を放ち始めた。
俺たちのパーティー、そのパズルの最後のピースが、今、完璧に嵌まったのだ。
「――総員、第2の戦略開始だ! 勇者ゼノンが一撃を叩き込む環境を、死ぬ気で作り出すぞ!!」
戦闘は、もはや一方的な「演武」へと変わった。
俺の【神の眼】が示す龍の隙。ティナがその巨体を引きつけ、ルオンが鱗の一部を貫き、爆ぜさせる。
マフユが龍の足元に撹乱の煙幕を張り、リアナが傷付いた兵士たちを癒やし続ける。
そして、その中央を。
黄金の光を纏ったゼノンが、音速を超えて一筋の雷光となり、突っ込んだ。
「おおおおおおおッ!!」
龍の胸部。漆黒の鱗の下に隠された、不気味に赤く脈打つ逆鱗。
だが、龍もまた、死の間際の猛反撃を試みた。全身から漆黒の雷を放ち、周囲を吹き飛ばそうとする。
「クソッ……あと一歩、崩しが足りないか……!?」
ゼノンの剣が届く寸前、龍の防御膜が強化された。
このままではゼノンが障気に飲まれる。
「ゼノン、退け! 雷に喰われるぞ!!」
その絶望的な状況に、反射的に手を伸ばそうとしたその時――。
「アタシを……。アタシを、舐めるんじゃないわよクソ龍がぁぁぁぁぁッ!!」
瓦礫の山が内側から弾け飛んだ。
血塗れの、普段の優雅さを完全に捨て去り、狂気に憑かれたマルレーヌが立ち上がったのだ。
龍の攻撃でプライドを粉々にされた彼女は、もはや王命も工作も忘れ、ただ目の前の龍への怨嗟だけで魔力を暴走させていた。
「アタシが一番なのよ! アタシが支配するのよ! 地獄に堕ちなさい、このトカゲ野郎がぁぁッ!! 『終焉の劫火(ジ・エンド・フレア)』!!」
マルレーヌが放った最上位崩壊魔法。
その禍々しい黒炎が、龍の強固な防御膜を、紙細工のように易々と食い破った。
「――今だ、ゼノンッ!!」
「いっけえええええええええッ!!!」
ゼノンの聖剣が、剥き出しになった龍のコアへ、真っ向から突き立てられた。
――その一瞬。世界から音が消えた。
龍のコアから放たれた純白の光が、地下の闇をすべて塗り潰す。
古の龍は、断末魔の声すら上げることなく、その巨体を粒子へと変えて霧散していった。
第50層、最深部。
長きにわたり人類を拒んできた絶望の淵に、まばゆいばかりの勝利の光が、静かに、だが力強く満ち溢れる。
静寂。
そして次の瞬間――。
「「「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」」」
地響きのような大歓声が、ダンジョンの天井を揺らし、階層全体へと響き渡った。
「ラルス殿ぉぉぉぉ!! 無事でござるかーっ!」
「やりましたね! ラルスさん!! 私、一回も当たりませんでした!」
「……」
マフラーに躓きながらこちらへ飛び込んでくるマフユ。
同じく駆け寄り、全身で抱きついてくるティナ。
少し迷った末に、恥ずかしそうに視線をそらしながらも、そっと隣に並んで俺に細い肩を預けてくるルオン。
ここは天国なのだろうか。
リアナはそれを少し離れた場所から、慈愛に満ちた柔らかな眼差しで、微笑ましそうに眺めていた。
「ふふっ。みんな、嬉しそうだね」
と、そこに聖剣を杖にした長い影が伸びた。
見上げると、その顔は傷だらけだったが、俺がかつて惚れ込んだ「相棒」の、晴れやかな笑顔がある。
「ラルス……。最高だぜ……お前の支援。……また、お前と一緒に戦えてよかった」
「……ああ。最高のパフォーマンスだったぞ、ゼノン」
俺は、差し出されたゼノンの震える手を、力強く、二度と離さないという意志を込めて握り返した。
完全なる勝利。
そして、失われた絆の再構築。
俺たちの新しいギルド『白銀の黄昏』が、自由都市の、いや、この世界の歴史を塗り替えた瞬間だった。