『「三日三晩寝ずに働けないバフ師は無能だ」と追放された俺、前世の敏腕コンサル知識を思い出す。~極悪バフでゾンビ化していた聖女様を引き抜き、世界最強のギルドを設立します~』 作:うずつるぎ
――浮遊感。
ルオンがまず感じたのは、背中に吹き付ける空気だった。
視界が激しく上下し、藤色の視界が闇に塗り潰される。
気が付くと背中に冷たい石床の感触がぶつかり、己の身体が玉のように跳ね転がっていた。
「……っ、が……はっ!」
受け身も取れず、肺から空気が押し出され、呻きながら顔を上げる。
そこは、青白い燐光が漂う広大な空洞だ。
ルオンは側に落ちたバリスタを手繰り寄せ、氷色の瞳を細めながら、底の見えない暗闇を伺う。
「隠し……エリアね」
自由都市アテルナのダンジョンには、稀に階層の狭間に『隠しエリア』が存在する。
そこは遺物が眠る宝庫だ。
しかし同時に、その階層の常識を超えた怪物が棲まう「死の部屋」でもある。
「……ヒュルルル」
「……最悪」
そして、運悪く、そこは、その場所の主である深淵の巨蛇『ブラック・サーペント』の寝ぐらだった。
「シュー……シュー……」
自らの頭部より巨大な、濁った琥珀色の爬虫類の瞳が、冷たく埃と傷だらけのルオンを映す。
青ざめた細長い舌が、獲物を見定めたようにチロチロと口元を出入りした。
巨大な質量がゆっくりと起き上がる。
地響きと共に近づいてくる、鱗が石を削る死の這いずる音。
ルオンは大蛇から逃れるべく、立ち上がろうとして――。
「……ッ!!」
右膝を走る焼けるような痛み。
思わず足を抱えて、石のように動かなくなる。
大蛇が口を開いてこちらへ急接近した。
ルオンは半ば転がり込むように床を這い、回避。大蛇の湿った鱗に包まれた巨大な肉体が、頬のすぐそばを通り抜けていく。
「こんな……ところでっ……!」
ルオンは必死に立ち上がろうとした。
だが、ここぞという時に、脚が言うことを聞かない。
壁を突き破った大蛇が瓦礫をかき分け、再びこちらへ鎌首をもたげる。
「動けよ……!」
思わず零れ落ちた悪態。
ルオンは奥歯を食い縛り、右膝を乱暴に叩く音を、静寂に支配された虚無の空間へ響かせた。
「動きなさいよ……クソ脚!!」
大蛇の無機質で底冷えする瞳は、弱った獲物を遊ぶように見つめている。
あの日々の苦渋が、脳裏を駆け巡る。
『紫電の連射手ルオン』
かつては戦場を疾風のように駆け抜けていた。
だが、ある日突然、右膝に違和感が走った。
「これは骨の病でしょうね。魔法で治るものではありません」
医師からの冷たい死の宣告。
脚を骨の病が蝕み始めた。
なんでアタシが。他にもっとどうでも良い人は、いるはずなのに。
次第に走れなくなった身体。
仲間についていくことが難しくなる日々。
冒険者として同じ道を歩いていたはずなのに、その背中が、遠く思える。
手を伸ばしても、追いつけない。
「ルオンちゃん、大丈夫? ほら、ゆっくりでいいよ」
なのに、仲間はいつも振り返って、優しい笑顔で手を差し伸べてくれる。
その優しさは毒のようにアタシの心を蝕んだ。
だって、連射手としての実力を発揮できなくなった自分は、本当はもう用済みなんじゃ──。
「だから……冒険なんて、大嫌いになったのに……っ!」
喉の奥から悲鳴のように洩れ出した自らの細い声。
ルオンはその場に崩れたまま、膝を強く叩き、迫り来る怪物の咢を見上げた。
「しゅるるる……!!」
気が付けば、栄光の頂点から、奈落の路地裏へ。
退廃的な生活に身を沈め、自分の価値を切り捨ててきたあの日々。
アタシは逃げ出したのだ。
仲間から。優しさから。温もりから。
そうだ。
だって、本当に嫌いだったのは、冒険でも仲間でもなくて──。
「――違うだろっ!!」
大蛇が丸呑みしようと口を開いて飛び掛かったその時、その叫びと共に、影が飛んだ。
「ラル、ス……!?」
土埃に汚れ、ボロボロになったローブを翻した影が、アタシを抱きかかえてその場を横切る。
そのまま地面を転がり、大蛇の牙を紙一重で回避した。
見上げると、額から鮮血を流した青年がアタシを抱きかかえたまま床に転がっている。
ラルスは血を拭う間もなく、ゆっくりと立ち上がって大蛇の真正面に立った。
「な、なんで……アンタ、戦えないでしょ! 逃げて! 殺されるわよ!」
ラルスは振り返り、煤けたアッシュブラックの髪の隙間から、鋭い琥珀色の瞳をルオンへと真っ向から射抜いた。
「君は、冒険が好きだろ! そうじゃなきゃ、バリスタを握ってあんな風に笑ったりしないはずだ!」
「っ……!」
「脚が悪いのが負い目か! 同じ歩幅で歩けないことが怖いか! だがな、人間なんてそんなもんだ。誰だって、一人じゃ生きられない!」
ラルスは叫びながら、ルオンの代わりにターゲットを奪い、逃げ場のない絶壁を駆ける。
だが、彼は支援術師。回避の才能はない。
「ぐ……ぅ……!」
大蛇の突風に煽られ、壁に激突し、掠める攻撃だけで装備はボロボロになっていく。
それでも、彼は自身に山吹色のオーラを纏いながら、魂を振り絞って必死に躱し続けている。
「俺だってティナを頼っている! そしてルオン……お前も、その一人なんだよ! お前という最強の矛(アタッカー)がいるから、俺たちの道は拓けるんだ!」
「お互いの長所を持ち寄って、足りないところを補い合う。それが『パーティー』っていう組織だろうがっ!!」
胸の奥で燻っていた火種が、一気に熱を帯びる。
ぽたりと、目尻から溢れて石床を濡らすものがあった。
ラルスの真っすぐな瞳が苦しくて、自らの思いが薄汚く思えて。
ルオンは喉を引き攣らせながら、石床に向かって声を叫ぶ。
「違う……違うの! アタシが嫌いだったのは、逃げ出したアタシ自身で──」
大蛇が再び、アタシを睨んだ。
死の一撃が、アタシを粉砕せんと振り下ろされる。
でもそれでいいと思った。
アタシはアタシが一番嫌いだったから。
だからこのまま──。
「──ルオン!」
喉が裂けそうなほどに大きな声。
思わず振り向く。
ラルスがこちらへ駆けている。
必死な、それでいて一点の曇りもない眼差しで真っ向からアタシを見つめている。
「だったら俺を好きになれ!」
どくりと、心臓が揺らいだ。
「俺を信じろ! お前が自分を好きになれる、その日まで!」
彼は擦り傷でボロボロになった熱い手を、精一杯に伸ばした。
「だから、俺を信じるならこの手を掴めっ!!」
「…………っ!!」
気が付くと、ルオンは自分から、その熱い手を握りしめていた。
ごつごつと青年らしい手つき。ぐっと力強く引き寄せられる身体。
ラルスに細い身体を強く抱き寄せられて、大蛇の牙を回避する。
頬が、熱い。
ラルスは傷だらけの顔を晴れやかに綻ばせて、少年のように不敵に笑った。
「よし。これから、俺がお前の『脚』になってやる」
♦♦♦
なんとかルオンを救出できた。
彼女の落ちた大穴を追って隠しエリアに入り込んだのが功を奏したか。
しかし、状況は依然として良くない。
俺は神の眼を発動し、大蛇を視る。
【対象:深淵の巨蛇ダーク・サーペント】
【危険度:S】
【状態:憤怒。機動力・攻撃力共に極めて高い】
今は俺の支援魔法で無理やり身体を動かしているが、いつまで持つか。
俺は、俺の身体に張り付いたまま動かないルオンを横抱きし、大蛇から背を向けた。
「まずはバリスタを回収するぞ! 俺がルオンを狙撃ポイントに連れていく!」
その言葉にハッと瑠璃色の光を帯びた瞳を見開いたルオンは、思い出したように俺を見上げる。
そして背後から猛スピードで迫る大蛇を覗き、慌てて言った。
「で、でもアイツはどうするのよ!」
そうだ。バフをかけた俺の脚でも、大蛇の速度は振り切れない。
だから──。
「――お待たせしましたっ!!」
上層から飛び降りてきたティナが、小型の円盾を大蛇の脳天に喰らわせる。
重力を纏った衝撃だ。大蛇が怯んで悲鳴を上げた。
「ティナ! 頼むぞ!!」
「うぅ。すみません! 怖くてなかなか跳び下りれなくて……!」
銀色の閃光。
回避タンクによる完璧な挑発が、大蛇の注意を俺たちから逸らす。
「どうだ? ここまでが計算通りさ」
俺はルオンをバリスタの近くに下ろし、ニヤリと笑う。
ルオンは細い、白磁のように滑らかな右手を俺の手のひらに乗せたまま、きゅっと掴んで俺の瞳を覗き上げた。
「……アタシが、アンタの手を掴んだのも?」
「それは賭けだった」
「だから、手を掴んでくれて、ありがとう」
「……」
ルオンはそっぽを向いたまま、何も言わなかった。
「ルオン。撃てるか?」
「……当たり前でしょ。アタシを誰だと思ってるのよ」
ルオンの瞳には、もう迷いも絶望もない。
ただ、獲物を射抜く狙撃手の、鋭くも美しい光が宿っている。
「アタシは──アンタのパーティーの狙撃手。そうでしょ?」
ドォォォォン!!
ラルスの腕に支えられ、ルオンが放った渾身のボルト。
それは大蛇の喉元を真っ向から貫き、巨体を沈黙させた。
♦♦♦
数時間後。
「22層と23層の間に、隠しエリアですか……!?」
「ギリギリの闘いで探索はまだできていないが、そうだ」
受付嬢ミリアが、その顔に驚愕を露わにする。
隠しエリアの発見と、ボスの討伐。
その報告を受けた冒険者協会は、文字通り震撼していた。
「おい、あのラルスたちが……隠しエリアを見つけて主を倒したってのか?」
「嘘だろ……?」
騒然とする協会を、俺たちは静かに後にした。
夕焼けの赤が、アテルナのどこか幻想的な白亜の街並みを染め上げている。
「……ねえ。肩、貸して」
ルオンが、不器用そうに俺の袖を引いた。
「どうした? まだ脚が痛むのか?」
「……アンタがアタシの脚になるって、言ったんでしょ。契約は、これからなんだから」
ルオンはそう言って、俺に肩を預ける。
夕映えに染められたせいか、彼女の頬はほんのりと赤く、そして最高に愛らしい笑みを浮かべていた。