タイトルの通り。
ハナミズキ聴いたんですけど、私も脳焼かれましたね。

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先生ボイスのハナミズキ聴いたんですよね。
こんなん配信で歌われた暁にゃ、脳みそ溶け切っちゃいます。


先生の『歌ってみた』で脳破壊

先生の歌ってみた。

 

月末のシャーレというのは、

だいたい静かに忙しい。

 

静か、というのはオフィスまで銃声が飛んでこないという意味であって、決して平和が維持される…という意味ではない。

 

机の上には書類が積まれ、

端末にはまだ読めていない報告が並び、

手元のコーヒーは気付いたら冷めている。

 

つまるところ、いつも通りの月末だった。

 

ひと区切りついたところで、私は小さく息を吐いた。

ペンを置いて、背もたれに体を預ける。肩が少し重い。こういう時は、ほんの少しだけ別のものを見て頭を休めたくなる。

 

「……五分だけ…そう、五分だけ休憩しよう」

 

誰に言い訳するでもなく呟いて、私は端末の画面を指で流した。

ニュース、広告、特売情報、各学園からの連絡。

そういうものの合間に、趣味の新商品情報が混ざってくるのは、たぶん現代における狩人的な罠なのだと思う。

 

そして、今日もその罠は正確に私を捕まえた。

 

「……お」

 

思わず指が止まる。

 

画面の中央に、妙に堂々とした商品画像が表示されていた。

 

 新発売 超合金1/200 ビナーちゃん

 

「……いや、ちょっと待って」

 

私は思わず眉間を押さえて、スゥーと息を吸い込む。

そして天井を見上げた。

見間違いじゃない。

どう見ても砂漠でお会いしたことのあるビナーさんだ。

あの威圧感のある巨体が、妙に無駄に気合の入った立体物になっている。

しかも、変なところだけやたら精密だ。

なんでそんなところに本気を出したのかな、開発陣は。

てか誰が作ったんだ、これ。

 

疑問を挙げればキリがない。

 

「……でも、ほしいなぁぁぁ!」

 

私は商品画像を拡大した。

 

 270度の防塵仕様で関節可動…!!

 20色の発光ギミック搭載ッ!?

 専用台座付きィィィ!?(アビドス産砂同梱)

 

商品紹介文のテンションがやたら高い。

 

「いや、ずるいな……。イカす専用台座ついてるの、ずるいだろう……」

 

絶妙に心をくすぐる仕様を並べられると、人は弱いのだ。

 

そして私の心は、もっと弱かった。

 

「……もうちょっと見るだけ、見るだけだから」

 

そう言って価格欄を開く。

 

次の瞬間、私は静かに画面を閉じた。

 

「わーお⭐︎……いやたっかっっっ!!」

 

休憩時間の執務室に、思ったよりしっかり響いた。

 

 いや、高い。

高すぎるだろう、これは。

超合金って、押し並べてそういうものなんだろうけど、そういうものだとしても高い。

 

 この値段は、“ちょっと仕事頑張ったご褒美”ではなく、“かなり頑張った自分への説得が必要”だ。

 

「うわあ……ほしい。いやでも高い。すごくほしい。でも高い……」

 

人は欲望と現実の狭間で、ここまで見苦しく揺れることができる。

 

私は端末を机に置いて、こめかみを押さえた。

 

今月は備品も買ったし、生徒への差し入れも多かったし、今飲んでるコーヒーだって、補充がそろそろ必要だ。

ここでビナーくんに手を出すのは、冷静に考えてだいぶ違う。

 

「……今月、ちょっとお金苦しいな」

 

誰に聞かせるでもなく呟いた、その時だった。

 

 机の上に置いていたシッテムの箱が、ぴこん、とやけに元気な音を立てた。

 

「先生先生先生!」

「先生…先輩に聞こえてしまいましたね」

 

本当に、ただの独り言だった。

ほんの少しだけ、財布の中身に現実味がなくなってきたことへの、ささやかな愚痴をこぼしただけ。

空気に溶けて、それで終わるはずの一言。

 

そのはずだったのだけれど。

 

画面がふわりと明るくなって、アロナがずずいっと前に出てくる。

 

「いや、そんな“事件発生”みたいな反応しなくていいよ…」

 

「資金難ですよね!?」

 

「聴いちゃいないね…」

 

「アロナ先輩、もう少しこう……コーヒー豆を買うお金も無い、とか、かわいく言ったほうがいいかと…」

 

「それも重大案件じゃないですか!?」

 

「そこは否定しづらいのが悔しいな……」

 

私はペンを置いて、机の端に寄せていたレシートを軽くめくった。

 

備品の補充、生徒への差し入れ、壊れた文具の買い替え、ついでに買ったお菓子、ついでに買った雑貨、ついでの顔をした予定外出費がいくつか。

 

どうして“ついで”というのはかくも財布に厳しいのだろう。

 

「今月は…出費が少し重なってね。まぁ…生きるのに困るほどじゃないんだけど」

 

「…でも困ってはいますね?コーヒー豆も買えないんですよね??」

 

「肯定、確かに先生の財布は悲鳴を上げています」

 

「二人で私の懐事情を実況しなくていいよ」

 

するとアロナが、待ってましたとばかりに小さなウィンドウをぴょんと開いた。

 

そこに表示されたのはクロノス報道部の記事。

そこに書かれている文字列を見て、私は早くも嫌な予感を覚える。

 

 今、話題! 歌ってみた配信!

 

「最近は歌ってみたっていうのが人気らしいです!」

 

「再生されたら広告などから収益が発生する場合があります。またリスナーからのスーパーチャットもあります」

 

「どうしてお金の話から急に配信者業界に飛ぶのかな…?」

 

アロナは得意げだ。

プラナは落ち着いているが止めてくれない。

 

「それに……私の歌なんか聴く人いるかな?」

 

「少なくとも私たちは聴きたいですよ?ね、プラナちゃん?」

 

「肯定」

 

 私は苦笑しながら、シッテムの箱を手元に引き寄せた。

 画面の中の二人は完全にその気で、すでに“先生の歌ってみた計画”なる雑なタイトルでホワイトボードまで用意している。

 

「いや、待って。仮にやるとしても…歌ってみたって、そんな簡単に始められるものなの?」

 

「そこはスーパーAIの私たちお任せあれ……と言っても、配信は抽選制みたいです!」

 

「まずは応募だけしてみましょう」

 

「応募だけなら無料です」

 

二人はよほど私に歌わせたいらしい。

 

「もしかして先生は、歌うの嫌ですか?」

 

「嫌、というより……向いてないんじゃないかなって」

 

「そんなことありません!!」

 

私の配信に需要は無い。

それをわかっているから、私は少しだけ躊躇っていた。

 

けれどアロナは、そういうこちらの逡巡を見越したみたいに、少しだけ声を落とした。

 

「たぶん、先生の声を聞いて安心する人、いっぱーいいます!」

 

プラナが続ける。

 

「先生が思っているより、先生の声は優しいんです。間違いなく」

 

「……そう言われると、逆に緊張するなあ」

 

「では、とりあえず応募だけしときましょうね!」

 

「あ、そこにゴリ押すんだね…」

 

私は肩を落とした。

この二人は本当に、押す時だけ妙に手際がいい。

 

顔出しなし。

音声のみ。

雑談メイン。

最後に歌うかどうかも自由。

 

二人からそのように説明されると、なんだか“できなくはないかも”という気持ちになってくるから不思議だ。

 

「……ま、当選したらだからね?」

 

「はい!」

 

「はい、ではこちらのご入力をお願いします」

 

そう言われながら、私はシッテムの箱に表示されたフォームへ必要事項を入力していく。

 

 名前は……シャーレの先生でいいか。

 やるのは…雑談メインの音声配信かな。

 特技欄は、空欄にするのもどうかと思って…“相談を聞くこと”とだけ書いた。

 

「…先生」

 

「うん?」

 

「記入内容が誠実過ぎませんか!?」

 

「褒められてるのかな、それ……」

 

 最後に送信ボタンを押す。

 

 たぶん落ちるだろう。

 そう思っていた。

 

 本当に、そう思っていたのだ。

 

 その二時間後。

 

「先生!当選しました!」

 

「今日の夜の枠です」

 

「早いッ!?どうして!!?」

 

勢いよく見た画面には、しっかりと通知が表示されていた。

 

 本日二十一時、配信枠当選。

 

「待って」

 

 私は思わず手を上げた。

 

「待って待って。抽選って、もっとこう……外れるもんじゃないの!?」

 

「でも毎回当たってる人がいるんですよ!!」

 

「そうです、たまたま今回の当選者は先生でした。…不思議パワーなんて働いてません」

 

「そんなラジオの一枠での“今夜のラッキーリスナーさんはこちらです”みたいな軽さで言わないでほしい…」

 

アロナはぴょこぴょこ跳ねている。

プラナはすでにマイク設定の確認を始めている。

 

「今夜に向けて準備です!」

 

「気が早くない!?」

 

「こういう新鮮さは大事です」

 

「その理屈、料理以外で初めて聞いたよ!」

 

プラナもふんすふんすしており、思ったよりテンションが高い。

私は額を押さえた。

 

その時、アロナが少しだけ真面目な顔をした。

 

「…先生。もし本当に嫌だったら、やめても大丈夫です。キャンセルも出来ます」

 

「確かに…アロナたちは、先生が無理をすることは望んでいません」

 

アロナもプラナの声も落ち着いていた。

 

「ただ…先生の配信を聞いてみたいと思ったんです」

 

「無理強いはよくなかったですね…アロナちゃん反省します…」

 

「…うーん…」

 

こう言われると、弱い。

 

私は少しだけ目を閉じて、今日一日を思い返した。

忙しかった。

慌ただしかった。

生徒たちと話して、書類を片づけて、気がついたら夜が来ていた。

例えば、誰かの、そういう日の終わりに、少しだけ言葉を交わせるなら。

そして、誰かの気持ちを少し軽くできるなら。

 

 たぶん、それは悪いことじゃない。

 

「……やれるだけ、やってみよっか。フォロー頼むね?」

 

「やったー!もちろんしっかりサポートします!」

 

「配信準備に戻ります」

 

「切り替えが早いなあ……」

 

シッテムの箱をスタンドに立てる。

 

画面の中でアロナとプラナがせわしなく動き続けている。

 

小さな画面の中で二人が本気で支度をしている様子は、なんだか妙に可愛らしくて、私は思わず笑ってしまった。

 

「先生、笑いました!」

 

「余裕が出てきましたか」

 

「いや、余裕はないかな。どちらかというと、文化祭の出し物が始まる前みたいな楽しさはあるけどね…」

 

なんやかんや仕事をしながら、時刻は二十時半をまわった。

 

配信開始時刻が近づいてきた。

私はコーヒーを一口飲んで、マイクの位置を直した。

 

「先生、手が少し冷えてますよ!」

 

「これは…緊張していますね」

 

「君たち、その情報の拾い方が怖いよ?」

 

「大丈夫です!」

 

アロナが拳を握る。

 

「先生は安心して、いつもの先生でいてください!」

 

「…そう言われると、それが一番難しく感じるけどね」

 

 でも、少しだけ肩の力が抜けた。

 

 

「こんばんは。シャーレの先生です。……ええと、初配信で……本当に始まっちゃったね?」

 

配信が始まって最初に見えた視聴者数は、六人だった。

 

そのうち二人はたぶんアロナとプラナである。

 

いや、厳密には“視聴”という言い方で合っているのかわからないけれど、少なくとも応援はしている。

配信画面の左右端で端末を見ながらものすごーく。

 

『先生!!こんばんは!!』

『本物??』

『声、思ってたより元気そうで安心』

『なんかこっちも安心する…ところで本物?』

 

めちゃくちゃ本物か疑われてる。

 

「うん、私も今ちょっと本物かなって思ってる」

 

自分で言ってから、少し笑う。

 

「いや、本物ではあるんだけど…なんだろうね、この落ち着かなさ」

 

 コメント欄がぱっと流れた。

 

『先生だ』

『この困り方が先生だね⭐︎』

『緊張してるの伝わってかわいいと思う』

 

「かわいい判定を受ける年齢ではない気がするなあ……」

 

「先生、そういうところですよ…」

 

画面の端でアロナがひそひそ声の字幕を出す。

 

私は机の上の書類を一枚めくった。

 

紙の擦れる音が、思ったより配信向きじゃない。

いや、そもそも配信向きの仕事机というものが世の中に存在するのかは知らないけれど。

 

「記念すべき初回?ってやつなんだろうけど仕事が終わってなくてね…今日は、仕事をしながら雑談します。寝る前のラジオくらいの気持ちで聞いてもらえたら嬉しいかな」

 

『まだ仕事してるんだ…』

 

『無理しないでね⭐︎』

 

『夜に合う声…』

 

『毎晩なんとかやってほしい』

 

「毎晩は、私の喉と事務処理能力が反乱を起こしそうだねぇ」

 

話しているうちに視聴者数が十人を超える。

十五人。二十人。二十八人。

 

「増えてる…聴きにきてくれてありがとうね」

 

『うわぁ…本物の先生だ』

 

「野生動物を観測したみたいなテンションだねぇ」

 

私は苦笑しながら、仕事に戻る。

仕事をしながらも、コメントに促されて最近買ったものの話をした。

 

マグカップとコーヒー豆のセット。

差し入れ用のお菓子。

つい一緒に買ってしまった、使い道の怪しい雑貨。

…今買いたいものは聞かれていない。

 

『先生って買い物すると予定外のものとか買っちゃうタイプ?』

 

「うん。必要なものを買いに行って、心を掴んだ不要なものを連れて帰るタイプだねぇ」

 

『だめな人の言い方…私に是非お財布の管理を!』

 

『でも、それが貴方様の良さです!』

 

『先生も人間味あって安心する』

 

「そこ、安心ポイントなんだ……」

 

少しずつ、配信の空気がやわらかくなっていく。

 

私が喋るたびに、向こうで誰かが笑ったり、頷いたり、安心したりしている気配がある。

 

不思議だった。

顔も見えないのに、距離も遠いのに。

でも、そう感じない。

 

「今日は本当に来てくれてありがとね」

 

私は走らせていたペンを置いて、少しだけ真面目な声で言った。

 

「明日も早い人もいるだろうし、今日、ちょっと疲れた人もいるだろうし。それでも今ここにいてくれて、もし元気になってくれるなら、私は嬉しいよ」

 

コメント欄の勢いが、ほんの少しだけ落ちた。

 

『先生……』

 

『今日ちょっとしんどかったの…なんか沁みる』

 

『そういう言い方、ずるいですわ……』

 

『来てよかったぞ、先生』

 

私は小さく目を細めた。

 

「まあ、それでも毎日が完璧ってわけでもないからね」

 

自分でも驚くくらい、するりと言葉が出た。

 

「万人にとって調子のいい日ばかりじゃないし、なんとなく噛み合わない日だってあるよ。そういう日は、無理に元気な顔をしなくてもいいから」

 

私は、更に言葉を重ねる。

 

「そういう時は…そうだね、今日はここまでで十分だってことにして、あとはあたたかくして休もう?」

 

『だめです、涙が止まりません』

 

『優しい』

 

『先生ってほんとそういうとこだよ』

 

 画面の端で、アロナがきゅっと口元を押さえている。

 プラナは何も言わずに、静かにこちらを見ていた。

 

「……そんなに響いた?」

 

『効きますよ!』

 

『生徒さんに特効過ぎます』

 

「確かに言葉は重ねたけど…もう少し軽く流してくれてもいいんじゃないかな」

 

 困ったように笑う。

 

「いや、でも…ありがとう。そう受け取ってもらえるなら、話した甲斐はあるよ」

 

 視聴者数は五十を超えていた。

 

 最初の不安はもう薄れていて、代わりに、誰かと同じ時間を過ごしているあたたかさが残っている。

 

 終了予定まで、あと十分を切った。

 もう、幾許も無い。

 

 そろそろ締めに入ろうかと時計を見た時、ひとつのコメントが目に留まった。

 

『…先生の言う通り、今日は早く寝るわ。だから最後に…わがままを言わせて。…一曲だけ、子守唄に聞けたりしないかしら?』

 

リスナーさんの名前は、日向ぼっこ。

可愛らしいおひさまがアイコンになっている。

…そこまで、こういう配信に詳しいわけではないが、おそらく『私の配信を見るためだけにアカウントを作ってくれた』…なんというか、そんな気がする。

 

だからか、その一文だけが、やけにまっすぐこちらへ届いた。

 

 

「……一曲だけ、か」

 

私は思わず呟いた。

シッテムの箱の中で、アロナがぴたりと動きを止める。

プラナは一拍置いてから、なんでも準備出来ます!と言わんばかりに小さく頷いた。

 

『ごめんなさい、無理しないで』

 

『雑談だけでも大満足だよー』

 

『でも正直聴きたい〜』

 

他のリスナーさんからのコメントも流れる。

私は喉に手を当てた。

さっきまで普通に話していたはずなのに、急にそこだけに意識が集まる。

 

正直、歌うつもりがまったくなかったわけじゃない。

でも、まあ…それは“歌わざるをえないことになったら…”くらいの話だった。

まさか本当に、この流れで歌うことになるとは思っていなかった。

 

「リクエスト、は聞けないよ?…一分くらいで準備するから、ちょっと待ってねー」

そう聞くと、少し間を置いてコメントが流れる。

 

 その瞬間、コメント欄がすっと静まる。

 

 次の瞬間。

 

『え』

『え???』

『本当に歌うの!?』

『待って待って待って待って』

『うそ、先生ほんとに!?』

『録音――いやアーカイブに!!?』

『今のうちにイヤホン買わないと』

『ちょっと静かにして、先生が歌う』

『心の準備ができてない』

『無理、好きィ…』

 

 止まっていたぶんを取り返すみたいに、コメントが一気に雪崩れ込んできた。

 

「そんなに慌てなくても、逃げないから…あと」

 

 思わず苦笑する。

 

「……いや、うん…聴き苦しかったらごめんね?でも、ちゃんと真面目に歌うから、ちょっとだけ待ってね」

 

『待つわ、いくらでも待つわ』

 

『一分が長い』

 

『ヤバ…動悸してきた』

 

んな、アホな。

 

 シッテムの箱の中で、アロナが『いーけーまーすーよー!』と手を握っている。

プラナは静かに、でもまっすぐこちらを見て…スタンバっていた。

 

頷く。

自分の耳ににもメロディが届くように、ちゃんと設定してくれたみたいだ、ありがたい。

 

歌い出し、最初の一音を出した瞬間、思ったよりちゃんと音を捉えられて…自分でも少し驚いた。

 

 私は歌いながら、画面を見なかった。

 コメント欄を見たら…恥ずかしくなって、歌えなくなる。

 

 だから、目を閉じて、ただただ思って歌った。

 

 強い…フリをする子のことを。

 平気な顔で無理をしてしまう子のことを。

 誰かのためなら、自分の痛みを我慢してしまう、そんな不器用な優しい子のことを。

 

改めて歌って…この曲は、恋の歌としての側面も持つと思う。

でも同時に、願いの歌でもあると私は思う。

 

 自分の手元に置いておけない相手の幸せを、それでも祈る歌。

 寂しさも、優しさも、未練だって…全部あるのに、キミが歩んだ道程が報われて、充実するように祈る歌。

 

それがどうしようもなく、私とキヴォトスの誰かたちに似ている気がした。

そして、本心から祈った。

 

…だからか、歌っているうちに少しだけ胸が痛くなってしまった。

 

でも、それでよかった。

私の思いを、ちゃんと届けたかったから。

 

 

最後まで歌い切って、余韻が静かに落ちる。

 

私はゆっくり目を開いて、コメント欄を見た。

 

流れていない…?

 

いや、止まっているんじゃない。

 

「……あれ?」

 

私は小さく笑った。

 

「もしかして…みんな、寝ちゃった?」

 

次の瞬間、堰を切ったように文字が流れ出した。

 

『無理』

『泣いた』

『先生、それは反則』

『胸が痛い』

『ありがとう…先生』

『アーカイブ残してくださいお願いしますなんでもしますから』

 

私は困ったように笑って、マイクへ少しだけ近づいた。

 

「……聴いてくれてありがとね」

 

今更現実感が戻ってきて……顔が少し熱い。

 

「今日はもう遅いし…思ったよりも冷える夜になりそうだから、ちゃんとあったかくして寝ること。約束だよ」

 

 配信終了の直前、最後に見えたのは、やっぱり〜〜〜〜のコメントだった。

 

『おやすみなさい、先生』

 

 私は少し目を細めて、配信を終えた。

 

 

◻︎空崎ヒナの場合

 

ただ、先生の歌を聴いてみたくなっただけだった。

 

先生が少し笑って、少し困って、最後にいつもの調子で「ちゃんと休むこと」なんて言って終わる。

 

せいぜい、その程度だと思っていたのに、最後の数分で、、、私の心は、未だに全部を持っていかれてる。

 

あの歌は、強く求めてくれる歌じゃない。

 

そう…どちらかといえば逆だ。

手を伸ばしたい気持ちを抱えたまま、その手を無理に届かせようとはしない。

引き止めたいような気持ちも、隣にいたい気持ちも、きっとあるのに、それより先に相手のこれからを願ってしまう。

 

先生らしい、そういう歌だった。

 

先生の声は、静かだった。

 

静かなのに、少しも弱くない。

やわらかい歌声なのに、聴き取れる感情に曖昧さはない。

 

まるで、冷えた夜に差し出される上着みたい。頼りなく見えて、実際にはちゃんと私の体温を守ってくれる、そんな声だった。

 

…………厄介だと思う。

 

あの人は、いつも、いつだって、そうだ。

 

こちらが言葉にしない、心の隅々まで見つけて…でも、決して追い詰めるような真似はしない。

無理に答えを出させたりもしない。

ただ、必要な時だけ逃げ場のある優しさを置いていく。

 

あの歌も同じだった。

 

毎日が晴れているわけではないことを知っていて、冷たいものに濡れる日があることも知っていて、それでも「その時は少し休めばいい」と、言葉にしないまま伝えてくる。

 

地図なんてなくても、

だからこそ歩く先は選べるのだと、

声だけで思わせてくる。

 

そんなふうに歌われたら、どうしたって錯覚する。

 

いや、錯覚ではないのかもしれない。

 

先生は、本当に祈っていたのだ。

 

聴いている誰かの明日が、ちゃんと続くことを。

今日をうまく終えられなかった誰かの心にも、いつか小さな蕾のようなものが戻ることを。

 

それが、チクりと痛む。

 

私が独り占めできる優しさではないとわかっている。

 

誰か一人のための歌ではなく、今夜聴いていた、配信にいた全員へ向けたものだとわかっている。

 

それでも、私に向けられたように聴こえてしまう。

私だけに向けられていてほしいと、ほんの少し思ってしまう。

 

 そういう自分が、どうにも…少しだけ厄介だった。

 

歌い終わったあと、すぐには何も書けなかった。

ありがとう、では足りない。

眠れそう、は違う。

…正直、配信の終了間際に、私自身がなんと書き綴ったのか、覚えていない。

 

胸の奥を静かに撫でられたような、それでいて見えないところをきちんと抉られたような、そんな感覚だけが残っていた。

 

……本当に、困るわ。

 

ああいうふうに歌われて、平気でいられるほど、私は鈍くないもの。

 

 

○早瀬ユウカの場合

 

最初は『どうせ先生がまた妙なことを思いついて配信を始めたんだろうな…』なんて、そのくらいにしか思わなかった。

 

仕事をしながら雑談が、配信のほとんどを占めた。

買い物の話なんて、隣で聞いてるんじゃないかっていうくらい…日常的で、妙な生活感があった。

必要なものを買いに行って、必要じゃないものを気分で連れて帰る。

思わず、ムッとしてしまう。

そんな話を聞いたものだから…正直、途中まではずっと「あとで支出の見直しをさせないと」と考えていた。

 

…なのに最後で、全部の温度が変わった。

 

あの歌は、感情をぶつけてくる歌じゃない。

大げさに泣かせにくるわけでも、正面から“好き”を叫ぶわけでもない。

それでも、相手を思う気持ちが有り、相手の歩いていく先が穏やかであるようにと祈る歌だ。

 

寄り添いたい気持ちも、手を離したくない気持ちも、たぶんある。

でも、その全部を抱えたまま、最後には相手の未来へ譲ってしまう。

 

その構造が、最悪なくらい先生と噛み合っていた。

 

…だってあの人、普段から、そうじゃないの。

自分が無理をしてでも、生徒を先に立てる。

損をしていても、それを損だと思わせない。

 

歌の中でも、それをやるの?

 

そう思ったわ。

 

…理屈としては、わかるわよ。

歌の意味もわかるし、先生がどういう気持ちで歌ったかも、だいたい予想がつく。

 

聞いている誰かを少しでも楽にしたかった。

あったかくして眠ってほしかった。

その程度の、ごく当たり前みたいな善意だったのだろう。

 

でも、その“当たり前みたいな善意”がいちばん厄介なのよね。

 

あの人は、たぶん本気で、良かれと思ってやっている。

しかもその良かれが、こういう時に限ってひどく、私の心の中の深いところまで届く。

 

だから困るのよ。

 

歌の技術の話じゃない。

 

先生のいつもの声、そのままで、先生のいつもの優しさ、そのままで、ああいう歌を置いていかれるから困るのだ。

 

次にあったら、いろいろ言いたいことはある。

でも、少なくとも今日は無理。

 

あれを聞いた直後に、いつもの調子で注意できるほど、私は平然としていられない。

 

…してやられた気がして…悔しいけど、あの配信アーカイブは絶対伸びるわ。

だってあんなの、誰だって一回で消化できるわけがないもの。

 

私だってそうよ。

 

 

△聖園ミカの場合

 

最初は、「わあ〜先生、配信なんてしちゃうんだ!」なんて、ほんとに気楽に聞いてたの。

 

 先生がそんなことするの珍しいし、普段よりもちょっと緊張してるのが分かって…でも頑張っていつもの先生でいようとしてて…。

 

 そういうのも含めて、あ、今日の先生ちょっと私と距離感近いかも、くらいの気持ちで、ずっと笑ってた。

 

 なのに、最後の歌が始まった瞬間、空気が変わった。

 

物静かなのに、歌声は薄くない。

どちらかと言えばやわらかい印象なのに、決して、私の思いを逃がしてくれない。

胸の中のどこかが、ひゅって狭くなるの。

 

なんなんだろう、これ。

 

明るい歌じゃないのに、暗い歌とも違う。

 

自分は少し重たくて、一緒に渡ろうとしたら沈んでしまうかもしれないの。

だから、キミは先に行っていいよ、って。

でも、行ってしまう背中に向かって、心のどこかではずっと、きれいな花が咲く春みたいな未来を祈ってる。

 

先生の歌は、先生の本心は…私にはそんなふうに聴こえちゃったの。

 

もちろん、

近くにいてほしい、とか…

離れたくない、とかも…。

本気で思ってくれてる、

分かるよ、だって先生のことだもん。

 

ほんとのほんとに、そういう気持ちだって混ざってるはずなのに、それを前に出さないで、もっと遠くて、もっと優しい願いに変えてしまう感じ。

 

それが、苦しいの。

 

だって先生って、たぶん普段からそうだから。

 

私がしんどい時も、無理に踏み込んでこないで、しっかり線引きしている。

わかったような顔で全部を言い当てたりしない。

でも、いつもいつでも…私のことをちゃんと見つけてくれてて…何も持ってない冷たい雨の日みたいにどうしようもない時には、黙って近づいて傘をひらく場所は作ってくれる。

そう、そんな感じなの。

 

そして…あの歌も、同じだった。

 

泣いていいよ、なんて言わない。

大丈夫だよ、って簡単にも言わない。

 

だけど、どこへだって行けるはずだって、そっと背中を押してくる。

 

先生…わたし、まだ、どうしたらいいのかわかんない。

 

さっきまで、先生のこと、

かわいいなって笑ってたはずなのに。

ちょっと近く感じて、うれしいなって思ってたはずなのに。

 

時が経ち、歌が進むほど、胸の奥が熱くなって、でも同時に、ぎゅっと苦しくなって、うまく息ができなくなる。

 

これが何なのか、きれいな言葉でまだ言えないもん。

 

先生のことは好きだけど、今…私の胸の中で渦巻いているものを、

恋だとか、憧れだとか、そういうひとことで片づけるには、少し足りない気がするの。

 

もっともっと…ぐちゃぐちゃしてて、

でもいやじゃなくて、

触れたら壊れそうなくらい柔らかくて、

だから余計に困る。

 

先生の声って、普段は安心する声なのに。

今だけは、安心させてくれるくせに心をかき回してくる。

 

色々言いたいのに、紡ぐ言葉が、中々追いついてくれない。

ましてや、歌い終わったあとなんて…しばらく何も打てなかったもん。

 

 すごかった、は、ちょっと違う。

 ありがとう、でも足りない。

 

だから、しばらくの間…ただ画面を見てた。

 

胸の奥で、まださっきの声が響いてる。

白い帆を揚げて遠くへ行くみたいな、きれいで少しさみしい響きのまま。

 

 ……なにこれ。

 

 ほんと、なに。

 

先生さ…、まだ私が名前をつけられてない…この感情を先に触ってくるの、ズルいよ。

 

 

 

▽小鳥遊ホシノの場合

 

おじさんとしてはねぇ、ほんと、いつもの先生の声を聞きながら仮眠したく、眠くなれたらいいなぁ……くらいのつもりだったんだよ?

 

配信なんて、先生にしちゃ珍しいことしてるし。

ちょっと緊張してるのも分かるし。

でもまあ、そのうちいつもの感じに戻って、最後はやさしく「夜更かししないことー」なんて言って終わるんだろうな、って思ってた。

 

だから、油断してた。

 

前半は、ちゃんと想像してた通りだったんだよねぇ。

雑談して、ちょっと困って、買い物の話なんかしちゃって。

『次はこういうの誘ってみようかなー』とか『ああ…先生ってやっぱりそういうとこあるよねぇ』なんて、思いながら聞けるくらいには、いつもの先生だった。

 

なのに、歌い出した途端………私の景色、全部変わっちゃった。

 

にぎやかだったはずの場所が、スーッと急に遠くなるみたいに静かになって。

先生の声だけが、すーっとこっちまで伸びてくるみたいな感覚。

 

強く引っぱられているわけじゃないんだよ?

こっちへ来て、なんて言わないし、離れないで、なんて縋られる感じでもない。

むしろ逆で、何かを相手に背負わせないようにしてる……そんな響きだった。

 

 一緒に渡ろうとしたら、きっと少し沈んでしまう。

だから先に行っていいよ、って。

でも、行ってしまうその先を…私は此処で願ってる…みたいな歌。

 

…あれは、だめだよねぇ。

 

先生って、ちょっと抜けてて、なんなら生活力も怪しいのに、たまにこういうところだけ、どうしようもなく“大人”なんだもん。

本人は、たぶんそんなつもりでやってないんでしょ?

 聞いてる誰かが、ちゃんと布団に入って、少しでもましな気持ちで明日を迎えられたらいいな、とか…そのくらいのことを、本気で思ってるだけなんだろうねぇ。

 

でもねぇ、そういうのが一番効くの。

……ずるい、とは、ちょっと違うと思う。

もっとこう…静かに困らせてくる感じ?

おじさんの胸の真ん中に、やわらかいものを置かれたみたいで。

重たくはないのに、ずっと、ちゃんと存在感がある。

苦しいってほどじゃないのに、息をするたび…まだ少しだけ引っかかる。

ああ、おじさん、思ってたより疲れてたんだなぁ、って、自分で気づいちゃった感じ。

厄介なんだよねぇ。

 

たぶん先生は、誰か一人だけを見て歌ったわけじゃないよね?

あそこにいたみんなへ、歌に思いを乗せて、まとめて置いていったんだと思う。

 眠れない人も、しんどい人も、平気なふりをしてる人も、ぜーんぶひっくるめて。

 

歌が終わったあと、しばらく動けなかったな。

コメントも、なんて打てばいいのか…よく分かんなかったし。

でも確かに、私の心のどこかは、あの曲に持っていかれてた。

 

だから…ただただしばらく…画面を見てたんだ。

もう声は止まってるのに、小さな舟みたいに、静かな水の上をゆっくり漂ってる感じのまま。

 

寝ないとパトロールが辛いのに……まいったなぁ。

 

こういうの、ホント困るんだよねぇ。

 

 

配信が終わって、シャーレの執務室に静けさが戻る。

 

「……終わった」

 

私は椅子の背にもたれかかった。

喉と顔が少し熱い。けれど、不思議と嫌な疲れ方ではなかった。

 

「お疲れさまでしたー!」

「アーカイブに保存完了です」

 

画面の中でアロナがくるくる回り、プラナが結果画面を表示する。

 

「なんか、すごく緊張したな……。途中まで普通に話せてたのに、歌うって決めた瞬間だけ急に心臓がめっちゃ仕事し始めたよ」

 

 プラナが小さく言う。

 

「結果を見ますか」

 

「……うん。怖いけど」

 

表示された数字を見て、私は一回黙った。

 

 総視聴数。

 コメント数。

 アーカイブの初速。

 支援額。

 

「え」

 

目を擦る。

もう一度見る。

桁も見る。

見間違いじゃないか確認するため、少し顔を近づけてみる。

またなんか増えた。

 

「…え!!?」

 

「好反応ですね」

 

「こんなにもらえるの!?」

 

「はい!」

 

「え!!?だって…えッ!!!?」

 

「先生…また声が裏返っています」

 

「そりゃ裏返るよ!?コーヒー豆が買えるどころじゃないよっ、これっ!」

 

「マグカップだって買えます!」

 

「ビナーちゃん買ってもお釣り来るよ?!」

 

私は思わず両手で顔を覆った。

 

なんだこれ。

雑談して、少し笑って、最後に一曲歌っただけだ。

それだけなのに、こんなことになるなんて。

 

「…先生」

 

プラナが静かに続ける。

 

「アーカイブ、すでに拡散が始まっています」

 

「今!??まだ終わったばかりなんだけど!?」

 

「人気です!いま24時間部門で一位になりました!」

 

「1時間経ってないんだけどッ!!?」

 

アロナが満面の笑みで手を振る。

 

「先生、次回の抽選に応募しますか?」

 

「今聞くの!?」

 

 でも、笑ってしまった。

 

私は冷めたコーヒーを一口飲んで、シッテムの箱を指先で軽くつつく。

 画面の中でアロナが「わっ」と跳ねて、プラナがほんの少しだけ目を細めた。

 

「……まあ、たまになら、良いかもね?」

 

執務室に、三人の明るい声が響く。

 

その夜のアーカイブは、眠れない誰かへと静かに渡っていった。

 

そして私は、もう一度だけ画面の…さっきより増えた数字を見て、心の底から素の声で言った。

 

「……え!? こんなにもらえるの!? え!!?」




そこのあなた!色々書いてるので読んでってください!
あと感想ください!

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