偽典・蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ106期小話 作:マーケン
仕事を辞めてから夏休みなんてのはただ熱い日を消化するだけの時間だった。
だから今年、部活中心の生活を送ることになる夏休みというのが凄く新鮮だ。
「錦上さんは実家は市内だよね?夏休みはどっちで過ごすの?」
「スクールアイドルクラブもありますから寮に残るつもりです。特に実家に用もないですし」
実家を離れたくて全寮制の学校に入学したという面もあるのだ。わざわざ好き好んで実家に戻るつもりもない。
百生部長は私の言い方に少し違和感を覚えたようだけど、特に言及されることはなかった。
言及されても表現に困ってしまうので正直助かった。
「・・・スクールアイドルクラブは楽しい?」
「ヤブから棒ですね。充実していると思います」
まだ笑顔を取り戻すことはできていないけど、目まぐるしい日常を送っているのはスクールアイドルクラブに所属している影響であると自覚している。
学校の授業や宿題。放課後にはスクールアイドルクラブで身体を動かし、時に作詞作曲、衣装制作、配信の録画やイベント企画、舞台制作や手続きと上げればキリがない事を時間ギリギリを攻めてやっているので余計なことを考える暇がない。今を掴むことに精一杯だからこそ昔のことで頭を悩ます時間がほとんど無いので最近は非常に頭がクリアになっている気がする。
「気持ちを表現しない癖は相変わらずだね」
「う・・・でも楽しかったらとっくに笑えてるんじゃないですか?」
それこそ、その時の空気でコロコロと表情を変えていた日野下花帆先輩のように。楽しければ笑い、悲しければ泣く。そんな素直な感情が顔に出る筈だ。
「なら笑えてないってことは楽しくなかったってこと?」
「そんなこと、そんなことはない、です!」
でないのは楽しくないからではなく私の欠陥ゆえだ。
「言葉にするのは怖い?」
「表情って気持ちの証明だと思うんです。証明できないのに言葉にするって無責任じゃないですか」
「言霊ってあるでしょ?言葉から生じる気持ちだってあるんだよ」
それは時に歌という形で、誰かが誰かに向けて作った歌が別の誰かへの歌になることだってある。
形を与え、繋げていく。それは伝統と呼ばれるようになった気持ちの伝え方の一つなのだと百生部長は語った。
「だから表情が証明できなくても、気持ちに名前をあげてみてもいいんじゃないかな?」
「・・・楽しい、と思います、たぶん」
「よくできました、と小さく花丸を贈りましょう。マイカちゃん」
「え?」
葵やみおん以外から下の名で呼ばれたことに流石に驚く。
「マイカちゃん。いつまでも他人行儀なのもどうかなって、そういう私の気持ちの伝え方だよ」
百生部長はどこかいたずらっぽく笑った。
その表情はきっと、私の知らない百生部長の、まだ部長じゃない頃に貰った沢山のものが作ったのだろうなと、そう思えるような素敵な笑顔だった。