欠落者と愛の徒with全部知ってる三女神 作:散髪どっこいしょ野郎
「凄まじいな」
桜花賞。レースの格式でいえば最高峰のGⅠだというのに、スティルインラブは周りのウマ娘を歯牙にもかけなかった。
「……」
アドマイヤグルーヴは強すぎる相手を前に、心が折れていないだろうか。
おれは挫折を知らない。おれより優れている同期は一人もいなかった故に、負けた側の気持ちは理解できなかった。
まあどうでもいいか。おれはスティルインラブが健やかに走ってくれたらそれで──?
「……おれは何を考えているんだ」
こめかみを指で押す。ここのところおれはどうもおかしい。
おれは道具だ。道具に感情はいらない。それなのに、この熱はなんだ?
「トレーナーさん……」
「ん……あなたか。すまない。少し呆けていた」
気がつけばスティルインラブが傍にいた。
「今日の走りはいかがでしたか」
「文句なし。よくやってくれた」
レースは好きではない。両親に無理やり見させられた記憶がフラッシュバックするから。
「……トレーナーさん、どうかしましたか」
「気にしないでくれ。ただなんか……少しおかしいだけだ」
彼女の視線が向くのはおれの右手。スイッチを入れられたかのように微振動を繰り返している。
スティルインラブのレースを見ているとこの状態がよく発生する。健康被害は何も無い。となると、精神的な作用かもしれない。
あなたの狂気に当てられたとでもいうのか。なんて、口に出せるわけがない。
▫▫▫▫▫
「もう一度言うが、今日はトレーニング休みだぞ」
「はい。それでも、貴方のお傍にいさせてください。……ご迷惑、ですか?」
「あなたがいようがいまいが仕事に影響は出ない。ただあなたがゆっくり体力を回復できるかが最重要だ」
「でしたら、貴方のお傍にいたいです」
何も面白いことは見せられない。できるのは仕事だけだ。そんなおれを、スティルインラブはじっと見つめている。
「……よし、仕事終わり」
「お疲れ様でした、トレーナーさん」
おれは無駄に要領が良い。仕事が終わったら、後は彼女が置いていった小説を戯れに読み耽るのみ。
……思えば、娯楽を味わう余裕なんて両親の扶養内にいた時はまるで無かった。トレセン学園に来て、初めて自由が与えられた。
その自由を持て余す。だってそうだろう。モノがひとりでに何かに興じるか?
「……スティルインラブ」
「はい」
「あなたの置いていった小説を読むと……何か、胸の何かが熱くなる。これは一体なんなんだ」
「……それはきっと、トレーナーさんが読書を楽しんでいる証拠だと思います」
「楽、しむ?」
暴力の中に埋もれてしまった記憶が蘇る。確かあれは園児だった時のこと──
『ひろくん、いっしょにあそぼ!』
『うん、いいよ!』
「っ、あ……」
「トレーナーさん?どうかしましたか」
動悸が、酷い。
「すまない、少し、時間を取らせてくれ」
「……かしこまりました」
友達なんて、楽しみなんて、要らなかった筈。だっておれは道具だから。
▫▫▫▫▫
昼休みになり、トレーナーさんをお食事に誘おうと思い至り彼を探していた。きっといつも通りトレーナー室にいる。
予感は的中していた。ちょうど部屋を出たトレーナーさん。私は後方にいたため気づかれていない。嬉々として声をかけようとすると──
「トレーナーさ──」
「あっ、広田トレーナー!お疲れ様です」
「ああ、桐生院さん」
「……ぁ……」
言葉を交わす両者。彼女は……ハッピーミークさんのトレーナーさん。時折競い合うことがあるため交流の機会があった。
「……トレーナーさん……」
トレーナーさんはお若い。それ故に多くの方々が彼のために心を砕いていた。
心が、独りよがりにざわめく。他の方を見ないで、私だけを──。
……ダメ……!そんな醜い嫉妬心は、消さないと……!
『……ねえ、アナタ、まだ気づかないの?』
「っ?」
『愛しのあの方は、とっくにアナタにくびったけよ?求めれば簡単に応じてくれるのに』
あの子が囁く。でも、私はただの担当ウマ娘で、彼の楔にすらなれなくて──
『謙遜もここまで来ると芸術ね。せめてあと一歩踏み出してみなさい』
「……」
▫▫▫▫▫
私は三女神。三柱にして一柱の絶対神。この学園の様々なウマ娘を見守っています。
もうこの際囁くどころか叫びますか。
「抱けえっ!!抱けえっ!!抱けっ!!抱けーっ!!抱けーっ!!」
▫▫▫▫▫
トリプルティアラ二冠目、オークス当日。
「今のあなたなら特に言うことは無い。いつも通り、走っていけ」
「はい。……いってきます」
よほどのイレギュラーでもない限り彼女が勝つだろう。しかしトレーナーの役目はその『もしも』を刈り取ることだ。
最善のサポートを尽くす。その上でダメだったならば、もう受け入れるしかない。
いつものように観客席へ足を運ぶ。会場は人でごった返しており、彼女が如何に愛されているか知らしめられた。
スティルインラブは愛されている。それはきっと喜ばしいことなのだろう。それが、その筈が……このささくれ立つ感情はなんだ?
彼女に関係すると不明な点が多すぎる。それはおれの成長の証なのか、はたまた悪影響なのか。
▫▫▫▫▫
『スティルインラブ!一着はスティルインラブ!トリプルティアラに向けてあともう一冠です!』
「……よし」
握る拳に力が入る。これなら両親を黙らせられる。
「よくやった。この調子で秋華賞も仕留めよう」
「はい……。……っ」
「本能か」
「申し訳ありません……私はまた、抑えられず……」
「……それは、そんなに悪いことか?」
「え……?」
確かにスティルインラブの本能は常軌を逸している。怯える者がいるのにも納得がいく。
だが、例えばだが、彼女の両親はそれも含めてスティルインラブという一個人を愛している。
おれの胸に″滾り″を与えたのは、スティルインラブそのものだ。いつものあなたも、走るあなたも、おれにとっては……。……。
おれにとっては……なんだ?
「あなたの全てを愛している者は確かに存在する。だからあなたも、その本性を愛していい」
「しかし、私は……」
「まあ、そう言われてはい分かりましたと飲み込むことはできないだろう。だからおれがいる。あなたがそれを愛せる日まで、傍にいる」
「……トレーナーさんは、何故そこまで私を慮ってくださるのですか」
「それは……。……おれが教えてほしい」
スティルインラブが苦しんでいると、無性にその霧を払いたくなる。スティルインラブが喜んでいると、胸に温度が灯る。その感情の名前を、おれはまだ知らない。
▫▫▫▫▫
「あと一往復だ。力を抜くな」
「は、いっ……」
秋華賞前にやってきたのは夏合宿。ここでならいつも以上に成長できる……が、怪我だけはさせないようにしなければ。今の心配事はそれだけだ。
「よし。よく頑張った。少し体を冷やそう」
「はぁ……はぁ……」
スティルインラブは気丈に前を向いている。スピードは合格点のその先へ到達していた。
「日射病になってないか。体がフラついているが」
「いえ……少し、疲労で……」
覚束ない足取り。しまったと心の中で舌打ちして、今できる最善を模索する。
「少し日陰で休もう。ドリンクは飲んだか」
「はい。水分補給は欠かしていません──あ」
「ん──」
よほど疲れていたのか、おれに縋り付くスティルインラブ。対するおれは備品を片付けようとしていたため、無防備に砂浜へ投げ出された。──結果的に、押し倒される形になった。
「あ、も、申し訳ありません……!」
「おれは大丈夫だ。それより早く休もう。今のあなたは危うい」
体調不良は一時的なものだったようで、少し休めば回復しているような様子だった。
……初めて、触れた。暴力とは違う温もりを感じた。
足の具合を診るために触診したことはあった。しかしそれは仕事を遂行するにあたって必要なことだからだ。
だが海辺で感じた彼女の熱は、彼女に感じる熱と似通っている。言葉にすると伝わりにくいが、そうとしか言えない。
▫▫▫▫▫
季節が夏になり、トレーナーさんは声変わりする時節になった。ロートーンボイスが心地よく耳に染みていく。
彼が何度も伝えてくれたお言葉。『あなたの本性は愛されていい』。それが、心臓に深く食い込む。
事実、私はワタシを許しかけている。これまで様々な方を喰らってしまったというのに。
レースになれば、私は豹変してしまう。これはもうどうしようもなかった。けれど、貴方はそんな私を許してくれる。
ドロワの練習時に自覚した事実。私は貴方を、愛している。
……好き。貴方の全てが、愛おしく、愛らしく、愛い。
あの子は言った。求めれば応えてくれる、と。だから私は求める。彼はきっと、私を許してくれるから。
「トレーナーさん」
「ん。どうした。具合は大丈夫なのか」
「はい。軽い症状でしたから、改善も早く」
「そうか。で、用事はなんだ」
「少し、歩きながら話をしたいです」
▫▫▫▫▫
「夜になれば比較的温度も落ち着いているな」
「そうですね。夜は、熱を紛らわせてくれますから」
心臓の鼓動がやや速い。しかしその感覚を不快に思わない自分が不思議だった。
「トレーナーさん」
「なんだ」
「私は……貴方と出会って、少し変わってしまいました」
「そうか」
それはおれが言いたい。冷たかった脳内が、あなたといる間だけ忙しなく火照る。
「一つ、わがままを申し上げてもよろしいですか」
「それがあなたの望みなら」
「……離さないでください。私が駆ける、その内側に、貴方をください」
「相承知した」
おれができることならなんだっていい。だっておれは、道具、ドウグ、どうぐ……
「スティルインラブ。おれからも一つ頼まれてくれるか」
「!……もちろんです」
なん、だ。おれは何を言おうとしている。
困惑しながらも口は止まらなかった。
「その……名前を呼んでくれないか」
そんな、それは、まるで──
──おれという一個人を認めてほしいと言っているようなものではないか。
「貴方の口から直接お名前を伺いたいです」
「ああ、そういえば伝えてなかったな。広田広。それがおれのフルネームだ」
「では、広さんと」
「っ……」
「少し馴れ馴れしいでしょうか」
「……いや、あなたが言う広の響きは……好きみたいだ。それと……馴れ馴れしいかもしれないが、あなたのことをスティルと呼んでもいいか」
「御意のままに」
何故、あなたは笑う。何故、おれは希った。
一切が不明なまま、夏の夜は更けていった。
▫▫▫▫▫
『一着はッ、スティルインラブ!トリプルティアラ達成です!』
「フフ……アナタも、見ているのでしょう?愛しの広さん」
勝利の喜悦に浮かされるワタシを、私はどこか冷静に俯瞰していた。
当初の目的だった、トリプルティアラ獲得。喜ばしいことだし、喜ばしく思う。
それなのに、闘争心は消えなかった。一戦一戦ごとに、灯火は大きく燃え上がる。
引退することを考えなくもなかった。なのに、どうしてここまで──レースを楽しむ
これは、狂気?それとも、貴方が与えてくれたもの?