欠落者と愛の徒with全部知ってる三女神 作:散髪どっこいしょ野郎
「広さん、今日はバターサンドを作ってきました」
「ああ、ありがとうスティル」
特に大仰なことはなくても、私と広さんを繋ぐ線は強固なものになっていた。
幸せだった。貴方を傍に感じられる、それだけで何よりも嬉しかった。
彼との時間はみるみる増えていく。私がそれを望んでいたから。彼もそれを拒まなかった。
……いつか、この関係が終着することもあるかもしれない。繋がりが、途切れるかもしれない。幸せだと思う反面、恐ろしくもあった。
……それでも、貴方の中には、どれほど小さくとも私がいる。なら今はそれでいい。嵐の中に私が消え失せても、その確証があるだけで私は笑っていられる。
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「さて、今日のレースだが……特に言うことは無い。いつも通り、あなたの走りを貫き通せ」
「はい」
秋華賞からあっという間にやってきたエリザベス女王杯当日。英気が体中に満ち溢れる。他でもない
「スティルさん」
「?アルヴさん……?」
控え室を出るとアルヴさんが待っていた。何か用事でもあったのかしら……。
「……私は、独りでよかった。貴方のように、甘い想念なんかで勝てるものか、って、蔑んでいた。でもそれは間違いだった」
アルヴさんの瞳はどこまでも真っ直ぐで、思わずたじろぐ自分がいた。
「愛がなんなのか、貴方たちを見てきて分かったの。貴方たちのようにいかなくても……私は私なりに、走るから。……だから、私をライバルとして認めてくれるかしら」
「……ぁ」
……アルヴさんが、貴方が、そんなことを仰るなんて。私を……認めてくれるの?
「──ええ。迷いは振り切れたみたいね?今のアナタ、とぉっても美味しそうよ?」
「……ええ。ええ。レースになると、貴方はそうなるわよね。でも、それでもいい。貴方の愛を知るためにも」
もうあの子がやってきていた。抗う準備すらできないまま、ワタシたちはターフへ歩いていった。
▫▫▫▫▫
「これは、予想外だな」
掲示板を見ながら息をつく。正直今のスティルに敵はいないと思っていたが、思わぬ伏兵が潜んでいた。
アドマイヤグルーヴ。二着に終わったが一着のスティルに肉薄していた。
そしてなにより、当人の表情はどこか晴れやかだった。トリプルティアラ戦でかち合う際、敗北の度に自分を追い込んでいた様子のアドマイヤグルーヴだったが、今回のレースで何かを掴んだのだろう。これは今後の難敵に成りうる。
「お疲れ、スティル」
「……ああ、広さん」
「いいレースだった。次に進もう」
「……はい」
熱は収まることなく衝き騰がる。しかしそれを悪く思わない自分が、不思議でしかたなかった。
▫▫▫▫▫
「というわけで、次の目標を決めよう」
「……あの、一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「引退をいつにするか、考えてもいいですか」
「……」
引退。確かにスティルは最高峰の成績を収めたし、衰える前に華々しい終焉を迎えるのも悪くはないだろう。
だが、そうなればおれとスティルは道を違えることになる。当前の帰結だ。
……おれはトレーナーだ。教え子が旅立つなら、新しい担当を持つことになる。あの両親の言いなりになって──
──なんでおれがあの二人の人形にならなくてはならないのか。
なんで、って。おれは道具だから、使われるのが当たり前だ。
お前はそれでいいのか。
黒い炎が渦巻く。あの痛みが蘇る。今までは耐えるだけだったそれに、濃密な怒りが噴出するのを感じ──
「……ス、ティル?」
「……申し訳ありません。少し、性急すぎましたね」
いつの間にか彼女はおれの手を握っていた。それだけの行為で、脳内は急速に冴えていった。
「スティル」
「はい」
「あなたは自分を、愛せているか」
「……まだ、分かりません」
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『一着はスティルインラブ!もはや敵無しか──』
シニア期に突入し、うやむやな脳内状況で出走した金鯱賞。私は勝利の悦楽に酔いしれながら、どこか冷めた頭の中で考えていた。
──ここで引退すれば、広さんはついてきてくださるかしら。
二人だけで、どこまでも逃げてしまえたら。そんな欲求が引退を選択肢に上げたのは否めない。
「よかったぞスティル。素晴らしい走りだった」
「ありがとうございます」
言えば、彼の運命が変わるかもしれない。言ってはいけないかもしれない。それでもこの心は熱を持つ。
レースだけでは、広さんの瞳に輝きを残すことはできない。それならば、いっそ──
「スティル」
「はい?」
「走るのは、どんな気分なんだ」
その言葉に込められている思い。それは憧憬だった。
「……楽しかったのです。とても、言葉に表せない程に──!」
私は今まで、他人に走る理由を委ねていた。貴方のために、貴方が見ているから、それだけを考えていた。
『ウマ娘とトレーナー』だけの関係ならば、いつか終わりがやってくる。だから、貴方を奪い去りたいとどこかで考えていた。しかし、それ以上に、レースという快楽は痛烈なもので──
『だからおれは、あなたが、あなたの本性を愛せるようになるまで傍にいる。それまでおれが孤独にはさせない』
「ッ……!」
……足が、疼く。あの熱気をもう一度──私は、走りたい。
貴方が『ワタシ』を愛せるようにしてくれた。だから私は、他の誰でもない、私のために。走りたいと願った。
「広さん」
「ああ」
「私は、走ります。貴方が見ている限り」
「そうか」
言葉は最小限。しかし、確かな温度が残っていた。
▫▫▫▫▫
「それでは、今日もよろしくお願いします」
「ああ」
おれは今、両親からのメッセージを一切無視していた。定期連絡もしなくなった。それよりもスティルのことしか頭に残らない。
一時は引退を視野に入れていた彼女は再び走るようになった。おれはどうもその事実が嬉しいらしい。
嬉しい。好き。どれも久しく感じてこなかった情動だ。
今のおれを突き動かしているのはその感情群。どうも、狂っているのは彼女だけではなかったらしい。
「よし、今日はここまでだ」
「ふーっ、ふーっ……ありがとうございました、広さん」
トレーニングが終わったら雑務に追われるが、二時間もあれば大体片付く。その間スティルはおれだけを視界に収めている。
それが終わったら菓子をつまみながら小説の世界に没入。おおよそ理知的な文化人の生き方だった。
だが、そんなおれの内情は日に日に煩く炎を上げる。
スティルを見ていたい、スティルと話したい、スティル、スティル、スティル……おれは魔物に魅入られてしまったのだろうか。
その全てを押し殺し、トレーナーを全うする。それがおれの役目であり、義務だ。
▫▫▫▫▫
私は三女神。三柱にして一柱の絶対神。この学園の様々なウマ娘を見守っています。
本来であればスティルインラブの狂気によってトレーナーの体調が悪化していく筈でしたが、彼女が『自分のために走る』と自己完結したため健康被害は出ていないようです。これは嬉しい誤算でした。
ですが、彼の中にある飢えは根本的には解決されていません。それは彼自身が気づく必要があります。……今度は彼の枕辺で囁きましょうか。
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近頃、トレーナー室に来客が来るようになった。
「失礼します」
「あ、アルヴさん……」
「アドマイヤグルーヴか。どうしたんだ」
「スティルさんを借りてもいいですか」
「ん……スティルがいいなら。大丈夫か」
「は、はい……」
どうも不思議なことだが、スティルがトレーナー室を去ると静寂が痛みを孕む。ただ一人ページを捲る音だけが虚しく響いていた。
それと同時に、アドマイヤグルーヴに対して淀んだ感情が溢れ出す。あなたはスティルからどんな言葉を受け取るのか。それを考えると胸の内がむず痒くてたまらなかった。
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「貴方たちのことを教えて。愛がなんなのか、もっと分かりたい」
「私たちのこと、ですか」
アルヴさんは日ごとに私と関わってくださるようになった。併走の機会も以前と比べて圧倒的に増えている。
私たちの『愛』。それは泡沫のように儚く、捉えられないもの。そんな霞でもアルヴさんの助けになれるのなら、ということで私は私なりの愛を語るようになった。
そうして思い至ること。広さんは、出会ったばかりの時はどこか無感情で、粛々と仕事をこなす冷静沈着な方だった。
それが今は、語る言葉に、示す行動に、僅かな温もりが残っている。
自惚れかもしれないけれど、心を少しずつ開いてくださっているのだと理解している。
私はきっと、広さんを愛している。では、広さんは私をどう思っているの?
彼の様子は日に日におかしくなっていく。それがどのような感情の機微によるものなのか、現時点では不明確。
「……そう、ありがとう。それが貴方の愛なのね」
「……はい」
私がどれほど彼に焦がれているか。いくら語っても語り尽くすことはできない。
恋と愛は似通っているようでまるで別物。私は広さんに恋をしている。では、愛せているかと問われると無条件にはいとは言えない。
踵を返して、トレーナー室に戻った。
▫▫▫▫▫
「広さん……?大丈夫、ですか?」
「……っ、……っ」
部屋に戻ると、彼は苦しげに胸を抑えていた。
「あなたが、いなく、なって……急に頭が変になって、胸が、萎れるように痛んで」
「────」
明らかな異常。そこに含められた彼の思い、それは、
「おかしいんだよ。あなたと出会ってから、おれ……」
偏執的なまでの、熱情。
次回最終話です