魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。   作:アホ面オムライス

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第1話

 深夜零時過ぎ。

 

 鉛色の冷たい雨が、川崎市の臨海部に取り残された巨大な廃工場を容赦なく打ち据えている。

 

 かつて日本の重工業の心臓部として昼夜を問わず稼働していたその広大な空間は、今や赤錆と工業油、そして鼻腔の奥にへばりつくような、鉄錆よりも濃い血の匂いに支配された完全な死地と化していた。

 

 崩れかけたトタン屋根を叩く雨音が、不規則なノイズとなって吹き抜けの空間に反響している。

 

 そのひんやりとしたコンクリートの床の上を、ひだの多い上質なシルクの布地が、泥と黒ずんだ水たまりを引きずりながらゆっくりと進んでいた。

 

 パステルピンクを基調とした、狂気的なまでに過剰なフリルの装飾。

 

 腰には歩くたびに揺れる無駄に大きなリボンがあしらわれ、背中には純白の小さな天使の羽のイミテーションが縫い付けられている。

 

 煌びやかで、愛らしく、そしてこの鉄と血に塗れた廃工場という空間において、これ以上ないほど場違いな出で立ち。

 

 誰がどう見ても、深夜アニメからそのまま抜け出してきたような「魔法少女」の意匠そのものだった。

 

 だが、そのふざけたドレスを纏う少女の姿に、夢や希望、あるいは愛と勇気といった甘弱な単語は微塵も似合わなかった。

 

 年齢は十六。名前は葛城凛。

 

 雨漏りの滴が当たる彼女の顔には、魔法少女特有の愛想の良い笑顔など一切ない。

 

 無造作に切り揃えられた漆黒のボブヘアーの奥から覗くのは、極端に色素が薄く、一切の感情を殺し尽くした硝子玉のような三白眼。

 

 病的に白い肌は、過酷な戦闘を物語るように泥に汚れ、しかしそのドレスの下の肉体は、魔法の恩恵を受けない純粋な身体能力だけを限界まで鍛え上げた、無駄のないしなやかな筋肉で引き締まっていた。

 

 彼女の足元には、つい数分前までこの廃工場を縄張りにしていた、全長三メートルを超える巨大な異形の死体が転がっている。

 

 甲虫を思わせる漆黒の硬い外殻と、爬虫類の筋繊維を無秩序に継ぎ合わせたような、生理的嫌悪感を極限まで催す多脚の怪物。

 

 魔法少女というシステム上において『Cランク歪魔(ガイマ)』と呼称される、人類の天敵たる超常の捕食者だ。

 

 その怪物の分厚い装甲には、ただの一つの外傷も存在しない。

 

 鋭利な刃物で切り裂かれた痕跡も、高熱の炎で焼き焦がされた痕跡も、打撃によってひしゃげた陥没すら見当たらなかった。

 

 外見上は、まるで眠っているかのように無傷なのだ。

 

 しかし、その眼窩や耳に当たる呼吸孔の隙間からは、ドロドロに液状化した紫色の脳髄と内臓が、とめどなくコンクリートの床へと溢れ出していた。

 

 硬固な外殻という『器』だけを残し、中身の生体組織だけが、巨大なミキサーにかけられたかのように完全にすり潰されている。

 

 凛は感情の抜け落ちた無表情のまま、ドレスのポケットから取り出した業務用のアルコールウェットティッシュで、己の両手にはめた『赤黒い革製のボクシンググローブ』を丁寧に拭い始めた。

 

 彼女の手には、魔法少女の象徴であるはずの煌びやかなステッキなど握られていない。

 

 あるのは、中に鉛が限界まで詰め込まれ、怪物の体液を吸って変色した、重く無骨な打撃ツールだけだ。

 

「……セラフ。討伐ポイントの加算を確認なさいな」

 

 甘ったるいお嬢様口調。

 

 だが、その声のトーンは絶対零度のように冷たく、機械的だった。

 

 凛が何もない虚空に向かって呼びかけると、空間にノイズのような亀裂が走り、青白い光と共に白いフクロウに似た奇妙な浮遊生物――この狂ったゲームのシステム端末である管理妖精セラフが姿を現した。

 

『確認シマシタ。Cランク歪魔一体ノ解体報酬、十二万ポイントヲ貴方ノ口座ニ振リ込ミマシタ。コレデ、結衣サンノ生命維持装置ハアト七十二時間稼働シマス』

 

「そう。重畳ですわ」

 

 セラフの首が、物理法則と骨格の構造を完全に無視した滑らかな挙動で百八十度回転し、足元の凄惨な死体と凛の姿を交互にスキャンする。

 

 その無機質な電子音声には、明確な処理落ちに似た困惑のノイズが混じっていた。

 

『シカシ、凛。事象ログニ重大ナ矛盾ガ存在シマス。対象ノ外殻ハ常時、高密度ノ魔力障壁(アンチ・マジック・シールド)デ覆ワレテイマス。魔力適性Fランクノ貴方ニハ、コノ障壁ヲ貫通スル手段ガ存在シナイハズデス』

 

 セラフの指摘は、魔法少女という超常のシステムにおける根幹の絶対ルールに関わるものだった。

 

 歪魔と呼ばれる怪物は、常に自身の外殻の周囲に高密度の魔力障壁を展開している。

 

 それは超音速で飛来する軍用ライフル弾の運動エネルギーすら空中で静止させ、数千度のプラズマ火炎放射すら完全に遮断する、文字通りの『絶対防御』だ。

 

 障壁の性質は一つの原則に支配されている。

 

 魔力を帯びた攻撃――ステッキから放たれる魔法の炎や光線、あるいは魔力で身体強化された打撃など、システムが定義する『魔法的な攻撃手段』に対しては、即座に反応して完全に遮断する。

 

 しかし、凛にシステムから与えられた魔力の適性ランクは『F』。

 

 全契約者の中でぶっちぎりの最下位。

 

 指先から百円ライター程度の微弱な火花を出すのが限界だが、その出力を極小の一点に収束させる精度だけは異常に高い。

 

 もっとも、どれほど精密であろうと、蝋燭の火で鉄壁を焼き切れるはずもなく、魔法少女の基礎である身体強化すらろくに維持できない、実質的な無能力者と同義だった。

 

『マシテヤ、魔法ステッキヲ使用セズ、ソノヨウナ原始的ナ質量物(グローブ)デ打撃ヲ与エルナド――』

 

「わたくしは、『自分自身の力』だけで殴り殺したとは一言も言っておりませんわ」

 

 凛はセラフの分析を遮り、長々とした原理の説明などしなかった。

 

 ただ、重々しい音を立てて両拳のグローブを打ち合わせ、冷たい視線を真っ暗な工場の天井付近へと向けただけだ。

 

 セラフがスキャン光線を上方に照射した。

 

 そこには、工場の天井付近に設置された巨大な業務用のホイストクレーンがあった。

 

 そのフックからは、太い鋼鉄のワイヤーが切断され、空を斬るように垂れ下がっている。

 

 ワイヤーの切断面を拡大スキャンすれば、凛が事前に仕掛け遠隔起爆させた市販の爆破ボルトの痕跡が確認できるはずだ。

 

 そして、凛と怪物の死体のすぐ横。

 

 床の分厚いコンクリートを粉砕し、鉄筋をひしゃげさせて深くめり込んでいる『三トンの鉄鋼資材』が、巨大な墓標のように鎮座していた。

 

 凛はこの廃工場に足を踏み入れてから三時間、怪物と対峙する前の全てを仕込みに費やしていた。

 

 クレーンのフックに吊られた鉄鋼資材の真下に、怪物を誘導するための生体餌(闇ルートで仕入れた豚の血液パック)を設置。

 

 怪物が餌に反応して所定の座標に静止した瞬間、凛は爆破ボルトを遠隔起爆し、三トンの鉄塊を自由落下させた。

 

 だが、単純に鉄塊を落としただけではない。

 

 歪魔の魔力障壁は、魔力を帯びた攻撃に対しては即座に反応する。

 

 しかし、純粋な物理的質量――魔力の痕跡を一切持たない、ただの鉄の塊の自由落下に対しては、障壁が「魔法的攻撃」として認識するプロセスが発生しない。

 

 認識できないものは、防御できない。

 

 三トンの鉄塊は、障壁に一切干渉されることなく、怪物の頭蓋の真上に激突した。

 

 もっとも、外殻の物理的硬度そのものは凄まじい。

 

 三トンの落下衝撃でも、外殻は割れなかった。

 

 だが、凛が狙っていたのは外殻の破壊ではない。

 

 鉄塊が怪物の頭蓋を打った衝撃の直前――正確には〇・三秒前。

 

 凛は自ら怪物の死角から接近し、呼吸孔の隙間に、鉛を詰めたグローブの拳を叩き込んでいた。

 

 グローブの鉛は、呼吸孔の内壁にぴったりと密着する。

 

 事前にグローブの表面に塗布しておいた速乾性の工業用エポキシ接着剤が、体液の湿気と反応して瞬時に硬化し、拳と呼吸孔の内壁を物理的に接合する。

 

 拳を押し込み、接着を確認した直後、凛は腰のタクティカルハーネスに仕込んだ小型ウインチの緊急射出ボタンを左手で叩いた。

 

 〇・三秒。

 

 接着が硬化してから鉄塊が着弾するまでの、計算し尽くされた時間差。

 

 三トンの質量が怪物の頭蓋に激突した瞬間、凄まじい衝撃波が外殻の内部を伝播した。

 

 外殻は割れない。

 

 だが、密閉された硬い容器の内部で、液体や軟部組織に衝撃波が伝わった場合、流体は圧縮されない代わりに、そのエネルギーを全方位に均等に伝達する。

 

 水撃作用(ウォーターハンマー)。

 

 水道管の急閉鎖で管が破裂する現象と同じ原理だ。

 

 凛のグローブが呼吸孔を塞いだことで、衝撃波の唯一の逃げ道が封鎖されていた。

 

 逃げ場を失った衝撃エネルギーは、外殻という硬い容器の内側で何度も反射・増幅を繰り返し、内部の脳髄と臓器を文字通りミキサーにかけたように粉砕した。

 

 外からは傷一つ付けられない絶対防御の怪物を、内側から自壊させたのだ。

 

 ウインチの巻き上げが凛の身体を後方に引き抜いたのは、鉄塊の着弾からコンマ数秒後。

 

 接着剤の硬化力を上回るウインチの牽引力が、グローブごと凛の拳を呼吸孔から強引に引き剥がした。

 

 爆風と飛散する体液の中を、ワイヤーに引かれた凛の身体が弧を描いて後方の鉄骨の陰まで退避する。

 

 着地の衝撃で右肩の関節がミシリと軋んだ。

 

 左の掌にはウインチの牽引で擦りむいた生々しい裂傷が走り、血が滲んでいる。

 

 身体強化の魔法をろくに使えない生身には、この程度の物理的退避ですら骨身に堪える負荷だった。

 

 そこに魔法の力は一切介在していない。

 

 アイザック・ニュートンが発見した重力加速度と、流体に伝わる衝撃波の物理法則。

 

 この宇宙の絶対的な基礎物理による、純粋で残酷な暴力。

 

 セラフの単眼モニターに、膨大な緑色の演算ログが滝のように流れ落ちる。

 

『上部クレーンニ、市販ノ爆破ボルトノ起爆痕跡ヲ確認。三トンノ鉄鋼資材ノ自由落下。呼吸孔ヘノ鉛質量(グローブ)ノ挿入ニヨル密閉。衝撃波ノ内部反射ニヨル、軟部組織ノ完全破砕……。事象ログ、更新完了』

 

 セラフは淡々とログを更新した。

 

 それだけだ。

 

 驚愕の電子音声も、バグめいた処理落ちもない。

 

 データを記録し、次のプロセスに移行する。それがシステム端末の本分である。

 

「物理法則は、神のバグよりよほど誠実ですのよ」

 

 凛はそう呟き、作業服のポケットから医療用の小型電動骨ノコギリを取り出した。

 

 チュイィィィィン、という耳障りなモーター音が、死の空間に鳴り響く。

 

 彼女は一切の躊躇いのない手慣れた動作で、怪物の胸部装甲のわずかな隙間に高速回転する刃をねじ込み、強引に胸腔をこじ開けた。

 

 内部から高い圧力がかかっていた紫色の体液が間欠泉のように噴き出し、パステルピンクのフリルと彼女の白い頬をさらに汚していくが、凛は瞬き一つしない。

 

 やがて、肉と粘液の海の中に手を突っ込み、大人の拳ほどの大きさの『コア』をえぐり出した。

 

 歪魔という怪物の力の源であり、システムがポイントと交換で回収を求めている最重要アイテム。

 

 凛は、取り出した赤黒い肉塊のようなコアを、極めて冷たい観察者の目で凝視した。

 

 右心房、右心室、左心房、左心室。

 

 大動脈と静脈が切り取られた痕跡。さらには、心筋に酸素を送る冠動脈の走行パターンまで。

 

 どう見ても、それは『人間の心臓』と物理的・生物学的に全く同じ構造をしていた。

 

 虫と爬虫類を混ぜたような異形の怪物の体内に、人間の心臓がメインエンジンとして埋め込まれているという、おぞましい事実。

 

「……悪趣味なシステムですわね、本当に」

 

 凛はコアを素早く密閉用のバイオハザードバッグに放り込み、ジッパーを閉じた。

 

 血の匂いが充満する廃工場に響く、ひどく場違いで、甘ったるいお嬢様口調。

 

 それは、彼女自身の本来の言葉ではない。

 

 現在、都内の大学病院の無菌室で、無数のチューブに繋がれ、生死の境を彷徨っている双子の妹――結衣が、かつて好んで使っていた口調だ。

 

 このパステルピンクのフリルのドレスも、天使の羽も、本来は妹が憧れ、着るはずだった魔法少女の姿。

 

 論理と効率だけを愛する理系の凛にとって、こんな非合理な装飾は不快でしかなかった。

 

 だが、凛はあえて妹の姿を模倣し、妹の言葉をなぞる。

 

 妹は、原因すら掴めない「魔力飽和病」という超常の病に侵されている。

 

 全身の細胞が未知の魔法エネルギーによって暴走し、内側から自らを食い破って焼き尽くしていく絶望的な症状。

 

 システム管理者たるセラフは、歪魔の討伐によって得られる莫大なポイントと引き換えに、妹の生命維持装置を稼働させるという悪魔の契約を突きつけてきた。

 

 ポイントが尽きれば、装置は即座に停止し、妹は焼け死ぬ。

 

 だからこそ凛は、恐怖や絶望に呑まれそうになる己の心を縛り付けるための、狂気的な自己暗示(ルーティン)として、妹を演じているのだ。

 

 結衣の姿で怪物を殺し続ける限り、結衣の命は絶対に途絶えさせないという、神に対する強烈な皮肉と反逆のポーズとして。

 

「次、Bランク以上の怪物の座標を出しなさいな。急ぎませんと、タイムリミットが来てしまいますわ」

 

 凛が冷たい声で催促すると、空中に浮かぶセラフの空虚な瞳のモニターが、警告を示す赤色に明滅した。

 

『……現在、新宿区ノ解体予定複合商業ビルニテ、強力ナ空間歪曲反応ヲ検知。Sランク魔法少女ガ交戦中デスガ、苦戦シテイマス』

 

「Sランクが、ですの?」

 

 凛は怪訝そうに僅かに目を細めた。

 

 魔法少女のランクは、純粋な『魔力の出力(火力の高さ)』で決定される。

 

 Sランクともなれば、一撃で高層ビルを跡形もなく消し飛ばすほどの極大火炎や絶対零度の氷結を操る、システム側の選ばれたエリート中のエリートだ。

 

『ハイ。対象ハ、従来ノ物理装甲型トハ異ナル、完全ナ【流体変異型】デス。Sランク魔法少女ノ放ツ極大火炎魔法(数千度ノ熱量)ヲ全テ吸収シ、現在モソノ熱ヲ利用シテ体積ヲ急激ニ膨張サセテオリマス』

 

 凛の眼が鋭くなった。

 

 相手は熱を吸収して成長する変異体。

 

 冷やしている相手をわざわざ燃やすなど、飢えた獣に極上の餌付けをしているようなものだ。

 

 Sランクのエリートが全力で火炎を叩き込めば叩き込むほど、敵は肥え太る。

 

 ただの自滅行為。

 

『対象ハ極メテ危険デス。Fランクノ貴方デハ、物理的ナ質量攻撃モ流体ニヨッテ完全ニ吸収サレマス。接近ハ推奨シマセン。直チニ別ノ座標ヲ検索シマス』

 

「不要なアドバイスですわ、鳥」

 

 凛は踵を返し、工場群の暗がりに停めてあった黒いワンボックスカーへと迷いなく向かった。

 

 車のバックドアを開けると、そこは移動式の実験室兼、簡易の倉庫となっていた。

 

 煌びやかな魔法のステッキや宝石箱などではなく、無骨な工事用具や、劇物のラベルが貼られた化学薬品のボトルが整然と並べられている。

 

 その全てが、過去半年にわたる闇ルートからの調達品だった。

 

 討伐ポイントの一部を、セラフのシステムを経由せずに換金する裏の手段。

 

 川崎の廃工場群に巣食う元作業員の老人が、凛の唯一のサプライヤーだ。

 

 工業用薬品、医療器具、電子部品。

 

 必要なものを必要なだけ、金で買う。

 

 魔法少女のシステムに依存しない物資の独立供給網。

 

 それが、魔力Fランクの凛がこの地獄で生き延びるための、最も基本的なインフラだった。

 

 凛は車載モニターのキーボードを高速で叩き、新宿の対象ビルの構造図をディスプレイに表示させた。

 

 解体工事中断中の巨大複合商業ビル。

 

 構造図は三日前にビル管理会社のサーバーから抜き取ったものだ。

 

 凛は東京二十三区内の解体予定ビル、廃工場、閉鎖施設など、歪魔が出没しやすい環境を常時リストアップし、構造図を事前に取得する習慣を持っている。

 

 備えを怠れば死ぬ。魔法の奇跡など存在しないこの世界で、事前準備だけが生存率を上げる唯一の手段だ。

 

「流体装甲であり、熱エネルギーを吸収して膨張する性質……。そして現場は、内装が剥がされた解体予定の商業ビル」

 

 凛の冷徹な脳内で、複数の変数と環境データが瞬時に結びつく。

 

「……ちょうど、今の在庫に手頃なものがありましたわね」

 

 彼女は荷台の奥から、厚手の防湿クラフト紙で厳重に包装された、一つ二十キログラム入りの重い紙袋を幾つも引きずり出し、小型の電動クローラーに積み込み始めた。

 

 袋の表面には、太い無骨なゴシック体で『無声破砕剤(主成分:酸化カルシウム)』と印字されている。

 

 土木工事で岩盤を砕くための工業資材。

 

 酸化カルシウム――生石灰は、水と接触すると激しい水和反応を起こし、数百度の発熱と共に急激な体積膨張を生じさせる。

 

 力学(物理)の打撃が通じず、熱を与えれば巨大化する相手ならば。

 

 化学(ケミストリー)の絶対法則を用いて、相手の体内で水和反応を起こし、内側から細胞レベルで破裂させるまでだ。

 

 ただし、前提条件がある。

 

 凛はクローラーに袋を積みながら、モニターに表示されたセラフの歪曲データを睨んだ。

 

 流体変異型の体液の組成。

 

 セラフのスキャンデータには、対象の体液の比重と屈折率が記録されている。

 

 比重一・〇三。屈折率一・三四。

 

 いずれも、水を主溶媒とする生体液の典型的な数値だ。

 

 生石灰の水和反応が成立する条件は満たされている。

 

「お待ちになっていて、結衣。……魔法なんていう非論理的な代物に頼る愚か者たちから、必要なポイントはすべて、わたくしが搾取してあげますわ」

 

 凛は重い扉を閉め、運転席に乗り込んだ。

 

 雨の川崎から、ネオンの瞬く新宿へ。

 

 魔法を心の底から否定する最弱の魔法少女は、重い化学資材を積んだ車を急発進させた。

 

 右肩の鈍い痛みが、先ほどの退避の代償を思い出させる。

 

 左手のハンドルを握る掌には、まだ血が滲んでいた。

 

 身体強化の魔法が使えない肉体は、戦闘のたびにこうして確実に削られていく。

 

 それでも、彼女の瞳には一切の迷いがない。

 

 この世界で最も恐ろしく、最も効率的な力は、魔法の炎でも怪物の爪でもない。

 

 一切の倫理を捨て去り、純粋な論理と殺意だけで最適化された『人間の知性』であることを、これから証明するために。




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