魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。 作:アホ面オムライス
セラフのネットワークが再起動してから四日目。
凛の携帯端末に、見知らぬ識別コードからの通信が入った。
セラフ経由の暗号化チャネル。
凛が全魔法少女に配信した通知文に対する応答だが、一般の魔法少女が使う標準プロトコルではない。
軍用の暗号化レイヤーが上乗せされている。
凛は通信を開いた。
テキストのみ。音声なし。
――『探知ネットワークの設計者に直接話がしたい。協力できることがある。鷹取沙耶。階級は元二等海尉。Bランク。東京湾の件で連絡した』
東京湾の件。
凛がセラフ経由で配信した歪魔の座標データの中に、東京湾沖合の定常波の検知情報が含まれていた。
一般の魔法少女にとっては意味不明のノイズデータだが、この鷹取という人物はそこに反応している。
凛は返信した。
――『情報の内容次第で会う。何を知っている』
数分後、返信が来た。
――『沈没座標の海底構造について、防衛省が把握している情報がある。十二年前から』
十二年前。
凛と結衣が四歳の時。
ストレージの運用ログで確認した、システムの初期起動年と一致する。
凛は会うことを決めた。
*
翌日。
指定された場所は、横須賀基地の近くにある古い喫茶店だった。
凛とキララが店に入ると、窓際の席に一人の女性が座っていた。
二十代後半。短く切り揃えた黒髪。姿勢が良い。
服装は私服だが、所作の一つ一つに軍人の規律が染みついている。
テーブルの上にはコーヒーが一杯。手つかずだった。
「葛城凛?」
「ええ」
「鷹取沙耶。元海自。三日前に依願退職した」
「退職?」
「システムが止まって、魔法少女としての秘密任務が消滅した。上は私の処遇を決めかねていた。面倒になる前に辞めた」
沙耶は凛とキララの顔を交互に見た。
「十六歳の女の子二人があのシステムを潰したとは、正直信じがたいが、セラフのネットワーク再構築の技術レベルを見れば、素人の仕事じゃないことは分かる」
「前置きはいい。十二年前の情報を聞かせて」
凛は向かいの席に座った。
キララが隣に座る。
沙耶はコーヒーに口をつけ、一口だけ飲んで話し始めた。
「十二年前、防衛省の海洋監視システムが東京湾沖合の海底に異常な磁気反応を検知した。原因不明の強い磁場が、突然出現した。調査のために無人探査機を送ったが、探査機は座標に接近した時点で全ての電子系統が停止し、回収不能になった」
「磁場による電子機器の障害?」
「ああ。以後、その座標は防衛省の内部リストで『立入禁止海域』に指定された。表向きの理由は『不発弾処理区域』。実際には、何があるのか誰も分かっていなかった」
凛は端末にメモを取りながら聞いた。
「その磁気反応は、十二年間ずっと出続けていた?」
「出力は年々増加していた。最初は微弱だったが、五年前からは民間の漁船のコンパスが狂うレベルにまで上がっていた。漁協からの苦情を海保が受けて、航行警報が出ている」
「それが、システムの要塞が建造された場所と一致している」
「ああ。だが、私が知る限り、要塞の存在を把握していた防衛省の人間はいない。磁気異常の調査は何度も提案されたが、そのたびに上層部が握り潰した」
「握り潰した理由は」
「分からない。ただ、決裁者の名前はいつも同じだった。当時の防衛技術研究本部の技官で、現在は退官している人物」
沙耶はテーブルの上に一枚のメモ用紙を滑らせた。
人名が一つ書かれている。
「この人物の経歴を調べたところ、退官前の最後の所属は、国立高度医療研究センターとの共同研究プロジェクトだった」
凛の手が止まった。
国立高度医療研究センター。
結衣が入院している病院だ。
凛の母・理沙が研究員として在籍していた病院だ。
「共同研究の内容は」
「防衛機密として秘匿されている。だが、プロジェクトの予算コード名だけは内部文書に残っていた」
沙耶は二枚目のメモを出した。
そこには、短い英数字の文字列が書かれていた。
――『ARC-00』
凛の背筋に、冷たいものが走った。
全てのセラフ端末、全てのコンバーター、全ての執行者のファームウェアに共通して埋め込まれていた製造者のシグネチャ。
それが防衛省の予算コードと一致している。
システムは、個人の研究の産物ではなかった。
少なくとも初期段階では、国家の予算が投入されていた。
「鷹取さん。一つ聞く」
「何だ」
「あなたがこの情報を持ってきた動機は何」
沙耶はコーヒーカップを置いた。
「私はBランクの魔法少女として八年間、歪魔を狩ってきた。自衛隊の秘密任務として。国を守っていると信じていた」
沙耶の目が、一瞬だけ暗くなった。
「あなたの通知文を読んだ。怪物のコアが人間の心臓だという部分を」
「ええ」
「私は八年間で、三百体以上の歪魔を殺した。その全てに人間の心臓が入っていたなら、私は三百人の人間の臓器を焼いたことになる」
沙耶の声は平坦だったが、コーヒーカップを持つ指先が、僅かに白くなっていた。
「その責任を、私は誰に問えばいいんだ。死んだシステムにか。それとも、システムを作った人間にか」
凛は沙耶の目を見た。
キララが見せた罪悪感と、同じ種類の暗さがそこにあった。
ただし、キララのそれが「知らなかった」ことへの衝撃だったのに対し、沙耶のそれは、八年間という時間の重みを背負った、遥かに深い傷だった。
「システムを作った人間を、私は探している」
凛は言った。
「見つけたら、あなたにも会わせる。だが、今の私に必要なのは、海底の調査手段だ」
「潜水手段か」
「ええ。前回使った密漁艇は沈んだ。海底八十メートルの有人調査ができる装備が要る」
沙耶はメモ用紙を回収し、ポケットにしまった。
「海洋研究開発機構に、廃棄予定の旧型有人潜水調査船がある。書類上は既にスクラップ申請が出ているが、実機はまだドックに残っている。引き取り手がいれば、処分費が浮くので向こうも助かる」
「操縦できるのか」
「元海自だ。潜水艦の操舵資格がある。調査船なら楽なものだ」
沙耶は立ち上がった。
「一つ条件がある」
「何」
「調査には私も同行する。海底で何が見つかろうと、私にも確認する権利がある。八年分の答えを、この目で見たい」
凛は数秒だけ考え、頷いた。
「構わない。操縦と機械整備はあなたに任せる。私は電子系統を担当する。キララは緊急時の保険だ」
「保険って何よ」
「いざとなったら魔力で浮上するための保険。あなたのSランクの浮力は、何度も助かってる」
「浮力って言い方、ひどくない?」
沙耶が薄く笑った。
元海自の軍人と、Fランクの理系少女と、Sランクの元エリート。
奇妙な三人が、喫茶店を出た。
横須賀の冬の風が、三人のコートの裾を揺らした。
海の方角から、潮の匂いが漂ってくる。
あの海の底に、凛がまだ知らない何かが眠っている。
凛は端末を開き、ストレージからコピーした運用ログの検索窓に、四文字を打ち込んだ。
ARC-00。
ヒット件数、四万七千三百十二件。
全てのファームウェアのヘッダに、この文字列が刻まれている。
国家予算のコード名が、世界中の搾取システムの隅々にまで浸透している。
母一人の仕業ではない。
凛は端末を閉じ、海の方角を睨んだ。
潮風が、短く切り揃えた黒髪を揺らした。