魔法は捨てた、物理(アイツ)を信じろ。 作:アホ面オムライス
ARC-00。
四万七千三百十二件のヒット。
凛は結衣の病室のベッドサイドで、三日間その文字列を追い続けた。
ストレージの運用ログに記録されたARC-00の出現パターンには、明確な規則性があった。
全てのセラフ端末のファームウェアヘッダ。全てのコンバーターの制御コードの署名欄。全ての執行者の初期化シーケンス。アーキテクトの認証キーの発行元ID。
例外はない。
システムを構成する全てのハードウェアとソフトウェアに、ARC-00が製造者の署名として刻まれている。
沙耶が持ってきた情報では、ARC-00は防衛省の予算コードだった。
国立高度医療研究センターとの共同研究プロジェクト。
凛はその二つの情報を突き合わせ、次の検索に移った。
公開されている学術論文のアーカイブ。
特許データベース。
国立研究開発法人の公開報告書。
ARC-00という文字列そのものは、どのデータベースにもヒットしなかった。
防衛機密として秘匿されている以上、公開文書にコード名が現れないのは当然だ。
凛はアプローチを変えた。
沙耶の情報から分かっているのは、プロジェクトの所属先が「国立高度医療研究センター」であること。
凛はセンターの過去の在籍研究者リストを調べ始めた。
センターのウェブサイトに公開されている年次報告書のバックナンバー。
研究者の名前と所属部門が、年度ごとに記載されている。
十二年前の報告書。十三年前。十四年前。
十四年前の報告書に、一人の名前を見つけた。
先端エネルギー医療研究部門。主任研究員。葛城理沙。
凛の母親だ。
名前の横に記載されている研究テーマは「生体エネルギー場の定量的計測手法に関する基礎研究」。
無害なタイトルだ。
だが、凛の目が止まったのは、同じ部門に併記されているもう一つの項目だった。
外部資金情報。共同研究先。防衛省防衛装備庁(旧・防衛技術研究本部)。
プロジェクト名は記載されていないが、年度と所属が一致する。
ARC-00は、母の研究に紐づいた防衛省の予算プロジェクトだった。
凛は年次報告書をさらに遡った。
十五年前。理沙の名前が初めてセンターの報告書に現れた年だ。
その年、理沙は同じ部門に一本の論文を登録している。
論文番号とタイトルだけが記載され、本文へのリンクはない。
凛はタイトルを学術論文アーカイブで検索した。
ヒットした。
ただし、論文のステータスは「撤回済み」。
タイトルは「魔力エネルギーの人工循環系における定常状態の維持に関する理論的枠組み」。
撤回理由は「倫理審査委員会の勧告による」。
凛は論文の本文にアクセスしようとした。
撤回済み論文のため、出版社のサーバーからは削除されている。
だが、学術論文のプレプリントサーバーには、査読前の原稿が残っていた。
出版社が削除しても、著者が事前に登録したプレプリント版までは手が回っていなかったのだ。
凛はプレプリントをダウンロードし、読み始めた。
論文は、数式と図表を多用した理論物理学の体裁を取っていた。
内容の核心は、凛がシステムの運用を通じて既に実地で確認した事実と、ほぼ完全に一致していた。
魔力と呼ばれるエネルギーは、自然界に微量に存在する未知のスカラー場の励起状態である。
このエネルギーを人体に取り込み、生体内で定常的に循環させる人工的な系を構築することが理論的に可能であること。
定常循環系が安定するための閾値条件。
閾値を超えた場合に発生する暴走現象(論文中では「魔力飽和」と呼ばれている)の数理モデル。
そして、暴走を制御するための外部フィードバック機構の設計原理。
コンバーターの理論的基盤そのものだった。
凛は論文の謝辞セクションを読んだ。
研究資金の提供元として、防衛装備庁の外部資金が明記されている。
そして、謝辞の最後に一行。
「本研究の着想は、著者自身の生体における魔力の自然発現の観察に基づく」
凛はその一文を三回読み返した。
著者自身の生体における魔力の自然発現。
母・理沙は、魔力の研究者であると同時に、自らが魔力の保有者だった。
先天的に魔力を持つ人間。
システムが魔法少女を「契約」によって人工的に生み出す遥か以前に、理沙は自然発生的な魔力保有者として存在していた。
凛は論文を閉じ、天井を見上げた。
パズルのピースが、一つずつ嵌まっていく。
母は魔力の自然保有者だった。
その魔力を研究対象とし、人工循環系の理論を構築した。
防衛省は、その研究に軍事的な価値を見出し、ARC-00として予算を投入した。
そして母は、理論を実証するために、自分の娘を被験体にした。
結衣には大量の魔力が定着した。
凛にはほとんど定着しなかった。
だが、ここで一つの疑問が生じる。
母自身の魔力はどうなったのか。
論文の記述が正しければ、理沙は自然発生的な魔力保有者であり、その魔力量は「人工循環系の着想を得る」ほどのレベルにあった。
結衣に定着した魔力が「特級バッテリー」として搾取されるほどの量だったなら、その起源である理沙自身の魔力はさらに膨大なはずだ。
そして、セラフが東京湾の海底で検知した定常波。
生体反応に近い熱源パターン。
凛は端末を閉じ、結衣を見た。
結衣はベッドの上で、凛の端末の画面を横から覗き込んでいた。
「おねえちゃん。それ、お母さんの論文?」
「読めたの」
「数式は分かんない。でも、名前は読めるよ。葛城理沙って」
結衣の声は静かだった。
「お母さん、死んだって聞いてたけど」
「ええ。戸籍上は、私たちが五歳の時に事故死したことになっている」
「でも、おねえちゃんは死んでないと思ってるんでしょ」
凛は結衣の目を見た。
妹の目は、病み上がりの弱々しさの奥に、凛と同じ種類の冷静さを宿していた。
双子だ。
同じ遺伝子を持ち、同じ母親の実験を受けた。
結衣にも、凛と同じように、論理的に考える力がある。
「海底に、お母さんかもしれないものがある。まだ確認はできていない」
「確認しに行くんでしょ」
「ええ」
結衣は毛布の縁を握った。
「おねえちゃん。お母さんに会ったら、一つだけ聞いて」
「何を」
「どうして私たちを実験に使ったのか。……ううん、違う。どうして、私たちを置いて一人で止めようとしたのか」
凛は答えなかった。
その問いの答えを持っているのは、海底に眠っている女だけだ。
凛は端末を開き、沙耶に連絡を入れた。
――『潜水調査船の整備状況は』
数分後、返信が来た。
――『機械系統の整備完了。あと二日で出港できる。電子系統はお前が触れ。私には分からん』
凛は立ち上がった。
「結衣。二日後に海に潜る。帰ってきたら、お母さんのことを全部話す」
「約束して」
「約束する」
凛は病室を出た。
廊下で、キララが壁にもたれて待っていた。
「聞こえてた?」
「全部じゃないけど。お母さんが生きてるかもしれないってこと?」
「可能性がある。海底で確認する」
「私も行くわよ」
「当然、そのつもりだ」
凛は廊下を歩きながら、端末の画面に表示された論文のタイトルをもう一度見た。
魔力エネルギーの人工循環系における定常状態の維持。
母が理論を立て、母が実験し、母がシステムを造り、母がシステムに呑まれた。
そして今、母の娘が、そのシステムの残骸を海底に沈めた。
因果が、十二年の歳月を経て、円を閉じようとしている。
凛は病院の正面玄関を出た。
十一月の冷たい空気が、肺の奥まで染み込む。
東京湾の方角に、鈍い灰色の雲が低く垂れ込めていた。